異流格闘技戦⁉︎

能楽のシテ方には、宝生流の他に観世流、金剛流、金春流、喜多流の合計五流があります。

普段は別々の舞台で活動しており、同じ催しであっても、それぞれ別の曲を演じるのが普通です。

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しかし極稀に、いくつかの流儀が一緒になって一曲を演じることがあります。

来たる4月7日に行われる「金剛能楽堂15周年記念公演」では、宝生流、金剛流、金春流の合同で能「正尊」が演じられ、私も正尊方の立衆を勤めます。

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「立衆」とはこの曲においては武者のことで、義経方の立衆と刀を持って闘うのです。

そして今回の義経方立衆は金剛流のお二人。

今日はその合わせをしに、金剛能楽堂に行って参りました。

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刀を持っての闘いを「切り組み」と言います。

この切り組みは、いくつかの決まった技を組み合わせて、舞台の度に新しく作る慣わしですが、今回は少々勝手が違います。

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お互いに知らない技が多いのです。

例えば宝生流の「鎬(しのぎ)」や「二重切り違い」などは金剛流にはないらしく、逆に金剛流の「鍔迫り合い」や「抜き足」という技は我々宝生流は初めて見るものでした。

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これらを何とか擦り合わせて、違和感の無い「切り組み」を作っていくのは、大変なのですが非常に面白い作業でした。

どちらか一方の流儀だけを知っている方がご覧になれば、「おお!そんな風に構えるのか!」「そう切るのか⁉︎」と、色々新鮮な驚きがあると思います。

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正尊方の立衆は、結局最後は斬られてしまうのですが、その「死に様」にも是非ご注目いただきたいと思います。

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4月7日(土)13時半始めの金剛能楽堂15周年記念公演に、皆様是非お越しくださいませ。

よろしくお願いいたします。

亀岡の花々〜春の使者達〜

「スプリング・エフェメラル」という言葉を初めて知りました。

日本語では「春の妖精」とも呼ばれる一群の花々のことをさす言葉です。

春先のほんの数週間だけ広葉樹林の林床を華やかに彩り、初夏にはもう跡形も無くなってしまうという儚い花達なのだそうです。

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今日の亀岡稽古ではその「春の妖精」に沢山出会うことが出来ました。

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先ずはカタクリです。

今日は天気が良かったので、花がよく開いて反り返っていました。

「片栗粉」はこのカタクリから作ると思っていましたが、採れる量が少ないために近年はジャガイモやサツマイモのデンプンで作られているそうです。

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キクザキイチゲ。漢字で書くと「菊咲一華」。

漢字の方が綺麗な名前だと感じます。

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また下の花は近い仲間の…

ユキワリイチゲ(雪割一華)。

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そしてムラサキケマン。

これらの花々は全て「スプリング・エフェメラル」に属するそうです。

年間の大半を暗い地中で過ごす彼ら(彼女ら?)は、ようやく地上に出られた喜びを競って表現するかのように、美しく可憐な花を咲かせているように見えました。

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「春の妖精」に近い表現で、日本でも古くから、「雪割草」と呼ばれるいくつかの花々があります。

このスハマソウもそのひとつです。

因みに先ほどの「菊咲一華」や「雪割一華」を「雪割草」と呼ぶ地方もあるそうです。

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ミツマタも満開になりました。

和紙の原料となるこの植物は「サキクサ」とも呼ばれます。

その意味は、「春になると他の花に先駆けて咲く」からとも、またこの花が縁起の良い花とされていたので「幸草」と称されたからとも言われるようです。

「三枝(さえぐさ)」さんという苗字の語源もこの「サキクサ」だそうです。

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新芽を取り囲むように小さな花が沢山咲いている変わった木がありました。

「クロモジ」です。

こちらは「楊枝」の原料になるので有名ですね。こんな花だとは知りませんでした。

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今日は他にも、

トキワイカリソウ

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トサミズキ

などなど、調べるのが追いつかないほどの多くの花々が咲いていました。

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桜も満開になり、まさに春爛漫という風情でした。

のんびりモードと思いきや

今日は久しぶりの松本稽古でした。

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郁雲会澤風会で舞台に出られた方々と色々思い出話(もう遠い昔のように思えます)をして、新しい仕舞の曲を決めて稽古を始めました。

謡の曲も今日から「嵐山」です。

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何しろ大きな舞台がようやく終わって、暫くは会の予定もありません。

かねて行きたかった、会員さんのされている「鰻屋さん」や「イタリア料理店」などにランチを食べに行く約束をしたりして、なんとなくのんびりとした気分で、余裕を持って稽古出来ました。

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とは言え、私がのんびりしていても会員さん達はやはり熱心です。

「今度の仕舞には、拍子をドン!と強く踏めるような曲がしたいです!」

とか、「桜川と対になる”三井寺”がやってみたいです!」

「○○さんは、秋の松本澤風会で舞囃子をしたら良いですよ!」

「私は秋の京都の澤風会に泊まりがけで行こうと思っています!」

などなど、私が考えなくても次々に新しい曲や楽しみなお話が湧いて出てくるのです。

兼平の子孫かもしれないという会員さんが、澤風会で稽古をしているのが縁でテレビ出演するという話まで出ました。

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本当に松本はおもちゃ箱のような活気溢れる楽しい稽古場だと、改めて思ったのでした。

道成寺の疲れは…

今日の別会能の「道成寺」も、幸いなことに滞りなく無事に終わりました。

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終わって記念の宴会がありましたが、そこでのシテ當山淳司さんの「道成寺は自分にとって特別な曲でしたが、他の全ての曲もやはり特別だと思います。今後も一層精進いたします」という挨拶もとても印象に残りました。

淳司さんおめでとうございました。

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道成寺は「若手能楽師の登竜門」といわれます。

それは本番だけでなく、その舞台に至るまでのこの曲の「極限状況」を色々と経験することで、やはり一度に何段階も経験値が上がり、また今後の舞台にそれが活かせるという意味かと思います。

今回も別会が近づいてからつい先程まで、シテの色々な気配りをひしひしと感じました。

さぞかしお疲れのことと思います。

なかなか休めない職業ではありますが、可能な限り身体を休めてもらいたいものです。

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…ちなみに私の道成寺の時には、終わって翌日月曜日から一週間の韓国公演という得難い経験をさせていただきました。

おかげさまで道成寺の疲れというのは殆ど感じないで済んだ記憶があります。

それはむしろ身体には良いことのような気もいたします。

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…前言撤回で、淳司さんは明日からも一層頑張って働くのが良いかもしれませんね。。

壇ノ浦の日

今日は3月24日。

3月18日は「屋島の合戦」があった日ですが、今日は「壇ノ浦の合戦」があった日だそうです。

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元暦二年(寿永四年)3月24日に、関門海峡の「壇ノ浦」に於いて義経を大将とする源氏水軍と、知盛率いる平家水軍が激突した「船いくさ」で、ついに平家は滅亡しました。

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この「壇ノ浦の合戦」を巡る様々な出来事や人物が、能楽に描かれています。

今ちょっと思い出しただけでも例えば、

①能「大原御幸」でシテ建礼門院が後白河法皇の前で壇ノ浦での平家滅亡を物語る。

②能「八島」のキリの部分で、シテ義経の霊が壇ノ浦での船いくさの有様を舞って見せる。

③壇ノ浦に沈んだ平知盛の亡霊は、能「船弁慶」で大物浦の沖に出現して、義経を自分と同様に海に沈めようと襲いかかる。

…などなどです。

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また、宝生流には無い曲なのですが、「碇潜(いかりかづき)」という能があります。

知盛の亡霊が壇ノ浦に現れ、合戦の有様を物語った後に碇をかづいて海中に没するという内容の曲です。

私が以前にこの曲を拝見した時には、古い本に基づいた演出だったらしく、これが非常に面白かったのです。

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後半にものすごく大きな船が舞台に出て来て、先ずそこで驚かされます。

そして、後シテ知盛と、ツレ二位尼、ツレ大納言の局、子方安徳帝が一瞬で全員舞台に登場するシーンはまるでマジックのようでした。

全部話すとネタばれになってしまうので、ここまでにしておきます。

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なにせ宝生流には無い曲なので、公演予定など全くわからないのですが、機会があればご覧になる事をおすすめいたします。

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そういえば、6月9日の京都満次郎の会で出る能「熊野」のワキ平宗盛は、壇ノ浦の合戦では捕虜になってしまうのでした。

他にも色々な能に絡んでいそうな「壇ノ浦の合戦」です。

新たに思い出したら、また来年の3月24日に書きたいと思います。

乱拍子の「空白時間」

今日は宝生能楽堂にて別会能の申合があり、私は能「道成寺」の地謡を勤めました。

昨年の「鐘後見」に続いて2年連続の道成寺です。

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道成寺の「乱拍子」は、シテと小鼓だけによって20分以上もかけて行われる「真剣勝負」のようなものだと思います。

今日の舞台で感じたのが、小鼓の流儀によって「乱拍子」の味わいが違うものだなあということでした。

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今回の道成寺の小鼓は「幸流」で、これは私が道成寺を勤めた時と同じ流儀です。

幸流の小鼓の場合、掛け声が非常に短いのが特徴です。

その短い一瞬に全ての気と力を注ぎ込むような、正に裂帛の気合いが込もった「ヨオッ!」という掛け声。そしてその後には完全なる静寂が訪れます。

10秒か15秒か、緊張と不安を覚えるような時間が流れて、なんの前触れもなく次の「ホオッ!」という裂帛の掛け声が。

そして再び長い静寂。

今日その静寂に身を置いて、私は自分の舞台の時の事を思い出しました。

あの時自分では、不思議なことに全く静寂には感じられず、舞台空間に何かがジリジリと音を立てて充満していき、それが飽和状態になった瞬間に「ヨオッ!」という掛け声が来るような感覚を覚えたのです。

幸流の乱拍子はその、何かが満ちて来るような何とも言えない空白時間が良いのだと今日改めて思いました。

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私の舞台の時には、見に来てくれたある京大若手OBが「緊張し過ぎて心臓が止まるかと思いました」と言っていましたが、観客にまでそれ程の緊張感を感じさせる「乱拍子」を始め、やはり道成寺は見所満載です。

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そして明後日の別会能本番は、他にも能「景清」、能「熊野膝行三段之舞」など大変豪華な番組なのです。

チケットは残り少ないと思われますが、皆さま宝生能楽堂にお問合せの上、別会能に是非お越しくださいませ。

4年間の成果

今朝私は、夢の中に突然「嵐山」の謡が聞こえて来て、それで目が覚めました。

自分がどこにいるのか一瞬わからなくなったのですが、場所は京大宝生会合宿所2階の「ヤヲハの間」の布団の中であり、よく聴くと「嵐山」は合宿の応援に来てくれた若手OGの声なのでした。

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なおも布団で暫く聞いていたのですが、難しい「渉り拍子」のところなどもきちんと正確に謡っていました。

流石OG、というより「こんなにハイレベルに謡えるのか」と驚くような謡でした。

これは正に4年間みっちり稽古した成果なのです。

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京大宝生会は昔から、卒業しても京都近辺にいる若手OBOGが合宿や普段の稽古に頻繁に来てくれます。

前述のようなハイレベルなOBOG達が現役の稽古を手伝ってくれるというのは、大変有り難いことです。

今回も昨日などは6〜7人もの若手OBOGが合宿に来て鸚鵡返しをしてくれていました。

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OBOGが現役の稽古に顔を出すというのは、場合によっては良くない影響を及ぼす恐れもあり、卒業後は一切現役の稽古には来ない、という学校もあるようです。

しかし京大宝生会に関しては、「クラブの中の事には口を出さず、経済的と技術的な援助だけをする」という不文律があり、現役と若手OBOGがとても良い関係を築いてくれています。

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現役は今回も例えば、「たった2日で舞囃子を一通り稽古して、地謡と合わせる」というような普通考えると不可能な課題に、それぞれ果敢に挑戦してくれました。

彼らもまた4年間みっちり稽古して、その成果を次の世代に還元してくれることでしょう。

今回もまた、実り多い合宿だったと思います。

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最後に昨夜遅くに開催された驚くほどハイレベルな「ピザ大会」の模様を。

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合宿所「喜津袮」

今日は恒例の京大合宿で大原に来ております。

「喜津祢(きつね)」という民宿を合宿所に使い始めたのは、もう25年ほど前になるので今の現役達が生まれる前ということになりますか。

離れの一棟を丸ごと借りられるのが有り難いのと、御飯が美味しいので、他の場所を探す気になれないのです。

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私は一階の6畳×3部屋を使って仕舞の稽古をしております。

謡の稽古は、上回生もしくはOBOGと下回生がペアになって、2階の4部屋(ヤ、ヤア、ヤヲ、ヤヲハの間)と、階段の踊り場や玄関などあらゆるスペースを使っての鸚鵡返しです。

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私が現役の頃の合宿は、暴飲暴食で朝はヘロヘロになって稽古していたのものですが、最近の現役は食べ過ぎず飲み過ぎず、夜更かしもあまりしない非常に健全な人達なのです。

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今日私は朝9時半から夜9時半までキッチリ仕舞の稽古をしました。

流石にもうビールなど飲んで休もうと思っております。

しかし喜津袮の離れでは、この時間(23時)でも何ヶ所かで鸚鵡返しの謡の声が聞こえています。

どこまでも熱心な京大宝生会なのでした。

「小塩」と「雲林院」

今日は朝に東京を発って亀岡稽古に来たのですが、寒の戻りで非常な寒さでした。

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昨日の原木での花見から一転して暖房にあたりながら稽古したのですが、謡の「小塩」を稽古している時に「あれれ?」と思うことがありました。

前シテの老人が「桜の枝」を持って出てくるところです。

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何故そこで「あれれ?」なのか。

「小塩」の前シテは「在原業平」の化身です。

そして同じ業平の化身の前シテが出てくる能に、私がまもなくシテを勤める「雲林院」があります。

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ところが「雲林院」の前シテは、桜の枝を手折ろうとするワキ芦屋公光に向かって、「花を手折るのは誰だ!」と咎めるような言葉を発しながら登場するのです。

シテはその後暫くの間、和歌などを引きながら花を手折ることの罪深さをワキに説いて聞かせます。

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その同じ人格が、「小塩」では自ら桜の枝を手折って出てくるのです。

「あれれ?」というより、「おい!」と突っ込みたくなってしまいました。

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しかし調べてみると、「小塩」は世阿弥の娘婿である禅竹氏信作、「雲林院」は世阿弥の長男の十郎元雅の作なのですね。

作者が違えば主張も違うということなのでしょうか。

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とは言えこの2人は義兄弟の近しい関係です。

お互いの曲も当然よく見知っている筈。

何か確執でもあったのかな…?と勘繰ってみたのですが、資料では2人は良好な関係だったとのこと。

「雲林院」の方が先に作られたようなので、禅竹氏信が敢えて「雲林院」と異なる設定にして、ニヤリとしていたのかもしれません。

或いは、「在原業平」という人物の解釈の仕方に相違があった可能性もあります。

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色々想像すると興味深いのですが、今のところはここまでしかわかりません。

もっと詳しく勉強して、また新しいことが判明したら書いてみたいと思います。

電車2本分の寄り道

私は月に一回、伊豆でも稽古をしております。

稽古場に向かうには、新幹線で三島まで行ってから伊豆箱根鉄道に乗り換えます。

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今日はある目的があって、その伊豆箱根鉄道の「原木」という小さな駅で途中下車をしました。

2本先の電車が来るまでの40分間だけ、短い散歩です。

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「原木」と書いて「ばらき」と読むこの無人駅で最初に途中下車したのは、もう何年も前の夏だったと記憶しています。

窓から見える夏の田んぼの風景が実に懐かしく、ちょっとだけその中を歩いてみたくなったのです。

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次に途中下車した時には、逆方向の西へと歩いてみました。

すると10分ほどで「狩野川」に出て、そこに架かる大きな橋から富士山がとても綺麗に見えました。

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という訳で、特に有名な見所も知らず、全く縁もゆかりもなかった「原木」は、何故か私の季節ごとの短い散歩コースになったのです。

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今日は狩野川方向に歩いたのですが、雨が近づいていて富士山は厚い雲に覆われていました。

しかし河川敷では久しぶりに「雉」の姿を見かけました。

一応写真中央にいるのが雉なのですが、「幻の生物」みたいですね。。

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そして土手には「土筆」が。

更に歩くと、「ぺんぺん草(ナズナ)」の大群落を見つけました。

これだけあると、盛大にシャラシャラして遊びたくなりますが、時間が無いのでまたの機会に。

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いよいよ目的地の近くなのですが、一昨年以来なのでなかなか見つかりません。

周りはありふれた住宅街で、目立つ目印などは無いのです。

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しかし、家々の間からようやく見つけました。

これは隙間から見た姿。

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その家と家の隙間を抜けると、ポッカリと開けた空き地があり、その真正面には…

一昨年の原木散歩中に、この見事な枝垂れ桜を偶然見つけました。

樹高10m弱、枝張りはゆうに10mを超えると思われます。

由来を物語る札なども一切無く、この空き地もおそらく私有地で、もしかしたら見つかると怒られるかもしれません。

しかしこれ程の大きさの枝垂れ桜を、人気の全く無い空き地で一人眺めるというのは何とも贅沢な話です。

暫し息を潜めて、電車の時間ギリギリまで眺め入りました。

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2年前に見たこの桜の姿が忘れられず、しかし去年は時期を逃して悔しい思いをしました。

そして今年、ようやくまた再会出来たという訳なのです。

まだ8分咲きで、蕾もありました。

今週の雨をどうか乗り切って、満開の花を咲かせてほしいものです。

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そして来年もまた春の原木散歩で、この枝垂れ桜に密かに会いに来たいと思います。