亀岡の花々〜コノハナザクラ 〜

亀岡稽古場の敷地内には数多くの珍しい植物がありますが、その中でも最も稀少なのが、この場所で1953年に発見されたという「コノハナザクラ 」ではないでしょうか。

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コノハナザクラはヤマザクラの変種で、花は八重、ひとつの花に雌しべが2本あるのが特徴です。

平成に入って三重県で数本が発見されるまでは、野生のものは亀岡にある原木の只1本だけだったのです。

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能「桜川」のシテの故郷では「木花咲耶姫」を信仰しており、御神体が桜の木だったと言います。

その木花咲耶姫に由来する名前の「コノハナザクラ 」は、正に能「桜川」に出てくる御神木の桜に相応しい木だと言えるのではないでしょうか。

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例年だとこの時期が見頃である「コノハナザクラ 」ですが、今年はやはり早く咲いたそうです。

もう花は残っていないかと思いながら、稽古の合間に原木があるお堀の近くまで行ってみました。

すると…

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幸いなことに、まだ少しだけ咲き残っていました。

これが「コノハナザクラ 」です。

花だけが満開になるソメイヨシノと違って、花と青葉が同時に見られるヤマザクラは、何か自然な美しさを感じて、私は実はこちらの方が好みです。

この原木は本当に貴重なので、根の保護の為に近くには寄れません。少し離れて、「この先も末永く花を咲かせてください」と祈りました。

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今日は本当は他にも沢山の花々が見られたのです。

写真だけ載せておきたいと思います。

美人の代名詞「立てば芍薬」の一種「ケヤマシャクヤク」

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能「胡蝶」で「八重山吹も…」と謡われる「ヤマブキ」が正に七重八重に重なって咲いていました。

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「石楠花」の花がもう満開でした。

唱歌「夏の思い出」のイメージがあるので、石楠花を見ると水芭蕉と並んで「夏の尾瀬」を思い出してしまいます。

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なんと水辺にはその「水芭蕉」も咲いていました。

本当に夏の尾瀬のようでした。

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そしてつい先月には新芽だった「牡丹」が、もうこんなに蕾を膨らませていました。

次回の稽古では花が見られるかもしれません。

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それにしても前回からほんの10日ほどで花がガラリと入れ替わっていて、驚かされました。

春は正に「百花繚乱」の季節なのですね。

新勧の始まりは…

今日は新年度初めての京大宝生会稽古でした。

毎年恒例の新勧活動が既に始まっています。

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この時期は見学に来る新入生の数や反応に文字通り一喜一憂して、時には胃が痛くなる思いもすることがあります。

今年はどんな様子でしょうか…。

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京大では大抵の場合、新入生の出足が遅いことが多いので、今日などは見学者が来ても2〜3人かな、と思いながら16時半にBOXに到着しました。

すると、早くも見学者の女の子が座っています。

さらに間髪入れずにBOXのドアがノックされ、「見学に来ました」という男の子がひとり入って来ました。

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おお!幸先良い感じです!

今日はこの2人で充分満足…と思っていると、ドアが開いて「見学者を連れて来ました!」という現役部員が。

そしてそれからも、BOXのドアが開く度に見学者の新入生が次々に入って来ます。

1時間もすると、BOXの見所スペースは現役部員と見学者で大混雑。訳の分からない状態になってしまいました。。

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稽古を20時くらいに何とか一段落させて、見学者を連れて現役が晩御飯に行きました。

新入生に晩御飯をご馳走するのも、新勧活動の重要な仕事なのです。

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彼らがBOXから出発していくと、嵐が去ったように一気に静かになりました。

残った数人で、舞囃子の稽古をするのです。

私「それにしても、一体何人見学者が来たのかね?」

現役「今晩御飯に8人行きました!」

私「確か3人途中で帰って行ったから…今日だけで11人!」

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この時期としては異例の大人数です。

今日の中からきっと何人かは入部してくれるでしょう。本当に幸先良いスタートです。

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現役達はビラ配りや新勧ハイクなど、既に大車輪で頑張ってくれています。

来週月曜には私も新勧ワークショップをする予定になっています。

現役の頑張りが報われて沢山の新入生が入ってくれるように、私はとりあえずワークショップを精一杯頑張ろうと思います。

自然音と能楽

宝生能楽堂の楽屋には何ヶ所かにスピーカーがあって、舞台上の音が聞こえるようになっています。

今日能楽堂に着くと、廊下のスピーカーから「リー、リー」という虫の声が聞こえていました。

立ち止まって暫し耳を澄ませると、さらに「ホゥ、ホゥ」という梟のような鳥の鳴き声も聞こえて来ます。

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普段なら「一体舞台で何事が起こっているのだろう?」と怪訝に思うところですが、今日は「ははあ、成る程ね」とすぐに合点がいきました。

今日は月並能の前に「能プラスワン」があり、ゲストに「自然音楽家」のジョー奥田氏がいらしているのです。

これはジョー奥田氏の録音した自然音に違いありません。

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やがて始まった「能プラスワン」を拝見(拝聴?)すると、先ほどの音は「奄美大島の夜の森の音」ということでした。

そしてもうひと方のゲストは、小鼓方の大倉源次郎先生。

源次郎先生によると、江戸期には奄美大島を越えてはるか八重山諸島まで能楽が伝わった歴史があるとのこと。

その時代には、先ほどのような自然音の中で鼓が鳴らされていたそうです。

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そのイメージで、「奄美大島の夜の森」の音と重ねて源次郎先生が小鼓をうたれました。

御道具も「450年前の胴」と「200年前の皮」の組み合わせ。

正に江戸時代と変わらぬシチュエーションで、宝生能楽堂から一気にいにしえの深い森の中にトリップしたような錯覚を覚えました。

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野外の「自然音」の中での舞台に関しては、私自身いくつか思い出深い経験があります。

佐渡ヶ島の真夏の昼間にあった舞台では、ヒグラシの鳴き声が正に時雨のように舞台に降り注いでいて、それが能と相まってなんとも言えない郷愁を感じさせました。

三保の松原の海岸で開催された薪能では、寄せ返す波の音を聞きながら能「羽衣」と能「乱」の地謡を謡い、乱では猩々が本当に海中から水を滴らせて現れたように思いました。

自然音ではありませんが、興福寺の薪御能で聞こえてくる「鐘の音」もまた実に風情がありました。

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このような経験から、「能楽」と「自然音」は本来相性が良いものだと思っておりました。

しかし今日の能プラスワンで経験したのは、「能楽堂の中で自然音を聴く」ということで、そこにはまた新たな可能性があると感じました。

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例えば、舞台を設営するのが困難な「深い山奥」や「南の島」などで録音した自然音を能楽堂で流しながら能を演ずるとします。

もし自然音のボリュームや照明を適切に調整すれば、今日私が体感したように能楽堂から野外にトリップするような経験が出来るかもしれません。

「上路越の山奥で”山姥”を観る」とか、「冬の葛城山上で”葛城”を観る」というような、現実には不可能なシチュエーションで能を楽しめるとしたら、素晴らしいことだと思うのです。

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「自然音」をどう能楽に活かすか、という命題は、今後時間をかけて真面目に考えていきたいと思いました。

金剛能楽堂15周年記念公演

本日は京都にて、金剛能楽堂15周年記念公演がありました。

観世流、金剛流、金春流の御宗家による能「翁 弓矢立合」と、宝生流御宗家、金剛流若宗家、金春流若宗家による能「正尊」などが華やかに演じられました。

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これだけの流儀が集まると、楽屋でも色々興味深いことがありました。

例えば装束の種類、柄、着付けの仕方などは、流儀によって驚くほど違うのです。

装束部屋で異なる流儀が同時に装束を付けながら、「その水衣の下の法被は、やはり僧衣の下に甲冑を着込んでいるという意味でしょうか?」などとお互いに興味津々で質問をしあったりしていました。

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同じ能楽をやっておりながら、シテ方同士が楽屋でこのように交流するのは意外に珍しいことで、とても良い勉強をさせていただきました。

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また私は舞台では能「正尊」の立衆を勤めました。

切り組の最後はいわゆる「欄干越え」で、舞台から橋掛りに向けて決死のジャンプをいたしました。

少し装束が柱に引っかかってヒヤリとしましたが、何とかギリギリで欄干を越えることが出来ました。

山内崇生さんの「仏倒れ」は実に見事に決まって、流石だと感服いたしました。

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宝生流、金剛流、金春流の御宗家、若宗家の御三方は、年齢的に近い世代です。

緊張感の漂う中にも和やかな雰囲気で楽屋でお話しされていたのがとても印象的でした。

今回のような各流合同による舞台の試みは、互いの流儀の為に、また能楽界全体の結束の為にも、大変貴重な機会なのだと感じました。

金剛御宗家若宗家を始め、金剛流の皆様色々どうもありがとうございました。

能「雲林院」を巡る謎

先日、能「雲林院」関して読者の方からいただいたコメントで、「雲林院のサシクセは源氏物語のエピソードを土台にしていると聞きます。ということはここは光源氏の気持で舞うのでしょうか?」というのがありました。

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能「雲林院」に関して勉強する中で、このコメントについても色々調べているのですが、実は調べる程に謎は深まるばかりなのです。

何が謎なのかと言いますと、

「在原業平」、「光源氏」、「伊勢物語」、「源氏物語」という4つのキーワードの関係性です。

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①「在原業平」は「光源氏」のモデルの一人である。

②「伊勢物語」は「源氏物語」に大きく影響を与えている。

という説を先ず読みました。

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そうすると、

◎「在原業平の気持ち」と「光源氏の気持ち」というのは、前者が後者のモデルの一人である以上、重なる部分が大きい。

そして、

◎伊勢物語を題材にして作られた能「雲林院」の中に、源氏物語から借用された部分があるが、その源氏物語はそもそも伊勢物語の影響を受けている。

と考えることが出来て、「雲林院」のサシクセの部分だけ大きく気持ちを変化させる必要は無いように思われます。

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しかし更に調べると実は「伊勢物語」の主役が「在原業平」であるとは、伊勢物語の作中では一言も述べられていないそうです。

そうなると①の説が揺らいで来る気がします。

つまり、「光源氏」のモデルの一人になったのは果たして「在原業平」なのか、それとも「伊勢物語の主人公」という業平とは微妙に異なる人格なのか、という謎が浮上して来るのです。

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そもそも「伊勢物語」は成立も作者も、また何故「伊勢物語」という題名なのかも明確にはわかっていない謎なのだそうです。

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何となく、「源氏物語」はフィクションで、「伊勢物語」の方はある程度事実に基づいたものであると思っていたのですが、何が現実で何が虚構なのかわからなくなって来ました。。

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現状ではこのように、謎が謎を呼んで絡んだ糸を解こうとして余計にこんがらがるような有様なのです。

本番までにはまだ時間があるので、引き続き色々資料を当たってみたいと思います。

皆様のコメントもお待ちしております。

いつの間に…!

江古田稽古場で稽古している、今度小学五年生になる男の子。

これまで稽古した仕舞はすべて、いわゆる「荒い物」というジャンルでした。

元気よく、次から次へと派手な型が繰り出されるような仕舞です。

(私だけの呼び方で「ノンストップ仕舞」と言っております)

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先日の郁雲会澤風会では「歌占キリ」を舞ったその子が、今日江古田稽古場に来るなり「新しいノンストップ仕舞を考えよう!」と言って来ました。

しかし私は…

「うーん、今回はノンストップ仕舞じゃなくて、ゆっくりした仕舞にしようと思うんだよね」

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彼も相当な番数の仕舞を経験して来たので、そろそろ”新境地”を開拓してみようかと思ったのです。

「羽衣キリという仕舞にします!」

と厳かに宣言して、早速稽古を始めました。

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とは言ってみたものの、これまでとは全く違う雰囲気の仕舞です。はたしてついて来てくれるのか、不安でもありました。

しかし…

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「東遊びの数々に〜」と舞い始めると、ちゃんとゆっくりした速さで足を運んでくれます。

「一番前で、引分をします」と言ったら、これも「田村キリ」などと違う、ゆったりとした「引分」がしっかり出来ています。

つまり、「柔らかい物」の速さは他の人の舞台を見て何となく覚えていたのでしょう。

また、型の名前も正確に覚えているようです。

私の予想以上に、いつの間に成長してくれていたのですね。

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またその子のお姉ちゃんは、幼稚園から始めてもう10年以上稽古しており、最早「ベテラン」と言っても良いくらいです。

こちらも次の曲を何か…と言いかけたところ、

「先生、実はやりたい曲があるのです」

おお!これも初めてのパターンです。

「小学四年生の時に京都の舞台で○○さんが舞っているのを見て、いつかやりたいと思っていた曲なのです」

なんと、そんなに前からやりたいと思い続けた曲があるとは。

その曲は、本来なら難しい曲なのですが、そこまでの思い入れがあるのならばとOKしました。

夏の「七葉会」で披露されるはずです。

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今日はその姉弟それぞれがまた一段成長したのを実感して、嬉しい驚きを感じたのでした。

東京は夏日

今日は東京でも今年初めての「夏日」だったようです。

このくらい気温が上がると、暑がりの私にとっては既に「真夏」に感じられます。

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夜からの田町稽古の前に、先ずは午後に秋葉原から水道橋まで歩くだけで一汗かきました。

更に水道橋宝生能楽堂で能「雲林院」の稽古をしながら汗だくに。

続けて能「正尊」の切り組の稽古では、汗と冷や汗(最後の死ぬ所が冷や汗物なのです…)を両方かいてしまいました。。

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今からこの調子では、本当の夏が思いやられるな…と思いながら田町稽古場に到着すると、18時半ながら部屋には弱い冷房がついていました。

皆さんも今日は暑かったのですね。ちょっと安心いたしました。

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しかし明日からはまた気温が低めに戻るようです。

暫くは服装に気をつけないといけないですね。

1件のコメント

入学式シーズン

松本稽古場の最年少、6歳の男の子はこの春小学校に入学します。

昨日の稽古で「入学式はいつ?」と聞いたら、「木曜日!」と答えてくれました。

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お母さん「この間の卒園式は、紋付袴で行ったのです」

私「へ〜、それは良いですね。じゃあ入学式も…」

と言いかけて、「ああでも、ランドセルがあるから無理か…」と更に思いかけたところで、

お母さん「さっき家で、紋付袴にランドセルを背負う練習をしてみたのです!」

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なんと。

では紋付袴にランドセルに、もしかして黄色い制帽とかかぶるのでしょうか。

なかなか想像のつかない格好です。。次回の稽古で写真など見るのが楽しみです。

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昨日の稽古では他にも、明日朝に放送のテレビ番組の「継ぐ女神」というコーナーに松本稽古場の会員さんが出るという話でも盛り上がりました。

その映像も次回見せてもらえるかもしれません。

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更に、先日の郁雲会澤風会で桜色の着物で舞囃子「桜川」を舞われた会員さんは、観に来られた方から貰ったという「桜川」という銘柄の日本酒を、これまた次回の稽古に持って来てくださるとのことなのです。

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なんだか次回は色々楽しみなことが多い松本稽古場です。

本筋の稽古の方も、現在まだ水面下で進めている、夏の大きなイベントに向けて頑張って参りたいと思います。

どんなイベントかは、もう少ししたら発表いたします。

桃源郷経由、南国行き⁉︎

今日は先週に続いて、2週連続の松本稽古です。

思えば昨年の今日4月2日も松本稽古で、その時のブログでは甲府盆地の桃の花がまだ咲いておらず残念だったと書いてありました。

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しかし今年は桜がかなり早かったので、桃もおそらく早く咲くはずです。

期待して特急あずさに揺られていると…

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おお!期待に違わず甲府盆地は白い桃や…

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ピンク色の桃の花で一杯でした。

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今年も桃源郷の風景が見られて、大満足して松本へ。

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松本はおそらくまだ肌寒いくらいかと思い、ジャケットにマフラーも持って家を出ました。

松本駅に着いて特急あずさを降りると…

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意外や、むっとするような暖かい空気です。

「フェーン現象かな?」と思ってマフラーをしまい、駅前に出ると驚きました。

駅前の気温計の数字が…

28℃!

これは初夏を通り越して夏の気温です。

まさか今年初めて「夏」を体感するのが松本だとは想像出来ませんでした。

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とは言え、陽が落ちるとぐっと気温が下がるはずです。

油断せずにジャケットとマフラーを持って、稽古に向かおうと思います。

院展と演劇鑑賞

今日は日本橋三越にて「院展」を観た後に、上野桜木の市田邸にて「宮城野」という演劇を観て参りました。

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私には珍しく芸術の梯子です。

どちらも澤風会で稽古をしていることで繋がった御縁でした。

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先ず「院展」。これで3回目の院展鑑賞でしたが、絵画に全く無知な私でもそろそろ気がつくことがありました。

「作者によって、ある程度決まったモチーフがある」ということです。

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前回「造船所」を描いた方は、今回は造船所の別の場所を。

「修験者」を描いた方は、やはり違う角度からの「修験者」を描いておられました。

そして澤風会会員でもある森田さんは「向日葵」と「曼珠沙華」と「蔓草」をモチーフにされており、抑えた色調の作品ながら「生命」というものをいつも強く感じます。

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なんとなくの自分の好みの作品もわかって来ました。次の院展がまた楽しみです。

そして上野桜木に移動して、懐かしい東京芸大のすぐ向かいにある市田邸へ。

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演劇を観ることは何度かありましたが、今回の「宮城野」の舞台はかなり特殊でした。

おそらく16畳程度の広さの御座敷の、3分の2ほどがそのまま観客席になっています。

そして観客の目前のほんの6畳程のスペースを使って、ほぼ2人だけの役者さんによって演じられる劇だったのです。

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しかも同じ台本を用いながら、ふた通りの全く異なる演出の舞台を、2組の役者さんが1時間交代で続けて演じるという企画でした。

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お庭や障子や雨戸などを上手に使っていて、観客はいつ劇が始まったのかわからないうちに劇中に誘導されていました。

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正に目の前で演じられるために、役者さんのほんの小さな所作や、睫毛の動きまで見えるほどです。

これは相当な緊張感を強いられるだろうと思いました。

しかし指先までを使った全身の細かい動き、表情の変化、声のトーンなどをフル活用して喜怒哀楽を激しく表現する有様は正に圧巻であり、至近距離で観られたことで大変勉強になりました。

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そしてふたつの「宮城野」は.共通の台本を用いておりながら本当に全く異なる味わいであり、その「演出の妙」「演技の妙」にも驚かされました。

実は主演の役者さんが澤風会で「一度だけ」稽古をされており、また稽古場で今回の舞台のお話を伺うのが楽しみになりました。

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今日はおかげさまで目と心の保養になる1日を過ごすことが出来ました。

森田さん、黒木さん、ありがとうこざいました。