スーパー・ブルー・ブラッドムーン

今日は「皆既月食」が見られる日です。

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携帯ニュースでは今回の皆既月食を「スーパー・ブルー・ブラッドムーン」という、何かの必殺技みたいな名前で呼んでいました。

また大袈裟な呼び方を…と思ったら、これは正式に使われている呼称だそうです。

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ただし、3つの呼称が重なっているのです。

・スーパームーン:地球に接近して大きく見える月。

・ブルームーン:満月のこと。

・ブラッドムーン:皆既月食で赤くなった月。

そして今日の皆既月食は、実に35年ぶりにこの3つの条件を全て満たしているそうなのです。

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東京は夜には雲が出るという予報でしたが、先ほど田町稽古を終えて外に出てぐるりと夜空を見渡すと、見事な満月が輝いていました。

時間は20時45分。まさにこれから月食が始まる時間です。

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一旦地下鉄に乗り、三ノ輪で皆既月食を見ようと思いました。

雲が出ないように祈って三ノ輪で地上に出ると…

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見えました!三ノ輪は雲ひとつない夜空でした。

写真には上手く写りませんが、左下から欠けて来ています。

しばし寒さに耐えて見ていると、ついに21時50分過ぎに皆既月食になりました。

これまたわかりづらい写真ですが…

先程の写真よりも赤っぽいのはおわかりかと思います。

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能楽に「月」はよく出て来ます。

というより、「月」という単語が一切出てこない曲を探す方が難しいくらい、頻繁に出てくるのです。

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現代のように明かりに溢れた夜ではなく、中世の夜は真っ暗闇だった筈で、月の明かりはとても貴重なものだったのでしょう。

それが、満月の夜に1時間足らずで急に月が暗赤色になって、辺りが暗くなるなどという現象は、当時はおそらく非常に恐ろしい事件だったと思われます。

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これだけ「月」がよく出てくる能楽に、「月食」を示すような内容が無いのは、おそらく月食は不吉な現象と見られていて能楽の題材には適さないと思われたからではないでしょうか?

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現代の私はと言えば、35年ぶりという天体ショーを見られて大満足で、「自分は今、太陽と月を結んだ直線上に丁度いるのだなあ」などと感慨にふけっているのでした。

鰻と能楽

昨日の松本稽古の後、何人かで晩御飯を食べたのですが、その席で新会員の鰻屋さんからまた面白いお話を聞きました。

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同じ鰻でも、焼いていると時折「これはすごく良い鰻だなあ」と思うような素晴らしい鰻に出会うことがある。

また逆に「うーん、この鰻はちょっと…」という鰻に当たってしまうこともあるとか。

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しかしそこは勿論お客様には明かさずに、同じようにお出ししなければならないのが難しいところだと仰っておられました。

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能楽の世界でも、例えば舞台ごとに毎回違う面や装束の組み合わせがあり、「これは良い面が出たなあ」とか、「この新しい装束は初めて使うらしい」とか、お客様には明かされない裏情報があります。

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面白いと思うのは、良い面と装束が出ても確実に良い舞台に繋がるとは限らず、逆にそこまで良品の組み合わせでは無くても、舞台としては良い評価を受けることもあるということです。

面装束というのは舞台を構成する要素の一つに過ぎず、他の様々な要素との総合で満足度が決まるのでしょう。

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会員さん経営の鰻屋さんは、ご飯をお客様が来店してから炊くので、炊きたてのご飯がまた大変に美味しいと言う話です。

タレは修行したお店のレシピを元に、地元の材料などを使ってオリジナルのものを作ったそうです。

また気温によって火の通り具合が変わるので、焼き加減を微調整しなければならないということでした。

そのように、「鰻」と一口に言っても、素材、焼き方、タレの味、ご飯の味などが合わさって、やはり総合力で評価が決まるのだと思います。

どの世界も奥が深いのだと思いました。

そして鰻が食べたくなりました。。

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5m四方の場所があれば…

能舞台というのは、三間四方の正方形をしています。

三間四方とは、メートルに換算すると5.4m四方です。

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つまり、約5m四方の平らな空間があれば、極論を言えば世界中どこでも能の稽古が出来る訳です。

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今日稽古をした松本などは、丁度良い広さの稽古場が何ヶ所もあって、理想的な稽古が出来る大変有り難い土地です。

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しかしそのような良い稽古場が見つからない時もままあります。

私はそんな時には、とにかく人に迷惑にならない5m四方の場所を何とか見つけ出して稽古してしまいます。

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これまで稽古した場所では、

・東京ドームの入場口の前

・上野駅の新幹線コンコース

・京都国際会館の駐車場

・パリの某国際空港の搭乗ゲート脇

などがあります。

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しかし聞いた話では、ある偉い先生が「タクシーの中で仕舞の稽古をしていた」そうです。

この境地に達すれば、それこそ「この世のあらゆる場所で稽古可能」なのですが、それにはまだまだ時間がかかりそうです。。

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日々色々な土地を歩いていて、5m四方の良い場所を見つけると、つい「ここはいざという時に稽古に使えるな…」と思ってしまうのでした。

目印になるもの

今日は水道橋宝生能楽堂にて、3月2、3日の郁雲会澤風会で出る能4番の稽古をいたしました。

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私が面をかけて能のシテを舞う時には、色々な物や人を目印にして舞っております。

・舞台の4本の柱

・橋掛りの3本の松

・舞台上にいるワキ方、ツレ、地謡、囃子方、狂言方

・作り物

などなどです。

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しかし更に、その能舞台特有の目印も沢山存在します。

宝生能楽堂ならば、

・何ヶ所かある扉

・扉の上の非常灯

・客席の列の数

・写真室の窓

・欄干の本数

などは目印になってくれます。

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まだ面をかける経験が少ない方には、これら宝生能楽堂特有の目印を覚えることが非常に重要なことなのです。

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今日は何度か舞を止めて、その目印を説明させていただきました。

後は申合で最終的にそれらを確認すれば、舞台上の位置取りは心配無いと思います。

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皆さん順調に準備が進んで、いよいよ本番が視界に入って参りました。

山の本

今日はぽっかりと空いた休日でした。

郁雲会澤風会の準備作業が沢山あるのですが、合間に本を読む時間もありました。

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最近読んでいるのが時代小説家の長谷川卓著「嶽神」シリーズ(講談社文庫)です。

大まかなストーリーは、戦国時代の甲信越を舞台に、深山に棲む「山の者」と呼ばれる人々が乱世に巻き込まれながらも懸命に生きていく、というものです。

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私は京大時代に「木地師」というやはり深山を渡り歩いて暮らしていた山の民を調べたことがありました。

また柳田國男や椋鳩十の本などでも、日本の山々には平地とは全く異なる生活があったと知り、大変興味深く思っておりました。

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この「嶽神」シリーズは、まさにその山の民が主人公であること、また山田風太郎ばりの荒唐無稽なアクションシーンがふんだんにあること、そして舞台が甲信越地方で、見知った場所が多く出てくることなど、私の好みのツボを巧みに押さえた本なのです。

更に、私は好きな本を読み終わるととても寂しい気分になってしまうのですが、「嶽神」は既に10冊程出版されており、まだまだ続きそうなのでその点でも安心なのです。

ちなみに「能役者の家系」であるという意外な人物も登場します。

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「嶽神」は文庫本で、主に電車で読むのですが、最近家で寝る前に読んでいるのがやはり山の本です。

これはあまり売っていない本なのですが、加藤博二という人が今から60年程前に書いた本の復刻版「森林官が語る山の不思議〜飛騨の山小屋から〜」(河出書房)という本です。

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第二次大戦前頃に飛騨の深い山奥に暮らした著者が体験した、山の民や動物や、謎の生き物達も出てくる不思議な話です。

能「山姥」の現代版のような話もあり、日本にはつい戦前までは、平安時代から続く深山の暮らしがあったようです。

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そんな話を少しずつ読んで、想像力を膨らませながら満足して眠るのが、最近の密かな幸せなのです。

仕舞の上達は階段状?

今朝の東京はまたとても冷え込んだのですが、空気が澄んで良い天気でした。

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京都の紫明荘組稽古に向かうために7時過ぎの新幹線に乗ると、途中富士山も晴天の下で綺麗に見えました。

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ところが名古屋辺りから天気が一変して、曇り空→雪が舞い出す→吹雪と10分足らずでひどい荒天になってしまいました。

車窓から見た、米原辺りの実に寒そうな雪景色です。

新幹線も徐行運転になり、京都の稽古場に30分遅れで到着しました。

北陸と滋賀県からいらっしゃる筈の会員さんからは「雪で家を出られないのでお休みします」とのお知らせが。

やはり関西の雪恐るべしです。。

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気を取り直して稽古にかかりました。

これまで何度か経験したのですが、仕舞というのは、始めてから一定期間を過ぎるとある日突然上手くなることがあります。

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最初に稽古する仕舞「絃上」や次の「鶴亀」「猩々」、また「胡蝶」「羽衣キリ」などでは、例えば「ヒラキ」や「左右」、また「ヒキワケ」などの基本的な型を繰り返し稽古します。

しかし、なかなか正確に出来るようにはなりません。

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それが、つい前回の稽古までは変わらなかったのに、今日の稽古を見ると見違えるように正確な「ヒラキ」や「ヒキワケ」をされた方がいらしたのです。

「前回の後に、何か特訓をされたのですか?」と聞いてみたのですが、特にされていないとのこと。

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これはどういう現象なのかわからないのですが、大抵の方が5、6番くらい稽古された所で急に上手くなる気がします。

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坂道をじわじわと登るように上達するほうが日々の達成感があるのでしょうが、何故か仕舞は階段状にレベルアップしていくように感じます。

なので、「いくら稽古してもさっぱり代わり映えしないなあ…。」と思われる方も、おそらくそのまま進んで行けば、ある日急に階段を一段登るように、驚く程上手になられるのだと思います。

1㎞を30分かけて歩くこと

東京に33年振りの低温注意報が発令されたと携帯ニュースで読みました。

33年前というと私が中学生の頃で、実はその年の寒かった冬には思い出があるのです。

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確かその冬の東京には今年どころではない大雪が降って、積雪が40㎝くらいになったことがありました。

道路一面が厚い雪で覆われて、車はチェーン、自転車は走行不能です。

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私の中学校の校庭も勿論一面の銀世界になりました。

毎日昼休みには校庭で遊ぶのが楽しみだったのですが、その日の4時間目が終わると校内放送がありました。

「今日は東京地方では珍しい大雪で、校庭に40㎝ほど積もっています。」

声は、理科の菊地先生の声でした。私の所属する科学部の顧問の先生でもあります。

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私はそこまで放送を聞いて、当然「今日は昼休みに校庭に出るのは禁止します。」と続くと思いました。

ところが続けて菊地先生は、「このような機会は滅多にありません。皆さん是非校庭に出て遊びましょう!」と仰ったのです。

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一瞬教室が静まりました。皆私と同様に、言葉の意味を咀嚼するのに少し時間がかかったのです。

やがて皆一斉に「おお〜‼︎」と歓声を上げて、校庭に飛び出して雪合戦や雪だるま作りを始めました。

後にも先にも、都内であれ程の雪遊びをした経験はありません。

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菊地先生には、色々な大切なことを教えていただきました。

毎年夏に本栖湖畔であった合宿では、我々科学部は昆虫採集や山野草の標本作り、野鳥観察などをする為に毎日野原を歩きました。

その時に菊地先生は「1㎞30分のペースで歩こう」と指示されたのです。

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これは相当にゆっくりしたペースです。

しかし、辺りの自然を観察して何か目についたものを皆に知らせ、一緒に観察するには丁度良い速さだったのです。

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私が今でも道を歩く時に、つい辺りを見回して面白い物事を探してしまうのは、この頃に身についた習慣だと思われます。

1㎞を30分かけてのんびり歩くことは、めっきり少なくなりましたが…。

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今日は全く能楽に関係無いお話でした。

偶にはこんな日もあると御容赦くださいませ。

雪の盛岡にて

昨日の朝青森を出て仙台稽古に向かったのですが、途中盛岡で新幹線を降りました。

去年写真家のマグダレナ・ソレさんからの撮影依頼を仲介して下さった、岩手未来機構の皆さんとお会いする約束があったのです。

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今年から再来年にかけて何か能に関わるプロジェクトができないか、何ヶ所か会場の候補地を見学に行き、色々お話をしました。

まだ具体的に申し上げられる段階ではありませんが、岩手未来機構の方々はとても熱意があると感じました。

それこそ未来に繋がる催しが何か出来れば良いと思います。

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それらの打ち合わせの合間に、また何ヶ所か盛岡近辺の観光スポットにも立ち寄っていただきました。

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先日は「岐阜」の県名が織田信長由来であると聞いて驚いたのですが、昨日は「岩手」の名前の由来を初めて知ることが出来たのです。

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昔、この地域で悪さをする鬼がいました。

その鬼が「三ツ石」という大岩の神様に懲らしめられて、二度とこの地を荒らさないという確約を手形として三ツ石に残した、という伝説があるそうです。

大岩に手形をつけたので「岩手」。

その三ツ石がこれなのです。

鬼の手形はどこに?と雪の中を一周してみたのですが、見つかりません。

実はすでに手形は風化して、残っていないとのことなのでした。。

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次に、「報恩寺」というお寺にあるという「五百羅漢像」を見に行きました。

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この頃から雪が俄かに強くなり、気温もぐっと下がって来ました。

この報恩寺の中に五百羅漢像があるお堂があったのですが、なんと格子戸で外と繋がっており、お堂の中に雪が吹き込んでいます。

極寒の中で五百羅漢像を見学。

聞けば江戸時代に9人の仏師が手分けして京都で製作した像で、中には何故かマルコ・ポーロの像もあるとか。

お堂の四面にズラリと並んだ羅漢像を見ていると、驚くことがありました。

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像のいくつかが、「能面」に似たお顔をされているのです。

「景清」「猩々」「平太」に気がつきましたが、本気で探せばもっとあると思います。

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9人の仏師の中に能面も彫る人がいたに違いないと思います。

これもまた想像力を掻き立てられるドラマがありそうでした。

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僅かの間の盛岡滞在でしたが、大変実りの多い時間になりました。

岩手未来機構の皆様どうもありがとうございました。

プロジェクトが具体化したら、またこのブログでも御案内させていただきたいと思います。

冬の青森面白イベント

昨日は雪の東京を出て、東北青森の稽古に向かいました。

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途中郡山の手前で、雪の影響で急に新幹線が停電して車内が暗くなり、止まってしまいました。

何かあるだろうとは予想していたので、慌てず静かに待っていると30分程で復旧し、あとは無事に青森まで行くことが出来ました。

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青森では、例によってユニークでユーモラスな企画のポスターをいくつか見つけたので、ご紹介したいと思います。

「雪女コンテスト」ポスターは去年も確か写真に撮った記憶があります。

今年は3月3日なので「氷女(ひな)まつり」ですか。寒そうです…。

しかしゲストが全く雪女と関係なさそうですね。。

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大きさが一瞬わからなかったのですが、電柱や立木と比べるとこれは巨大なアートです。

これをスノーシューで作って、更に毎日メンテナンスをするとは、実に大変な作業だと思います。

大雪だと埋まってしまい、晴れて気温が上がると溶けてしまうでしょう。

丁度良い天気になってほしいものです。

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うわぁなんじゃこりゃ…と思い、撮ろうか迷いながら撮影しました。。

津軽弁で「愛すべきバカ野郎達」を「もつけ」というのですね。

綱引きだけでも少なくとも60人の薄着に地下足袋の「もつけ」が集合するようです。

参加するのは遠慮したいですが、遠くから眺める分には面白いかもしれませんね。

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「落城記念」?そして「439年記念」?

謎が多いイベントです。

調べるとどうやら去年は「438年記念」だったらしいので、毎年記念のようですね。

それにしても「落城」は記念すべきことだったのでしょうか…?

そして「やぶこぎ」は、私が林学科の頃にやっていた「藪漕ぎ」ではなく、雪原のラッセルのようなもののようです。

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こうして並べてみると、身体を激しく動かすイベントが多いですね。

雪に閉じ込められて運動不足になりがちなのを、楽しく解消しようという目的なのでしょう。

しかし相変わらず青森の方々の発想は面白いものが多いです。

今後も期待しております。

本名、屋号、業種名

能楽においては、シテの名前が「漁師」であるとか、「○○の兄」、或いはただ「男」「女」とだけしか名付けられていないことがよくあります。

むしろ「本当の名前をわざと隠している」と言った方が良いかもしれません。

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能「紅葉狩」のシテなどは、元の話では「紅葉」という名前の女であり、「紅葉狩」と「紅葉という女を狩る」をかけてあるのに、能ではシテを「さる御方」としか呼ばず、結局最後まで名前がわからないままで終わってしまいます。

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これは、「本名」という属性を隠すことによって、名前以外の「美しい」「高貴に見える」「ちょっと怪しい」「実は鬼である」といったその曲特有の属性をより際立たせる為なのでしょうか。

以前から不思議に思っていることのひとつです。

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このようなことを書いたのは、実は昨日の松本稽古場の新年会で興味深い話題があったからです。

「昨年末に新しく入った会員さんをどう呼ぶか」という話題でした。

松本稽古場は何故か職人さんが多いと昨日書きましたが、それと同時にまた「本名以外にも呼び名を持つ人が多い」という不思議な稽古場なのです。

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「本名」や「ニックネーム」はどこでも耳にしますが、松本の皆さんはそれ以外に「屋号」と「業種名」でも呼び合っているのです。

屋号だと「さんじろさん」「こちのやさん」「やませいさん」など。

業種名から「うなちゃん(鰻ちゃん)」など、いずれも本名しか知らない人には何だか訳の分からない呼び名です。

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しかしそのように呼ぶことで、名前を知らない初対面の人でも「ああ、あのお城の近くのお蕎麦屋さんの」とわかってもらえたりするのです。

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松本という街は規模も大き過ぎず小さ過ぎず、人と人との繋がりも適度に密な街なのだと思います。

「屋号」や「業種名」はそんな松本に程よく適した呼び方なのでしょう。

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私は本名以外には呼び名を持たずに半世紀程過ごして来ました。

それで不満は無いのですが、松本の皆さんが屋号などで呼び合うのを見ていると、何となく暖かい繋がりを感じて、ちょっと羨ましくなるのです。

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新しい会員さんは、結局「本名」「屋号」「業種名」どれでもOKということになり、私はどう呼んだものかまだ迷っております。。