悔しさを力に変えて

今日は朝から水道橋宝生能楽堂に行き、「葵上」の稽古をしました。

その後に日曜日開催の「月並能」の申合にて、能「自然居士」の地謡を謡いました。

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宝生能楽堂の楽屋食堂のテレビでは、台風19号の恐ろしいニュースがずっと流れています。

実は私の仲間が主催して明日名古屋で開催予定だった舞台が、台風の影響で延期になってしまいました。

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昨年から計画されていた個人演能会で、彼は番組の企画、楽師の依頼から、宣伝とチケット販売、そして勿論舞台のための稽古と、明日の本番に向けて一生懸命に準備を進めてきたのです。

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今私自身が能「葵上」の稽古をしているのでより切実にわかるのですが、練りに練って必死に稽古してきた能が本番直前になって突然「舞えなくなる」というのは、正しく断腸の思いだと想像します。

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あくまでも「延期」なので、代替日程が決まった時には万難を排してお手伝いに行かせてもらいたいと思っています。

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相手が自然災害とは言え、本当にやり切れない憤りを感じます。

しかし我々能楽師は、このような強烈な負の感情や経験すらも「舞台の糧」にすることができる人種なのです。

次の舞台に活かすことで、そういう負の気持ちが”成仏”してくれると私は思っています。

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今回の悔しさを力に変えて、彼が次の舞台で躍動してくれることを信じております。

「葵上」悪戦苦闘中…

今日は江古田稽古で、その前後に能「葵上」の稽古をいたしました。

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「葵上」はこれまで舞った曲とはいくつかの点で異質だと感じます。

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先ずはシテ謡の節付けが非常に複雑で難解です。

ところが更に、その複雑な節を正確に謡うだけでは全く足りず、味気ないような気がするのです。

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「どう謡うかは演者に任せます」というような”余白”の部分が大きいとも言えるかもしれません。

その余白に何をどう描くかに悪戦苦闘している訳です。。

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蛍のように月のように光る君。

一方で朝顔の花が萎れていくように衰え行く自分。

そして春の大地に一斉に芽が生えるように湧き上がる恨み…

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これらを一体どう表現すれば良いのでしょうか。

感情移入し過ぎると、歪んで品の無い謡になる恐れもあります。

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まだまだ手応えは感じられず、悪戦苦闘は続きます。。

「楽しい経験でした」

昨日は「ゲストハウス月と」にて、京都紫明荘組稽古でした。

先月の澤風会京都大会以来の稽古です。

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大会で能「羽衣」を舞われた方が最初からいらしていて、

「羽衣はとても楽しい経験でした」

と言ってくださいました。

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それは私にとって何よりも嬉しい感想でした。

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一曲の能をゼロから稽古して、本番が良い舞台になるように作り上げていくのは、本当に大変な道程なのです。

その稽古の過程で不安や苦労が強過ぎると、暗い記憶ばかり残ってしまいます。

如何にしてそうならずに、無理なく進んでやる気と技術を少しずつ上げて行き、”良い経験を積んでいる”と思ってもらえるか…。

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そんなことをいつも考えながら稽古して来ました。

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なので、「楽しい経験でした」という感想を聞いて、全ての苦労が報われた気がしてジーンと深く感動したのです。

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ちなみに能「羽衣」のシテの方が稽古用に作られた”天女の羽衣”があるのですが、その衣は京大宝生会の能「竹生島」の天女稽古用に受け継がれることになりました。

「竹生島」があの「羽衣」のような良い舞台になるように、手作りの羽衣のパワーをお借りしたいと思います。

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昨日は他の会員さん達や京大若手OBOG達も、それぞれの新しい曲を次の舞台に向けて稽古し始めました。

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そして更に。

夏休みの「月と 寺子屋キャンプ」の参加者の男性が、昨日から新たに澤風会会員になって稽古を始めてくださったのです。

本業は写真家で、「京都とプラハ」をテーマとした写真を撮り続けているそうです。

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新しい顔触れも加わって、再び発進した京都紫明荘組稽古場です。

皆さまに力をいただいて、私もまた頑張って参りたいと思います。

足疾鬼の哀しみ

昨日の泉涌寺でのお話の続きです。

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あろうことか泉涌寺の偉い僧侶様の対面に座って、能「舎利」の解説をすることになった私。

私ごときの浅薄な知識でどうやってこのシチュエーションを乗り切れば良いのか、直前まで途方に暮れておりました。

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しかし直前の楽屋でのこと。

家元より、「後半の展開は見ていればわかるので、むしろ前シテの事を話してほしい」と言われたのです。

それは少し意外な内容でした。

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そして対談形式の解説の一番最後に、私はその家元のお言葉を皆様にお伝えいたしました。

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私「前シテの最初の謡に”御釈迦様がまだこの世にいらした時は、間近でその説法を聞いて、この上ない安楽の気持ちを得たものだ…”という言葉があるのです。」

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この「足疾鬼」という鬼はおそらく真の悪党ではなく、本心から御釈迦様を慕っていたのではないか。

しかしその強い信心の気持ちから、釈迦入滅の時に牙舎利を盗むという悪業を働いてしまったのであろう。

なので、韋駄天に追われる後シテが鬼の形相で現れるのは、「自分の最も大切なもの(仏舎利)を守り切れない自分への怒りの気持ち」の現れではないか。

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…家元のお言葉はそういう内容でした。

するとそれをお聞きになった僧侶様が、

「成る程、実は足疾鬼というのは、”異教徒であるが御釈迦様を信奉する者”だとも言われているのですよ」

と仰られたのです。

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緊張感MAXの対談解説の最中ながら、私は足疾鬼という”外道の鬼”と忌まれる者の気持ちの深みに触れたような感覚を覚えて、「舎利」という曲への見方が変わったように思いました。

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異教徒という立場なので、御釈迦様の一番近くにはいられない。

しかしお慕いする気持ちは誰よりも強い…

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その屈折をはらんだ信仰心は、悲しいことに遺骨を盗むという犯罪行為に向かってしまったのかもしれません。

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単純な「勧善懲悪」の曲と思っていた能「舎利」が、現代社会の問題にも通じる深い内容を描いているのだと感じました。

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私には荷が重い解説でしたが、家元と僧侶様のお言葉を伺うことが出来て大変勉強になりました。

そして一曲の能を深く観る必要性を知る貴重な経験となりました。

泉涌寺 舎利殿能2019

今日は「泉涌寺 舎利殿能」に出演して参りました。

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能「舎利」の舞台となった泉涌寺舎利殿の中でその「舎利」を家元が舞われるという、実に貴重な催しでした。

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私は地頭を勤めさせていただき、身に余る光栄に大変緊張いたしました。

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しかし実はその地頭に匹敵するほどに緊張する出来事が、舞台の前にあったのです。

泉涌寺の偉い僧侶様と対談形式で、「舎利」の解説をするというミッションでした。

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「仏舎利」に関してはおそらくこの世で最も詳しいと思われる方の前で「舎利」の解説をするとは。。

非常な緊張感を持って臨みましたが、僧侶様の軽妙な語り口に乗せていただいて、何とか無事に(?)終えることができました。

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その後の能「舎利」の舞台も、本物の仏舎利のすぐ側で演じられるという不思議なリアリティの中で、無事に終了いたしました。

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おそらく一生に一度の得難い体験をさせていただいた今日の「舎利殿能」でした。

関係者の皆様誠にありがとうございました。

元気溌剌の子供達

今日は埼玉県北部の神川町での小学校巡回公演に出演して参りました。

私は能「黒塚」のシテを勤めました。

私にとっては今年度最後の小学校巡回公演です。

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この巡回公演では能「黒塚」の前には狂言「柿山伏」が演じられます。

今日はその「柿山伏」の途中で、子供達が非常な盛り上がりを見せていました。

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いくらなんでも受け過ぎでは…

と思うほどの大歓声でしたが、何とその時に、演者の装束の襟元にカマキリが止まっていたそうなのです。

能楽堂以外の公演では、全く思いもよらない出来事があるのだなあと驚きました。

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しかしそのカマキリの件を抜きにしても、今日の子供達はこれまでで一番元気で声が大きく、良い意味で活気に溢れていました。

御囃子の掛け声を体験する時や、「千秋楽」を謡う時など、あまりの大きな声にびっくりして思わず笑ってしまう程でした。

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聞けばこの辺りの土地には、平安の昔から続いた「武蔵七党」と呼ばれる武士団のひとつがあったそうです。

小学校の校歌にもその名前が歌い込まれていました。

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もちろん現代の小学校は武士とは全く何の関係もありません。

しかし今日の子供達のあの好ましい活力は、かつてこの辺りで活躍した武士達の勇ましさを何となく想起させるものでした。

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子供達がこの先もずっとあのように溌剌と元気に育ってくれることを願って、今年度最後の小学校を後にしたのでした。

「葵上」の深みに挑む

今日は青森稽古で、上野から3時間半ほどかけて移動しました。

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移動中の常で、何か謡や舞をさらいながら列車に揺られていきます。

今は今月の五雲会で勤める能「葵上」を主にさらっております。

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型付を見ながら脳内で謡と型を確認していくのですが、通常は本番の舞台よりかなり早く一曲をさらい終えます。

短い時は10分ほどで一曲を一通り頭の中で舞終えることが出来ます。

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ところが、今回の能「葵上」はかつてない程に手強い曲なのです。

最初から色々考えながらさらっていくと、気がつくと簡単に小一時間ほど経過しています。

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そして「葵上」をさらい終えると、動いていないのにもかかわらず相当な疲労感を感じてしまうのです。

何かと戦った後のような気分です。

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この曲は何か得体の知れない力を纏っている気がいたします。

六条御息所の強い想念が曲自体を支配しているのでしょうか。。

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「葵上」の底知れない深みに如何にして踏み込んでいけるか、今しばらくの間もがきながら戦い続けたいと思います。

小学生300人の「千秋楽」

土日の大阪での七宝会と民博公演を終えて、今日はまた埼玉の小学校巡回公演に参加して参りました。

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今回は”岩槻”という所の小学校での公演で、私は能「黒塚」の地頭を勤めました。

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去年の巡回公演では無かった試みとして、「千秋楽の全員合唱」というのがありました。

これは事前講座で附祝言「千秋楽」の謡を稽古しておいて、本公演の最後に舞台上の地謡と見所の小学生が全員で「千秋楽」を謡って舞台を終える、というものです。

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私は地謡での参加は今日が初めてで、千秋楽の全員合唱も初めて体験しました。

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能「黒塚」が終わり、シテとワキ、ワキツレが幕に入ると、小学生達が一斉に正座して背筋を伸ばしました。

そして我々地謡が「千秋楽は民をなで」と謡うと、次の句「萬歳楽には命を延ぶ」から小学生300人の声が唱和してきたのです。

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体育館全体に反響する大人数の「千秋楽」は、いつもの附祝言よりも重厚な響きになって聴こえました。

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子供達もその厳粛な空気を感じ取ってくれたようで、全員真剣に謡い切ってくれました。

きちんと稽古してから謡を謡う、というのも彼らにとって貴重な経験になったのではないでしょうか。

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私は今週もう一度巡回公演に参加して、今度はシテを勤めます。

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また初めて行く土地で、どんな子供達に出会えるかとても楽しみです。

国立民俗学博物館にての公演

今日は大阪の国立民俗学博物館の特別展「驚異と怪異〜想像界の生きものたち」に関連した能楽公演に出演して参りました。

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この特別展は、私の好みの正にど真ん中ストライクの分野のものでした。

しかし今日はあくまでも能「土蜘」の地謡と楽屋の仕事に集中です。

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京都の宿から電車を乗り継いで、「万博公園駅」に到着しました。

あの有名な「太陽の塔」の足元を通って、民俗学博物館に向かいます。

同行した山内崇生さんのお姿も。

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民俗学博物館はかの黒川紀章氏設計の美しい建築物です。

そのエントランスホールにての能「土蜘」の演能でした。

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その「土蜘」以外にも、石黒実都さんが「龍女」に扮しての”動く彫像”というパフォーマンスもありました。

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世界中の妖怪や神獣達が集合した今回の特別展で、いわば日本代表として「土蜘の精魂」と「龍女」が活躍した今日の舞台。

能楽が「想像界の生きものたち」という方向からスポットを当てられるとは、大変に面白い企画だと思いました。

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ただ繰り返しですが、今日はゆっくりと特別展を拝見する時間はありませんでした。

特別展は11月26日までやっているようなので、何とかその期間中に改めて民俗学博物館を訪れたいものです。

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帰り道。

見たことのなかった「太陽の塔の背中」です。

今回の特別展に出てきそうな、なにやら怪しげな太陽が描かれていました。

行きと同様に、同行の山内師、石黒師と共に撮影タイムです。

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そして今は帰りの新幹線で、頂戴した「驚異と怪異」展の図録を開いて至福の時を過ごしております…。

まだ終わらない1日

昨日は春日部の小学校で能「黒塚」のシテを勤めた後に、最寄りの東武線の駅まで20分ほど歩きました。

車でも帰れたのですが、何となく「クーリングダウン」をしたいと思ったのです。

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ゆっくり歩いて、電車で三ノ輪に帰ると早めに休みました。

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今朝6時前に目がさめると、クーリングダウンの効果か昨日の疲れはそれほど残っていませんでした。

新幹線→近鉄→京阪電車と乗り継いで、香里能楽堂の「七宝会」へ向かいました。

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七宝会では舞囃子「井筒」地謡、能「枕慈童」後見、能「玉葛」地謡を勤めました。

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夕方に舞台は無事に終わりました。

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しかし今日はまだ終わりません。

これから北大路にある公共施設の和室で京大宝生会の稽古をするのです。

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そして更にその後には、永平寺での修行を無事に終えて先日下山した若手OBと、久しぶりに会って食事をする約束をしています。

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ちょっと詰め込み過ぎの盛りだくさんな1日ですが、あとひと頑張りしたいと思います。