不思議な運転手さん

今日は少し不思議なことがありました。

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松本稽古の場所がいつもの大手公民館ではなく、お城の北側にある”城北公民館”だったので、松本駅からタクシーに乗ったのです。

初老の運転手さんは城北公民館を知らないようだったのでとりあえず「お城の北の、開智小学校の辺りまでお願いします」と頼んで走り出しました。

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しばし走ると、運転手さんが話しかけて来ました。

「お客さんは松本の人ですか?」

私が違うと答えると、

「私は生まれも育ちも松本なんですよ」

と言って、走りながら見える街並みが昔はああだった、こうだったと説明を始めました。

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そして松本城の横に差し掛かった時。

「お城も昔はこんなに綺麗じゃなかった。

お城そのものが南側にちょっと傾いていたのですよ。

冬になると、凍ったお濠でスケートをしたもんです。ほら、あの赤い太鼓橋の辺りで。」

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私はそんな時代があったのかと素直に驚き、傾いた城をなおすのはさぞや大変だっただろうと想像しました。

その工事の話などを聞きたいと思ったのですが、タクシーは間もなく城北公民館に到着してしまいました。

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稽古場でお城が傾いていた話を早速すると、会員さん達に「それは結構昔の話ですよ。その運転手さんはかなりのお年じゃないですか?」と言われました。

そこでお城の話は終わり、稽古が普通に始まりました。

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無事に稽古を終えて、特急あずさでの帰り道。

なんとなく傾いた松本城の話が気になり、スマホで調べてみました。すると…

「明治30年代頃から天守閣が大きく傾き、明治36年から大正2年にかけて”明治の大修理”が行われた」

と書いてあったのです。

大修理の期間を西暦になおすと、1903年から1913年です。

改めて書くまでもありませんが、今から100年以上前の出来事です。

しかしあの運転手さんの語り口は、伝聞ではなく確かに自分の目で見たという口調でした。

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…あの初老の運転手さんは何歳だったのか、そもそも一体何者だったのか。

能の定型パターンだと運転手姿は前シテで、この後に私の夢枕に後シテとして本来の姿を現す、ということになる筈です。

今夜は心して睡眠に入りたいと思います。。

般若か顰か

今日は宝生能楽堂にて五雲会に出演いたしました。

私は初番の能「小督」の地謡を勤めました。

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小督が無事に終わり、その後私は最後の能「紅葉狩」のツレの装束などをつけました。

そして紅葉狩が始まってシテとツレが舞台に出てしまうと、楽屋の仕事は一段落です。

「紅葉狩」は中入での装束の着替えを、舞台上の作り物の中で済ませるのです。

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なのでモニターで「紅葉狩」の舞台を見ながら、何人かの若手能楽師で話をしていました。

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「紅葉狩の後シテは、今日みたいに般若の面でやる時と、”顰(しかみ)”をかける時があるね」

「でも、”顰”は男の鬼だから、この場合おかしいんじゃない?」

「実はシテはオカマだったとか…」

「…」

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確かに、前シテは妖艶な女性なのに後シテで男の鬼に変身するのは違和感があります。

しかし「紅葉狩」の謡本には、何故か後シテが”顰”のバージョンの装束とイラストが載っているのです。

そちらが本来なのでしょうか…?

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答えは出ないままに、また別の楽師が話し始めました。

「そういえば、先月の月並の留(最後の能)が”葵上”、先月の五雲会の留が”鉄輪”、今月の月並の留が”黒塚”、今日の留が”紅葉狩”だから、ずっと鬼女で終わる能が続いてますね」

確かに。では来月の月並の留は…

「乱 和合」でした。面は当然”猩々”です。

そして来月五雲会の留は、私がシテの能「舎利」。面は”顰”です。

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私「こうなったら乱も舎利も、般若で出ちゃう…とか(笑)」

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などとつらつら話しているうちに能「紅葉狩」も無事に終わり、楽屋はまたバタバタと片付けの仕事に突入したのでした。

亀岡の花々〜返り咲き〜

今日は亀岡稽古でした。

前回の稽古では、もう秋も深まって花は咲いていないだろうと思って、ほとんど探しませんでした。

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しかし今回時間があったので少し歩いてみたところ、いくつかの植物を見つけることが出来ました。

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中でもこの花。

名前は「ホクリクタツナミソウ(北陸立浪草)」と言って、シソ科の植物です。

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じつは通常、ホクリクタツナミソウの開花時期は5〜6月で、今咲いている筈が無い花なのです。

時期を外して秋や初冬に花が咲くことを「返り咲き」、あるいは「帰り花」などと言うそうです。

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“返り咲き”というと、一度落ち目になった歌手やスポーツ選手や政治家などが再び勢いを取り戻した時によく使われる言葉です。

しかし元々は春に一度咲いた花が、秋から初冬に再び花をつけることを言うのです。

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また”帰り花”の説明には、「11月頃の小春日和に本来の季節とは異なって咲いた花のこと」とあり、「忘れ花」とか「狂い咲」も同様の意味で使われるそうです。

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ちなみに「帰り花」は俳句では冬の季語になっていますが、和歌の題にはなっていないということなので、残念ながら謡の文句には出てこないと思われます。

私が思い出す限りでは「帰り花」という謡は無かったと思うのですが、もし見つけた方はどうかご一報下さいませ。

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これは「ワカサハマギク(若狭浜菊)」と言って、「リュウノウギク(竜脳菊)」の変種だそうです。

開花時期は10〜11月ということで、この花は”返り咲き”ではありません。

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「花梨」の木の前に拳大の実が落ちていました。

「かりん酒は喉に良い」と言って、倉本先生などはご自分の「梗風会」の時には楽屋に”かりん酒”の小瓶を置いておられました。

「あんたも飲んでいいわよ」と言われましたが、私は酒を飲むと謡えなくなる性質なので、効果を確かめることは出来ませんでした。。

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確か4月頃のブログに花を載せたことがあったと思いますが、「ハクサンボク(白山木)」の実がなっていました。

あとで調べたら、興味深い情報がありました。

「果実は食用になる。秋には酸味があるが、冬にかけて甘くなる」

ということなのです。

来月の稽古の時に、もし可能ならば味見をしてみたいものです。

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今度こそは今年最後の”亀岡の花々”だと思いますが、もしまた”返り咲き”の花など見つけたら紹介したいと思います。

今日はこれにて失礼いたします。

秋の薔薇

今日は午前中に五雲会申合があり、能「小督」の地謡を勤めました。

そして午後からは11月24、25日に開催の「満次郎の会」の申合で、能「安宅 延年之舞」と新作能「オセロ」の2番の地謡を勤めました。

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さすがに1日に能3番だと、脳内メモリーがいっぱいいっぱいです。

とりあえず五雲会申合を終えて、宝生能楽堂近くの本郷給水所公苑に「安宅」と「オセロ」の地謡のお浚いに向かいました。

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久しぶりに公苑に入ると、丁度秋の薔薇の時期に当たっており、苑内には色とりどりの薔薇が咲き誇っていました。

実は新作能「オセロ」は、”白き花”が重要なモチーフになっているのですが、私が撮ったのは”赤い薔薇”でした。

雲ひとつ無い青空に映えて、とても綺麗だったのです。

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撮影後は、すぐさま謡のお浚いに突入したのでした。

左右逆転

今日は田町稽古でした。

仕舞の稽古を昨年から始められた方が、今は3つ目の仕舞「猩々」を稽古されています。

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「先生すみません、今日は先生の舞を後ろから撮影させてもらえませんか?」

稽古の冒頭で、その方から上のようなリクエストが。

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確かに、正面から撮影した映像を見て稽古すると型が逆に見えてしまいます。

一旦脳内で映像を逆転させて、それをなぞって稽古するというのは慣れて来ないと難しいと思われます。

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昔東京芸大時代に、太鼓の観世元信先生が手を完全に左右逆転させて稽古しておられました。

“カシラ”の手も、右撥を左肩に持っていく訳です。

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そしてシテ方でも、仕舞の稽古の時にはお弟子さんに正対して型を左右逆転でされる方がいると聞いたことがあります。

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私は不器用なのでそのようなことは出来ず、澤風会稽古の時は会員さんの斜め前に同じ方向で立って、顔だけ振り返って説明しながら稽古する方法をとっております。

しかしこれだと、私が振り返る時に会員さんまで一緒に後ろを振り返ってしまうという、笑い話のようなことが起こってしまうのです。。

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背後から撮影するか、正面から左右逆転で稽古するのか。これは意外と難しい問題です。

しかしおそらく近い将来には立体映像の撮影が可能になり、あらゆる方向からシテの動きが見られる時代が来るのではないでしょうか。

その時にはきっと、こういった苦労自体が笑い話になっていくのでしょう。

玉鬘神社にての演能

今日は奈良県桜井市の初瀬にこの度建立された「玉鬘神社」にて、創祀奉納能がありました。

番組は宝生和英家元による能「翁」と、辰巳満次郎師による半能「玉葛」で、私は2曲の地謡を勤めさせていただきました。

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玉鬘神社は、長谷寺から初瀬川を挟んで対岸にあたる山腹に建立されていました。

この地は昔、玉鬘ゆかりの「玉鬘庵」があった場所だそうです。

社殿の前に特設の舞台が敷設されており、周りは立ち見を含めて沢山のお客様で溢れていました。

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澤風会の会員さんも3人見に来てくださいました。その内のお1人は、つい先日の澤風会京都大会で舞囃子「玉葛」を舞われた方です。

自分で舞った曲を、その曲ゆかりの地で観能するというのは滅多に出来ないことで、大変素晴らしいことだと思います。

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時折雨がパラつく天気でしたが、修祓や玉串奉奠などに続いて先ずは家元の能「翁」演じられ、辺りは厳かな空気に包まれました。

続く半能「玉葛」も、全員が裃姿での「袴能」の形式で予定通り演じられました。

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地謡として舞台に出ているので、当然周りに眼をやることなどは出来ません。

玉鬘ゆかりの地で能「玉葛」を謡っているという実感もあまり無いままに舞台は進んでいきました。

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しかし、キリに差し掛かって「人を初瀬の山おろし」という文句を謡った瞬間に突然、「此処こそが”初瀬の山”なのだ」という感慨に打たれました。

山間の舞台で、お囃子の音も謡の声も初瀬の山に反響して実に良く通っています。

自分の謡が此処から初瀬川を渡って、対岸の長谷寺の方まで響いていけば良いと思いながら、残りのキリを精一杯の声で謡ったのでした。

2018能と狂言の会、無事に終了しました

今朝から開催された京大能楽部「能と狂言の会」はおかげさまで無事に終了致しました。

心に残ったことをいくつか。

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最初の方に宝生会の全体素謡「経政」があり、金剛会の仕舞1番を挟んですぐに宝生会の1、2回生素謡「土蜘」がありました。

この2曲はどちらも無本でした。

「経政」は能地そのままなので、さすがの安定感でしたが、1、2回生はそのすぐ後の「土蜘」を良く頑張ったと思います。

地頭の声によく合わせて、役もそれぞれ大きな声で、とても好感の持てる謡でした。

長時間の正座も問題無く、皆無事に立って帰っていました。

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途中大阪大学喜多会と、京大観世会の招待仕舞がありました。

宝生流、金剛流と合わせて4流の仕舞を比較して見られたのは中々面白かったです。

作法なども、流儀によって主張が微妙に違うのがわかりました。

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宝生会の仕舞では、やはり自分に合った大きさの紋付袴で舞うのが良いと改めて思いました。

前回の舞台で長い袴だった部員が、丁度良い丈の袴で舞っているのを見ると、実力も数段上に見えました。

部員全員が、自分に合った紋付袴を何とか見つけてもらいたいものです。

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宝生会最後の演目は舞囃子「花月」でした。

辰巳家から拝借した”羯鼓”をシテに付ける時、紐を結ぼうと袴の背板を少しめくったところ、背板に「芳」というネームが入っていました。

この袴は小川芳先生からいただいたものだったのですね。

そして”羯鼓”の箱には、「平成8年倉本雅」と書いてありました。

小川先生の袴をはいて、倉本先生が寄贈された羯鼓を付けて、シテ4回生Nさんは現役生活の集大成である舞囃子「花月」を小気味よく元気一杯に舞ってくれました。

小川先生や倉本先生もきっと喜んでくださったと思います。

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他にも印象に残る仕舞がいくつもあったのですが、全部は書ききれないので、これから信州料理屋”お狩場”で始まる後席で直接彼らに話そうと思います。

本日の仕事終了しました

今日は水道橋宝生能楽堂で月並能があり、その前後に別の仕事があって、最後の仕事が先ほど終わりました。

明日は朝に東京を出て、京大「能と狂言の会」に行って参ります。

短いですが、本日はこれにて失礼いたします。

同時に稽古を始める利点

今日は亀岡稽古でした。

もう花はあまり無かったので、稽古の話をさせていただきます。

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亀岡稽古場ではこの1年ほどの間に、仕舞を稽古する人が随分と増えました。

特にこの10月と11月の2ヶ月間には、全く初めての方が3人、久々に稽古を再開される方が1人の合計4人が一気に仕舞稽古を開始されたのです。

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皆さん謡はベテランの方ばかりで、仕舞の地謡も経験しておられます。

なので舞台慣れしておられるのか、意外なほどすんなりと「構え」や「摺り足」をされて驚きました。

(流石に「まわり返し」や「行き掛かり」では苦労されていましたが…)

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同時に何人もが仕舞稽古を始めることには、いくつかの大きな利点があります。

①自分の稽古の前後に、他の人が同じ仕舞を稽古するのを見られるので、1回の稽古で2〜3回分の効果がある。

②なかなか自分では出来なかった型でも、人が直されているのを見ると不思議に良くわかることがある。

更に、

③自分と同じ苦労をしている人を見ると、何となく励みになる。

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これは京大宝生会の新入生達を毎年見て来て感じた経験則です。

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ともかく、今年9月の京阪神巽会では謡だけの出演だった方々が、おそらく1年後の京阪神巽会では揃って、急成長した仕舞を見せてくださることでしょう。

同時に始めた方々が、切磋琢磨してどのように伸びていかれるのか、今後がとても楽しみです。

少しでも直すと…

今日の京大稽古は、来週月曜日の11月12日に迫った自演会「能と狂言の会」前の、最後の仕上げの稽古でした。

16時半過ぎにBOXに到着してから稽古を始めて、全て終わって時計を見ると23時をまわっていました。

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ずっと以前に、坪光松二先生の後を引き継いで現役の謡の稽古を始められた頃の米澤郁雄さんが仰られた言葉を今日思い出しました。

「現役達は、僕が少しでも謡を直すと本当に直したその通りに謡うので、ちょっと恐ろしくなりました。」

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つまり、教える側は僅かの間違いや曖昧さも許されないということで、これは中々のプレッシャーなのです。

そして私は今日現役達の仕舞の稽古で、米澤先輩と同じことを感じたのです。

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本番前の最後の稽古で、各人殆ど仕上がった状態の仕舞です。

おそらく急に修正しても直らないかもしれないと思い、「長期的に直れば良いので…」と前置きしてから直したことでも、現役達は即座に、驚くほど正確に修正してくれるのです。

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「この対応力は何なのだろう…」と内心半ば驚愕しながら、プレッシャーを感じつつ稽古をしました。

そして本番直前とは言え、もう直したいところは全部言ってしまおう!

と決意して稽古した結果、稽古終了時間が23時超えになった訳です。

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プレッシャーがかかる分、実に充実した稽古でもあり、彼らと稽古出来る喜びを今日も感じつつBOXを後にしたのでした。

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京大自演会「能と狂言の会」

11月12日朝9時始曲・金剛能楽堂

です。皆さま現役達の稽古の成果を是非ご覧くださいませ。

よろしくお願いいたします。