桜井市民会館にて

今朝9月12日は信州松本で目覚めたのですが、携帯のニュースを見ると奈良で豪雨が降って、桜井市にも避難勧告が出たとか。

バスツアーで行った辺りは大丈夫だったのか心配です。。

その9月9日にあった「能楽師と周るバスツアー」は、桜井市民会館に到着して皆さんをホールの座席に御案内したところでなんとか無事終了いたしました。

私はツアコンから能楽師に戻って、急いで楽屋へ。

今度は「桜井外山座宝生流〜能の故郷公演〜」に出演するのです。

宗像神社では翁に続いて仕舞「高砂」を奉納された辰巳満次郎師による、仕舞「三山」。そして京都茂山家の狂言に続いて、最後には再び宝生和英宗家の能「三輪」という番組です。

天香久山、耳成山、畝傍山の「大和三山」がすぐ間近にあるこの地で舞われる仕舞「三山」。

そして先程参詣したばかりの大神神社周辺が舞台の能「三輪」。

朝からの宗像神社→多武峰→大神神社というツアーを経て舞台に臨むと、体験してきたばかりの光景と、眼の前で展開される能のシーンが奇妙にシンクロして、不思議な既視感を覚えました。

能「三輪」が終わったところで扇を置くかと思いきや、附祝言「五雲」がありました。

朝一番のバス車内での附祝言「五雲」鸚鵡返しから始まったこの日を、最後にまた「五雲」を謡ってめでたく締めくくれた訳です。

帰りの近鉄電車のホームで、東京から来られた3人組のお客様に声をかけられました。

それぞれ別の先生に宝生流を習っておられるのとこと。

また今日は他にも、遠くは熊本や、富山、福島などからいらした方々から「私は○○先生について宝生流を稽古しております。今日は宝生流発祥の地をひと目見たいとやって参りました。」とお声をかけていただきました。

普段はなかなか一堂に会することのない全国各地の流友が、今回のツアーと公演のおかげで宝生流発祥地にて集まることが出来たのです。

今後これらの方々に何処かの舞台でお会いした時に、「あの時のバスツアーに参加していたのです!」などと思い出話が出来る日が、きっと来ることでしょう。

私自身にとっても色々と貴重な経験を積むことが出来、また嬉しい御縁の沢山出来た今回の宝生流故郷公演でした。

関係者の皆様どうもありがとうございました。

大神神社にて

能楽師と周るバスツアーは、多武峰を発って今度は「大神神社(おおみわじんじゃ)」へと向かいました。

「大神」と書いて「おおみわ」と読む読み方は、古代に定められた読み方が現代まで伝わっているということで、ここは日本で最も古い神社のひとつなのです。

私にとっては今回のツアーで唯一、これまで何度も訪れたことのある地でした。

実は大神神社参道のすぐ横にある三輪素麺の有名店「森正」の店主森さんが、澤風会の会員なのです。

お店があまりに忙しく、お稽古は仕舞「三輪キリ」の途中でちょっとお休み中なのですが。。

その御縁で、数年前に澤風会の一行で大神神社を案内していただいたことがありました。

鳥居の起源を想像させる神秘的な結界「三ツ鳥居」を拝見させていただき、また御神体である三輪山に登拝させていただいたりしました。

その後も京大宝生会の葛城能合宿の時に訪れたり、初詣をしたりと何度もお参りさせていただいております。

それらの訪問の時、普段はそんなことを全く感じない私でも、「人知を超えた存在に見守られている」という不思議な感覚を味わう出来事が何度かありました。

そして今回久々に訪れた大神神社。

夕方の公演がある為にあまりゆっくりした時間がとれませんでしたが、参拝だけはしっかりしようと参道の階段を登りました。

土曜日で参拝客は多かったのですが、巨木の立ち並ぶ参道から、一転して明るい陽の降り注ぐ拝殿にかけて満ちている荘厳な空気感には、やはり圧倒されました。

能「三輪」で玄賓僧都の衣が掛けられていた「衣掛の杉」を見て、参拝を済ませて参道を降りていくと…

「澤田先生!」

なんと鳥居の脇に「森正」店主の森さんがわざわざ出てきてくださいました!

「夕方の公演、時間がとれたら観に行きますね。」

「ありがとうございます。紫明荘にもまたいつでもお稽古いらしてください!」

「そうですね💦アハハ…。」

森さんの変わらない笑顔に見送られて、バスツアーはいよいよ最終目的地、桜井市民会館へと出発。

大神神社参道横にはなんと新しく能楽堂が建てられるとのことで、その工事が始まっていました。

大神神社と能楽が、今後益々強い御縁で結ばれていくと良いと思います。

桜井市民会館での公演の模様はまた次回にさせていただきます。

多武峰にて

外山の宗像神社にて、宝生和英宗家の能「翁」奉納を見学した「能楽師と周るバスツアー」一行。

時間が押し気味なので、次の目的地「多武峰・談山神社(とうのみね・たんざんじんじゃ)」へと急いで出発しました。

「多武峰」に於いては室町時代に「八講猿楽」が行われていて、結崎座、坂戸座、円満井座、外山座(後の宝生流)の「大和四座」が交代で出勤していたそうです。

この出勤を怠ると、「罰金」や「追放」などの厳しいペナルティが課せられたということです。

能楽の黎明期の楽師達は、何となく自由で大らかな活動をしていたと想像していました。

しかし現実には座の中に厳しい戒律があり、また「田楽」などのライバルにも囲まれて、現代の我々よりも縛りの多い大変な毎日を送っていたようです。

「多武峰」に向かう道は完全に山道で、1.5車線のヘアピンカーブが連続していました。

紅葉の時期は大渋滞になるというのも頷ける道です。

多武峰に到着すると、先ずは昼食会場のある「多武峰観光ホテル」へ。

「素麺」や「鮎の塩焼」など、地元の名物が満載の豪華な昼食の後、参加者の皆さんは三々五々談山神社の見学に向かわれました。

私はと言うと、何人か観光ホテルに残ってゆっくりされている方々に付いて、神社は遠目に眺めて満足いたしました。

添乗員ですからね。(実際は夕方の舞台に向けて、体力の温存…)

因みに繰り返しですがこれは「能楽師と周るバスツアー」なので、私の格好は朝に京都の宿を出た時から「紋付袴」です。

紋付袴でホテルで立っていたら、従業員の方に声をかけられました。

「宗像神社でお能を奉納されて来たのですよね。私は外山の人間で宗像神社の氏子なのです。回覧板で神社に手伝いに行くように言われたのですが、このツアーがあるので今日はホテルに出勤したのです」とのこと。

そう言えば、宗像神社の境内には法被を着た氏子さんが沢山いらして、色々なお手伝いをしてくださっていました。

今回の奉納は、地域の皆さんのご協力で成り立っていたのだと、大変有り難く思いました。

外山も多武峰も、私はこれまでは殆ど訪れたことのない地域だったのですが、今回のことで御縁が出来たので、是非また度々来てみたいと思いました。

「多武峰観光ホテル」でお話しした従業員さんにも「今度は観光ホテルに泊まりに来ます!」と約束してお別れしました。

そしてバスツアーは次の目的地「大神神社」へ。

続きはまた明日にさせていただきます。

宝生流発祥の地・外山にて

今から600年と少し前に、奈良県桜井市の「外山(とび)」という所で「能楽宝生流」は誕生しました。

初代宗家蓮阿弥は、諸説ありますが世阿弥の弟とされています。

そして宝生流が生まれた地「外山」にある宗像神社の境内に、「能楽宝生流発祥之地」の石碑が昭和36年に建立されました。

今日は第20代宝生和英宗家がその宗像神社にて、能「翁」を奉納されるという記念すべき出来事がありました。

私はと言えば、今日は下のようなツアーの所謂「ツアーコンダクター」をいたしました。


…「能楽師と周る」の能楽師が、一応私だった訳です。。

このツアーには勿論、宗像神社での「翁」奉納の見学が組み込まれていました。

バスの中で宝生流オリジナル附祝言「五雲」の鸚鵡返しをしてから、いざ宗像神社境内へ。

翁の後に境内にいる全員で「五雲」を謡いました。

私は「翁」には参加しませんでしたが、宝生流発祥の地で謡う「五雲」は大変良いものでした。

また何とツアーには、生後間もない宗家のご長男、知永さんも参加されて、私のすぐ横で「翁」を大人しくご覧になりました。

宝生流の発祥から現在までの遥かな歴史を感じるこの場所で、宝生流の未来に繋がる小さな瞳がじっと「翁」を視ているのです。

私は得も言われぬ感動を覚えました。

ツアーは宗像神社の後も続いたのですが、続きはまた次回。今日はこの辺で失礼いたします。