信長が名付けた「岐阜」

今日は岐阜県庁のすぐ横にある「サラマンカホール」で舞台がありました。

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昨年の「織田信長の岐阜入城450年」に関連した催しでした。

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そもそも「岐阜」という名前はその450年前の入城の時に織田信長が付けたという事を、恥ずかしながら今日初めて知ったのです。

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岐阜県というのは、東海道新幹線で頻繁に通過はするものの、これまであまり御縁の無い県でした。

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しかし今日色々お話を伺うと、

・稲葉山の山上にある岐阜城の御朱印が大人気であるということ。

・その稲葉山の麓を流れる長良川で行われる鵜飼の鵜匠は実は宮内庁職員であること。

・長良川の少し上流ではお盆に3日間夜を徹して踊り続ける郡上おどりがあり、誰でも参加可能だということ。

などなど、沢山の魅力と驚きが溢れる地域だとわかりました。

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舞台の後はその岐阜城を見上げる長良川沿いのお座敷で晩御飯をいただき、信長と岐阜に浸った一日を過ごしました。

非常にわかりづらいですが、晩御飯を食べたお店の前を流れる長良川と、背後のシルエットは金華山とも呼ばれる稲葉山、更にその山上の中央やや右手の灯がライトアップされている岐阜城です。

遅延の理由は…

ちょうど一週間前に、早朝の青森駅で停電トラブルに巻き込まれた話を書きました。

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するとそれを読んだ青森在住の京大宝生会の同期から、「何かいつもトラブルに巻き込まれているね」とメールが届きました。

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確かに今年も、鉄道絡みでは色々な事がありました。

・大雪、豪雨、台風による遅延。

・イノシシやシカと衝突しての遅延。

これらは毎年の事なのですが、それ以外にも、

・京都から東京行きの新幹線に乗ってすぐに「お客様の中でお医者様か看護師の方がいらしたら、至急7号車のデッキまでいらしてください」とアナウンスがあり、ややしてから「この列車は米原駅で臨時停車します」と再度放送が。

そして米原駅で暫し止まった後に「看護師の方のご協力により、急病のお客様を無事に救急搬送出来ました。」とまた放送があり、車内には何となく安堵の空気が流れました。

…という事などもあり。

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今月に入っても、

・車が踏切に強引に進入して、遮断機の棒が折れて線路を塞いだ為に特急あずさが遅延。

またその後に、先週の青森駅の停電がありました。

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…そして昨日。

亀岡稽古を夜に終えて、京都駅に移動して新幹線に乗ろうとしたら、いつも乗る比較的空いている「ひかり」がホームにいません。

その理由は…

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「岡山駅でお客様のペットの犬が新幹線ホームから線路に降りて現在逃走中のため、ダイヤが乱れております」

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…新幹線の線路を必死で逃げる犬と、それをまた必死に追いかける駅員さんを想像すると、大変失礼なことながら少しニヤリとしてしまいました。

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今年もまだ長距離移動が何度かあり、来年もまた電車に乗る日々が続きます。

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勿論移動中は何事もないのが一番なのですが、ここまで来ると次はどんな思いもよらない出来事が起こるのか、少しだけ期待する気持ちもあるのです。

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また何か驚くような事があれば、ご報告させていただきます。

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…あの逃げた犬が、無事に飼い主の元に帰れたことを祈りつつ。

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続 すごい記憶能力

10月29日のブログで、「すごい記憶能力」を持つ京大農学部林学科時代の友人の事を書きました。

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黒板の文字を映像として全て記憶出来るので、ノートを一切とらないという人でした。

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その時には「今となっては連絡の取りようがない」と思っていたのですが、実は偶然が重なって、彼とまた縁が繋がる可能性が出て来たのです。

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あのブログを書いた後に、試しに彼の名前でグーグル検索をしてみると、彼はやはりその後森林の研究者の道を進んで、今では神戸大学農学部の准教授になっているようでした。

しかし、わざわざ彼の大学用のメールアドレスに連絡するのも変な気がして、まあ元気に研究者をやっているなら良いと満足していました。

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それが最近になって、神戸大学宝生会を指導している宝生流教授嘱託の方より、「うちの学生の○○くんは、農学部の授業でよく山に行っているらしいので、先生(私の事)と話が合うかもしれないですよ」と聞いたのです。

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「神戸大学農学部」で「山」に行く授業。

もしかして彼と繋がりがあるかもしれません。

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そして一昨日の関西宝連が終わった後の宴会で、その神戸大学宝生会の学生に駄目元で聞いてみました。

「神戸大の農学部に、僕の友人の□□という名前の准教授がいるのだけど、知らないかな…?」

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すると「えっ!僕その先生の授業を受けてますよ!」

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なんと、ピンポイントで繋がってしまいました。

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神戸大学宝生会が復活していたこと。

そして彼が神戸大学農学部の准教授になっていたこと。

さらにまた私が彼の「すごい記憶能力」をブログに書いたこと。

これらが全て重なって、今回の偶然が生まれたのだと思います。

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こうなると何とか彼に会ってみたくなりました。

もし再会出来たら、25年ぶりくらいになります。

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そして再会出来た時には、あの「記憶能力」はまだ健在なのか、是非聞いてみたいと思います。

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第5回関西宝連のご報告

今日は大阪能楽会館にて、第5回関西宝生流学生能楽連盟自演会が開催されました。

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大阪能楽会館は今年いっぱいで閉めてしまうので、これが学生達にとっても私自身にとっても、最後の能楽会館の舞台になります。

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また最後なのは能楽会館だけでなく、今日は4回生達の現役最後の舞台でもありました。

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その京大宝生会4回生5人を全員役に揃えた素謡「咸陽宮」や、卒業仕舞「山姥キリ」「玉之段」「車僧」は何れも大変見応えのある舞台でした。

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終了後の宴会で同志社の4回生が、「一回生の時に見た先輩の仕舞を、卒業仕舞でやりたいとずっと思っていた」と言っていましたが、おそらく今日のたくさんの卒業仕舞を見て、同じように思った下回生もいた事でしょう。

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下回生と言えば、今日は下回生も4回生に負けない程に頑張っていました。

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1、2回生だけによる素謡「紅葉狩」は、無本で20分以上謡う長い素謡でした。

それだけでもかなり大変な事なのですが、朝に楽屋に行くと、現役「実はワキの1回生が風邪でダウンして休みなのです…」

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なんと、ではワキだけ本を見て、誰か替わりに謡えば?

と言ってみたところ、

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「いえ。実は1回生の○○さんが無本で替わりに謡えると言っております。」

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おお、それはすごいけれど、当日ぶっつけ本番で大丈夫なのか?

地頭(2回生)「もしもの時は僕がワキ謡を付けるので大丈夫です。」

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さすが地頭、役謡も一通り頭に入っているようです。

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そして本番では、ワキ謡は全くノーミスで、全体として見ても1、2回生の枠を超えて大変見事な素謡でした。

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4回生が卒業してしまうのは淋しいことですが、来年再来年に繋がる力も確実に育っているのを実感出来た今日の関西宝連でした。

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4回生の皆さん、4年間お疲れ様でした。

しかしどうか卒業しても、何らかの形で能を続けていってほしいと心から願っております。

今年最後の五雲会

今日は水道橋宝生能楽堂にて五雲会に出演して参りました。

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ちょっと早いのですが、これが今年最後の水道橋の舞台になります。

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私は留(最後)の能「船弁慶」の地謡でした。

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今年最後の五雲会ということで、見所も沢山の人で溢れています。

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思い起こすと、私の今年最初の舞台はこの水道橋での1月の月並能で、しかもその初番の能「翁」の地謡でした。

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月並能の初番地謡で始まった今年を、五雲会の留地謡で締めくくれるのは、なんだか輪がぴったり閉じるようで嬉しいことでした。

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楽屋の何人かの人達や、ロビーでお会いした方々などに「今年お会いするのは多分今日で最後ですよね。どうか良いお年を」と挨拶を交わして宝生能楽堂を後にしました。

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来年からは五雲会の形式が変わって能が3番になり、そのかわりに新たな舞台「夜能」がスタートします。

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私も5月25日の夜能で能「夜討曽我」のシテを勤める予定です。

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今は新たな方向へとどんどんチャレンジを続ける宝生流です。

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私は基本的には変わらずに淡々と進んで行きたい性格なのですが、そうは言っても今年の自分に何か少しでも付け加えられるように、来年も精進して参りたいと思います。

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能一番にかかる時間

今日は水道橋の月並能に出演して参りました。

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よく「能はどれくらいの時間がかかるものですか?」という質問を受けることがありますが、今日の月並では初番の能「巻絹」が70分、次の能「芭蕉」はなんと130分、そして私が地謡に入った留(最後)の能「乱」は40分と少しで終わりました。

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つまり、短い能では40分くらい、長いものでは2時間以上かかる曲があるのです。

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今日はたまたま「短い曲」「中くらいの曲」「長い曲」と、各種取り揃えての番組でした。

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因みに短い曲でも長い曲でも一曲は一曲として扱うので、どんなに長い曲でも途中でお囃子や地謡が交替する、などということはいたしません。

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今日で言うと、130分かかった「芭蕉」の出演者はさすがに相当に消耗して舞台から帰って来られました。

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今回私が出た「乱」は「芭蕉」の約3分の1の時間でしたが、また次は長い曲に出演することも当然あります。

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なので、出演者としては曲の長短にかかわらず、その日の一曲にとにかく全力を尽くして演ずるように心掛けるのみなのです。

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今日の能「乱」では、内弟子仲間の東川尚史くんがシテを勤めて、無事に「披き」を終えられました。

本当におめでとうございました。

崇寶会・松実会のお手伝い

今日は奈良春日野国際フォーラム舞台にて、「第18回崇寶会・松実会」のお手伝いをして参りました。

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崇寶会は山内崇生師、松実会は石黒実都師の同門会です。

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お2人は私と歳の近い先輩として、普段から何かと一番お世話になっている方々です。

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今日の会は、私は確か第10回の時に初めてお手伝いさせていただいてから続く御縁ですが、今回の第18回ではとにかく仕舞がたくさんあって驚きました。

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年齢層も、お子さんから学生、社会人、ベテラン勢と多彩な顔触れでした。

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学生の何人かは京都で授業に出てから、また社会人の方の中には仕事を終えてからいらして、すぐに舞台に出てくださる方がいらっしゃいました。

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小さなお子さんと一緒に来て、何とか舞台に出てくれた若いお母さんも印象的でした。

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そうやって色々やり繰りして駆けつけてくださる方が多いのは、やはりこの会の舞台が魅力的だからこそだと思います。

合同の会で18回の歴史を刻む会はそれほど多く無いと思いますが、これもお2人のチームワークが抜群だから出来る事なのです。

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この盛大でありながらも堅苦しく無い楽しい舞台が、今後も末永く続くように心より祈念いたします。

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本日はどうもありがとうございました。

元伯先生のこと

私が初めて「太鼓」を習ったのは、東京芸大に入学してからのことでした。

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当時の太鼓の先生は「観世元信先生」でした。

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落語がお好きな先生で、稽古の口調もどこか落語に似た穏やかな江戸言葉でした。

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そして一年が過ぎ、翌春から先生が替わられました。

今度は元信先生の息子さんの「観世元伯先生」です。

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外見は元信先生と似ていらして、どんな稽古なのか興味深く思いながら初めての元伯先生稽古に臨みました。すると…

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「(刻みを高く)上げろ〜‼️」

「(刻みを上げるのは)まだだ〜‼️」

「そこは、まっつぐ(真っ直ぐ)打て〜‼️」

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もしも手を間違えようものなら「おい‼️‼️」

とドスの効いた声と眼光が飛んで来ます。

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親子で同じ江戸言葉なのに、これほど雰囲気が違うものかと妙な所に感動しながら、「これは今後の太鼓は大変な稽古になるな…」と内心恐れを抱いたことを覚えております。

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4年生になった頃の「真の序の舞」物の「老松」の稽古など、半ば命懸けの心持で稽古部屋に入ったものでした。

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しかし元伯先生の厳しい稽古と、その芯の通った厳格な稽古の在り方それ自体に、とても大切なものを教えていただいたと感じております。

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その観世元伯先生が、全く信じられない話なのですが51歳の若さでお亡くなりになりました。

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一年前に体調を崩されたと伺い心配しておりましたが、あの気迫と生命力に溢れた先生のこと、必ず治して舞台に戻って来られると信じておりました。

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先生御自身が想像を絶する厳しい稽古や無数の舞台を潜り抜けて、血の滲む修行をして身につけられたその芸は、これから一層舞台で花開き、そしてこの先数十年かけて多くの後進に伝えられる筈の大切な宝物でした。

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その舞台を、その稽古を出来ないままに旅立たざるをえなかった先生の無念さは、私には想像すら出来ません。

世にこんな残酷なことがあるのかと思います。

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せめて残された我々に出来ることは何でしょうか。

先生という宝物はこの世には居なくなってしまわれましたが、また先生が遺していかれたものも沢山あるのだと思います。

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私が受けた教えなどはほんの僅かですが、それでも強烈に心に残っております。

自分の舞台の稽古をする時、また澤風会で太鼓物をあしらいながら稽古したりする時には、先生の厳しい稽古を思い出すことが多いです。

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せめて今までに教えていただいたことはしっかりと忘れずに、今後の舞台や稽古に活かしていくこと。

それが私に出来る唯一のことのような気がします。

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元伯先生、今はゆっくりとお休みください。

そしてどうかこれからも能楽界を見守っていてくださいませ。

数々のお教えどうもありがとうございました。

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宝門会大会

今日は香里能楽堂にて、宝門会大会に出演して参りました。

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いつも澤風会の舞台を観に来ていただき、このブログも読んでくださっている宝門会のお弟子さんが、今回は初シテとして能「巴」を舞われました。

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水曜日の申合でお会いして、お声をおかけした時の話。

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私「今回はおめでとうございます!」

お弟子さん「全然おめでたくないです〜!まだ何もしてないです〜!」

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いえいえ、この「おめでとうございます」は、初シテを舞われるという事に対してのお祝いなのです。

本番が無事に終わったら、また盛大に「おめでとうございます!」とお祝いさせていただきます。

お弟子さん「え〜、そうなんですか〜!」

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そして今日、能「巴」の本番は大変素晴らしい舞台になりました。

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私「いや〜、本当におめでとうございます!」

お弟子さん「ありがとうございます〜‼️」

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晴れ晴れとしたお顔です。

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面をかけて能を一番舞うということは、我々でも大変なことです。

ましてや初シテならば、稽古段階からの御苦労は想像を絶するものがあったことと思います。

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しかしながら、その「初シテ」を無事に勤められたということは、実は稽古100回にも倍する貴重な経験を積まれたことなのだと思うのです。

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この次の稽古からはたとえ難しい仕舞でも、「何だか身体が軽いし、足元が普通に見えるし、呼吸が楽で謡いやすい!」という喜びを感じられるはずです。

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次回の舞台では、何段階もステップアップされたお姿を拝見するのを楽しみにしております。

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重ねて本日は初シテおめでとうございました!

卒業素謡

今日は先月の「能と狂言の会」以来の京大宝生会稽古でした。

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BOXに行くと、みんな次の「関西宝連」の舞台に向けてそれぞれ始動していました。

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春の関西宝連は「新入生のお披露目」という舞台で、初々しい仕舞や素謡鶴亀がたくさん出るのですが、冬の関西宝連は「卒業生の最後の舞台」という意味合いがあります。

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最上回生はいわゆる「卒業仕舞」や「卒業素謡」を、これまでの稽古の集大成として舞台に出すのです。

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私が現役の頃は、この舞台は12月なのに何故か「秋の京宝連」と呼ばれていたのですが、やはり卒業仕舞と卒業素謡が毎年出ておりました。

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最上回生の最後の仕舞は、各々の思い入れが深く込められていて非常に見応えがあるのですが、「素謡」にもまた思い出深い舞台がありました。

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私の二つ上の学年は、男子が3人でした。

この3人の先輩達が、秋の京宝連で卒業素謡「高砂」を、3人だけで謡われたのです。

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前半のシテ、ツレ、ワキの掛け合いの途中から始まり、位のあるシテ、その奥さんのツレ、颯爽と謡う神主のワキと、3人のキャラクターにぴったり合った配役でした。

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そして掛け合いが終わって所謂「四海波」の地謡だけを3人揃って気迫十分に謡い切り、さっと切戸に引いていかれたのです。

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全体でも5〜6分程度の短い素謡でしたが、その潔い雰囲気がなんとも格好良く、今でも強く印象に残っております。

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「卒業仕舞」に関しては、また色々思い出があるので改めて書きたいと思いますが、毎年この時期になると、「みんなもう卒業か、早いなあ」と、一足早く卒業の感慨にふけってしまうのです。

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今年はどんな舞台になるのか、また関西宝連がとても楽しみです。