月並能の「乱 和合」

今日は水道橋宝生能楽堂にて「月並能」が開催されました。

年内最後の月並能では、ここ数年では最後に能「乱」が演じられる慣わしです。

そして今日はその能「乱」が「和合」という特殊演出で演じられました。

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そもそも「乱」とは能「猩々」の特殊演出なのですが、今日はそのシテ猩々が2人登場して、”相舞”を舞ってくれました。

1人でも目出度い猩々が、2人になるとさらに目出度さが増すように見えました。

相舞もとても良く呼吸が合っていましたが、それもそのはず。

2人の猩々の演者は実の兄弟なのです。

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「乱 和合」が最後の留拍子まで無事に終わって、猩々達が橋掛りに差し掛かった時。

楽屋でモニターを見ていた私はふと横にいた楽師に「あれ、どっちがシテでどっちがツレなのかね…?」と聞いてみました。

すると…「え〜…わかりません。。」

との答えが。

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そこに偶々、数年前に能「乱 和合」を舞った先輩がいたので、同じ質問をしてみました。

ところがモニターを見ながら「え〜…どっちやったかな。。」との答えが…。

私は、「なんとなく先頭が兄で、後ろが弟だと思います!」

と断言して、2人の帰りを待ちました。

すると…

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何と先に楽屋に帰って来たのは弟の方でした。。

私から見ると、それだけ2人の猩々は全く同じ雰囲気を漂わせていたのです。

勿論”兄弟”というのが大きいとは思いますが、それ以上にやはり稽古を通して「乱 和合」という曲の全てを、お互いに共有出来た結果なのだと思います。

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なかなか出ない「乱 和合」ではありますが、いつか自分も誰かと舞ってみたいと思ったのでした。

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「琥珀の会」大成功でした

本日金沢県立能楽堂にて、稽古会「琥珀の会」が無事に終了いたしました。

私にとっては少々不思議な舞台でした。

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午前中に申合があり、午後から本番が始まりました。

私は見所の正面の特等席に座っています。

そして舞台ではそれぞれ稽古を重ねてきた舞囃子などが、熱いテンションで披露されています。

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ところが”披露”といっても見ているのは私、出番の無い琥珀の会メンバー、メンバーのご家族の合計4〜5名だけなのです。

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普段舞台を正面から観ることが無い私は、何とも不思議な気分になった訳です。

しかし申合を経ての本番では、メンバーによってはそれこそ必死の気合を見せてくれて予想を上回る良い舞台になりました。

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ずっと観ていた私は、「この舞台をもっと沢山の人に観てもらいたい!」

と心から思いました。

今日はまだ「琥珀の会」としては第1回目の舞台でしたが、そう遠く無い未来にはこの会がより充実して一般公開される時が来ると思います。

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その時は私は正面の特等席からは観られなくなるのですが、私にとってはその方がきっと嬉しいことなのです。

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「琥珀の会」の皆さん今回は渾身の舞台をありがとうございました。

また今回参加出来なかった若手OBOGや現役の皆さんも次回以降是非「琥珀の会」に参加して、より賑やかな舞台にしてもらいたいと思います。

ひと足100万km…!

昨夜遅くに宝生能楽堂にて能「舎利」の稽古を受けました。

稽古の最後に満次郎師より、「韋駄天とのハタラキは、もっと宇宙的な広がりを感じさせるように舞わないと。」

とご注意をいただきました。

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「舎利」の詞章によれば、シテ足疾鬼とツレ韋駄天の追いかけっこは、

欲界→色界→無色界→化天→耶摩天→他化自在天→三十三天→帝釈天→梵王天→元の下界

という風に展開されるようです。

それぞれの世界について少し調べてみたのですが、ひと言で言って「スケールが大きすぎてよくわからん」という感じでした。

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例えば「三十三天よじ登りて」という謡でシテ足疾鬼は舞台から高さ20数cm程の一畳台の上に上がります。

しかし”三十三天”とは、「80000由旬の高さの須弥山の頂上にある」そうで、ちなみに1由旬はおよそ11〜14kmだそうです。

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つまりひと足「よいしょ」と台に上がるだけで、約100万kmの高度差を駆け上がったことになるのです。

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このように足疾鬼と韋駄天が通り抜けた重層的で超巨大な天上界を、舞台と橋掛り、また舞台に置かれた一畳台を移動する中で表現しなければなりません。

しかしそのような荒唐無稽な表現は、能楽だからこそ可能なのだとも言えます。

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非常に難しいことではありますが、「宇宙的なスケール」で舞えるように頑張って稽古して参りたいと思います。

「琥珀の会」が近づいて参りました

来たる12月8日の土曜日に、石川県立能楽堂にて稽古会「琥珀の会」が催されます。

非公開の稽古会で、何度かこのブログでも書きましたように京大能楽部の若手OBOG及び一昨年ドイツに行った「ブレーメン能楽隊」のメンバーが中心となっています。

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宝生流舞囃子「箙」「紅葉狩」「龍田」「雲雀山」「邯鄲」

宝生流仕舞「兼平」

観世流仕舞「天鼓」「鵺」

独調「井筒」「杜若」

狂言「寝音曲」「文山立」

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というなかなかに盛りだくさんの内容です。

そして上記の番組には、実は私は一番も参加いたしません。

私はあくまで監督の立場で、シテも地謡も囃子も全て京大能楽部現役と若手OBOG、ブレーメン能楽隊などの”琥珀の会メンバー”が勤めるのです。

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メンバーの年齢は20〜40代と若いのですが、中にはもう20年程もお囃子の稽古を続けているベテランもいます。

そして一方で、稽古を始めて2〜3年の若手もいます。

京大宝生会ではここ最近お囃子の稽古を始める学生が激増しており、「琥珀の会」のような機会にベテランの先輩達と交流してどんどん経験値を上げてもらいたいものです。

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5番の舞囃子は先週土曜日の稽古の数時間でほぼ仕上がりに近い状態になりました。

あとは当日の午前中に申合をして、午後から本番になります。

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週間天気予報では土曜日の金沢は雪マークです。

私は朝一番のサンダーバードで京都から向かうので若干心配ではありますが、雪の寒さに負けないような熱い稽古会にしたいと思います。

最後の巡回公演

今日はまた川崎市の小学校での巡回公演に出演して参りました。

今回の巡回公演シリーズでの私の出番は今日で最後になります。

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いつものように能「黒塚」までが無事に終わり、質問コーナーになりました。

シテの宝生和英家元が再び舞台に登場して、子供達からの質問に答えるのです。

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「お能は好きですか?」

といった無邪気ながら中々難しい質問にも、ユーモアを交えながら真摯に答えておられるのが印象的でした。

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今回が最後なので、帰り際に影向社の方に挨拶をしに行きました。

そして今年の巡回公演シリーズで延べ何人くらいの子供達が観てくれたのか聞いてみました。すると、

「今回20数校で公演を行ったので、1校あたり500人として延べ1万人以上になります」

と言われてびっくりしました。

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私はそのうちの7回に参加したので、それでも3000人くらいの子供達に観てもらったことになります。

そして一連の公演を経験して、子供達の記憶のどこかに”能楽”というものが刻まれたという確かな手応えを感じました。

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帰りのバスで小学校を出発する時、ちょうど下校する小学生達が校門のところに出て来ました。

そしてみんな我々のバスに向かって手を振ってくれたのです。

最後まで温かい気持ちで巡回公演を終えることができました。

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また次の機会があれば、どこかの学校のまだ会ったことの無い子供達に、楽しい記憶として能楽が残るように頑張りたいと思います。

とても尊い経験になった巡回公演シリーズでした。

影向社の皆様始め関係者の方々に心より御礼申し上げます。

もうひと仕事

今日は「琥珀の会」稽古→「宝門会」申合→京大の能「経政」申合という1日でした。

先ほど京大申合まで何とか無事に終えることが出来ました。

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どれを取ってもブログに書きたい出来事がてんこ盛りだったのですが、実は今日はまだこれから明日の「宝門会」の素謡や仕舞の地謡をお浚いするという仕事が残っております。。

今日の諸々はまた後日ぼちぼちと書かせていただきます。

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ひと仕事終える度に、一曲を謡い終える毎に肩が段々と軽くなっていくという、正に「肩の荷が降りる」という言葉を現実の感覚として味わった1日でした。

あともうひと仕事、頑張ります。

殺生石の”KP”と”HP”

今日は水道橋宝生能楽堂で開催された「夜能」にて、能「殺生石」の地謡を勤めました。

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「殺生石」は、最初の地謡である”初同”を謡い始めると、その後”クリ”→”サシ”→”クセ”とずっと続けて謡うことになります。

それぞれの箇所で強さ、早さを微妙に変化させて適切な雰囲気を作り出すのが難しいところです。

“クセ”の中だけでも緩急や強弱が変化します。

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“クセ”まで無事に謡い終えて一度扇を置いて、ふと昔の出来事を思い出しました。

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10年程前に京大宝生会の現役部員から、「謡の稽古の時に”KP”と”HP”という言葉を使うのです。」と聞いたのです。

「ここは”KP”だから気をつけるように」

とか、

「この辺りは”HP”を使って!」

という風に使う言葉のようでした。

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私「へえ〜、それはどういう意味?」

現役「”KP”というのは”気合いポイント”のことです。そこでは特に気合いを入れて謡わなければなりません。」

私「成る程。じゃあ”HP”は何のポイントなの?」

現役「いえ、そっちはポイントではなく、”腹パワー”の略です。謡本に”HP”と書いてある箇所は、とにかく腹に力を入れて謡うのです。」

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今日の「殺生石」だと、”KP”はおそらく「クセ留」の「玉藻 化生を元の身に」の辺りと、「中入地」の「石に隠れ失せにけりや」の辺りでしょうか。

“HP”は勿論最後の「キリ」の部分で、今日も渾身の”腹パワー”で頑張って謡ったのでした。

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“KP”と”HP”、緩急強弱を表すのにとても適した面白い表現だと思います。

今の京大宝生会の現役も、試しに使ってみたら良いかもしれません。

勝負の3時間半

今週に入ってから、謡を覚える時間がなかなかとれずに四苦八苦しております。

今日は青森稽古に移動する日だったので、金曜開催の「宝生夜能」で地を謡う能「殺生石」、また来月の五雲会で自分がシテを勤める能「舎利」と、次の日曜日に開催される「宝門会」で地を謡う何曲かの小本などをまとめて持って、東北新幹線に乗り込みました。

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勝負の3時間半です。

先ずは「殺生石」。これはほぼ頭に入っているので、ざっと見直しただけで終了。

次に「舎利」。シテ謡と型を一通り、舞台で舞っているつもりでイメージトレーニングします。まだまだ細部まで詰められない状態ですが…。

そして宝門会の舞囃子「頼政」。何度も謡ってはいますが、中々手強い曲です。2〜3回通して脳内で謡ってみて、とりあえず終了。

さらに今回の山場で1番の難所、舞囃子「誓願寺」に取り掛かりました。

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罰当たりな話なのですが、仏教を題材にした曲はとても覚えづらいのです。

どの曲も似たような言葉が出てくる為に、他の曲に飛んでしまう恐れが多々あります。

例えば今回も、「舎利」と「誓願寺」という全く対極的な内容の曲に、「常在霊山」と「昔在霊山」という非常に似た文句が出て来たりしました。。

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仙台くらいまで頑張っていたのですが、やがて強力な睡魔が襲ってきました。

「溜まった疲れをとるのも大事だしな…」

と、一旦謡本を置いて眠りに入りました。。

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八戸辺りで覚醒して、新青森までの約30分、再び先ほどの順番で謡本を次々と開いていきました。

経験上、謡を覚える作業を一通りしてから、少しの時間を置いてもう一度お浚いすると、効果が倍増するのです。

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新青森に到着した時には、何曲かの謡の目処が立ち、さらに疲れもある程度とれているという理想的な状態になっていました。

明日の朝は、始発の新幹線で新青森を発って水道橋の「宝生夜能」申合に向かいます。

今日と同じ作業をまた繰り返して、なんとか「誓願寺」などの手強い曲をお浚いしたいと思います。

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青森駅に到着すると、1年ぶりに「雪だるま〜る」が点灯されていました。

ちょっと癒されたので、これから青森稽古頑張って参ります。

穏やかな京の一日

今日は早朝に京都に移動しました。

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世の中は3連休明けです。

東京駅から乗った新幹線の自由席は、なんと出発時点では車両に私を含めて10人ほどしか乗っていませんでした。

こんなに余裕がある新幹線は本当に久しぶりで、静かな車内でゆっくり休みながら移動できました。

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京都に到着すると、すぐに熊野神社近くのゲストハウス「月と」さんに移動して紫明荘組稽古でした。

「月と」さんは昔の京都の雰囲気を残している旧い建物なので、実に落ち着いた雰囲気です。

夕方まで稽古したり、会員さん達と楽しくお喋りしたりして時間が過ぎていきました。

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そして夕方に今度は北白川瓜生山の麓にある京都造形芸術大で、ごく短い仕事がありました。

北白川のその辺りには、京大学部生の頃に4年間を過ごした下宿があったので、久々に訪れて何とも懐かしい気持ちになりました。

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その短い仕事の後は、近衛の京大BOXに移動して夜まで稽古しました。

京大は学園祭が終わったばかりで、大きな祭の後の静けさが漂っている気がしました。

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今日の仕事を全て無事に終えて、車で京都駅に向かう途中で川端四条に差し掛かった時、改修を終えた”南座”の煌びやかな灯りが一瞬見えました。

顔見世興行中なので、おそらく近くに行くとすごい人なのでしょう。

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最後に京都駅から乗った最終の新幹線も、自由席にはやはり余裕があって珍しく窓際の席に座れました。

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最近の京都は「オーバーツーリズム」でどこもかしこも酷く混み合っているイメージでしたが、今日は幸いにほとんど人混みを経験せずに、静かで穏やかな京の1日を過ごすことができました。

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明日は東京で早朝から、1人で小学校の能楽教室をすることになっております。

これから東京まで、少しの間ゆっくり休もうかと思います。

舞台上での自己紹介

今日は宝生能楽堂にて「満次郎の会」2日目が開催されました。

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私はその番組の中の「能姿態放題」という演目で、「山神」という役で出演いたしました。

他にも「龍神」「女神」「鬼神」など8人の神々が同時に宝生能楽堂に降臨したのです。

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各神々は、様々な曲の”後シテ”の姿をしています。

“後シテ”は通常、登場すると自らが何者であるのかを自分で謡って「自己紹介(名乗り)」をします。

「そもそもこれは。秋津島根の。龍神なり〜。」

という感じです。

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今日は先頭から8回連続での”名乗り”がありました。

そして演目上の動きは厳密に決められておりましたが、この名乗りでの台詞と型に限っては、ある程度演者の裁量に任されていたのです。

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合わせの段階と本番では全く違う”名乗り”をした神様もいて、私はそれを舞台上で聞きながら、

「おお、なるほど!」と感心したり、

「うわ〜、こう変えてきたか!やられた〜!」と悔しがったりしておりました。

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さまざまな神々の属性に、それを演ずる能楽師のパーソナリティが加味されて、多彩な”自己紹介”になったと思います。

このような演出はそうそう無いと思われますが、次回同様の機会があれば、より練った名乗りにしたいと思ったのでした。