京大OBOGが囃子方を勤めた舞囃子

先日の「全宝連京都大会」では、京大宝生会から舞囃子「草紙洗」を出させていただきました。

シテも地謡も全員2回生で、ちょっとだけ背伸びした舞台になります。

2回生達にとってはもちろん初めての舞囃子ですが、実は他にも”初めて”の要素がありました。

大鼓と小鼓をそれぞれ京大宝生会若手OBとOGが勤めたのです。

これまで新歓企画の舞台などではそういう事もありましたが、全宝連のような歴史ある大舞台では例の無い事でした。

しかし大鼓も小鼓も、緊張しながらも非常に気迫のこもった演奏で、笛の貞光智宣先生のリードによって大変素晴らしい囃子になりました。

また、シテや地謡にとっても、普段から京大BOXで大鼓小鼓と何度も稽古ができたので、若い2回生達にとっては安心感に繋がったと思います。

今回の舞囃子「草紙洗」が無事にできた事で、2回生は大きく成長しました。

そしてまた囃子方を勤めた若手OBOGにとっても、今回の舞台の成功によって、今後も同じように学生達の囃子が打てる可能性が広がりました。

秋の京大能楽部自演会「能と狂言の会」では、更にパワーアップした舞囃子が披露できる事と期待しています。

舞台を”言語化”して観るということ

先週土曜日の全宝連京都大会レセプションの時のお話です。

宝生和英家元は昼間の国立能楽堂での舞台の後すぐに京都に駆けつけてくださり、レセプションの冒頭でスピーチをしてくださいました。

その中で家元は、

「他の学生達の舞台を見るのはとても大事です。他人の芸の長所と短所を”言語化”して、それを自分の芸に活かすのです。私も常にそうしています」

と仰いました。

「長所短所を言語化する」

という考え方は初めて聞いたので、すぐには腑に落ちませんでした。

しかしよくよく考えてみると「成る程!」と目から鱗が落ちる思いがいたしました。

例えば、

「この人は運びの最中に下を向いている」

とか、

「今の飛び返りはとてもキレが良かった」

というのを、普段の私は感覚的にしか捉えていなくて、「何となく上手い」としか認識していませんでした。

それを”言語化”して改めて認識し直す事によって、

「運びの最中に下を向かないように気をつけよう」

とか、

「キレのある飛び返りを研究してみよう」

と具体的に自分の芸に活かす事ができるのです。

今後は私も他人の舞台を観て気付いた事は一度”言語化”して、自分の芸の改善に努めていきたいと思います。

家元の貴重なお言葉は学生達にもきっと響いたことでしょう。

有り難い事でした。

全宝連京都大会が盛大に開催されました

昨日一昨日と京都金剛能楽堂にて、

「全宝連京都大会」

が盛大に開催されました。

コロナ禍の時には開催見送りやオンラインでの開催、また開催されても学校毎に固められた番組で、学生同志の交流が制限されていました。

しかし今回からは、番組も色々な大学がランダムに配置され、また初日終了後には京都ガーデンパレスホテルにて、全国の学生と、宝生和英御宗家始めシテ方能楽師も参加した「レセプション」も開催されました。

完全にコロナ以前に戻った雰囲気の2日間で、特にレセプションでの学生達の楽しそうな様子は、見ているこちらも思わず笑顔になってしまうほどでした。

そしてもちろん、2日間にわたる舞台は非常に熱気溢れるもので、見所も学生やOBOG、また学生のご家族などで終日賑やかでした。

舞台でも楽屋でも、またレセプションやその前後にも、本当に多くの素敵なエピソードが生まれた「全宝連京都大会」でした。

また個別のエピソードも改めて書かせていただきます。

今回の全宝連に関わったすべての皆様、特に運営を担って大会を成功させた全宝連委員の皆様に心より御礼申し上げます。

全宝連での得難い経験

いよいよ明後日から「全宝連京都大会」が2日間にわたって開催されます。

私が全宝連委員長を勤めたのは確か平成3年の全宝連京都大会で、会場は四条室町上ルの旧金剛能楽堂、レセプション会場はコープイン京都でした。

今は金剛能楽堂は御所の西に移り、コープイン京都も無くなりました。

あれから幾星霜、コロナ禍も乗り越えて、また京都に全宝連が帰ってくるのは実に感慨深いです。

と言っても私が委員長を勤めた時は、私自身は2日間ほぼずっと玄関に座って、全国から来る皆さんや、能楽師の先生方をお迎えしたり、色んなトラブルへの対応に終始していました。

自分が出る時以外の舞台は全く見られなかったので、舞台の記憶は殆ど無いのです。

正直しんどい仕事でした。

しかし、例えば目上の人への手紙の書き方、口のきき方、フォーマルなレセプションでの挨拶の仕方などは、この全宝連委員長の時に初めて経験しました。

そしてその経験が今の私の日常にも確実に活かされているのです。

今回も神戸大の委員長さんを始め、全宝連委員や関西の大学の学生は、これから本番終了まで、間違いなく大変な数日間になる事でしょう。

でもその大変な経験は、将来きっと自分を助けてくれる、得難い経験になるというのもまた、間違いない事なのです。

全宝連京都大会が実り多い舞台になるように、私も全力でお手伝いしたいと思います。

全宝連京都大会のお知らせ

今週末の6月29(土)30日(日)に京都金剛能楽堂にて、

「全国宝生流学生能楽連盟自演会京都大会」

が開催されます。

東京、名古屋、金沢、関西を中心に、宝生流を稽古する全国の学生達が一堂に会する盛大な催しです。

29日10時半〜15時まで学生自演会

30日は10時〜13時まで学生自演会、15時から鑑賞能があります。

学生自演会は入場無料、鑑賞能は有料の催しになります。

鑑賞能は宝生和英御宗家による

能「鞍馬天狗 白頭」

ほか、各大学を指導する能楽師による仕舞が多数演じられます。

番組は下の通りです。

詳細情報、また鑑賞能チケットの購入は下のリンクをご覧くださいませ。

鑑賞能チケットは当日受付でもご購入いただけます。

学生達の熱い舞台と、その後の盛りだくさんな内容の鑑賞能を観に、週末は是非京都金剛能楽堂にお越しくださいませ。

よろしくお願いいたします。

https://ja.kyoto.travel/event/single.php?event_id=10193

https://zenporen2024.peatix.com/?lang=ja

思いがけない再会

今日は水道橋宝生能楽堂にて、宝生流定期公演の能「春日龍神」の地謡を勤めました。

シテは佐野弘宜さんでした。

佐野弘宜さんのお弟子さんで、一時期京都に引っ越して私のところで稽古していたお母さんと男の子がいます。

このホームページにも写真を使わせていただいているのですが、当時は男の子はまだ幼稚園児で、本当に小さかったのを覚えています。

その後、親子はまた関東に戻られて、再び佐野弘宜の元で稽古を再開されました。

それから数年会っていなかったのですが、何と今日はその親子が佐野弘宜さんの「春日龍神」を観にきてくれたのです。

能が終わってロビーに出て行くと、向こうから見覚えのある親子が走って来ました。

しかし男の子は面影は変わらないけれど背丈が倍くらいに大きくなっていました…!

聞けばもう小学6年生で、いわゆる”お受験”に突入しているそうなのです。

いつの間に6年も経っていたのですね…

男の子は私の事など忘れてしまっているかと思いきや、以前に澤風会に出てくれた時に番外で私が舞った舞囃子「春日龍神」の事をちゃんと覚えてくれていて、それも大変嬉しい事でした。

今は稽古が嫌になる時もあるそうなのですが、私も丁度小学6年生くらいの時に稽古が嫌になってお休みした期間があった事を伝えて、気長にやってくれるようにお願いして、またの再会を約して楽屋に戻りました。

この先高校や大学で能楽部がある学校に入ったら、是非そこで能を続けてもらいたいものです。

その時にまた思いがけないタイミングで再会出来ると嬉しいですね。

高台寺の舞台が無事終了いたしました

京都高台寺にての太閤秀吉と寧々様に関連した3日間の催しが先程無事終わりました。

夜に降り出した雨は催し終了後に本降りになり、ギリギリセーフでした。

また仕事の山場をひとつ越えて、次は学生の全宝連に照準を合わせて稽古を頑張って参りたいと思います。

寧々様ゆかりの高台寺にて

今年は豊臣秀吉の正妻「寧々」様の四〇〇年遠忌にあたるそうです。

本日は秀吉の死後に寧々様がその菩提を弔うために建立されたという「高台寺」にて、秀吉が作った「太閤能」のひとつである「明智討」が演じられました。

辰巳満次郎師が明智光秀、辰巳和磨さんが太閤秀吉を演じて、京大宝生会の若手OB4人も立衆と地謡で参加させていただきました。

明日も同じく「明智討」が演じられ、明後日には新作能「寧々」も演じられます。

私は「高台寺の住僧」を勤めさせていただきます。

明後日の舞台のために

今日は自治医大稽古に行ってきました。

5月の1ヶ月間は、6年生が地元研修でそれぞれの出身地に戻っており、また入院していた部員が先日無事退院したりして、今日は本当に久しぶりに大勢が揃っての稽古でした。

更に嬉しい事に、新入生が1人入部していました。

秋田出身の6年生が、同じ秋田出身の新入生に声をかけたら入ってくれたそうなのです。

早速「紅葉狩」の仕舞を稽古しました。

嬉しいニュースが多かったのですが、実は自治医大能楽部としては中々に大変な状況なのでした。

「関東宝生流学生能楽連盟自演会(関宝連)」

の舞台が明後日に迫っているのです。

このひと月の間は部員が全国に散らばってほとんど稽古出来ず、仕舞のシテと地謡との合わせも勿論出来ていません。

今日1日の突貫工事で、明後日の舞台に備えないといけないのです。

とりあえず仕舞は、私と一緒に地謡を謡いながら2回稽古して、更に今度は部員だけで地謡を謡ってもう2回。

合計4回稽古しました。

素謡「桜川」も、一度謡ってもらって、とにかく直せるところを出来るだけ修正して稽古を終えました。

部員達は、「これから晩御飯行って、その後帰って稽古しよう」

「明日は実習が早く終わるはずだから、後はずっと稽古しよう」

と明後日までの限られた時間を有効に使う相談をしていました。

日々の実習や授業が本当に過酷な彼らにとって、仕舞や謡まで覚えるのは大変な事だと思います。

なんとか明後日の「関宝連」を無事乗り切って、月末にある「全宝連京都大会」では、より稽古を積んで舞台に臨めるように、私も頑張ってお手伝いしたいと思います。

京大宝生会流の追善謡

先週末の「京大宝生全国OBOG会」では、4月29日に亡くなられた佐藤孝靖先輩の追悼で「融」が謡われました。

ちょっと変わった謡い方で、「それは西岫に」から始めて、1人が一句ずつ交代で謡っていきます。

私は「例えば月のある夜は星の薄きが如くなり」を謡いました。

数十年来の交友があったOBが、それぞれの佐藤先輩への想いを込めて、一句を大切に謡っていきます。

掛け合いの部分が終わって、

「影傾きて明け方の」

からは全員で謡います。

京大宝生会30人の声が唱和すると、底力のある重厚な響きになりました。

舞台正面には笑顔の佐藤先輩の遺影が飾られていたのですが、その瞬間には笑みが一層深くなって、細かくウンウンと頷かれたような気がいたしました。

カレンダーの6月1日の欄に、

「京大宝生全国OBOG会」

と大きく書いておられたという佐藤孝靖先輩。

間違いなく誰よりも今回の久々のOBOG会を楽しみにされていました。

御参加が叶わなかったのは誠に残念無念ですが、京大宝生会流の追善謡「融」にはご満足いただけたと思います。

そしておそらく天上では、辰巳孝先生や小川先生、坪光先生、植田先輩、米澤先輩、塚本先輩といった錚々たるメンバーに佐藤先輩も加わった舞台が、地上と平行して盛大に催されていたことでしょう。