採れたてアスパラガスと老舗お味噌

昨日は松本稽古でした。

北アルプスの麓でハーブ作りなどをされている松本澤風会会員さんご夫婦が、今回は「アスパラガス」を持って来てくださいました。

大人の指程の太さのとても立派なアスパラガスが10本ほど。

私「これはどちらで採れたものですか?」

会員さん「うちで採れたものですよ。少し茹でてそのまま食べてください」

なんと、自家栽培の採れたてアスパラガスとは大変美味しそうです。

東京に帰ってから早速食べてみることにしました。

シンプルにアスパラガス、味噌、マヨネーズです。

実はちょっと調べたら、「アスパラガスは茹でても良いけれど、電子レンジ500Wで2〜3分チンすれば栄養素が逃げずに全部食べられる」とあったのでその通りにしてみました。

そして写真右手の”味噌”。

これはただのお味噌ではないのです。

やはり松本澤風会の会員さんに、松本城下で天保3年(1832年)創業の老舗味噌屋「萬年屋」の若おかみさんがいらっしゃいます。

この「萬年屋」のお味噌は、現代では省略されている「味噌玉造り」という工程を守り続けており、それが深い味わいを出しているという大変美味しいお味噌なのです。

この製法はなんと1300年前から続くものだそうです。

能楽がまだ黎明期だった頃から、現代まで綿々と受け継がれた製法。何かとても親近感を覚えます。

私も一度食べたらその深い味に他のお味噌が物足りなくなり、定期的に購入しております。

採れたての自家製アスパラガスと、昔から変わらない伝統製法で作られた老舗のお味噌の組み合わせです。

もちろん最高の味わいで、大地の恵みを余すところ無くいただいて大満足でした。

昨日はまた「小田原の蒲鉾」も頂戴して、こちらは今夜のお楽しみにしたいと思います。

時代も、国も飛び越えて

神保町稽古場の団体謡稽古では、曲が新しくなる度に、会員さんの一人が詳細な参考資料を作って解説してくださいます。

今は「昭君」を稽古していて、今日もその会員さんの解説を聞いてとても勉強になりました。

昭君は言わずと知れた中国のお話です。

しかし前シテツレの最初の謡

「散りかかる 花の木陰に立ち寄れば 空に知られぬ 雪ぞ降る」

は、実は紀貫之の歌

「桜散る 木の下風は寒からで 空に知られぬ 雪ぞ降りける」

が元になっているそうなのです。

また、クセの中の

「賢聖の障子に 似せ絵にこれをあらはし」

の”賢聖の障子”とは、なんと日本の御所の紫宸殿にある障子だそうです。

つまり能「昭君」の作者は、紀元前の中国のお話を、中世の日本人が理解しやすいように、巧みに日本の文物を取り入れて能に仕上げていたわけです。

現代でこれをやると、

「時代考証がなっていない!」

とクレームが来そうですが、能の作者は大胆に国や時代を飛び越えて曲を作っています。

それが結果的に「昭君」という曲のスケールを大きくしているように思えるのです。

やはり能は知れば知るほど新しい驚きと面白さがあると、今日の解説を聞いて再認識したのでした。

3日ぶりに謡うと…

昨日までの3日間、つまり5月4〜6日は全く謡を謡わない3日間でした。

三重県の実家で能とは関係ない家の色々な用事で動いていたのです。

こんなに長い時間謡わない事は滅多にない事です。(覚え物のために謡本は開いていましたが…)

今日は終日リモート稽古の予定でしたので、3日ぶりに謡を謡いました。

3日喉を休めたので、喉の調子が良くなっているのか、或いは逆に謡わない事で感覚が鈍っているのか。

謡ってみるまでわかりませんでした。

そして最初の稽古で謡い始めてみると…

まあ全然普段と変わりませんでした。。

3日くらいでは良くも悪くもそんなに影響はないようです。

しかし思い返してみると、去年は今頃から喉の調子が悪くなり、夏頃まで3ヶ月ほど全く声が出なくなってしまったのでした。

今年は今のところ普段通りなので、気をつけてこのままの調子を保っていこうと思います。

高校生になると

今日の神保町稽古場には、先月の澤風会郁雲会で能「敦盛」ツレを勤めた男の子と女の子が来てくれました。

2人とも会うのは澤風会以来で、約1ヶ月ぶりになります。

2人別々に来たのですが、それぞれ一目見た瞬間に「おぉ…!」と驚いてしまいました。

なんだか雰囲気が変わって急に大人びて見えたのです。

実は2人とも、この4月から高校生になりました。

よく「立場が人を作る」と言いますが、中学生から高校生になるとこんなに雰囲気が変わるものかと感心しました。

とは言え、仕舞の稽古を始めて会話をしてみると、内面は前と殆ど変わっていなかったので逆に安心いたしました。

私の高校時代を振り返ってみると、今の自分に繋がる大事な出来事をたくさん経験した3年間でした。

きっと彼らもこれからの高校生活で、そんな大事な経験を積みながら、内面的にも成長していくのでしょう。

稽古を通じて彼らの成長を見ていくのが楽しみです。

希望に満ちた出発

春は色々と移動の季節です。

先日ブログに書いた松本で稽古していた女の子は、留学先のカナダに先週旅立っていったそうです。

また京大宝生会OGの1人は、やはり留学でオランダに一昨日出発したと聞きました。

カナダもオランダも距離的には遥かに遠いのですが、何故か別れの寂しさはほとんどありませんでした。

どちらも自分の意志での留学で、希望に満ちた出発だったというのがひとつ。

また現代では海外ともビデオ通話が容易であり、コロナ禍も明けたので、来年以降くらいにカナダやオランダに行って能楽公演、というのも可能なのです。

翻って今稽古している能「昭君」では、子方の王昭君は心ならずも遠い異国に旅立つ事になり、嘆き悲しむ両親と二度と会う事もなく異国の地で悲劇の生涯を終える事になるのです。

能には理不尽な話が多くありますが、この「昭君」を稽古していると、現代日本に生まれた自分の幸せをしみじみと感じてしまいます。

先ずは留学した2人の海外での活躍を祈りつつ、出来る事ならカナダかオランダでの再会を願っております。

お休みを挟んでも

澤風会稽古をしていて嬉しいと感じる瞬間のひとつに、

「しばらくお休みだった方が久しぶりに稽古場にいらして、稽古を再開された時」

というのがあります。

今日の江古田稽古場にも、約半年ぶりに仕舞稽古を再開されるという会員さんが来られました。

「稽古の準備のやり方や色んなことを忘れてしまったようで…」

と最初はやや戸惑い気味でしたが、仕舞稽古を始めて少しするとすぐに感覚を取り戻されたようで、ブランクを全く感じさせないスムーズな舞でした。

今日は他にも、

「しばらく謡稽古だけだったけれど、今日から仕舞もお願いします」

という方や、逆に久しく仕舞だけの稽古だったのが、

「今日から謡も再開したいと思います」

という方もいらっしゃいました。

こういう嬉しい事が度々あると、稽古の疲れも吹き飛んでしまいます。

皆さん無理の無い範囲で、お休みを挟みながらでも、長く稽古を続けていただきたいと願っております。

アクティブな皆さん

今日は松本稽古でした。

2月18日のブログで、松本稽古をお休みされる方々のお休みの理由が、

「種子島でH3ロケットの発射を見るので」

「雪山でイグルー作りの講習会をするので」

「世界一周旅行をするので」

というそれぞれ大変羨ましいものである事を書きました。

今日の松本稽古場には、種子島でロケット打ち上げを見た方や、雪山イグルー作りの達人がいらしてくださいました。

そして世界一周旅行の方も、約1か月の旅行を終えて無事帰国されたと聞きました。

皆様お元気そうで何よりでした。

イグルー達人の方は、昨日まで雪山に入っておられて、まだ今シーズンもう一度イグルー作りに山に行かれるそうです。

寒い冬もアクティブに乗り切られた松本稽古場の皆様です。

これから春になって、一層精力的に動いていかれることでしょう。

また色々な面白いお話を聞かせてもらいたいと楽しみにしております。

2件のコメント

能楽師に限らず…

大きな舞台や難しい役が近づくと見る夢があります。

昨夜も見ました。

昨夜のは舞台の正中で”引き分け”という型をした所で、次のシテ謡が全く出て来なくなり、見所が次第にザワザワし出す、という内容でした。

この手の「悪夢」は、他の楽師もよく見ると聞いた事があり、「能楽師」という職業に特化した夢かと思っていました。

しかし先日、そうとは限らないと思う出来事があったのです。

3月の澤風会郁雲会の能「敦盛」でツレを勤めた中学生高校生のうちの2人が、本番が近くなった頃に同じような「悪夢」を見たと話してくれました。

「舞台の上で謡が止まっちゃって、どうしよう…ってなる夢を見たんです」

「あ、それ私も見た!」

という感じです。

どうやらこの「悪夢」は、能楽師に限らず舞台に真剣に向き合っている人が本番近くに見る、という夢なのでしょう。

ちなみに私の経験では、この「悪夢」を見るか見ないかで、舞台の出来に影響は無いと思われます。

先日の能「敦盛」でもツレは皆とても良い出来でした。

京大や自治医大などにも、この手の夢を見た人がいるか聞いて見たいと思います。

卒業式の教室のような…

今日は江古田稽古でした。

江古田で稽古するのは澤風会郁雲会の前日の3月8日以来で、約3週間ぶりになります。

稽古場に到着すると、前回まであったダンボール箱などを組み合わせて作られた「砧」の作り物や、厚紙や竹の棒で作られた「野宮」の作り物は綺麗に片付けられていました。

収納を開けると、「敦盛」で使っていた稽古面がポツンと置いてありました。

「そうか、あれらの曲はもう稽古しないのか…」

と何だか少し感傷的な心持ちになり、この感覚どこかで…と思い返してみると、「卒業式の日の教室」のような感じだと思い至りました。

色々片付けられた教室を見渡すと、さっぱりしているけれど何かさびしい気持ちになったのを思い出します。

…しかし、感傷的になったのはほんの一瞬でした。

今日から「奥伝」の難しい謡に取り掛かる人や、長い仕舞に挑戦することにした人など、皆さん早速次の目標を立てて新たなスタートを切られました。

当面は大きな舞台はありませんが、こういう時期こそ難易度の高い曲をじっくり稽古できるのです。

私もしばらくは稽古に集中して、また新たな気持ちで頑張って参りたいと思います。

人は城 人は石垣

今日の昼にリモート稽古をしたのは、江古田でボイストレーナーをされている方です。

他にも色々な仕事をされているパワフルな方で、今日も私のリモート稽古の直前まで、やはりリモートで日本語会話のレッスンをされていたそうです。

どちらの国の方を教えていらしたのですか?と尋ねてみると、

「アメリカのユタ州の銀行員の方です!」

行ったことの無い外国の人と、レッスンでつながれるのは良いですね。いつかそこに行けるかもしれないし。と言ってみると、

「そうですね!でも今のところ逆に、彼らが日本に来た時に色々と歓待してしまって、結局赤字なんですよ。アハハ!」

と明るい声で答えが返って来ました。

これと似た話を最近松本稽古場でも聞きました。

北アルプスの麓でハーブ栽培をされている松本澤風会会員さんは、100人規模の栽培グループの代表として数100種類ものハーブを育てて県内のリゾートホテルやレストラン、カフェなどに出荷しておられます。その方が、

「栽培や出荷の作業は本当に大変なのですが、収入度外視なので、結局月に1人数100円の儲けにしかならないのですよ」

と、穏やかな笑顔で話されていたのです。

お2人の話を聞いて、

「人は城、人は石垣…」

という武田信玄の有名な言葉を思い出しました。

海外の方との関係や、あるいは100人もの栽培グループメンバーとの繋がりは、金銭的なものよりもよほど貴重で実りのあるものだし、それによって助けられたりする事もきっと多くあると思うのです。

そういう姿勢は私も見習いたいと強く思いました。

澤風会や郁雲会の皆様には教えられる事が多く、いつも感謝しております。