稽古延長のおかげで

昨日は京都の「ゲストハウス月と」での澤風会稽古でした。

11時頃に始めて、17時頃に終えて東京に戻るだけの予定だったので、割合にゆったりとした気持ちで稽古を進めていきました。

16時半を過ぎて、おそらく今いる人達の稽古で終わりかな…と思いながら謡の稽古をしていた時のことです。

2階の稽古場に上がってくる人の気配がしました。

「この時間に来るのは、おそらく京大OBのV君かな…」

と思っていると、意外にも顔を出したのは先程稽古を終えて帰った筈の京大OGさんでした。

京大OGさん「すみません!御礼をお渡しするのを忘れていました!」

なんと。

次回でも全然良かったのに、律儀に戻ってきてくれるとは。

かえって申し訳なかったと思い、

「わざわざありがとう。せっかくなので、もう一度稽古していきますか?」

そして先程始めたばかりの「楽(がく)」という舞の続きを稽古することにしました。

時間はちょうど17時頃。

今度こそはこの稽古で終わりかな…と思いながら稽古をしていると…

なんとまた階下から上がってくる人の気配が。

そして顔を出したのは、また意外な事にゲストハウスの亭主さんと、外国人のゲストさんでした。

まだ若いゲストさんは、大きな目を好奇心でキラキラ輝かせて、「楽」の稽古を一心に見つめています。

稽古を終えてお話しをしてみると、カリフォルニアから来た方で演劇をやっているという事でした。

「私のやっている演劇とは全く異なる舞台芸術を観ると、世界が広がります!」

なるほど、その通りですね。

そしてまたせっかくなので、OGさんに地謡をお願いして私が「羽衣キリ」の仕舞を舞ってみました。

ゲストさんはやはり目を輝かせて観てくださり、

「あの扇の動きは何を表現しているのですか?」などと益々興味を持ってくださったようでした。

思えばOGさんが律儀に戻ってきてくれなかったら、このゲストさんに会う前に私は帰っていた筈なのです。

これもまた不思議なご縁で、とても嬉しい事でした。

…ちなみに、ゲストさんは全部英語だったので、上の会話はすべて片言の英語と、翻訳アプリを介して行われました。

やはりもっと英語を話せるようになりたいと、痛切に感じたのでした。

美ヶ原は美しかった

先々週の日曜日10月20日には松本市内の「才能教育会館ホール」にて「松本澤風会大会」がありました。

その翌日21日に、松本澤風会会員で山登りのエキスパートのお2人にガイドしていただき、前日の舞台の参加者9人で「美ヶ原高原」に行って参りました。

車でも上の方までいけるようですが、我々は山登りが主眼なのでちゃんと歩いて登ります。

ここから山に入ります。

最初は川沿いの深い森を歩きます。

道端にはリンドウの花。

そして高度が上がっていくと、まだ早いと思われた紅葉もちらほらと。

やがて森林限界を越えて、巨大な岩山が見えてきます。あの岩山の上が山頂のようです。

思ったよりも本格的な山道でしたが、総勢9人で山の話や能楽の話など楽しくお喋りしながら登ったので、それほど疲れは感じませんでした。

2時間ほど登ってようやく「美ヶ原高原」に到着です。

山頂部はとにかく広大な原っぱで、牛が放牧されていました。

日本ではなく、ヨーロッパアルプスあたりのような風景です。(行った事は無いのですが…)

そしてこの日は快晴で空気も澄んでおり、360°どこを見回しても山また山の絶景でした。

八ヶ岳と富士山。

槍穂高連峰。中央が槍ヶ岳です。

中央アルプスの山々。

ちなみに右端が能楽師東川尚史君、左のお2人が松本澤風会の山登りエキスパートです。

他にも浅間山や、北アルプス、南アルプスの山々もくっきりと見えました。

山頂には各放送局のテレビ塔が林立しており、何か宇宙基地のような光景です。

この山頂まで登って、「王ヶ頭ホテル」という四つ星ホテルで美味しいカレーをいただいてから下山しました。(カレーが美味しすぎて、写真を撮る間も無く食べ終えてしまいました…)

下山して見上げた美ヶ原高原。

山上に小さくテレビ塔が見えます。

あそこまで登って、降りてきたのか…と皆それぞれ感慨深い面持ちでした。

今回は朝10時の登山開始から午後2時半の下山まで、終始快晴で絶好の眺望に恵まれました。

おそらく今後再び美ヶ原高原に登っても、今回程の絶景は見られないかと思われます。

全員の思い出に残る素晴らしい山行でした。

松本澤風会の山登りエキスパートのお2人に、心より感謝申し上げます。

(写真は私が撮影したものと、参加者Nさん、Yさんが撮影したものです。NさんYさんありがとうございます)

6年ぶりの新入会員さん!

今日の京都はまだまだ大変な残暑で、最高気温35℃という事でした。

その苛烈な残暑の中、大山崎稽古場に向かいました。

「大山崎澤寳会」という稽古場の名前は、稽古会場である「宝積寺」からとられていて、私がまだ内弟子の頃に一番最初に出稽古を始めた場所なのです。

もう20年以上の歴史があります。

(現在は宝積寺が改修工事中で、長岡京駅前の公民館で稽古しております)

しかし当初10人以上いらした会員さんも年々高齢化などで減っていき、最近では3人でかろうじて稽古を続けておりました。

その「大山崎澤寳会」に、実は今日6年ぶりの新入会員さんが来てくださいました!

辰巳満次郎師のお力添えで、大山崎近辺で稽古に興味がある方を探した結果、まず最初の1人が今日いらして下さったのです。

久々の女性会員さんという事もあり、稽古場がパッと華やいだ感じがしました。

これをきっかけに、大山崎澤寳会に更に人が増えていくと有り難いです。

そして午後からは亀岡稽古場に移動しました。

稽古場の建物の入り口近くにある「フジバカマ」という植物の前を通ると、もう一部が開花していて嬉しくなりました。

秋になるとアサギマダラという蝶が、日本の高原地帯から旅立って、この花の蜜を吸いながら遠い南国まで渡っていくのです。

この厳しい残暑では”秋”という言葉はなかなか思い浮かばないのですが、花は確実に季節が秋へと移っていくのを教えてくれます。

あと2〜3週間もすると写真のフジバカマの花にアサギマダラがやって来る事でしょう。

今日は大山崎でも亀岡でも嬉しい事があり、良き一日になりました。

現場主義の玄翁和尚

昨日の神保町稽古には、山形県新庄の曹洞宗のお寺で僧侶をしている京大宝生会若手OBが久しぶりに来てくれました。

謡稽古は「殺生石」で、いつも曲の解説資料を作って来てくださる会員さんに今回も解説をしていただきました。

それを聞いてちょっと驚いたのが、ワキの「玄翁和尚」が”曹洞宗”の高僧だったという事です。

たまたま今回来てくれた京大OBと同じ宗派だった訳です。

解説も会員さんと若手OBが交互にする形になりました。

会員さん「玄翁和尚は、總持寺の”峨山禅師”に入門して、”二十五哲”の1人と数えられた偉い僧侶です」

おお成る程。

若手OB「でも…」

ん?

「実は總持寺から”出禁”になった事があるんですよね」

何と!それは一体なぜですか?

「玄翁和尚は、總持寺の経営に参画する立場だったのに、總持寺にはあまり寄り付かずに、諸国を巡って布教活動ばかりしていました。

それで、玄翁さんが亡くなった後に、厳密には玄翁和尚の弟子達が一時期總持寺から出禁をくらってしまったのです」

成る程。事務的な仕事よりも現場で働く方が好きな人だったのですね。

何となく玄翁和尚への好感度が増しました。

若手OB「殺生石以外にも、北は秋田から南は鹿児島まで、玄翁和尚が”悪龍”を退治した、というような伝説は多く残っています」

それはまた興味深いです。

今後どこかの土地で玄翁和尚の足跡を見つけることができるかもしれません。

また移動の楽しみがひとつ増えました。

太陽が戻ってきました!

今日は関西紫明荘組の稽古でした。

そして今日は稽古場に着く前から、とても楽しみにしていることがありました。

稽古場に到着すると、

「先生!どうもお久しぶりです!」

元気なお声で、満面の笑みのその会員さんは、しかし2年と少し前に大きな病気になって、それからずっと稽古はお休みでした。

辛く長い治療を見事に乗り越えられて、今日が2年と少しぶりの復帰の稽古だったのです。

去年後半から先ずはリモートの謡稽古から再開されて、月2回のリモート稽古で徐々に元気を取り戻されている様子がわかりました。

そして今日、満を持して稽古に来られたお姿は画面越しよりもずっとお元気で、しみじみと良かったと思いました。

仕舞はとりあえず「右近」を稽古しました。

1回目はまだ感覚が戻りきらないように見えましたが、2回目の舞はもう滑らかな動きで、これならすぐにもっと難しい曲に移行できそうです。

元々が人一倍元気で太陽のような方です。

今日の稽古場は正に太陽が戻ってきたように、皆さん明るく嬉しそうな雰囲気でした。

心強いメンバーが復帰されて、秋の澤風会京都大会に向けて勢いがついた気がいたします。

太鼓と舞働のリンク

今日は江古田稽古でした。

夕方に来られた会員さんは、今日初めて「舞働」の型を稽古しました。

その方は金春流太鼓の稽古を一昨年からされていて、ある程度太鼓の手はわかっていると思われました。

なので、先ず「舞働」の型を一通り稽古した後で、

私「舞働の最初は太鼓の”テレツクテレツク…”という打込みの途中で始まるのです」

と太鼓の手を打ちながら説明してみました。

ところがその会員さんは一瞬ポカンとされて、少し時間が経ってから、

「え?あの太鼓の手の、ここで舞が始まるのですか!」

と、驚いた顔をされたのです。

私も一瞬ちょっと驚きましたが、思えば太鼓の稽古では太鼓の手を覚えるのに必死で、それが舞とどのようにリンクするのかまで考える余裕は無いのでしょう。

しかし、今日のように「太鼓と舞がここでこうやってリンクしているのだ」と改めて認識できるのは、お囃子を稽古されている方の特権でもあるのです。

きっとその会員さんは、舞働をより立体的に早く会得してくださるだろうと思います。

思いがけない再会

今日は水道橋宝生能楽堂にて、宝生流定期公演の能「春日龍神」の地謡を勤めました。

シテは佐野弘宜さんでした。

佐野弘宜さんのお弟子さんで、一時期京都に引っ越して私のところで稽古していたお母さんと男の子がいます。

このホームページにも写真を使わせていただいているのですが、当時は男の子はまだ幼稚園児で、本当に小さかったのを覚えています。

その後、親子はまた関東に戻られて、再び佐野弘宜の元で稽古を再開されました。

それから数年会っていなかったのですが、何と今日はその親子が佐野弘宜さんの「春日龍神」を観にきてくれたのです。

能が終わってロビーに出て行くと、向こうから見覚えのある親子が走って来ました。

しかし男の子は面影は変わらないけれど背丈が倍くらいに大きくなっていました…!

聞けばもう小学6年生で、いわゆる”お受験”に突入しているそうなのです。

いつの間に6年も経っていたのですね…

男の子は私の事など忘れてしまっているかと思いきや、以前に澤風会に出てくれた時に番外で私が舞った舞囃子「春日龍神」の事をちゃんと覚えてくれていて、それも大変嬉しい事でした。

今は稽古が嫌になる時もあるそうなのですが、私も丁度小学6年生くらいの時に稽古が嫌になってお休みした期間があった事を伝えて、気長にやってくれるようにお願いして、またの再会を約して楽屋に戻りました。

この先高校や大学で能楽部がある学校に入ったら、是非そこで能を続けてもらいたいものです。

その時にまた思いがけないタイミングで再会出来ると嬉しいですね。

構えた時の”爪先”

今日は江古田稽古でした。

夕方に仕舞稽古にいらした方は、前回まで「桜川」、今日から新しく「岩船」の仕舞を始める事になっていました。

稽古を始めようとすると、その会員さんから、

「岩船のような強い曲は、構えは爪先を開いた方が良いのでしょうか?」

と質問されたのです。

半ば好みの問題かもしれないのですが、私は「爪先を開いて構える」というのはしないようにしています。

“柔らかい”仕舞では足を揃え気味で、”荒い”仕舞では腰を深く入れてやや足を開いて構えます。

しかしどちらも両足は平行にして、爪先は開かないように意識して構えているのです。

腰を入れて力を込めて構えた結果、少し爪先が開いて見えるくらいは良いと思います。

でも開き過ぎると”ガニ股”になって、見た目が美しく無い気がします。

「鬘桶」に座っている時も同様で、足先は常に平行になるように気をつけております。

ただ古い舞台写真などを見ると、明確に爪先を開いて構えているものがあるので、やはり個人の考え方や、時代によっても構えは微妙に変わるのかもしれません。

「ほおり」と「ホーリー」

昔「井筒」の謡を初めて辰巳孝先生に稽古していただいた時の事です。

シテ謡の出だし「暁ごとの閼伽の水」

で、「閼伽(あか)」はなんの事か知ってるかい?

と先生に聞かれたのです。

もちろん当時は知らず、「いえ、わかりません」と即答しました。

すると先生は、

「閼伽は元々は”アクア”と同じ語源だよ。だから”閼伽の水”というのは本当はおかしいんだ。”水の水”になってしまうからね」

と仰いました。

謡本の中の言葉とラテン語が同じ語源とは新鮮な驚きでした。

その後も「鳥居」の語源がストーンヘンジの三角柱”トリリトン”であるという説を歴史ミステリーの本で読んだりしました。

今では、意外な語源に繋がっていそうな日本語を見つけると、つい色々と語源を想像して楽しんでしまいます。

今日これを書いたのは、昨日松本稽古場で「三輪」の謡稽古をした時に、やはりそんな言葉があったからです。

「三輪」後場の最初の地謡に、

「ただ祝子が着すなる」

という言葉が出てきます。

“祝子”は”ほおりこ”と読み、「神職」を意味するそうです。

そして「holy」という英語は、名詞だと「聖人、聖者」を意味するのです。

“ほうり”と”ホーリー”

もちろん全く関係ない言葉なのでしょうけれど、響きと意味がこれほど似ていると、もしかしたら同じ語源かも…

あるいは、「神聖なる存在」を「ホーリ」と呼びたくなる、何らかの理由があるのだろうか…

などと想像して、ひとり楽しい気分になってしまうのです。

山々に守られて

今日は雨のパラつき出した東京を昼過ぎに出て、特急あずさで松本稽古に向かいました。

下諏訪あたりまでは降ったり止んだりだったのですが、トンネルをひとつ抜けて松本盆地に入ると雨は上がっていました。

水の入った田圃に空の薄青色が写って、瑞々しい初夏の風情があります。

松本は山に囲まれているので、雨も雪もその山々に遮られて、ひどくは降らないのです。

数年前の「松本城薪能」でも、台風の接近で舞台中止かと思いきや、ギリギリで天候が持って能「鵺」をなんとか舞えた記憶があります。

実は今年も8月8日に「松本城薪能」が開催予定です。

宝生和英御宗家がシテを勤められる能「紅葉狩」と、私がシテを勤めさせていただく能「経政」が出ます。

今回も天気だけが心配ですが、松本盆地を囲む山々に守ってもらい、なんとか舞いたいと思います。