のんびりモードと思いきや

今日は久しぶりの松本稽古でした。

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郁雲会澤風会で舞台に出られた方々と色々思い出話(もう遠い昔のように思えます)をして、新しい仕舞の曲を決めて稽古を始めました。

謡の曲も今日から「嵐山」です。

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何しろ大きな舞台がようやく終わって、暫くは会の予定もありません。

かねて行きたかった、会員さんのされている「鰻屋さん」や「イタリア料理店」などにランチを食べに行く約束をしたりして、なんとなくのんびりとした気分で、余裕を持って稽古出来ました。

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とは言え、私がのんびりしていても会員さん達はやはり熱心です。

「今度の仕舞には、拍子をドン!と強く踏めるような曲がしたいです!」

とか、「桜川と対になる”三井寺”がやってみたいです!」

「○○さんは、秋の松本澤風会で舞囃子をしたら良いですよ!」

「私は秋の京都の澤風会に泊まりがけで行こうと思っています!」

などなど、私が考えなくても次々に新しい曲や楽しみなお話が湧いて出てくるのです。

兼平の子孫かもしれないという会員さんが、澤風会で稽古をしているのが縁でテレビ出演するという話まで出ました。

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本当に松本はおもちゃ箱のような活気溢れる楽しい稽古場だと、改めて思ったのでした。

道成寺の疲れは…

今日の別会能の「道成寺」も、幸いなことに滞りなく無事に終わりました。

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終わって記念の宴会がありましたが、そこでのシテ當山淳司さんの「道成寺は自分にとって特別な曲でしたが、他の全ての曲もやはり特別だと思います。今後も一層精進いたします」という挨拶もとても印象に残りました。

淳司さんおめでとうございました。

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道成寺は「若手能楽師の登竜門」といわれます。

それは本番だけでなく、その舞台に至るまでのこの曲の「極限状況」を色々と経験することで、やはり一度に何段階も経験値が上がり、また今後の舞台にそれが活かせるという意味かと思います。

今回も別会が近づいてからつい先程まで、シテの色々な気配りをひしひしと感じました。

さぞかしお疲れのことと思います。

なかなか休めない職業ではありますが、可能な限り身体を休めてもらいたいものです。

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…ちなみに私の道成寺の時には、終わって翌日月曜日から一週間の韓国公演という得難い経験をさせていただきました。

おかげさまで道成寺の疲れというのは殆ど感じないで済んだ記憶があります。

それはむしろ身体には良いことのような気もいたします。

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…前言撤回で、淳司さんは明日からも一層頑張って働くのが良いかもしれませんね。。

壇ノ浦の日

今日は3月24日。

3月18日は「屋島の合戦」があった日ですが、今日は「壇ノ浦の合戦」があった日だそうです。

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元暦二年(寿永四年)3月24日に、関門海峡の「壇ノ浦」に於いて義経を大将とする源氏水軍と、知盛率いる平家水軍が激突した「船いくさ」で、ついに平家は滅亡しました。

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この「壇ノ浦の合戦」を巡る様々な出来事や人物が、能楽に描かれています。

今ちょっと思い出しただけでも例えば、

①能「大原御幸」でシテ建礼門院が後白河法皇の前で壇ノ浦での平家滅亡を物語る。

②能「八島」のキリの部分で、シテ義経の霊が壇ノ浦での船いくさの有様を舞って見せる。

③壇ノ浦に沈んだ平知盛の亡霊は、能「船弁慶」で大物浦の沖に出現して、義経を自分と同様に海に沈めようと襲いかかる。

…などなどです。

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また、宝生流には無い曲なのですが、「碇潜(いかりかづき)」という能があります。

知盛の亡霊が壇ノ浦に現れ、合戦の有様を物語った後に碇をかづいて海中に没するという内容の曲です。

私が以前にこの曲を拝見した時には、古い本に基づいた演出だったらしく、これが非常に面白かったのです。

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後半にものすごく大きな船が舞台に出て来て、先ずそこで驚かされます。

そして、後シテ知盛と、ツレ二位尼、ツレ大納言の局、子方安徳帝が一瞬で全員舞台に登場するシーンはまるでマジックのようでした。

全部話すとネタばれになってしまうので、ここまでにしておきます。

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なにせ宝生流には無い曲なので、公演予定など全くわからないのですが、機会があればご覧になる事をおすすめいたします。

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そういえば、6月9日の京都満次郎の会で出る能「熊野」のワキ平宗盛は、壇ノ浦の合戦では捕虜になってしまうのでした。

他にも色々な能に絡んでいそうな「壇ノ浦の合戦」です。

新たに思い出したら、また来年の3月24日に書きたいと思います。

乱拍子の「空白時間」

今日は宝生能楽堂にて別会能の申合があり、私は能「道成寺」の地謡を勤めました。

昨年の「鐘後見」に続いて2年連続の道成寺です。

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道成寺の「乱拍子」は、シテと小鼓だけによって20分以上もかけて行われる「真剣勝負」のようなものだと思います。

今日の舞台で感じたのが、小鼓の流儀によって「乱拍子」の味わいが違うものだなあということでした。

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今回の道成寺の小鼓は「幸流」で、これは私が道成寺を勤めた時と同じ流儀です。

幸流の小鼓の場合、掛け声が非常に短いのが特徴です。

その短い一瞬に全ての気と力を注ぎ込むような、正に裂帛の気合いが込もった「ヨオッ!」という掛け声。そしてその後には完全なる静寂が訪れます。

10秒か15秒か、緊張と不安を覚えるような時間が流れて、なんの前触れもなく次の「ホオッ!」という裂帛の掛け声が。

そして再び長い静寂。

今日その静寂に身を置いて、私は自分の舞台の時の事を思い出しました。

あの時自分では、不思議なことに全く静寂には感じられず、舞台空間に何かがジリジリと音を立てて充満していき、それが飽和状態になった瞬間に「ヨオッ!」という掛け声が来るような感覚を覚えたのです。

幸流の乱拍子はその、何かが満ちて来るような何とも言えない空白時間が良いのだと今日改めて思いました。

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私の舞台の時には、見に来てくれたある京大若手OBが「緊張し過ぎて心臓が止まるかと思いました」と言っていましたが、観客にまでそれ程の緊張感を感じさせる「乱拍子」を始め、やはり道成寺は見所満載です。

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そして明後日の別会能本番は、他にも能「景清」、能「熊野膝行三段之舞」など大変豪華な番組なのです。

チケットは残り少ないと思われますが、皆さま宝生能楽堂にお問合せの上、別会能に是非お越しくださいませ。

4年間の成果

今朝私は、夢の中に突然「嵐山」の謡が聞こえて来て、それで目が覚めました。

自分がどこにいるのか一瞬わからなくなったのですが、場所は京大宝生会合宿所2階の「ヤヲハの間」の布団の中であり、よく聴くと「嵐山」は合宿の応援に来てくれた若手OGの声なのでした。

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なおも布団で暫く聞いていたのですが、難しい「渉り拍子」のところなどもきちんと正確に謡っていました。

流石OG、というより「こんなにハイレベルに謡えるのか」と驚くような謡でした。

これは正に4年間みっちり稽古した成果なのです。

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京大宝生会は昔から、卒業しても京都近辺にいる若手OBOGが合宿や普段の稽古に頻繁に来てくれます。

前述のようなハイレベルなOBOG達が現役の稽古を手伝ってくれるというのは、大変有り難いことです。

今回も昨日などは6〜7人もの若手OBOGが合宿に来て鸚鵡返しをしてくれていました。

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OBOGが現役の稽古に顔を出すというのは、場合によっては良くない影響を及ぼす恐れもあり、卒業後は一切現役の稽古には来ない、という学校もあるようです。

しかし京大宝生会に関しては、「クラブの中の事には口を出さず、経済的と技術的な援助だけをする」という不文律があり、現役と若手OBOGがとても良い関係を築いてくれています。

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現役は今回も例えば、「たった2日で舞囃子を一通り稽古して、地謡と合わせる」というような普通考えると不可能な課題に、それぞれ果敢に挑戦してくれました。

彼らもまた4年間みっちり稽古して、その成果を次の世代に還元してくれることでしょう。

今回もまた、実り多い合宿だったと思います。

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最後に昨夜遅くに開催された驚くほどハイレベルな「ピザ大会」の模様を。

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合宿所「喜津袮」

今日は恒例の京大合宿で大原に来ております。

「喜津祢(きつね)」という民宿を合宿所に使い始めたのは、もう25年ほど前になるので今の現役達が生まれる前ということになりますか。

離れの一棟を丸ごと借りられるのが有り難いのと、御飯が美味しいので、他の場所を探す気になれないのです。

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私は一階の6畳×3部屋を使って仕舞の稽古をしております。

謡の稽古は、上回生もしくはOBOGと下回生がペアになって、2階の4部屋(ヤ、ヤア、ヤヲ、ヤヲハの間)と、階段の踊り場や玄関などあらゆるスペースを使っての鸚鵡返しです。

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私が現役の頃の合宿は、暴飲暴食で朝はヘロヘロになって稽古していたのものですが、最近の現役は食べ過ぎず飲み過ぎず、夜更かしもあまりしない非常に健全な人達なのです。

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今日私は朝9時半から夜9時半までキッチリ仕舞の稽古をしました。

流石にもうビールなど飲んで休もうと思っております。

しかし喜津袮の離れでは、この時間(23時)でも何ヶ所かで鸚鵡返しの謡の声が聞こえています。

どこまでも熱心な京大宝生会なのでした。

「小塩」と「雲林院」

今日は朝に東京を発って亀岡稽古に来たのですが、寒の戻りで非常な寒さでした。

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昨日の原木での花見から一転して暖房にあたりながら稽古したのですが、謡の「小塩」を稽古している時に「あれれ?」と思うことがありました。

前シテの老人が「桜の枝」を持って出てくるところです。

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何故そこで「あれれ?」なのか。

「小塩」の前シテは「在原業平」の化身です。

そして同じ業平の化身の前シテが出てくる能に、私がまもなくシテを勤める「雲林院」があります。

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ところが「雲林院」の前シテは、桜の枝を手折ろうとするワキ芦屋公光に向かって、「花を手折るのは誰だ!」と咎めるような言葉を発しながら登場するのです。

シテはその後暫くの間、和歌などを引きながら花を手折ることの罪深さをワキに説いて聞かせます。

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その同じ人格が、「小塩」では自ら桜の枝を手折って出てくるのです。

「あれれ?」というより、「おい!」と突っ込みたくなってしまいました。

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しかし調べてみると、「小塩」は世阿弥の娘婿である禅竹氏信作、「雲林院」は世阿弥の長男の十郎元雅の作なのですね。

作者が違えば主張も違うということなのでしょうか。

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とは言えこの2人は義兄弟の近しい関係です。

お互いの曲も当然よく見知っている筈。

何か確執でもあったのかな…?と勘繰ってみたのですが、資料では2人は良好な関係だったとのこと。

「雲林院」の方が先に作られたようなので、禅竹氏信が敢えて「雲林院」と異なる設定にして、ニヤリとしていたのかもしれません。

或いは、「在原業平」という人物の解釈の仕方に相違があった可能性もあります。

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色々想像すると興味深いのですが、今のところはここまでしかわかりません。

もっと詳しく勉強して、また新しいことが判明したら書いてみたいと思います。

電車2本分の寄り道

私は月に一回、伊豆でも稽古をしております。

稽古場に向かうには、新幹線で三島まで行ってから伊豆箱根鉄道に乗り換えます。

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今日はある目的があって、その伊豆箱根鉄道の「原木」という小さな駅で途中下車をしました。

2本先の電車が来るまでの40分間だけ、短い散歩です。

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「原木」と書いて「ばらき」と読むこの無人駅で最初に途中下車したのは、もう何年も前の夏だったと記憶しています。

窓から見える夏の田んぼの風景が実に懐かしく、ちょっとだけその中を歩いてみたくなったのです。

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次に途中下車した時には、逆方向の西へと歩いてみました。

すると10分ほどで「狩野川」に出て、そこに架かる大きな橋から富士山がとても綺麗に見えました。

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という訳で、特に有名な見所も知らず、全く縁もゆかりもなかった「原木」は、何故か私の季節ごとの短い散歩コースになったのです。

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今日は狩野川方向に歩いたのですが、雨が近づいていて富士山は厚い雲に覆われていました。

しかし河川敷では久しぶりに「雉」の姿を見かけました。

一応写真中央にいるのが雉なのですが、「幻の生物」みたいですね。。

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そして土手には「土筆」が。

更に歩くと、「ぺんぺん草(ナズナ)」の大群落を見つけました。

これだけあると、盛大にシャラシャラして遊びたくなりますが、時間が無いのでまたの機会に。

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いよいよ目的地の近くなのですが、一昨年以来なのでなかなか見つかりません。

周りはありふれた住宅街で、目立つ目印などは無いのです。

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しかし、家々の間からようやく見つけました。

これは隙間から見た姿。

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その家と家の隙間を抜けると、ポッカリと開けた空き地があり、その真正面には…

一昨年の原木散歩中に、この見事な枝垂れ桜を偶然見つけました。

樹高10m弱、枝張りはゆうに10mを超えると思われます。

由来を物語る札なども一切無く、この空き地もおそらく私有地で、もしかしたら見つかると怒られるかもしれません。

しかしこれ程の大きさの枝垂れ桜を、人気の全く無い空き地で一人眺めるというのは何とも贅沢な話です。

暫し息を潜めて、電車の時間ギリギリまで眺め入りました。

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2年前に見たこの桜の姿が忘れられず、しかし去年は時期を逃して悔しい思いをしました。

そして今年、ようやくまた再会出来たという訳なのです。

まだ8分咲きで、蕾もありました。

今週の雨をどうか乗り切って、満開の花を咲かせてほしいものです。

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そして来年もまた春の原木散歩で、この枝垂れ桜に密かに会いに来たいと思います。

舞台ラッシュ

何事にも「波」というものがありますが、やはり私の仕事にも明確に「波」があります。

例えば昨年は、3番あったシテが2月「兼平」、4月「百萬」、7月「半蔀」とほぼ上半期で終わりました。

そしてツレについても、昨年10月22日の宝生会別会にて「安宅」の同行山伏を勤めたのが最後で、なんとそれ以降現在まで、かれこれ5ヶ月も胴着を着ていないのです。

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ところが、来月の頭から夏にかけて、今度は立て続けに役をいただく事になりました。

4月7日:能「正尊」立衆(金剛能楽堂15周年記念)

4月21日:能「雲林院」シテ(七宝会麗春公演)

5月3日:能「巻絹イロエ」ツレ(大本みろく能)

5月18日:能「俊成忠度」俊成(興福寺薪御能)

5月25日:能「夜討曽我」シテ(宝生会夜能)

6月9日:能「熊野膝行三段之舞」ツレ(京都満次郎の会)

と、この半年間何もなかったのが今後2カ月で6番の役をいただいたのです。

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更にまた、まだ詳細未定なのですが、夏には私にとって初めての「薪能」のシテを舞わせていただくお話もあります。

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郁雲会澤風会が無事に終わったタイミングで、今度は自分の役に全力投球出来るのは大変に有り難いことです。

ここから暫くは、自らの舞台に力点を置いて日々を過ごしたいと思います。

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とは言っても、もちろん澤風会の稽古も変わらず頑張って参ります。

会員の皆さまにはどうかよろしくお願いいたします。

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また、皆さま上記の舞台を是非とも見にいらしてくださいませ。

こちらもどうぞよろしくお願い申し上げます。

初花道行

一昨日書きました通り、今日の五雲会は「桜尽くし」の演目でした。

京都北野は「右近の馬場」の桜から始まって、「紫野雲林院」の桜を愛でつつ、最後は「鞍馬山」から天狗と一緒に飛び立って、吉野初瀬の桜まで残らず見物して舞台が終わりました。

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そして宝生能楽堂から外に出ると、時刻は17時過ぎ。

東京ドームホテルの向こうに夕陽が沈んでいきます。

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靖國神社の桜はまた今度にして、とりあえず水道橋交差点からスタートして、外堀通りを神田川に沿って歩いてみることにしました。

水道橋から御茶の水を経て秋葉原までの間には、ソメイヨシノが沢山植わっているのです。

靖國神社の桜は予想通り今日開花したそうですが、外堀通りはどうでしょうか…?

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先ず最初に見つけた桜はこんな感じ。

まだ蕾ですが、夕陽に照らされて今にも花開きそうで、これはこれで美しい姿だと思いました。

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しかし吹く風は冷たくて、この気温ではこの辺りの開花は明日以降かな、と半ば諦めつつ歩いていくと…

御茶の水橋の手前に、先ほどよりも更に膨らんだ蕾を見つけました。

本当に開花直前の状態です。

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そして、聖橋の下をくぐって少し行ったところで遂に…

見つけました。

私にとって今年の初桜です。

今年もこれから全国各地で色んな桜を色んな形で見ることになるでしょう。

その花見の始めが、この桜ということになります。

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しみじみと感じ入っている私の横を、人々は桜に目もくれずに通り過ぎていきます。

「桜が咲いてますよ!」と教えてあげたいとちょっとだけ思いましたが、やはり恥ずかしいのでやめておきました。

暫し一人で眺めた後に満足して、私は坂道を降りて秋葉原へと向かったのでした。

僅か20分ほどの、花見の道行でした。