新歓鴨鍋

京都百万遍交差点近くには昔「富寿司」というお寿司屋さんがありました。

安くて美味しく、学生でもちょっと奮発すれば入れるようなお店で、京大宝生会では春に新入生が入部すると先ずは「富寿司」に行ってお祝いをするのが慣例でした。

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時は流れて「富寿司」は無くなってしまいました。

現在の京大宝生会では…

部長「今日は稽古の後に、新入生歓迎の鍋をしようと思います」

前部長「葵祭が近いので、加茂に掛けて鴨鍋にします。錦市場で鴨肉2.5キロ買って来ました!」

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おお!BOXで新歓鴨鍋ですか。素晴らしいです!

…しかし先ずは稽古です。

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現在6人入部してくれた新入生達は、交代で私の仕舞稽古を受けつつ、先輩とペアでBOX棟の各所に散らばって最初に習う謡「鶴亀」の鸚鵡返しを受けています。

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先輩達の仕舞や舞囃子も含めて、4時間以上みっちり稽古しました。

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その間、優秀な料理人でもある前部長の手により、「鴨鍋」の仕込みが並行して行われていました。

稽古を終えるとすぐに炬燵や折り畳みテーブルがあるだけ並べられ、やがて出来上がった巨大な鍋が運ばれて来ます。

前部長「鴨、ネギ、大根、キノコなど色々入ってます」

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お腹を空かせた15人程が集まり、部長の発声で新歓の喜びの乾杯をして、新歓鍋が始まりました。

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さすが優秀な料理人の手になる鍋、料亭で食べるような上品な味がします。

私「美味しいねこれ!鴨肉の出汁が出ているのかな?」

前部長「いえ、出汁はあご出汁と鰹出汁に、昆布も入れた合わせ出汁です!」

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うーむ、そこまで手間をかけて作ってくれたのですね。美味しいはずです。

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そして鴨鍋を堪能した後には、新入生の自己紹介がありました。

「高校の先輩がいるので入りました!」

「バードウオッチングが趣味です。入学式前の学生証交付の日に歩いていたら、宝生会の先輩に声をかけられました」

「新歓パフェ会が楽しくて、またその時に見せてもらった謡本に興味を持ったのです」

「中高と軟式テニス部でした。高校の時に自分の中で”文化革命”みたいなことが起こって、宝生会に入ったのもその文化革命の一環です」

「弓道部の見学に行く筈が、一緒に行く友達が行けなくなったので、1人で歩いていたら宝生会に声をかけられました」

「高校の時はフェンシング部で、インターハイに出ました。何か新しいことがやりたいと思ってここに来ました」

などなど。

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また、早速6人の仲間の為に「扇袋」を作って来てくれた新入生もいて、早くも打ち解けた雰囲気です。

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今年も個性的な新人を迎えた京大宝生会。

先ずは2週間後の関西宝連を目指して、元気に稽古に励んでまいります。

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関西宝連は5月26日土曜日の朝10時半より、京都河村能舞台にて開催されます。

皆様ぜひお越しくださいませ。

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能「鵜飼」の思い出

今朝のニュースで「長良川の鵜飼が今日から始まる」というのを知りました。

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能にも「鵜飼」という曲があるのは周知の事ですが、私は「鵜飼」という単語にはまた特別な感慨を覚えるのです。

何故なら能「鵜飼」は、私が京大宝生会の指導を引き継いでから初めて学生に教えた能で、大変思い出深い曲だからです。

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もう10数年も前のことです。

当時能「鵜飼」のシテを勤めた金沢出身の部員の実家のお寺で「能合宿」をしたり、また彼がその実家のお寺から「僧衣」を借りて来て稽古用の装束にしたり、金沢の土産物屋で安く買ったいいかげんな能面を彫り直して稽古面に仕立てたり、前シテの持つ「松明」を私が手作りしたり…。

とにかくあらゆる点で試行錯誤を重ねて舞台を作り上げました。

私はまだ内弟子の頃で、型付や囃子の手付を見ながら危なっかしくあしらったりしたものです。

当日の装束付けや楽屋の仕事など、慣れないことばかりでとにかく必死でしたが、その分舞台が成功した時の達成感は格別のものがありました。

またその後数年にわたって出た何番かの能に繋がる「勢い」のようなものが、あの舞台で生まれた気がします。

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その時のシテと地謡のメンバーには、今の若手OBOGの稽古会の中心メンバーが揃っています。

思えばあの時「鵜飼」という一曲の能が成功したことで、私も含めた何人かの人生と、その後の京大宝生会の針路が大きく影響を受けたのだと思います。

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今日の鵜飼のニュースであの時の事を懐かしく思い出しました。

…しかし考えてみれば、私はまだ実際の「鵜飼」を見たことがありません。

当時何人かの部員が宇治川の鵜飼を見に行ったのですが、私は予定が合わなかったのでした。

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今年の鵜飼は今日から10月15日まで行われるそうです。

そして現在では、中秋の名月の日を除けば満月の夜にも鵜飼が行われるとのこと。

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今朝のニュースに気づいたのも何かの御縁。

機会を見つけて、何とか今シーズンに一度鵜飼を見に行きたいものです。

松山城二ノ丸薪能

昨日の青森から今日は遥々と四国松山に移動して「松山城二ノ丸薪能」に出演して参りました。

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今朝の東京は雨でしたが、羽田空港を飛び立つとすぐに雲を突き抜けて青空へ。

「水や空。空行くもまた雲の波…」という八島の謡が頭に浮かんできました。

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松山空港近くには刈入れ間近の麦畑が広がっていました。

昨日の「リラ冷え」から一転して「麦秋」の風景です。

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松山城に到着しました。

信州松本城とは対照的に、高い山の上に立つお城です。

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二ノ丸薪能の舞台です。

見事な石垣を背景に、新緑が溢れて覆い被さってきそうな舞台でした。

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本番まで時間があったので天守閣を見に行くと、松山城を築いた戦国武将で、賤ヶ岳七本槍の1人「加藤嘉明」のゆるキャラ版「よしあきくん」が出迎えてくれました。背後に聳えるのが天守閣です。

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この後本番に突入したので映像はここまでです。

夕方風が強くなって心配したのですが、18時の薪能開始時間になると嘘のように静かになりました。

「伊予の夕凪」と言って、午後6時くらいになると風が止まると地元の方に教えてもらいました。これもまた美しい言葉だと思いました。

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関係者の皆様の御尽力と、「伊予の夕凪」のおかげもあり、薪能は大変素晴らしい舞台になりました。

関係者の皆様どうもありがとうございました。

リラ冷えの朝

昨日今日は季節外れの寒さでした。

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東京も気温が低かったようですが、青森は夜に稽古を終えて外の気温計を見ると7℃。

駅や宿などそこここで暖房が効いていました。

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今朝も宿を出ると冷たい風が強く吹いており、少々震えながら青森駅に向かいました。

すると、青森港横の広場に綺麗な花が咲いています。

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「ライラック」と札に書いてありました。

札幌の花というイメージがあり、実物を見るのは多分初めてです。

「ライラック色」とも言うべきグラデーションのかかった紫の小さな花が、15㎝程の高さに房状に咲いていて、印象に残る姿でした。

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確かライラックは「リラ」とも言い、「リラ冷え」という言葉があったような…と思って調べてみました。

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するとやはり「リラ冷え」とは、北海道においてライラックの花が咲く5月頃に急に寒さが戻る事を意味するそうです。

昨日今日は、北海道のみならず本州でも「リラ冷え」が体感出来た日だったのでしょう。

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上の最初の写真でライラックの右側に白い花が咲いていますが、これは林檎の仲間の「姫林檎」だそうです。

林檎もライラックも、北国に初夏の訪れを告げる花でもあるそうです。

今回の「リラ冷え」が過ぎたら、東北や北海道にも暖かな初夏の陽射しが注ぐように願っております。

旅の本

ある能の舞台になった場所を訪れて、その曲を思い出したり、出来れば謡ったり舞ったりすると、なぜだかちょっと良い気分になります。

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私の場合は、「本」においても似たような傾向があって、ある土地を訪れる時にその土地にゆかりのある本を読むと、密かな喜びを感じてしまうのです。

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と言っても、「名作」や「文豪の作品」などは2ページも保たずに寝てしまう人間なので、くだけた読みやすい本ばかりです。

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先日伊勢神宮に向かう道中では、三浦しをん「神去なあなあ夜話」を読みました。私の故郷でもある三重県の山奥が舞台の本です。

また中央本線で松本に向かう時は、角川文庫「山の霊異記」という甲信越地方の山の怪談話を。

京都への新幹線では、今は森見登美彦「有頂天家族 二代目の帰朝」をお供にしています。

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そして今日は青森稽古に向かう東北新幹線にて、椎名誠さんの「北への旅」という文庫本をパラパラとめくっているのです。

この本は、椎名さんがカメラを持って東北を旅した記録の写真とエッセイ集です。

北の街で出会った人々、お祭り、市場、自然などが沢山の写真と共に、東北への愛情溢れる文章で紹介されている本です。

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今回特に強い印象を受けたのが、JR八戸線の「鮫」という変わった名前の駅で降りて、「種差海岸」という海岸を歩いた時のお話でした。

種差海岸は「日本にまだこんなに美しい海岸があったのか」という程に綺麗な場所だそうで、これはいつの日か必ず「鮫駅」から出発して歩いてみようと心に決めました。

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今日はもう一冊、西木正明さんの「流木」という文庫本もあり、岩手の山奥の話をこれから読もうと思っております。

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…文庫本ばかり読んでいるようですが、能「夜討曽我」と「俊成忠度」の勉強をする合間にちょっとずつ読んでいるのです。念の為…。

五月病と四月病

ゴールデンウィークも明けて、今日から通常稽古モードの松本稽古です。

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先週は使えなかった回数券も今日は無事に使えて、特急あずさの座席にも随分と余裕があります。

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思えば昨年も連休明けは松本稽古で、車窓から「桐の花」が綺麗に見えました。

しかし今年はもうとっくに終わっていて、今日は山梨辺りの葡萄の棚の緑が鮮やかでした。

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途中降り出した雨が、松本駅に到着すると本降りです。

久しぶりに傘の出番でした。

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連休が終わってしまって、しかも雨模様だと何となく気勢が上がりません。

世に「五月病」という言葉がありますが、これはゴールデンウィーク明けの気分を指すのかもしれないと思いました。

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因みに私が京大現役時代には「四月病」という言葉があり、これは2回生以上がかかる病いと言われていました。

「新しい年度がスタートした4月に、柄にもなく真面目に毎日大学に通って授業に出てしまう」という症状で、これが当時の京大では病気とみなされた訳です。

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四月病の時期は、大学周辺の自転車の台数が異常に増えて危ない上に、生協の食堂も混み合って往生します。

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しかしゴールデンウィークが明ける頃にはこの「四月病」はすっかり影を潜めて、京大周辺は平穏な日々を取り戻すのです。

これはつまり私を含めた駄目学生達が、また大学に寄り付かなくなる事を意味します。

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尤も最近の学生はとても真面目なので、年間を通して授業にちゃんと出ているので、この「四月病」という言葉も死語になっているのかもしれませんね。

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名物の「立て看」も規制されるようで、何とは無しの寂しさを感じてしまうのですが、京大周辺を取り巻くのんびりとした自由な空気感だけは、何時迄も無くならないでいてほしいものです。

曽我兄弟ゆかりの里

昨日の古本市で購入した「曽我物語・物語の舞台を歩く」を早速パラパラと読んでみました。

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能「夜討曽我」において、曽我五郎・十郎兄弟は遂に念願の仇討ちを果たしますが、それは建久4年(1193年)5月28日の深夜の事でした。

私が夜能で「夜討曽我」のシテを勤めるのが5月25日。とても近い日どりです。

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本によると、この夜討があった「5月28日」に合わせて、曽我兄弟ゆかりの地では色々な行事が行われるようです。

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JR御殿場線の下曽我駅で降りると、その一帯がその昔「曽我の里」と呼ばれたそうで、曽我氏の菩提寺である「城前寺」があります。

この城前寺で、毎年5月28日に「曽我の傘焼き祭」が行われてきました。

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「傘焼き」とは、曽我兄弟の夜討の時に、兄弟に斬りつけられた人達が火のついた蓑や笠を投げ出して辺りを明るく照らしたというエピソードに因んだ行事だそうです。

前夜祭の27日には奉納謡曲大会も催されるとのこと。きっと「曽我物」シリーズが謡われるのでしょう。

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またJR身延線の入山瀬駅の周辺は古くは「駿河国小林郷」と呼ばれ、実は曽我兄弟が神として祀られている土地なのです。「曽我八幡宮」がその社で、近くには曽我兄弟を供養する「曽我寺」もあります。.この曽我寺を中心にして、5月下旬には「曽我まつり」が行われます。境内にある「曽我兄弟の墓」の前などで供養会があった後、「曽我八幡宮」、「五郎の首洗い井戸」、「虎御前(十郎の恋人)の腰掛石」などを巡る巡回供養があるそうです。.

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ともに5月25日の夜能が終わった後の行事なのが残念ですが、「曽我の里」がある下曽我や、「小林郷」がある入山瀬を、何とか本番までに一度訪ねてみたいと思っております。

古本市

今日はぽっかりと空いた休日でした。

私は時間がたくさんある時には、ゆっくりと古本屋さんに行くのが密かな楽しみです。

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そして古本屋さんよりも更にわくわくするのが「古本市」というものなのです。

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京都では真夏の下鴨神社古本市と秋の百万遍知恩寺の古本市が規模が大きく、度々足を運びます。

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東京ではやはり神田神保町の古本市が一番で、ここは水道橋からも歩ける距離なのでやはり毎年のように通っています。

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今日は東京都内では大きな古本市はありませんが、小規模なものを探して行って参りました。

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探している絶版の本などを色々と物色したのですが、結局買ったのは「曽我物語・物語の舞台を歩く」という本でした。

今は本はアマゾンで検索すれば一発で見つかるのはわかっているのですが、やはり今日のように、たまたま出会った本を買う方が好みです。

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今日買った本で、来たる今月25日の夜能「夜討曽我」の事をまた色々勉強しようと思います。

本郷給水所公園

今日は水道橋宝生能楽堂にて「金春流宗家継承披露能」に出演して参りました。

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出番は宝生和英家元の仕舞「八島」の地謡一番だけで、滞りなく終わりました。

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早くに宝生能楽堂を出たので、少し謡を覚える為に寄り道をすることにしました。

宝生能楽堂横の「宝生坂」は度々ご紹介していますが、その宝生坂を登りきった突き当たりに公園があるのです。

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「本郷給水所公園」です。私は「水道公園」とも呼んでいますが、この公園はとても綺麗に整備されていて、私のお気に入りスポットのひとつです。

「都会のオアシス」という趣きなのです。

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今の時期は薔薇園が満開になっています。

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東京都内ではなく、どこかヨーロッパの庭園にでも行ったような気分になります。

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こんなに綺麗な薔薇園ですが、あまり有名ではないからか、連休中にもかかわらず人はそれ程多くありません。

その辺も大変好ましい公園です。

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薔薇はさすがに西洋風な名前ばかりで、かろうじて見つけた和風の名前の「しろたえ」という薔薇がありました。

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園内には菖蒲園などもあります。

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色々鑑賞しつつベンチで暫し謡本をお浚いしてから、帰路につきました。

皆様も宝生能楽堂にお越しの際は、この公園を覗いてみてはいかがでしょうか。

私がベンチで缶コーヒーを飲みながら、謡本もしくは文庫本など読んでいるかもしれません。

匂いが”聞こえる”

今日は綾部で行われた「大本みろく能」に出演して参りました。

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一年前の今日5月3日のブログにも書いたのですが、半屋外の舞台は今回も大変心地よい風が吹いておりました。

最後の能「巻絹イロエ」のツレを勤めたのですが、舞台の冒頭に常座でツレの謡が始まる頃にちょうど雲が晴れて日が射して来ました。

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ツレは都から熊野へと巻絹を持って向かう道中を、「帝の命令とは荷が重くて、安らぐ暇もないなあ」と嘆いているように謡っていますが、実はその旅を楽しんでいる節もある気がします。

折しも天気が快復して、私の視界の端では爽やかな青空が覗いています。

私は自分が冬晴れの下で熊野灘を望みながら、また苔むした熊野古道を踏みしめながら、どこか浮き立つように歩く心持ちで道行を謡いました。

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熊野に到着したツレは先ず「音無天神」に詣でます。

そこで冬梅の匂いに気がつくのですが、その時の表現が「や、冬梅の匂いが聞こえるな。どこにあるのかな?」というものなのです。

「匂いが聞こえる」というのは実に繊細で優しい表現だと思います。

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音も無く咲いている梅が、「私はここに咲いていますよ…」と小声で囁くように香っているイメージが湧いてきます。

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道行の内容と言い、このツレはとても豊かな感受性を持っている人だと思われて、私の好きなツレの1人なのです。

このツレのような旅がしたいものだなあと思いながら、実際は今日もまた時速200キロの新幹線に乗っての、超高速の東京への道行なのでした。。