古本市

今日はぽっかりと空いた休日でした。

私は時間がたくさんある時には、ゆっくりと古本屋さんに行くのが密かな楽しみです。

.

そして古本屋さんよりも更にわくわくするのが「古本市」というものなのです。

.

.

京都では真夏の下鴨神社古本市と秋の百万遍知恩寺の古本市が規模が大きく、度々足を運びます。

.

東京ではやはり神田神保町の古本市が一番で、ここは水道橋からも歩ける距離なのでやはり毎年のように通っています。

.

今日は東京都内では大きな古本市はありませんが、小規模なものを探して行って参りました。

.

探している絶版の本などを色々と物色したのですが、結局買ったのは「曽我物語・物語の舞台を歩く」という本でした。

今は本はアマゾンで検索すれば一発で見つかるのはわかっているのですが、やはり今日のように、たまたま出会った本を買う方が好みです。

.

今日買った本で、来たる今月25日の夜能「夜討曽我」の事をまた色々勉強しようと思います。

本郷給水所公園

今日は水道橋宝生能楽堂にて「金春流宗家継承披露能」に出演して参りました。

.

出番は宝生和英家元の仕舞「八島」の地謡一番だけで、滞りなく終わりました。

.

早くに宝生能楽堂を出たので、少し謡を覚える為に寄り道をすることにしました。

宝生能楽堂横の「宝生坂」は度々ご紹介していますが、その宝生坂を登りきった突き当たりに公園があるのです。

.

.

「本郷給水所公園」です。私は「水道公園」とも呼んでいますが、この公園はとても綺麗に整備されていて、私のお気に入りスポットのひとつです。

「都会のオアシス」という趣きなのです。

.

今の時期は薔薇園が満開になっています。

.

.

東京都内ではなく、どこかヨーロッパの庭園にでも行ったような気分になります。

.

こんなに綺麗な薔薇園ですが、あまり有名ではないからか、連休中にもかかわらず人はそれ程多くありません。

その辺も大変好ましい公園です。

.

.

薔薇はさすがに西洋風な名前ばかりで、かろうじて見つけた和風の名前の「しろたえ」という薔薇がありました。

.

園内には菖蒲園などもあります。

.

色々鑑賞しつつベンチで暫し謡本をお浚いしてから、帰路につきました。

皆様も宝生能楽堂にお越しの際は、この公園を覗いてみてはいかがでしょうか。

私がベンチで缶コーヒーを飲みながら、謡本もしくは文庫本など読んでいるかもしれません。

匂いが”聞こえる”

今日は綾部で行われた「大本みろく能」に出演して参りました。

.

一年前の今日5月3日のブログにも書いたのですが、半屋外の舞台は今回も大変心地よい風が吹いておりました。

最後の能「巻絹イロエ」のツレを勤めたのですが、舞台の冒頭に常座でツレの謡が始まる頃にちょうど雲が晴れて日が射して来ました。

.

ツレは都から熊野へと巻絹を持って向かう道中を、「帝の命令とは荷が重くて、安らぐ暇もないなあ」と嘆いているように謡っていますが、実はその旅を楽しんでいる節もある気がします。

折しも天気が快復して、私の視界の端では爽やかな青空が覗いています。

私は自分が冬晴れの下で熊野灘を望みながら、また苔むした熊野古道を踏みしめながら、どこか浮き立つように歩く心持ちで道行を謡いました。

.

.

熊野に到着したツレは先ず「音無天神」に詣でます。

そこで冬梅の匂いに気がつくのですが、その時の表現が「や、冬梅の匂いが聞こえるな。どこにあるのかな?」というものなのです。

「匂いが聞こえる」というのは実に繊細で優しい表現だと思います。

.

音も無く咲いている梅が、「私はここに咲いていますよ…」と小声で囁くように香っているイメージが湧いてきます。

.

道行の内容と言い、このツレはとても豊かな感受性を持っている人だと思われて、私の好きなツレの1人なのです。

このツレのような旅がしたいものだなあと思いながら、実際は今日もまた時速200キロの新幹線に乗っての、超高速の東京への道行なのでした。。

夏も近づく…

今日は立春から数えて88日目、つまり「八十八夜」です。

この日に摘まれたお茶を飲むと、長生きするとか。

.

.

私が京大宝生会現役だったはるか昔のこと、毎年八十八夜の頃には小川芳先生に連れられて、数人の部員と宇治茶の老舗を訪れたものです。

あまりにも昔のことで、そこでどんな行事があったのか殆ど思い出せませんが、茶摘みをした記憶は無く、ただとても美味しいお茶を何種類もいただいた覚えはあります。

お茶の葉によって適切な湯温があり、その温度で淹れたお茶は実に美味しいものだとそこで知りました。

.

.

私は普段から稽古場でお茶をいただくことが多いです。

それはとても美味しいのですが、私が本当に心からお茶が美味しいと感じるのは、誰かとのんびり会話をしながらゆっくり飲んでいる時です。

丁寧に淹れられた日本茶を何杯もおかわりしながら、ぽつりぽつりととりとめの無い話をして過ごすのが、実はとても好きな時間なのです。

そんな時間も、相手をしてくれる人もなかなか無いのですが。。

.

.

日本で最初にお茶を栽培したのは、能「春日龍神」のワキでもある「明恵上人」です。

師匠である栄西禅師が中国から持ち帰ったお茶の種を、明恵上人は先ず栂尾で栽培して、その後山城国の宇治に移植したということです。

.

能「春日龍神」においてワキ明恵上人は、春日明神の御神託によって、中国大陸への渡航を断念します。

その中国大陸からもたらされた「お茶」を栽培することは、憧れの大陸に少しでも近づきたいという明恵上人の気持ちの現れだったのでしょうか。

.

.

今しも新幹線の車窓から、静岡の茶畑のこんもりとした畝うねの連なりが見えています。

そういえば昔の新幹線で売っていたお茶は、蓋付容器の熱いお湯に、静岡茶のティーバッグを自分で入れて、暫し待ってから蓋に注いで飲むというものでした。

思えばあれは美味しいお茶でした。

.

こんな風に書いていると、お茶が恋しくなって参りました。

京都駅でお茶を買って、山陰線に乗り換えて明日の舞台のある綾部に向かいたいと思います。

今日は正にお茶を飲みながらの会話のような、とりとめのないお茶の話になりました。

2件のコメント

扇の日

今日から5月がスタートしました。

5月は空気が爽やかで、それ程暑くも寒くもなく、私はとても好きな月です。

.

そして今日5月1日は「扇の日」だそうです。

何故なのかと言うと…

①5月1日→「コイ(恋)」という語呂合わせ。

②恋と言えば「源氏物語」。

③「源氏物語」の恋の駆け引きにおいては、「扇」が重要なアイテムである。

…という驚くべき三段論法で、京都扇子団扇商工協同組合によって制定されたようです。

.

.

制定理由は相当に強引な気がしますが、ともかく「扇」という物には日頃から大変お世話になっております。

これが無いと稽古が不可能なので、私にとっては財布の次に大事なアイテムと言っても過言ではありません。

.

仕舞の稽古では「扇」、謡の稽古では「張り扇」を常に持っています。

また京大宝生会での仕舞稽古は見ているだけの時間も多くありますが、そんな時も扇をずっと手に持って、無意識のうちに開いたり閉じたりを繰り返しています。

とにかく稽古中は手に扇が無いと落ち着かないのです。

.

稽古に使う扇は当然傷みが早く、私の場合は3〜4年で使えなくなってしまいます。

そのような古くなった扇も、何となく捨てられずに押入れに眠っています。数年間を共に過ごした扇には、「家族」「友人」に近いような親しみを感じるのです。

しかしかなりの本数がたまっているので、いつか「扇供養」のような行事に持って行きたいと思っております。

.

.

仕舞においては「扇」一本で実に様々な事物を表現することが出来ます。

「名刀」になり「盾」になり、「筆」になり「牛の角」になり、「天女の羽衣」になり「天狗の羽団扇」になり、「盃」になり「柄杓」になり、「弓」になり「矢」になり、「松明」になり「笠」になり、「風」を吹かせ「波」を立て、また「この世の全てを映す鏡」にもなります。

「恋人との約束の証」が扇であるという曲があり、「ある老武者が自害した場所」が扇で表される曲もあります。

.

書けば書くほど、この日本発祥である「扇」という道具の大切さ、また能楽に於ける用途の広さ深さを再認識させられます。

稽古をされている皆さんは「扇」をどうか大切に、そしてまだ稽古をされていない皆さんは、この素晴らしい「扇」というアイテムの魅力を最大限に引き出す「能楽」の稽古を、「扇の日」をきっかけに始めてみるのも良いかと思います。

.

.

最後にもう一つ、「扇」の使い方を思い出しました。

初対面の人と待ち合わせる場合に、「白地に青い雲の模様の扇を持って立っています」などと言っておいて、扇を開いて立っていれば絶対にすぐに見つけてもらえます。

…相当変人だと思われる恐れはありますが。。

休みの日に働くこと

今日はゆるいお話です。

今朝松本稽古に行こうとして、いつものようにJRの改札機に「あずさ回数券」を入れたところ、何故か「この切符は使用出来ません!」と弾かれてしまいました。

そこでようやく、「ああ、今はゴールデンウィークか…」と思い当たったわけです。

回数券はゴールデンウィークや年末年始などは使用不可なのでした。

.

「こっちはいつもの仕事なのにな。。」と思いながらすごすごと券売機に向かい、正規料金の切符を買いました。

.

能楽師は人様が休みの日に働くことが多い職業で、時にその影響を受けてしまう事があります。

.

.

内弟子の頃には、遠くで薪能などの舞台がある時は大きなワゴン車に装束、作り物、何人かの内弟子を載せて移動するのが常でした。

.

舞台が無事に終わると、疲れた身体に鞭打ってまた全てをワゴン車に積み込んで、「もうひと頑張りだ!」と水道橋を目指して出発します。

しかしそれが連休最終日だったりすると、高速道路であえなく大渋滞に巻き込まれてしまうのでした。。

しかも、周りの車を見回すと殆どが休日帰りで「楽しく遊んで来ました!」という雰囲気を漂わせた車なのです。

.

一方こちらは仕事帰りで疲れて目つきの悪い男達が満載の、何となく「護送車」という雰囲気のワゴン車です。

周りの車を見渡しながら、「あのベンツ、いけ好かないカップルですよ」「くそ、奴らには絶対抜かれるな!」

「あの赤いマーチ、女子4人乗りです」「よし、ちょっと並走して見て」

などと勝手な事を言いながら渋滞の中をゆるゆると走っていきます。

.

こうして書いてみると、それはそれで良い思い出なのですが、当時は「こんな時は高速に”労働車専用レーン”を作ってくれ!」と本気で思ったものです。

.

.

今も松本に向かう「特急あずさ」には、楽しそうな家族連れなどがたくさん乗っています。

それらの「休日客」の喧騒を聞きながら私は「ふう」とため息などついて、せめて車窓から見える甲州路の滴るような新緑に、旅行気分だけでも味わおうと努力してみるのでした。

伊勢神宮の舞女さん

今日は久々に仕事で伊勢神宮に行って参りました。

.

数年前に参拝した時に初めて「神楽」を拝見して深く感銘を受けたのですが、今日は再びその神楽を拝見することが出来ました。

4人の「舞女」さんが舞う「倭舞」も勿論綺麗なのですが、私が特に「これはすごい!」と思ったのは実はその倭舞が始まる前のことでした。

.

「舞女」さんが2人ずつペアになって、三宝などを神前に供えていくのですが、その時の2人の一挙手一投足が実に美しくシンクロしているのです。

.

舞を舞う時には、背後に雅楽が流れています。

4人の動きを合わせるのは、その雅楽のリズムを基準にすれば可能だろうと思います。

.

しかし全くリズムが無い状態で、身長や体格の異なる2人の人間が完璧に同じ歩幅、歩数、タイミングで等距離を、しかも美しく移動するのはかなり困難だと思うのです。

.

我々能楽の世界では、「後見」の動きに似たものがあります。

2人がかりで「一畳台」などの大きな作り物を運ぶ時、笛座と後見座から別々に立ってその作り物に到達するまでの歩幅、歩数、タイミングを見計らって合わせるのです。

.

この「見るともなく横を見て、合わせるともなく合わせる」という技術は、私の場合内弟子で何年か修行してようやくわかって来たものです。

.

ところがまたちょっと調べてみると、伊勢神宮の舞女さん達は高校卒業して間もなく研修期間に入り、半月足らず後には参拝者の前で神楽を披露するそうです。

これには本当に驚きました。

舞女さんの就業期間が僅か5年という特殊状況もあるのでしょうが、恐らく作法や舞の稽古が非常に厳しく、またその稽古への集中力が尋常ではないのでしょう。

.

通常の見方とはかなりかけ離れた所に感銘を受けている私なのですが、あの伊勢神宮の神楽は、出来れば定期的に拝見したいと思っております。

OB会新入生

昨日の京大宝生会稽古は「新入生狂騒曲」という趣きでしたが、一夜明けて今日は京都紫明荘組の稽古でした。

.

ゴールデンウィーク初日で京都の街は人で溢れ返っておりましたが、有り難いことに澤風会稽古場も今日は千客万来で、福井在住の会員さんのおめでた報告があったりして、20人を越える人達がいらして色々賑やかに過ごしました。

.

そしてようやく終わりが見えて来た夕方頃。

私の頭の中では、「今日は来るべき人は全員来られたかな…」とちょっとホッとしていた時に、稽古場の引戸が開くような微かな気配がしたのです。

.

それでも気のせいかな…?と思っていると、入口から静かに顔を覗かせたのは新OBのK君でした。

.

おお、なんと!

確かにK君には先週の七宝会の時に、「28日は澤風会稽古日だから、良かったら来てね」と言っていたのでした。

彼にとってはOBになって澤風会稽古場での最初の稽古になります。

.

京大宝生会は現役の数年間もとても濃密なのですが、なんと卒業しても、同じくらい濃密で楽しい「OBOG期間」が始まってしまうのです。

.

自分のペースで稽古出来て、現役では習えなかった難しい曲を好きなだけ稽古出来ます。

そしてまた連綿と続く「京大宝生OB会」の一員になり、名だたる先輩達の末尾に名を連ねて、もう一度「新入生」の気分を味わうことも出来るのです。

.

今日から新たにOBとして稽古を開始したK君。

これから充実したOB生活を送ってほしいものです。

また同学年で卒業してまだ稽古に来ていない何人かの新OBOGさん達も、どうか時間のある時に稽古に来てほしいと願っております。

嬉しい悲鳴

1週間前の週末、金曜と土曜に1人ずつ新入生が入部してくれた京大宝生会。

今日も稽古に行くと…

.

.

私「おお!また1人入ったの?」

能楽部BOXには、宝生会、観世会、金剛会、狂言会それぞれの使うホワイトボードが設置されていて、そこに入部した新入生の名前を書いていく慣わしです。

そのホワイトボードに4人目の女の子の名前が書いてあったのです。月曜日に入部してくれたそうです。

.

去年は連休前には1人しか入部していなかったので、これは相当なハイペースです。

更に、授業を終えて三々五々BOXにやって来る現役達はすぐに「時計台に新入生呼び込みに行って来ます!」と宝生会のビラを持って飛び出して行きました。

.

最近の新歓では、「授業が終わった時間に本部キャンパスの時計台の下で能楽部の旗を持って立っています」という情報をツイッターなどで流しているそうです。

これは私が現役の頃は勿論無かったことで、新入生集めには非常に有効なやり方のようです。

.

今日も時計台に行った現役達は、暫したつと次々と新入生を連れて戻って来ます。

.

最終的には新入生が12人になって、全員で舞台に上がって型の体験をする有様は正に壮観でした。

そしてそのうちの1人がまた入部してくれたのです。

.

これで男子2人女子3人の計5人の新入部員を迎えたことになります。

.

稽古を終えて晩御飯に行こうとしたら、人数が多過ぎてお店に入れずに、2軒に分かれて食べることになりました。

また現役の稽古時間が長く取れないという事もあり、正に「嬉しい悲鳴」という感じです。

しかしやはり新入生が大勢入ってくれると部内に勢いが生まれます。

.

連休を挟んで、次の稽古に来た時にホワイトボードの新入生欄を見るのが楽しみになって来ました。

1件のコメント

「うりずん」の頃

昨日の雨から一転して、今日は朝から晴れ上がりました。

江古田稽古の行き掛けに「隙間花壇」を通ると、紫陽花の葉がすっかり繁っていて、地面にはオレンジ色の「虞美人草」もたくさん咲いていました。

.

.

沖縄には冬と夏の間に「うりずん」という季節があるのをご存知でしょうか。

「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源とされている言葉です。

沖縄の短い冬が終わって暖かくなり、草花が咲き出して大地を一斉に潤していく3月から4月にかけてが「うりずん」と呼ばれるそうです。

.

今日の東京の陽気は、何となくこの「うりずん」に当たるように思えました。

そして、最近謡でもこのような内容を聞いたような…と思い起こしてみると、思い出しました。

.

能「雲林院」の冒頭でワキ公光が「花の新たに開くる日 初陽潤えり」と春の陽気を謡っているのです。

「花・初・潤」と揃って、これは正に「うりずん」を謡にしたように感じられます。

.

この謡は「和漢朗詠集」にある菅原文時の「春色雨中深」という漢詩が元になっています。

.

少し調べたところ、また大変興味深い事がわかりました。

「うりずん」という言葉が最初に出てくるのは、「おもろさうし 」という沖縄最古の歌謡集です。この「おもろさうし 」が編纂されたのが16〜17世紀頃。

そしてこの頃までには「和漢朗詠集」などの本土の古典が琉球に持ち込まれて、琉球の歌や詩に影響を与えていたそうなのです。

.

ということは、可能性として「春色雨中深」という漢詩の「初陽潤えり」という言葉が「うりずん」の語源になったということも有り得るのです。

あくまでも可能性ですが、ひとつの漢詩が一方で能楽に、もう一方で沖縄の季節を彩る言葉になったとしたら、これも雄大なスケールの話だと思うのです。

.

.

…因みに、私が「うりずん」という言葉に初めて出会ったのは、ダイビングによく行っていた頃のことです。

那覇の安里という所に、その名も”うりずん”という大変素晴らしい沖縄料理屋さんがあって、沖縄に行くと何を置いても通っていたのです。

もう久しく行っていませんが、今でも「うりずん」の頃になると”うりずん”を懐かしく思い出します。