全宝連名古屋大会2日目

昨日はレセプションの後に、京大宝生会現役やOBOG達を中心にして「名古屋名物・台湾ラーメン」なる看板メニューを持つ激辛台湾料理店で二次会をしました。

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メニューには唐辛子マークの数で辛さが表示してあるのですが、ノーマークの「ホイコーロー」と言った普通の料理までも激辛という恐るべきお店でした。

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「名古屋名物・台湾ラーメン イタリアン」という最早複雑過ぎて訳がわからない名前のラーメンが、唐辛子マーク6個の激辛ダントツ1位メニューで、こわごわ1つだけ頼んでみました。

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辛いもの好きを自認する現役部員も、「これは人生で一番辛いラーメンです!」と太鼓判を押してくれた程の辛さで、私は一口食べるのが精一杯でした。

混沌とした激辛二次会を経て、日が変わる頃に解散。

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そして今日は全宝連名古屋大会2日目でした。

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私がややへたばりつつ朝9時半に名古屋能楽堂に到着すると、現役達は爽やかな顔をして既に見所に座っています。

「今朝は名古屋名物のモーニングセットを食べに行きました。小倉トースト美味しかったです」

という部員も何人かいて、いやはやさすがに現役は若いです。。

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2日目のトップバッターは同志社の素謡「加茂」でした。

全宝連最大勢力の同志社がズラズラと舞台に並んでいく様は壮観で、また無本の素謡「加茂」が朝の気怠さを吹き飛ばすようなすごい声量で、聴いていて誠に気持ちが良かったです。

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同志社さんは昨日の終盤の仕舞「鵜飼」も圧倒的な声量の地謡で、「とにかく全力で謡うのだ!」という一番大切なことを、私を含めた見所の学生達に改めて教えてくれました。

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そして2日目の大トリは神戸大学の仕舞「鞍馬天狗」。

去年3人だった部員が一気に8人に増えて、地謡も大変賑やかです。

シテが無事に舞い終えて横板に戻ると、最後は附祝言「五雲」を気合を込めて謡って、きっちりと締めてくれました。

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今年の全宝連も、盛りだくさんな内容で盛会のうちに終了いたしました。

幹事の名古屋の皆様、色々本当にありがとうございました。

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これから1年間また各大学に戻って研鑽を積み、1年後今度は我々の京都に集まって、また熱い舞台が繰り広げられる訳です。

来年の舞台を楽しみにしつつ、名古屋を後にしたのでした。

全宝連名古屋大会

全宝連名古屋大会第1日目が先ほど無事終了いたしました。

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京大宝生会の面々も、全国一広い名古屋能楽堂の舞台を一杯に使って、元気に舞って謡ってくれました。

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今年感じたのが、学生を指導している先生方が沢山いらしていたということでした。

全宝連名誉会長の宝生和英家元をはじめ、地元名古屋の先生、東京や関西から監督にいらした先生方が、10人ほども入れ替わり立ち替わり見所で学生の舞台を見守っておられました。

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また名古屋大会にもかかわらず、京大OBOGも10人近く応援に来てくれました。

更に、「澤田先生、○○の母です。いつもお世話になっております。」

現役達のご家族も、関東や関西から大勢いらしてくださいました。

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学生達と、彼らを取り巻く環境は、数年前よりも明らかに盛り上がって来ています。

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来年はまた全宝連が京都に巡って来ます。

京都大会で全宝連を一層盛り上げたいと思います。

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これからレセプションに行って参りますので、今日はこれにて。

必死の鸚鵡返し

昔私が京大宝生会に入部してから約2ヶ月後の6月に、全宝連東京大会が開催されました。

一回生は仕舞は舞えず、私は素謡だけに参加しました。

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その素謡は「巴」の後半、ワキの待謡から最後まで。

もちろん無本でした。

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4月に入部して、まだ鶴亀しか稽古していない私が、5月に京宝連が終わってからの約1カ月だけの稽古で「巴」を無本で謡わなければならないのです。

稽古は困難を極めましたが、むしろ教える先輩が本当に大変だったと思います。

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結局、記号などは曖昧なまま、丸暗記して何とか謡った記憶があります。

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時は流れて、現代の京大宝生会。

5月に関西宝連が終わった後、私が稽古に行くとBOXの中は新入生と先輩の鸚鵡返しペアで溢れていました。

やはり時代が変わっても、やる事は変わらないのです。

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私「仕舞の稽古の間に、空いている人は外で鸚鵡返ししても良いよ」

現役達「すみません、御言葉に甘えさせていただきます…!」そして新入生を連れてわらわらとBOXを出て行き、やがて外から鸚鵡返しの声がたくさん聴こえてきました。

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今回の素謡は「三山」。

稽古を積んだ人にとっても中々手強い難曲です。

遠くで聞こえる鸚鵡返しも、悪戦苦闘しているのが明らかにわかりました。

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そして今日は、明日に迫った全宝連名古屋大会前の最後の稽古です。

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私は舞囃子だけ稽古しに行ったのですが、帰ろうかと思ったところで「これから三山を合わせて、解散します!」との部長の声が。

それなら聴いてから帰ろうと思いました。

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一回生を含めた今回のフルメンバーが舞台にずらりと並んで、「三山」が始まりました。

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約20分間の無本の素謡。

結論から言うと、声が良く揃っていて一回生の声量も大きく、相当な努力をしたことがわかりました。

あの悪戦苦闘していた鸚鵡返しの成果が、ちゃんと出ていたのです。

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あとは明日の本番を待つばかりです。

舞囃子も仕舞も含めて、今回もまた良い準備が出来たと思います。

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明日は名古屋能楽堂の見所で、皆の努力の結果を目に焼き付けたいと思っております。

全宝連が迫って来ました

今日6月21日は「夏至」、太陽の出ている時間が一番長い日です。

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去年も夏至のことを書いた記憶があり、読み返してみました。

すると去年の今日は大雨で、新幹線が途中で止まって私は6時間ほど閉じ込められたようです。

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今年は幸い豪雨にはならず、4時を過ぎても太陽が高く輝いています。

また今日は新幹線車内もいたって平穏で、無事に座って移動出来ました。

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この夏至の時期はまた、「全宝連」が近づく時期でもあります。

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全宝連-全国宝生流学生能楽連盟自演会は、今年は名古屋で開催されます。

今週末の23日、24日の両日、場所は名古屋能楽堂で朝9時40分始曲です。

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京大の出番は23日土曜日に集中しています。

素謡「三山」、舞囃子「右近」「敦盛」と、仕舞が沢山出ます。

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関西からは同志社、神戸大、京女、甲南女子大、羽衣国際大などが大勢で参加します。

また番組を見ると、地元名古屋の高校生が沢山出演されるようで、こちらも楽しみです。

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京大の舞囃子では、御囃子が普段ほとんどお相手することのない流儀なので稽古が少し大変でした。

また当日午前中に申合で、午後に本番という日程なので、申合からの修正時間が非常に限られています。

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明後日23日は、朝から学生も私も集中して舞台に臨みたいと思います。

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全宝連はまた続報を書かせていただきます。

皆さま、23日、24日はどうか名古屋能楽堂にいらして学生の熱い舞台をご覧くださいませ。

よろしくお願いいたします。

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全国宝生流学生能楽連盟自演会 名古屋大会

6月23日(土)24日(日)於名古屋能楽堂

両日とも朝9時40分始曲

24日午後1時より鑑賞能「俊成忠度」「藤」

なかなか席に座れない…

新幹線にいる時間は、以前も書きましたが私にとっていくつかの大事な意味を持っています。

謡を覚えて、本を読んで、睡眠をとって、このブログも書く、といったことを一番ゆっくり出来るのが新幹線車内なのです。

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しかし、最近は新幹線内も必ずしも安心な場所ではなくなってしまいました。

席に着くと、おかしな様子の人がいないかと思わず辺りを一度見回してしまいます。

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今朝は東北新幹線に乗ったのですが、ホームに上がると私の乗る号車の前に何故かバスガイドのような女性が数人並んで、プラカードを掲げています。

見ると「歓迎○○小学校御一同様」と書いてありました。

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珍しい光景だなと思っていると、やがて新幹線が到着しました。そしてドアから大量の小学生が溢れ出てきたのです。

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結構な人数で、いつまでも小学生の列が途切れません。

ようやく全員が降りて、ホーム上の我々は急いで乗り込みました。

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私は昨日は稽古の後で番組作成作業を遅くまでしていたため、朝の新幹線では少し休みながら移動したいと思っておりました。

やれやれと思って座席につこうとすると、私の座席に何やら茶色い粉が沢山こぼれています。。

「むむ?」と思って少し掬って匂いを嗅ぐと、チョコレートの粉末でした。

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「これはさっきの小学生か…。」

朝からお菓子を車内で食べ散らかすとは。

再びやれやれ…と思い、とりあえず隣に座って車掌さんを待つことにしました。

しかしこんな時に限って車掌さんは全然来てくれず、またこんな時に限って次の駅で隣の席のお客さんが乗って来ました。

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仕方なく車掌さんを探して行って、漸く見つけて一緒に私の座席に戻り、チョコレートを見せました。

車掌さん「すみません、違う席を用意します」

そして新しい席に行ったところ、そこには既にお客さんが座っています。

車掌さん「指定券はお持ちですか?」

お客さん「持っていないです。」そして立ち上がって別の席を探しに行ってしまいました。

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なんだかとても申し訳無い気分になりましたが、こうなった以上座るしかありません。

三度やれやれと思って席につきました。

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なんだかんだで、旅程の半分近くが過ぎてしまいました。

ややぐったりして、それでもやはり一応周りを見渡しておかしな人がいないか確認してから目を閉じました。

あっという間に眠ったらしく、アナウンスで目覚めるとそこはもう雨模様の東京だったのでした。

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明日は今度は東海道新幹線での移動です。

明日こそは普通に座って、平穏な車内生活を送りたいものです。。

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今日は愚痴のような内容で申し訳ございませんが、これにて失礼いたします。

街を沸かせたW杯

4年に一度のサッカーW杯が始まっています。

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今夜はいよいよ日本代表が登場しますが、私はその時間まだ稽古中だと思われるので、後でニュースでハイライトを見たいと思います。

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W杯は能楽とは全く関わりがありませんが、個人的に能楽の仕事絡みでひとつだけ思い出に残っている出来事があります。

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2002年6月7日、日韓W杯の予選リーグ、札幌ドームで行われたアルゼンチン対イングランドの試合。

この2チームの対戦は、「因縁の対決」と言われた予選リーグ最大の好カードでした。

(ちなみに1986年メキシコW杯の同カードでは、ディエゴ・マラドーナの伝説的な「神の手ゴール」と「5人抜きゴール」が生まれています)

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そしてその2002年6月7日、私は内弟子として「新潟能」という催しに出演しておりました。

夜にあった舞台が無事に終わり、内弟子達は車に乗り込んで窓を開けて走り出しました。

やがて新潟市街に差し掛かった時。

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街全体から一瞬、「オーッ!」という大きなどよめきがはっきりと聞こえたのです。

本当に街の底から湧き上がって来たようなすごい歓声でした。

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「今のはなんだろう?」と誰かが言って、「そうだ!アルゼンチン対イングランドがやっている時間だよ」と助手席の内弟子がカーラジオをつけました。

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ラジオのサッカーはひたすら騒々しく、しばらくはプレーの内容がわかりませんでした。

しかしどうやらイングランドの"ワンダーボーイ”マイケル・オーウェンが抜け出して、ペナルティーエリア内でDFと一対一になってシュートを放ったという決定的なシーンがあったようです。

それが先ほど新潟市街を沸かせた歓声の瞬間だったのです。

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それまで「街全体」という規模で発せられる人間の声など聞いたことがありませんでした。

W杯開催国の盛り上がりとは、ここまでのものなのかと大変驚きました。

そして世界の名だたる選手達が、今この瞬間にも日本で戦っているのだと、何やら感慨深い気持ちになりました。

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私はサッカーに関しては全く詳しくありませんが、何故か昔から日本代表の試合だけは気になってしまいます。

京大時代に先輩の家で「ドーハの悲劇」の試合をテレビ観戦した時のあの悔しさが、今でも忘れられないからかもしれません。

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今回も、色々難しい状況と聞きながらも、日本代表の健闘を心の底から祈っているのです。

今朝のこと

今朝は伊豆の大仁稽古に行くために、朝自宅を出て三ノ輪駅に向かいました。

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朝8時前の地下鉄日比谷線はいつものことながら物凄い混雑で、最初の一本には乗れずにホームで呆然と見送りました。

次の電車には必ず乗らなければと思ったところで、携帯が震えてニュース速報が入って来ました。

「地震発生 大阪北部で震度6弱」

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身体の真ん中がスッと寒くなるようなとても嫌な感覚を覚えました。

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しかしとにかく次の電車にねじ込むように乗って、東京駅を目指しました。

東京駅に到着して新幹線改札が見えたところで、もう異変に気がつきました。

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改札前は黒山の人だかりで、マイクを持った駅員が、大阪での地震の影響で新幹線は運転見合せと説明しています。

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携帯には次々と情報が入って来ました。

「強い揺れを観測したのは、高槻、茨木、枚方、山崎など…」

どこも私にとって一番身近で大切な人達がいて、大事な香里能楽堂や、稽古場である宝寺のある地名です。

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東京駅に停滞している自分を本当にもどかしく思いながら、何人かの人にメールで安否を問いました。

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結局しばらく待っても東海道新幹線は動く気配を見せず、伊豆の稽古は延期になってしまいました。

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そして夜からは仙台稽古の予定だったので、今度は東北新幹線に乗って移動を始めました。

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何人かの知人からは無事だったというメールが返って来て少しホッとしたのですが、並行して現地の被害状況もわかって来て、これは大変な災害だと思いました。

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しかし、東日本大震災の時もそうでしたが、結局私には直接出来ることは何も無く、ただ行ける稽古場があればそこに行って、頑張って稽古をすることしか出来ないのでした。

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仙台には無事に到着して、夕方から先ほどまで稽古をしました。

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今も大阪や京都や神戸の人達が、そして私の大切な知人達も、余震の心配などをしながら過ごしているかと思うと、いたたまれない気持ちになります。

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どうか被害が広がらないように心から祈りつつ、私は明日もまた別の場所に移動して、私に出来る唯一の事、稽古をしようと思います。

能「項羽」の虞美人草

今日は熱海のMOA能楽堂にて、新作仕舞「覇王」と能「項羽」の地謡を勤めて参りました。

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昨日の五雲会の能「杜若」では、舞台の上に杜若の花が出て来ないと書きました。

私にとってはその方が、自分なりの杜若を自由に想像出来て心地が良いとも。

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しかし、それとは逆の主張をする能もあるのですね。

能「項羽」では、ワキ草刈が色とりどりの花を肩に担いで舞台に登場します。

そして前シテ項羽の化身の老人が、その花々の中から真紅の「虞美人草」を一本引き抜いて、その花を手に虞氏の思い出を語るのです。

老人の手の中にある真っ赤な虞美人草は、ちょっと艶めかしいような強烈な存在感を放っていました。

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また曲の後半では、虞氏の霊がツレとして登場し、実際に高櫓から身を投げて虚しくなる型をします。

そして後シテ項羽の霊もそれを追って高櫓に上がり、虞氏が飛び降りた後を鉾で浚って探す型をするのです。

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このような写実的な描写をする能も、「世阿弥作」となっているのが実に面白いと思います。

昨日「杜若」の良さを書いたばかりでなんなのですが、「項羽」のような曲もわかりやすくて良いなと思ってしまいました。

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尤も、滅多に出ない曲の地謡でしたので、舞台で謡っている間はそんなことを考える余裕は一切ありませんでしたが。。

自分だけの感覚

今日は宝生能楽堂の五雲会にて能「杜若」の地謡を勤めました。

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「杜若」という曲も以前書いた「桜川」のように、舞台の上には杜若の花は一切出て来ません。

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ここで話は唐突に変わってしまいますが、私は昔から時たま不思議な感覚に襲われることがあります。

例えば青空を見て綺麗だと思った時に、「しかしこの’青’という色は、他の人にも自分と同じように見えているのだろうか?」と考えてしまうのです。

自分以外の全ての人が、全然違う色を’青’と認識しているとしたら、などと思うと、何となく頼りない気持ちになってしまいます。

或いは、カレーを食べて美味しいと思った時なども同様で、「この味は本当にみんな自分と同じように認識しているのかな?」と己の感覚に不安を覚えてしまったりするのです。

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しかしまたここで能「杜若」に立ち返ってみると、元々舞台上に杜若が無い以上、上に書いたような心配は全く無い訳です。

誰にも見えない杜若を自分だけのイメージで自由に想像すれば良いので、そこに他の人との五感の共有は必要無いのです。

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私は能舞台に上がると、緊張感と並行して言いしれぬ安心感と開放感を覚えてしまいます。

これは他人を全く気にせずに、自分の感覚だけでその空間に存在できるということから来る感覚なのかもしれないと、今日の能「杜若」の序之舞の間にぼんやりと考えていたのでした。

紫明荘組稽古 点描

今日は朝に京都に移動して、紫明荘組の稽古でした。

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若手OG「実は京都市内に就職が決まりまして。これからずっと稽古出来ると思いますので、よろしくお願いします。」

おお!それはめでたいです。

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新OB「こんにちは。今日からよろしくお願いします。」

おお!こちらは卒業後初めて、紫明荘組稽古に顔を出してくれました。

力強い戦力がまた増えたことになります。

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また、1年ほどお休みだった会員さんも…「先生、1年間ご無沙汰してすみませんでした。今日からまたよろしくお願いします。」

と元気なお顔を見せてくださいました。

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再来週には京大宝生OB会の全国大会が開催されますが、その舞台に紫明荘組からゲスト出演する会員さん達も、仕舞の最後の仕上げに入りました。

その中でも植田竜二先輩に捧げる「融」の仕舞が、とても良い仕上がりになってきました。

会員さん「植田さん、融見たら笑わないですかね?」

私「きっとニコニコ満足そうに見ていらっしゃいますよ。」

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そして更に先の、秋の澤風会に向けても。

初めて能を出される方、初めて舞囃子に挑戦する方、初めて荒い仕舞を稽古している方など、それぞれが着実に歩みを進めておられました。

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新人からベテランまで、今日もとても充実した紫明荘組稽古が出来て、満足して夜の京大稽古に向かったのでした。