番組作り

「番組作り」というのは、中々に手間のかかる作業です。

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今、ある大きな催しの番組作りを手掛けているのですが、その作業が佳境に入りました。

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数百人の参加者と、40人程の能楽師のそれぞれの予定を考慮しつつ、能、舞囃子、仕舞、素謡、連吟、独吟の膨大な量の番組を組んでいきます。

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本番の番組が一通り出来上がったら、今度は申合の番組作り。

こちらも細かい時間の希望などを可能な限り反映させて作っていきます。

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明日いっぱいで何とか本番、申合ともに完成させねばなりません。

という訳で、短いですが今日はこれにて失礼いたします。

日本代表のメンタリティ

昨夜というか今朝早く、ワールドカップの日本対ベルギー戦を観ました。

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終わって呆然としつつ眠りにつき、午後からの稽古のために目覚めると、やはりニュースは日本代表のことで持ちきりでした。

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いくつか読んだ中で特に心を動かされたニュースが2つありました。

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ひとつ目は本田圭佑選手のインタビューです。

「このワールドカップが終わったら人生が終わると仮定してみた。その場合、自分はどんな覚悟をして、周囲とどんな会話をしていくかを考えて行動した。」というような内容でした。

ワールドカップという究極の大会で、更に人生がそこで終わってしまうという精神的極限状況に自分を置いてみる。

本田選手ならではの壮絶なメンタリティだと思います。

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ある舞台に臨む時に、そこで人生が終わると仮定して準備したことがあるかと自問してみました。

道成寺の時は、本当にその危険性はありましたが、逆に「怪我はしても死ぬことまではあるまい」と考えていた記憶があります。

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今後大事な舞台に臨む時には、この本田圭佑選手の言葉を思い出してみたいと思いました。

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ふたつめは、ロッカールームの話です。

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ベルギーに惜敗してワールドカップを去った日本代表。

そのロッカールームを掃除しに行った大会関係者が見たのは、すでに綺麗に掃除されたロッカールームと、「スパシーバ」と書かれたメモ、そして日本代表のチームカラーの青い折り鶴だったそうなのです。

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今朝のあの歴史に残る激闘を終えた日本代表が、非常な悔しさの中で、ロッカールームを掃除する人のことまで気遣って行動していたとは。

こちらも驚くべきメンタリティだと思います。

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あのような状況で「後から掃除する人のことを考える」というのは、「想像力」が余程豊かでないと出来ないことです。

そしてそういう「誰かのことを思い遣る想像力」とは、我々能楽の世界においても最も大切なことのひとつなのです。

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日本代表のワールドカップは今回は終わってしまいました。

しかし私を含めて多くの人々が、日本代表に大切なことを色々と教えてもらった気がしております。

地震の影響は…

今日は朝から大山崎稽古でした。

あの6月18日の地震以来の稽古です。

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JR山崎駅を出ると、すぐ前に千利休が建てたという国宝のお茶室「待庵」がありますが、この待庵の壁に地震でひびが入ったと聞いておりました。

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たしかに今朝9時半頃に山崎駅に到着すると、待庵の脇にはすでに作業車が止まっていて、職人さんが何人か待庵に出入りしていました。

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稽古場の宝積寺は大丈夫だっただろうかと心配しながら、いつもの急坂を登って行きました。

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山門に到着すると、仁王様がいつものようにギョロリとした目でお元気に(?)辺りを睨みつけておられます。

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秀吉が一夜で建立したという三重の塔や、本堂の様子も全く変わらず、まずは一安心いたしました。

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稽古場の会員さん達もほとんど被害は無かったようですが、「昨日もまた揺れたね〜」と話しておられて、まだまだ油断は出来ないようでした。

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大山崎稽古を終えて、午後から今度は6月18日の地震の影響で行けなかった伊豆大仁の稽古に向かいました。

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私「先日は地震で来れなくてすみませんでした」

大仁の会員さん「いえいえ。しかしこちらも南海トラフが怖いですよ。。」

確かに、南海トラフ地震はいつ起こってもおかしくないと言われています。

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会員さん「でも結局、怖がってばかりいたら何も出来ないですからね。」

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そうですね。

私も毎日のように東海道を行ったり来たりしているので、地震に遭う可能性はかなり高めだと思います。

しかしこの日本に住んでいる以上、絶対に地震に遭わない土地など存在しないとも言えるのです。

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ナーバスになり過ぎるのもある意味で地震の悪影響かと思いますので、覚悟はしつつもあまり怖がらずに移動生活を続けていこうと思っております。

永平寺の修行僧

京大宝生OB会全国大会では、2日目には観光をするのが慣わしです。

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私は例年は観光は失礼して帰るのですが、今年の福井大会ではある大事な目的があって、最初の永平寺だけどうしても行きたかったのです。

今朝福井駅前から、OBの皆さんと一緒に貸し切りバスに乗り込みました。

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実はこの春に卒業した京大宝生会新OBのTくんが、今まさに永平寺で修行をしているのです。

彼が卒業する頃は私がバタバタしていて、結局顔を合わせられずに彼は入山してしまいました。

何とか今日一目会って、ひとこと激励の言葉をかけたいと思ったのです。

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しかし厳格な修行で有名な永平寺です。

事前に我々が行く日程だけは伝わっていましたが、Tくんに会えるかは行ってみないとわからないという状況でした。

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OB会一行20数名が永平寺に到着すると、若い修行僧がひとりやって来ました。

「今日は私が皆さまをご案内させていただきます。よろしくお願いいたします。」

そして彼が広大な永平寺を案内してくれたのです。

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まるで迷宮のような廊下と階段とお堂を巡りながら、修行僧さんと少しずつ話をしました。

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すると、なんと彼は偶然にもこの春Tくんと全く同じ日に永平寺に入った、同期の修行僧だったのです。

度々メモ書きを見たりしながら、一生懸命に説明してくれる真面目な姿は、Tくんに重なるものがありました。

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面白かったのは、食事を作る部署がある「大庫院」での説明です。

「ご飯は意外に美味しいのです」とのことで、メニューをいくつか教えてくれたのですが、「カレー」「麻婆豆腐」などもあるそうなのです。

また「カシューナッツご飯というのが美味しくて、人気メニューです。」

精進料理といっても、私のイメージよりもかなりバリエーションに富んだもののようでした。

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折しも山門楼上の「羅漢堂」で御勤めが始まるようで、急角度な階段を沢山の修行僧が登っていきました。

あの中にTくんもいるようです。

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しかしOB会一行の永平寺における予定時間をすでに過ぎており、ついに彼に会えずに出発しないといけないか…と半ば諦めかけた時。

案内の修行僧さんが、「あと5分お待ちいただければ、Tさんを連れて参りますが」と言ってくれたのです。

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もちろん我々は5分待つことにしました。

そして…

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「皆さんいらしていただいて有り難うございます」と合掌しながら、僧衣のTくんがやって来てくれたのです。

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実はひと月ほど前に永平寺で彼に会ったという若手OBから、やつれてしんどそうな様子だったと聞いて心配していました。

しかし今回会った彼は意外に、というほど元気そうで、顔色も良くやつれた様子は全くありませんでした。

どうやら入山して3ヶ月経って、ようやく少し慣れてきたということのようでした。

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しかし私の内弟子生活も大概しんどいものでしたが、それと比べるのもおこがましい程の実に厳しい修行生活です。

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夜は10時頃就寝、朝は3時半起床だそうです。

布団は寝袋状に身体に巻いて、右半身を下にして寝る、ということまで決まっているとか。(御釈迦様の涅槃像と同じ格好です)

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Tくん「皆さん是非お手紙をくださいませ。お手紙を読むと、今日もまた頑張ろうと思えるのです。」

携帯などもちろん無い永平寺の修行生活では、「手紙」が唯一の下界と繋がる手段なのです。

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筆不精な私ですが、何とか彼に手紙を書いてみようと思いながら永平寺を後にしたのでした。

福井に初めて来た日

あるひとつの街に、生涯で一番最初に訪れた日というのは、まず覚えていないものです。

しかし私は、「福井」という街に初めて来た日を正確に言う事が出来るのです。

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それは1992年4月25日のことでした。

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その日私は福井県立能楽堂での中学生鑑賞能の手伝いで、小川芳先生と一緒に京都から電車で福井駅に到着しました。

小川先生は、「お昼を食べてから能楽堂に行きましょう」と仰って、お蕎麦屋さんに連れて行ってくださいました。

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グルメの小川先生のこと、ただのお蕎麦屋さんではあるまいと思ったら、やはりそこは福井名物”おろし蕎麦”の名店でした。

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初めて食べる”おろし蕎麦”の美味しさに感動していると、ふいにお店のテレビから「歌手の尾崎豊さんが急死しました」との声が。

「尾崎豊」の歌は、私の世代の青春のシンボルでした。

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「おろし蕎麦美味しい!」という気持ちと、「尾崎豊死んでしまったのか!」という衝撃と、そんな私の動揺を何も知らずに目の前で美味しそうにお蕎麦を食べていらっしゃる小川先生と…。

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そんな思い出とともに、尾崎豊の命日「1992年4月25日」は、福井に初めて来た日として私の中に記憶されているのです。

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あれから幾星霜、今日は福井で「京大宝生会OB会全国大会」が開催されました。

OB会は盛会のうちに終わったのですが、実はまだ明日もOB会絡みの重要な予定があるのです。

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この続きはまた明日書かせていただきます。

今日はこれにて。

2件のコメント

亀岡の花々〜梅雨から夏へ〜

今日は亀岡稽古だったので、午前中に東京を出ました。

大荷物で汗をかきながら新幹線に乗り込んで、やれやれと扇子で涼をとりつつ携帯のニュースを見ると、「関東甲信で梅雨明け宣言」との文字が。

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今週の晴れ間は梅雨の合間のものかと思っていたら、もう夏が来ていたのですね。

しかし亀岡に到着すると、雨が時折パラつく空模様で、関西はまだまだ梅雨の雰囲気でした。

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稽古場では、まず去年の7月上旬の「亀岡の花々」に載せた「半夏生(はんげしょう)」の葉が、もう白くなっていました。

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やはり今年は季節の進み方が早いのでしょうか。

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次に目に付いたのは、下の花でした。

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南天の花です。

南天は「難を転ずる」に通じる名前で縁起が良い木だそうで、江戸時代には火災避けとして玄関先によく植えられたそうです。

そういえば門の脇に植えてある南天をよく見かける気がしますが、あれは火災避けの意味があったのですね。

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次に変わった実を見つけました。

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この植物は「相思子様人参(そうししようにんじん)」という舌を噛みそうな名前でした。

「相思豆」という豆の種子の様な実がなる人参、というのがこの複雑な名前の由来だそうです。

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また、去年は最後の一花を見た記憶がある絶滅危惧種の「オグラセンノウ」が、今年はちょうど盛りでした。

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ナデシコの仲間の可憐な花です。

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ホタルブクロにちょっと似ている花が咲いていました。

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これは「麝香草」という名前で、振ると麝香の香りがするのが名前の由来…

の筈なのですが、実はそんなに強い香りはしないそうです。

なんだかややこしいです。。

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今回は、ちょっと名前のわからない面白い花も咲いていました。

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黄色と白の風車のような花です。

どなたか名前がわかったら教えてくださいませ。

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そして何枚か写真を撮っているうちに、辺りが暗くなって来ました。

やがてバケツをひっくり返したような土砂降りの雨が。

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写真では伝わりませんが、ゴーッという音がする程の凄い降りでした。

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本当に亀岡はまだまだ梅雨だと感じました。

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1週間後もまた稽古に来るので、その時は梅雨明けしているかもしれないですね。

今日はこれにて。

日焼けしていた頃

今日は江古田稽古でした。

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午前11時頃に家を出ると、駅までの僅かな間に面白いように汗が吹き出してきます。

思えば昨日は、番組作成作業で一日中エアコンを効かせた室内にいたのでした。

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今日のこの暑さは5月頃の爽やかな暑さではなく、梅雨を経て湿気をたっぷりと含んだ、本格的な日本の夏の暑さです。

軟弱な私は、江古田駅から稽古場までの僅かな距離でまた汗だくになり、「あぢ〜」と呻きながらヨロヨロと稽古場に到着して、すかさずエアコンで涼んだのでした。

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夕方頃に、稽古を始めたばかりの小学生の男の子がやって来ました。

一目見て「おお!黒いな〜!」と驚きました。

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ちょっと見ないうちに、日焼けして完璧に小麦色になっていたのです。

「テニスと野球で焼けました!」とのことでした。

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思えば私が最後に小麦色に日焼けしたのは、高校の陸上部の頃でしょうか。

夏の部活では、走る我々が水道の前を通過する度にマネジャーがホースで盛大に水をかけてくれました。

また、練習の後に水泳部の友達に頼み込んで、プールに飛び込ませてもらったこともありました。

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暑い最中の練習はキツいものでしたが、あのホースの水とプールは大変に気分の良いものでした。

汗かきの私も、陸上部の練習ならば盛大に汗をかけるのがいっそ心地よかったものです。

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ああいったことは、もう二度とやらないだろうな…としみじみ思いながら、小麦色の男の子の稽古をしました。

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夜まで稽古してから外に出ると、意外に涼しい風が通っていてホッとしました。

そして夜空に浮かぶ満月を見ながら、「たまにはお日様の下で運動して、盛大に汗でもかきたいな…」などと思いつつ帰途についたのです。

喉休め

今日は朝から番組作成作業に忙殺されておりました。

7月にある大きな催しの番組作りを私が担当しているのです。

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家から一歩も出ずにひたすらPCに向かい合うという作業は、通常の私ならば大変なストレスなのですが、今回は良い面もありました。

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喉を全く使わずに1日を過ごせたのです。

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実は先週末から2日間の全宝連名古屋大会では、私は珍しく「謡」というものを一句も謡わずに2日間を過ごせました。これは本当に久々のことでした。

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ひと月前から続いた喉の不調は、私自身かつて無い長さのもので若干の不安を感じておりました。

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しかし、全宝連での2日間の「喉休め」を経て昨日小田原で能「黒塚」を謡ってみると、喉の調子がほぼ通常通りに回復しておりました。

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これでまた今日1日「喉休め」が出来ましたので、どうやらこの先は本調子に戻っていけそうです。

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皆さまには色々とご心配をおかけいたしました。

小田原巡回公演

今月半ばに長野県の小学校をまわる3日間の巡回公演に参加しました。

今日はその同じ巡回公演の企画で、日帰りで小田原市の小学校に行って参りました。

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曲目は長野県の時と同じ能「黒塚」。

シテは家元で、私は今回は地謡を勤めました。

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朝に東京駅をバスで出発して、11時頃に小田原の小学校に到着して体育館に入りました。

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体育館には当然ながら長野県の時と全く同じ舞台が設えてあります。

たった2週間前のことですが、何か懐かしさを感じながら黒塚の作り物「枠かせ輪」を作りました。

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今日は梅雨とは思えない良い天気で、朝から気温もぐんぐん上がり、公演が始まる午後には体育館内は30℃くらいになりました。

生徒さんたちも暑かったと思いますが、公演の最初から最後までお行儀良く鑑賞してくれました。

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公演後に何人かの生徒さんが感想を言ってくれました。

「私はバレエを習っています。能とバレエの動きはかなり違いますが、背筋を伸ばして、指先まで神経を使うという点は似ていると思いました。」

と言うように、非常に深い視点から見てくれた人もいて、感心いたしました。

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上半期の巡回公演は今日で一段落。

下半期はまた秋から始まります。

私もまた何度か参加しますので、子供達の中に能楽が良い記憶として残るように、次回以降も頑張りたいと思います。

銀河のワールドカップ

普段ならまず読まないと思われる本でも、時期によって読んでみたくなる事があります。

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集英社文庫 川端裕人著「銀河のワールドカップ」もそんな本です。

少し前に古本屋で購入して、ワールドカップが始まったら読もうと思っていたのです。

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とは言っても、この本はワールドカップそのものの話ではなく、「小学生サッカー」を描いているのです。

「なんだ、子供の話か」と思われるでしょうが、決して侮ってはいけません。

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キャラの立った癖のある子供達が次々に登場します。

それぞれジダンやロナウジーニョ、マラドーナやクライフと言った名選手達になぞらえられていて、その試合描写には思わず日本代表の試合を見ているような熱さを感じてしまいます。

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そしてまた、この物語の主人公は「コーチ」なのです。

元Jリーガーで、過去の出来事で一度はサッカーから遠ざかったコーチが、子供達と共に再び自分の場所を取り戻していくのです。

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ある試合で、コーチ率いるチームは強敵と激突して苦しめられます。

しかしコーチは苦闘する子供達の姿を見て、「”本物の瞬間”というのがピッチ上にあるとしたら、それはこういう試合で顔を出す」のだと思います。

そしてその”本物の瞬間”の中にいる子供達に、嫉妬のような羨ましさを感じてしまうのです。

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このシーンを読んで、私はつい一昨日の全宝連を思いました。

学生達は、自分の曲や仲間の地謡、また全体の素謡を何ヶ月もかけて色々苦しみながら稽古して、ようやく完成させたものをたった一度の本番で完全燃焼させます。

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“本物の瞬間”というのが舞台上にあるとしたら、それは正に全宝連のような舞台で顔を出すのでしょう。

それを体感出来るのは、苦しい稽古を共有してきた現役部員のみです。

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私もその舞台を見て、「銀河のワールドカップ」のコーチのような”羨ましさ”を感じていたのだとわかりました。

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ワールドカップはまだまだ続き、私の読んでいる「銀河のワールドカップ」もまだ半分程が残っています。

今は松本稽古に向かう特急あずさでパラパラとめくって楽しんでいるところです。

日本代表の活躍と並行して続きを読んで、さらに熱くなりたいと思います。