また台風が…

今日は紫明荘組の稽古日でした。

7月初めには豪雨で一度稽古を中止しており、今月からは欠かさずにやりたいと思っていたのですが、また台風とぶつかってしまいました。。

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台風20号の接近は夕方以降という予報なので、何とかそれまでは少しでも稽古したいという内容のメールを会員さん達にお送りしました。

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稽古を開始した13時頃には、晴れ間の見えた状態から急に強く降り出すというような不安定な空模様でした。

しかし結局5人の会員さんが来てくださり、短時間で高密度の稽古をいたしました。

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15時半には解散して、私は少し待って16時に店仕舞いして稽古場を出ました。

幸いにまだ13時頃と変わらない天気で、傘を使わずに近鉄まで行けました。

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京都からの新幹線も全く平常運転で、暫くは台風らしさの感じられない車窓風景でした。

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しかし台風から遠く離れたはずの名古屋あたりから、俄かに強い雨が降り出しました。

非常に強い台風なので、離れた場所への影響も大きいようです。

やはり早めに移動開始しておいて良かったのだと思います。

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近畿や中国地方もこれから雨風共に強くなるはずです。

どうか皆様くれぐれもお気をつけてお過ごしください。

昨日一昨日とお世話になった岡山と広島の皆様が本当に気掛かりです。

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新幹線は外が見えづらい程の豪雨の中、浜名湖付近を通過中です。

吉備津神社の鳴釜神事

今日は3回目の岡山子供能楽教室の日でした。

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いつものように吉備津神社に到着すると、吉備津造りの本殿の前には無数の赤蜻蛉が飛び交っています。

先週は大粒の雨が降る社殿の写真を載せましたが、今週は強烈な残暑の日差しと赤蜻蛉の群舞です。

吉備津神社は来る度に違う顔を見せてくれる所なのです。

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今回私は、「鳴釜神事」を体験しようと思っておりました。

御釜殿の中にある大きな釜を焚いた時に鳴る音で、吉凶を占うという神事です。

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事前に聞いた情報として、

「この鳴釜神事は必ず当たるので、心して願い事を考えていくべし」とか、

「団体で行っても、全員同じように聴こえるとは限らず、1人だけ聴こえない場合もある」

とか、他にもかなりリアルな体験談があり、

「全然鳴らなかったらどうしよう…」と心配になってしまいました。。

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しかし折角吉備津神社に何度も訪れるこの機会に、やはり鳴釜神事を体験しない手はないと腹をくくり、社務所で祈祷料を払ってまずは「祈祷殿」で御祈祷を受けました。

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私の他に、母娘とおぼしき2人が御祈祷を受けていました。

彼女達は毎年のように鳴釜神事を訪れているベテランで、御祈祷の後に「御釜殿」まで道案内をしてくれました。

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長い長い回廊を通って御釜殿に向かいます。

母娘は、「来る度に違う音に聴こえるのです。」「前から聴こえたり後ろから聴こえたり、床から湧き上がるように聴こえることもあります。」などなど、色々体験談を話してくれました。

「でも、全然鳴らないことは一度も無かったので、きっと今日も鳴りますよ。」と心配そうな私を励ましてくれました。

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ドキドキしながら御釜殿に入り、暫し釜が焚かれるのを見て時間を過ごします。

10分程して、「阿曽女」と呼ばれる巫女さんと、祝詞を奏上する神職の方がいらっしゃいました。

阿曽女さんが鳴釜神事の簡単な説明をしてくださいます。

「天気の具合などで、どうしてか幾らやっても鳴らないことがあります。」と聞き、またまた心配になってしまいました。。

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いよいよ祝詞が始まり、同時に阿曽女さんが大釜に載った蒸籠の上で、玄米の入った笊を振り始めました。

ここからどのくらいで釜が鳴り出すのだろうか…

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と思った瞬間。

玄米の笊はまだ僅か3回程しか振られていなかったと思います。

出し抜けに「ボォーッ!」というような太く大きな音が聴こえてきたのです。

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私の横にいた母娘も思わずビクッと顔を起こしてしまう程の、腹に響くような大迫力の音が長く長く鳴り続けました。

ややして音は少し落ち着いた調子になり、祝詞も終わって鳴釜神事は無事終了しました。

阿曽女さんは釜から離れて、「直会です」と言って我々の所に来て玄米の粒をいくつかくださいました。

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そしてそれを食べようとした瞬間。

もう阿曽女さんがいない釜から、控えめながら再び「ボォーッ」という音が!

また母娘と一緒にビクッとしてしまいました。

「あら、今日はよく鳴りますわね。」と阿曽女さんは平然とされているので、まあ普通にあることのようです。

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しかし、正直ここまで大きくはっきり聴こえるとは驚きました。

何を祈願したのかは言わぬが花ですが、ちゃんと聴こえて安堵いたしました。

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御祈祷の効果か、子供能楽教室もとても順調に進みました。

仕舞も謡も前回より格段に良くなっていて、これは各々がこの1週間でちゃんとおさらいをして来てくれたのだと嬉しくなりました。

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いよいよ来週は、拝殿で神様に向けて謡と仕舞を奉納する本番があります。

今年吉備津神社に参るのもあと1回になりました。

なんだか既に少し寂しい気分なのです。

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いつもの松並木を通って、吉備津駅へと向かいました。

松の影が、青海波ならぬ緑の海に映ってそよいでいました。

東広島こども園能楽教室

今日は東広島のこども園にて能楽教室をして参りました。

私がまだ小学生で、渡辺三郎先生に稽古を受けていた頃にお世話になった方が経営されているこども園です。

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新幹線こだまで東広島駅に到着して早々にびっくりしました。

新幹線ホームに人が溢れているのです。そして改札に向かう階段も大勢の人で埋まっていて、殆ど動きません。

「これは何か特別に混む日に当たってしまったのだろうか…」と思いました。私は度々そのようなことがあるのです。

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しかしそれは見当違いでした。

7月初めのあの豪雨による土砂崩れで、東広島の交通が甚大な被害を受けたのはニュースで見ていました。

それがまだまだ復旧しておらず、広島などから来る人や、東広島からどこかへ行く人は皆新幹線を使うしかない状況だそうなのです。

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ようやく新幹線東広島駅前の広場に出ると、今度はバス乗り場に並ぶ長蛇の列が。

これは本当に大変なことだと思いました。

もっと大きな問題として取り上げて、一日も早く復興出来るようにする方法は無いのでしょうか…。炎天下でバスを待つ人々はとても疲れているように見えました。

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私は園長先生に車でお送りいただいて、豪雨の爪痕を其処彼処に見ながらこども園へ。

到着して、子供の人数と年齢を詳しく伺いました。

そこで今日2度目のびっくりが。

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「子供達は、下は1歳から上は小学校高学年までいます。合計120人です。」

1歳…!

幼稚園での能楽教室は何度もやっていますが、さすがに1歳の子供に能楽を教えた経験はありません。

どうするか、うーむと考えました。

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とりあえず、年齢で2グループに分けてもらいました。

1〜4歳チーム約40人。

5歳以上チーム約80人。

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能楽教室は、先に1〜4歳チームから始めることにしました。

この子達は、何を知っていて何がわからないのだろうか…。

①「正座して挨拶」、②「左は太陽、右は水」、③「5つまでの数」この3つの説明から能楽教室をスタートしました。

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幸いに集中力があり理解も早い子供達で、摺り足や型の体験にちゃんと付いてきてくれました。

能面を見ても怖がらずに興味津々で、仕舞もお行儀よく見てくれました。

30分程の教室を無事に終えて、休憩を挟んで5歳以上チームのスタートです。

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こちらは普段通りの内容で良いので気が楽でした。

むしろサービスで内容を増やして、岡山で教えている「四海波」の謡や、猩々の仕舞まで稽古してしまいました。

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ちょっと長過ぎるかな?と思いましたが、やはり集中力を切らすことなく1時間程の教室を熱心に体験してくれました。

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1歳の子供に能楽がどう感じられたのか、聞く術もありません。

しかし願わくば、潜在記憶のどこかに残っていてくれたら良いと思います。

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園長先生のお嬢さんは、少しの間だけ私のように渡辺三郎先生に仕舞を習っていたことがあります。

今日私の仕舞「猩々」を見て、驚くことがあったそうです。

「園の運動会でのダンスを作った時に、無意識のうちに仕舞の動きを取り入れていたことに、猩々を見て気がつきました!」

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やはり潜在記憶は大人になっても残っているのです。心強く感じました。

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もし次の機会があれば、1歳児向けの稽古の研究もしてから臨みたいと思います。

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亀岡の花々〜秋の気配と鷺草〜

今日は久しぶりの亀岡稽古でした。

亀山城址のお濠は一面浮草に覆われていました。

能「草紙洗」で小野小町の詠んだ「まかなくに 何を種とて 浮草の 波のうねうね 生い茂るらむ」という歌が思い浮かびます。

あの歌は夏の歌でしたが、稽古場の亀山城址には、既に秋の気配を感じさせる草花もいくつか咲いていました。

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アザミにちょっと似た花を見つけました。

調べると、大陸原産の「ヒゴタイ」という花のようです。

なんとなくですが、井上陽水の歌に出て来る「夏が過ぎ風あざみ…」の”風あざみ”とはこの花かもしれないと思いました。

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そして秋の七草のひとつ「女郎花」

シジミチョウの仲間が蜜を吸っていました。

流石に種類の特定は無理でした。どなたか蝶に詳しい方がいらしたら教えてくださいませ。

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鈴虫が鳴く頃に咲くという「鈴虫花」

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さらに、こんな花も見つけました。

小さな花火が一斉に開いているように見えます。これは「うどの花」でした。

「それは八月末の 空の花火みたいに…」と今度はサザンの歌が思い浮かびました。

今日は何故か色んな歌が頭に浮かぶ日なのです。

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そして更に歩いていくと、ハッと目につく印象的な花が咲いていました。

ヒガンバナの仲間だというこの花は、その名も「きつねのかみそり」と言うそうです。

その姿同様に印象に残る名前です。

近い種に「むじなのかみそり」というのもあるそうで、こちらも気になります。

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最後に鉢植えが沢山並ぶ一角に行ったところで、今日一番驚く光景を目にしました。

一目でわかる「鷺草」が沢山咲いていたのです。

一羽一羽はせいぜい3〜4cmくらいの小さな鷺ですが、本当に群れて飛んでいるように見えて驚きました。

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この鷺草は、野生種は既に絶滅危惧種になっているようですが、その理由がとても悲しいものです。

野生の鷺草を見て、あまりに綺麗なので掘り返して持って行く人が多く、それが絶滅の大きな要因になっているというのです。

しかも持ち帰っても育てるのは殆ど不可能で、すぐに枯れてしまうそうです。

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美し過ぎる故に、それを自分の物にしたい人が沢山現れて、結局花の命を縮めてしまう。

何かお伽話にありそうな構図です。

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東京の世田谷には、薄幸のお姫様と鷺草に纏わる悲しい伝説があるそうで、調べるほどに鷺草の可憐な姿はどこか儚く見えてくるのでした。

今日はこの辺で失礼いたします。

フジバカマや萩など、次の季節の花々もしっかりと成長して、まるで切戸口で出番を待っているかのようでした。

流儀を超えて

昨日の「琥珀の会」に向けた稽古では、主に京大の能楽部OBOGが集まりました。

琥珀の会のように舞囃子がメインの会では、宝生会も観世会も金剛会も狂言会も一緒の舞台に立つことが出来ます。

例えば舞囃子「龍田」は、シテと地謡…宝生会。大鼓…観世(ブレーメン公演メンバー)、小鼓…観世会。太鼓…金剛会。笛…狂言会。

と言った具合です。

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初めて会う人もいたので全員自己紹介をしてもらうと、一番多いのは宝生会OBOGでしたが観世会の人も4人いて、金剛会、狂言会が一人ずつ。

それぞれの囃子方としての初舞台の話など聞いて盛り上がりました。

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また今回の稽古では、お囃子の流儀も大鼓が葛野流と石井流、小鼓は幸流と大倉流がいたので、流儀の違いを比較することなども出来ました。

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一昨年ブレーメンに行ったメンバー「ブレーメン能楽隊」が核になって始まった稽古会が、こうして徐々に人数を増やし、また流儀を超えた広がりを見せて、色んな囃子が出来る人が増えて来たのは大変喜ばしいことだと思います。

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今後ますます賑やかに、そして根底には京大宝生会の持つ「適度な緩さ」を維持しつつ、楽しく厳しく稽古会を続けていけたらと願っております。

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今回世話人として尽力してくれているメンバーに心より感謝したいと思います。

「琥珀の会」本番までどうかよろしくお願いします。

案山子に見守られて

今年の12月8日に、京大能楽部OBOGを中心にした大規模な稽古会を行います。

今日はその会に出るメンバーが集まっての稽古を、長野で敢行しました。

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長野駅前に集合して、送迎バスに乗り込みます。

私は「15分くらいで到着するのかな。」と思っていたのですが、宿に到着するまでに小一時間かかりました。

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先日の岡山よりも更に懐かしい感じの田園風景がどこまでも広がっています。

やけに案山子の多い土地で、上のようなスタンダードなタイプ。

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コウモリ型。

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猫型。

などなど、案山子の展示会のようでした。

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宿に併設の体育館を稽古場として使うことになっていました。

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こういった稽古に慣れている人ばかりが15人ほど集まっているので、準備はあっという間に進みます。

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椅子、バケツ、卓球台、平均台(?)などを使って、忽ちに舞台が設えられて、厳しい稽古を日暮れまで続けました。

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この12月の稽古会は、まだまだこれから番組も増えていきそうです。

会の名前も先ほど発表されて、「琥珀の会」と名付けられたようです。

琥珀のように、最初は柔らかな樹脂がやがて固まって熟成されて、美しい宝石のようになることを願っての命名です。

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第1回琥珀の会、また続報をお届けいたします。

本当に琥珀のように良い会に育っていくと良いと思います。

ゆいの森あらかわ〜前半戦のリセット〜

よく人に「お休みはあるのですか?」

と聞かれます。

まとまった休みは一年を通じて全くとれないのですが、実は昨日と今日は珍しく連休でした。

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昨日はゆっくり寝て、溜まっていた雑用を色々済ませているだけで1日過ぎてしまいました。

そして今日、満を持して私は「何もせずにボーッとする」ために家を出たのです。

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誰に何と言われようと、私は無目的にブラブラ歩いて、見つけた気持ち良い場所で缶コーヒーなど飲みながら文庫本を広げて過ごす時間が一番好きなのです。

しかも広げた本よりも、辺りの景色や空などを眺めている時間が大半だったりします。

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先ほど外に出て驚きました。

乾いた風が強く吹いて気温も低く、空は高く晴れて、今年始めて「秋」を感じたのです。

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非常に快適な気分で、さてどの方向に歩き出そうかと考えました。

以前から気になっていた、「ゆいの森あらかわ」という近所の新しい図書館がふと思い浮かびました。

ホールや「吉村昭記念文学館」などが併設された複合施設で、沢木耕太郎さんが東北新幹線の車内誌にここの事を書いておられたのを思い出したのです。

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家から15分ほど歩くと「ゆいの森あらかわ」に到着しました。

真新しい綺麗な外観です。ちょっと無機質な感じもしますが、中に入ると…

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広いフロアに様々なタイプの椅子や机が並んでいます。

本の置き方も自由な感じで、とてもユニークで楽しい読書スペースでした。

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2階に上がると「吉村昭記念文学館」があります。

中には吉村昭さんの書斎が復元されており、椅子に座って文豪気分を味わうことも出来ました。

吉村昭さんの本は羆を描いたものを2冊読んだだけなのですが、東日暮里出身だとは全く知りませんでした。

よく見ると左隅に六角凧があります。吉村さんは凧が大好きだったようです。しかも更によくよく見ると、「曽我五郎」を描いた凧でした。

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さてその後、色々な本棚などを眺めながら

段々と上にあがり、最上階5階にある”森のテラス”に出ました。

このテラスは、沢山の植物が植えられていて空が広く、さながら”空中庭園”の趣きです。

風が通る椅子に座って、しばし文庫本を読んでボーッとしました。

至福の時間でした。

ちなみに文庫本は、高野秀行「謎の独立国家ソマリランド」。

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ゆいの森あらかわは、都電荒川線のすぐ横にあります。

帰りにちょうど都電が通りました。

この踏切の向こうには、これまた私の好きな御近所スポット「荒川自然公園」があります。

こちらもそのうちにご紹介したいと思います。

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今日は能楽と全く関わらない1日でした。

明日からはまた稽古と舞台を頑張って参ります。

前半戦のリセットのような1日でした。

再び吉備津神社へ〜後編〜

吉備津神社の子供能楽教室では、比較的小さな子供と、年上の子供を2グループに分けて稽古しています。

前半の1時間が小さな子供チーム、後半1時間が年上チームの稽古時間です。

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先週の稽古の様子を聞いたところ、小さな子供チームは集中力の維持が中々難しく、特に謡(高砂の”四海波”)で相当苦労したようです。

そこで私は稽古形態を工夫することにしました。

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これは柏の幼稚園能楽教室で経験したことなのですが、「小さな子供は一瞬でも間延びした時間があるとすぐに集中力が切れる」のです。

これを打開するには、「同じことを長くするより、短い時間で区切って次々に違うことをする」のが経験上良い方法と思われました。

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今回の場合、集まった小さな子供チームに「最初は仕舞から始めます。」と言って仕舞「猩々」の稽古を始めました。

先週「猩々」の前半を稽古したと聞いていたので、後半に出てくる新しい型を先ずいくつか予習したのです。

そして5〜6分稽古したところで、あっさりと「はい、仕舞は一旦終了です!」

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間髪入れずに「はい座ってください!謡の稽古します。」

謡は、昨晩製作した秘密のテキストを持参していました。

これを使うと誰でも簡単に「四海波」が必ず謡える、という我ながら良い出来栄えのテキストです。

このテキストを手に、謡の稽古をこれも5〜6分。

そして「はい!謡も一旦ここまでです!立って仕舞の稽古しま〜す!」

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大人相手にこのやり方だと、立ったり座ったりですぐに疲れてしまうでしょう。

しかし子供の体力は無尽蔵です。

くるくると入れ替わる仕舞と謡の稽古に、何の抵抗も無くついてきてくれました。

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仕舞、謡、仕舞、謡…と4セットほど繰り返すと、仕舞「猩々」と謡「四海波」が一通り完成しました。

ここで年上チームが到着して、四海波テキストを手に合同で一度だけ稽古したら小さな子供チームは今日は解散。

再来週の本番までになんとかなりそうな見通しが立ちました。

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次に年上チームです。

こちらは先週の稽古情報で「恥ずかしがって中々謡の声が出ない」とのことでした。

これは普段稽古している澤風会でも経験していることで、大人になるほど大きな声を出す事に抵抗感を覚えるものです。

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こんな時に無理に大声を出させると、逆に抵抗感が強くなって、最悪謡が嫌いになってしまう恐れもあります。

ここは決して焦らずに、「まあ声は出せる範囲で良いよ」などと言って、精神的負荷を軽くするようにしました。

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そして仕舞「羽衣」の稽古では、巫女舞の経験者に「巫女舞ではどんな手の握り方をするの?」とか、「構えはどうするの?」などと逆に教えてもらったりしたのです。

実は今回私は、「巫女舞のやり方を仕舞の稽古に反映出来ないか」ということを考えていました。

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結果的には、彼女たちが巫女舞を舞ったのはもう何年も前の事で、詳細には覚えていないようでした。

目論見はちょっと外れてしまいましたが、仕舞「羽衣」に関しては、やはり同じ「舞」の経験があるだけあって非常にスムーズに進みました。

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稽古をスマホで撮影しても良いと言うと、2台のスマホを使って、友達の仕舞を前と横から同時に撮影し出したので驚きました。

どうやら何らかのアプリで画像をシェアするようです。

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仕舞の筋の良さを褒めつつ、やはり短い時間で謡と交互に稽古を進めると、徐々に謡の声も出てきた気がしました。

謡も最後に「四海波」を一通りスマホに録音してもらって、1時間の稽古を終えました。

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今回は本番での達成感と同時に、「謡も仕舞も稽古が楽しかった!良い経験になった!」と子供達に思って欲しいのです。

来週の稽古と再来週の本番、私の経験と知力体力を総動員して、何とか良い稽古と舞台にしたいと思います。

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帰りは大粒の雨が降ってきました。

蒸せるような湿気の中を、松並木を通って吉備津駅へ。

帰りの桃太郎線は普通の車両が来ました。

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画面右に写っている男性が変な人で、ホームの小さな待合室で大声で「君が代」を歌ったりしていました。

皆怖くて見て見ぬ振りをしていたのですが、何故か私に向かって「そこのあなた!安全靴、はいてますかぁ⁉️」と大声で聞いてきたのです。

「はあ…?」という顔をすると、「安全でない時に履くのが安全靴。わかりますかぁ⁉️」

とりあえず「はあ…。」というと、何やら満足したようで、親指をビシッと立てて車両に乗り込んでいきました。

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なんだか不思議な終わり方をした、今回の吉備津行きでした。

来週は一体どんなことが起こるのか、またブログでご報告したいと思います。

再び吉備津神社へ〜前編〜

今日は岡山の吉備津神社での子供能楽教室の日です。

先週水曜日は松本城薪能だったので、私は2週間ぶりに吉備津神社に向かいました。

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岡山駅で「桃太郎線」に乗り換えようとホームで待っていると…。

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すごい車両が到着しました。「桃太郎スペシャルラッピングカー」という趣きです。

秋葉原で同じような自動車を見たことがあります。。

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車内の吊り広告もこんな感じです。

爽やか美少年の桃太郎対…

鬼。

鬼がまたイケメンで、金棒型の刀を持っています。強そうです。

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吉備津駅に到着しました。

車両側面はこんな感じ。

流石に犬、猿、雉はイケメンではありませんでした。

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吉備津駅の全景。

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ホームにあるのは小さな待合室だけです。

売店や自販機などは全くありません。

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駅から松並木を通って吉備津神社へ。

曇っているので、前回よりも暑さが控えめで助かりました。

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松並木の横は田圃となだらかな山々。

実に長閑な日本の原風景です。

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吉備津神社の前にあるお土産屋さんの名前も「桃太郎」。

そしてそこに入って食べたお蕎麦が…

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「桃太郎そば」。徹底して桃太郎です。

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写真上の方に見える丸くて黄色っぽいお餅が「きびだんご」でした。

食べると柔らかな食感で甘さは無く、少しキビらしい風味がして美味しかったです。

他に山菜、わかめ、蒲鉾、ツミレ、きのこ、鶏肉、卵、などなどが入った豪華なお蕎麦でした。

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しっかりとお昼を食べて、いよいよ神社へ。

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美しい造りの社殿を横に見て、社務所に向かいます。

さあ、今日はどんな能楽教室になりますか。

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能楽教室の模様は、また明日書かせていただきたいと思います。

クメールの彫像

一昨日の日曜日に、ほんのすこしだけ京都下鴨神社の古本市に行って来ました。

森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」にも登場する京都三大古本市のひとつです。

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昼前に行ったのですが、あまりの暑さにざっと一周しただけで30分程で挫折して引き上げてしまいました。。

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しかし、何も買わなかった訳ではありません。

ふと目についた「クメールの彫像」という本を一冊だけ素早く購入したのです。

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6〜13世紀頃のカンボジアの神仏像の写真と、その解説が書いてある、A5サイズ程の薄手の本です。

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私は当然ながら古代カンボジア宗教美術に関する知識など全く持ち合わせておりません。

しかし、パラパラと頁をめくって、いにしえのクメール王朝時代のヴィシュヌ神やハリハラ神、シヴァ神などの美しい彫像達を見ていると、想像力が強く刺激されます。

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古代インドの神々はインドシナ半島に伝わって、やがてアンコールワットやアンコールトムとほぼ同時期に、これらの彫像になったのです。

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そしてまたそれらの神々は同時進行で日本にも渡って、能楽に多く登場する神様や仏様になったはずなのです。

そこにどんな人々が介在して、如何なるドラマが繰り広げられたのだろうか…。

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能「春日龍神」など何曲かのいわゆる「龍神もの」のシテの元になった「ナーガ神」の像もありました。

これらの彫像は能に出て来る神仏とはかなり印象が異なるのですが、何か血の繋がった遠い親戚を見ているような気持ちにもなりました。

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今日は久しぶりの休日だったので、家から一歩も出ずにこの本をのんびりと眺めて、遥か昔のインドの神々の旅路に想いを馳せたのでした。