女装、男装…

今日9月9日は重陽の節句の日でした。

水道橋宝生能楽堂では月並能が開催され、私は能「井筒」の後見を勤めて参りました。

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「井筒」の後シテは、紀有恒の娘が在原業平の形見の衣と冠を身に纏った姿で登場します。

何度見ても美しい姿だなあと思いながら後見座から見ていたのですが、そこで何やら妙な既視感を感じました。。

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よくよく思い出してみると、それは一昨日夜のことでした。

京大能楽部BOX棟の横にある”吉田寮”では、いつもの如く何やら怪しげなお祭りが開かれていました。

大量の材木を組み合わせて、本格的な二階建の出店が寮食堂前に出現しており、カレー屋やチャイ屋やバーなどなど、実に魅力的な異世界空間が展開されていました。

誰かが「リアル森見登美彦の世界だ」と言っていたそうですが、全くその通りに見えました。

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このような魅惑的な祭りには、ついつい吸い寄せられてしまいます。

京大宝生会の何人かと、祭りを覗きながら吉田寮方向に歩いて行きました。

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その時に吉田寮の玄関から、何人かの大学生がぞろぞろと出て来たのですが、これが皆何故か女装した男子学生だったのです。。

女装してはいますが、顔は普通のむさ苦しい男子なので、思わず「おえ〜っ」と声を上げてしまいました。

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男装の女性は美しく見えるのに、逆は何故あんなに不快に感じるのだろうか…。

あの一昨日のセーラー服男子は実に不気味であった…。

と井筒の美しい序之舞を見ながらぼんやりと考えたところで、「しかし自分も舞台の上では頻繁に女装しているな…」と気付いて、「うーむ」となってしまいました。。

時間が足りない!

今日は紫明荘組の稽古でした。

京阪電車光善寺駅の近くにある、楽寿荘という広い施設を何部屋か借りてのちょっと規模の大きな稽古です。

10月7日に開催の澤風会京都大会に向けての特訓、というのが一番の目的でした。

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午前11時から午後6時まで、舞の部屋と謡の部屋を行き来しながらノンストップで稽古したのですが、結局時間が足りなくなってしまいました。。

能小袖曽我、舞囃子草紙洗、玉葛、忠度に加えて仕舞がたくさんと、素謡や、松本澤風会での居囃子や独調まで稽古したら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

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仕方なく、最後の2人の京大宝生OBOGは京都駅に移動して、眺望テラスの一角で仕舞の稽古という事になってしまいました。

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先ほど何とか終えて、東京に向かう新幹線に乗った途端に意識が途切れて爆睡してしまったようです。

そして、なんと夢の中でブログのことを考えていて、「今日はこのネタにしよう!」と決めて、無事に書き終えて満足したところでハッと目が覚めました。

残念なことに、書いたブログの内容は全く覚えておりませんでした。。

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新幹線は間もなく品川にさしかかるところです。

今日はこの辺で。

宗家継承10周年

昨日の夜は水道橋宝生能楽堂にて、宝生和英家元の宗家継承10周年の記念行事が行われました。

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20代前半の若さで、亡くなられた先代の跡を継いで宗家になられてから10年。

御苦労の連続だったと思います。

宝生流のみならず、能楽界全体が高齢化などで危機的状況を迎えている中で、しかし若い和英家元はひたすらに前向きでした。

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希曲大曲を次々と演じて伝統を受け継いでいかれる一方で、能楽以外の様々な業種の人々と積極的に交流されました。

宝塚俳優やアニメ声優を起用した朗読劇など、この10年で新しい舞台の可能性を広げて、また若い世代を意識した企画を多く立ち上げられました。

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この10年間の新進的な試みは、和英家元と共に成長してきた20代30代の若手能楽師達に自然に浸透しているように見えます。

この先彼ら若手能楽師が、家元の思想を汲みつつそれぞれ自分で動くようになれば、新たな能楽の可能性が更に広がっていくことと思います。

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そして、継承10周年を迎えてもまだ30代前半という若さの和英家元です。

ご自身の可能性もまだ無限大にあるお年だと思います。

今のまま真っ直ぐに前向きにあと数十年進んでいかれたら、大変な功績を挙げて能楽の歴史に名を残す家元になられるのは間違いないと思います。

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この家元と同時代に生きられる幸せを感じつつ、微力ながら家元のために働かせていただきたいと存じます。

秋の院展を見て参りました

今日の昼間に、上野の東京都美術館で開催中の「院展」を見に行って参りました。

田町稽古場の会員さんが毎回出展されていて、チケットをいただけるのです。

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もうおそらく5回目くらいになる院展なので、大分様子がわかってきました。

好みの画風、というほどの審美眼は全く持ち合わせておりません。

しかし、「何となく良いな…」という絵の前に立ち、しばしボーッとその絵の世界に浸るのは大変心地よいものです。

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今回は、「顔」を描いた作品で何点か印象的なものがありました。

ひとつは、お祭りの大きな御輿に群がる100人以上の人々を、上空から見下ろした構図の作品でした。

その1人ひとりを、非常に細かな表情や感情まで余さずに描いてあるのです。

ちょっと喧嘩になりかけている人や、気張った顔で御輿を担ぐ人、離れた場所で上を向いて大笑いしている人などなど…。

長く見ていても飽きない絵でした。

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次は、鷹匠を描いた作品。

これは鷹を手に載せた鷹匠が一匹の猟犬を従えて草原に立っている構図です。

この”鷹”と”鷹匠”と”猟犬”が、全く同じ方向を強い視線で凝視しているのです。

その見つめる先は絵には描かれておりません。獲物がいるのでしょうか。

そして不思議なことなのですが、鷹と人間と犬という異なる生き物にもかかわらず、三者が同じ気配を纏っているのです。

このように感じさせられる絵は、おそらく初めて見た気がします。何故かしばらくの間、この絵の前から動けませんでした。

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もうひとつの作品は、”鵺”を描いた絵でした。

私のこの夏の思い出にも残っている”鵺”。

しかしこの作品は実に奇妙な絵でした。

弓矢を構える武者のような存在が極彩色に描いてあるのはわかるのですが、よくよく見ても手足や身体の場所が非常に曖昧なのです。

特に”顔”が何処にあるのか、いくら見てもわかりません。

実に「鵺的」で、得体の知れない絵なのですが、これがまた不思議な引力を持っており、何度も絵から離れようとしては、「もう少し見たら顔が描いてあるのがわかるかも知れない…」と思って引き返してしまうのです。

ちょっと怖い絵だったのかもしれません。

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そして田町の会員さんの絵は、やはり蔓草と曼珠沙華と向日葵を描いたシリーズのひとつでした。

しかし今回は、絵の一画に森と暗い空が描かれていました。

題名の”秋雷”の稲妻は描かれていないのですが、遠く「ゴロゴロ…」と響く雷の音が聞こえるようでした。

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見てきた絵のことを文章にするというのは、なんだか自分の見た夢の話を人にするようで頼りない気持ちになります。

院展は東京都美術館にて9月17日まで開催されているので、可能な方は是非見に行っていただき、私の見た絵や、ご自身の好みの絵の世界に浸っていただくのが一番だと思います。

昨日の台風の被害

今日は予定していた稽古がキャンセルになり、ぽっかりと空いた1日になりました。

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なので、先延ばしにしてしまっていた京都澤風会の番組を作ろうと、”ゆいの森あらかわ”に向かいました。(家では作業出来ない人間なのです…)

外は台風一過の晴天でしたが、風はまだ時折強く吹いていて、テラスに出ると本を読むのにちょっと苦労するほどでした。(番組作りは…?)

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風に吹かれながら、今回の台風21号の恐ろしさを改めて思い返しました。

昨日の午前中のこと。

京大宝生会と私は、仁和寺駅から嵐電に乗って北野白梅町へ移動しました。

北野天満宮に素早く参詣後、まだ動いていた市バス203に乗り、烏丸今出川で私は京大宝生会と別れて下車。

それから速やかに地下鉄烏丸線で京都駅へ向かいました。

新幹線ホームに上がると、ちょうど11時5分発の”のぞみ”が定刻にやって来たところでした。

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乗り込んでホッとしたのも束の間、車内アナウンスが。

「米原地区強風の為、ただ今より運転を見合わせます」

なんと…これは暫く待って動かなければ、降りて京都市内で台風の通過を待つか…、と覚悟しました。

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幸いに間もなく「強風がおさまったので、発車いたします。」とアナウンスが流れて、のぞみは京都駅を出発しました。

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名古屋まではノンストップで到着し、風雨も少し落ち着いたように見えました。

しかし静岡県に入った辺りから再び嵐になり、窓外が雨の飛沫で全く見えない状態になりました。かつてこれ程の状態は見た覚えがありません。

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いつ止まるか、徐行運転になるか…とハラハラしながら、見えない車窓を見ていたのですが、不思議に新幹線は止まることなく新横浜に無事に到着しました。

そして更に品川駅に無事滑り込んだところで、私は「やれやれ、ここまで来れば安心」と、ホッとため息をつきました。

ところがまたその瞬間にアナウンスが。

「東海道新幹線はただ今より、上下線とも運転を見合わせます。再開には相当な時間がかかる見込みです。」

なんと…

しかし品川ならば在来線が通っています。他の乗客と共に下車して、山手線に乗り換えて無事に帰宅出来たのでした。

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そして帰宅後のニュースや様々な映像で、京阪神の惨状を知りました。

我々がつい午前中に参詣した北野天満宮や仁和寺が、倒木などで大変な被害を受けています。

また嵐山渡月橋や、下鴨神社も。

更にはつい先ほど新幹線に乗ったばかりの京都駅の天井が崩落して、怪我人が何人も出るという信じられないニュースも見ました。

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大阪や神戸は、高潮や猛烈な風で更に大きな打撃を受けていました。

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京都の知人達はとりあえず大丈夫そうですが、大阪神戸の方々が本当に心配です。

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今回の台風で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、また未だ続く停電や交通障害などの1日も早い復旧を併せてお祈りいたします。

経政能合宿

京大宝生会では、過去能が出る度に「能合宿」を行なって来ました。

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基本的にその能の舞台になった場所の近くで稽古をして、可能ならばその場所でゲリラ的に演能をしてしまう、という合宿です。

最近では一昨年の「巻絹合宿」で、熊野大社を望む熊野川の土手で能「巻絹」奉能。

過去には「葛城合宿」で葛城山頂での能「葛城」演能などの実績(?)があります。

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そして今年、京大宝生会は12月16日の関西宝連にて能「経政」を出す予定なので、「経政合宿」を敢行することにしました。

場所はやはり御室仁和寺近くということで、「宇多野ユースホステル」になりました。

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先ずは昨日の午前中に部員が京大BOXに集合して、「経政」の稽古開始。

その後私が大山崎稽古を終えて合流し、しばしBOXで稽古してから宇多野ユースホステルへ。

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しかしニュースでは非常に強い台風21号が近畿地方に接近中と繰り返しています。

本当は本日9月4日にゆっくり仁和寺や双ヶ丘などを散策する予定でしたが、それは危険だと思われました。

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なので、昨日月曜日に色々な予定をギュッと凝縮することにしました。

到着後、まずは稽古→晩御飯→稽古。

地謡を中心に稽古して、能地の作法なども詳しく説明しました。

晩御飯はユースホステルらしく、健康的で量が多いもので大満足でした。

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そして、稽古が一段落した20時半頃。

我々は「夜の散歩」に出発したのです。

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目的地は一応「双ヶ丘」。しかし適当な裏道を歩くので、全然違う場所に行き着く可能性ありです。

宇多野ユースホステル周辺は、アップダウンを繰り返す細い路地が密集しており、なかなか魅力的な散歩道でした。

「えーと、次を左に曲がろうか」

「そろそろ右折かな…」

などと全く行き当たりばったりに歩いていたのですが、不思議なことにピンポイントで「双ヶ丘」の登り口に到着してしまいました。

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階段状の登山道が暗闇の中へと続いています。

普通ちょっと尻込みしそうな怖い雰囲気でしたが、現役部員達は積極的なのです。

「登ってきます!」「私も!」「僕も!」

という感じで、結局全員で登山開始。

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結果的に私は途中で下山したのですが、何人かは無事に「一の丘」に登頂成功。

綺麗な夜景の写真を送ってくれました。

残念ながら月は出てくれず、「月に双の丘の松の…」という風景はお預けでした。

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そして今朝起きると、幸いにまだ天気は崩れていませんでした。

やはり美味しいアメリカンブレックファースト(味噌汁とご飯もありましたが…)をいただき、早々にユースホステルを出発。

仁和寺は台風の影響で拝観停止でしたが、かわりに嵐電で北野白梅町に出て、素早く北野天満宮に参詣。

雨の降る前に無事各自帰宅したのでした。

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今回は台風などで予定が色々変わってしまいましたが、それでも非常に充実した、なおかつ思い出深い能合宿になったと思います。

この能合宿を経て、能「経政」は単なる一度の舞台としてではなく、もっと大きく大切な経験として部員や私の心に刻まれることでしょう。

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しかしそれには先ず、本番まで完全燃焼して走り切らなければ。

ここから本番に向けて、更に頑張って稽古して参りたいと思います。

簡略化か伝統保全か。

先週の盛岡でのセミナーの時のお話です。

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盛岡の伝統的な踊り”さんさ踊り”が最近盛岡の大学生に流行っていて、大勢が熱を入れて踊っているという話が出ました。

それは大変良いことだと思ったら、その”さんさ踊り”は簡略化されたもので、本当に伝統的で複雑な”さんさ踊り”を踊れる人は逆に少なくなったというのです。

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すると今度は”大償神楽”を継承されている方が、「大償神楽は難しいところもあるが、簡略化することなく子供達に伝えていきたい。その難しい部分にこそ面白みがあるのです」と仰いました。

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私は大償神楽の方に、「神楽の演目には子供向けのものは無いのですか?」と聞いてみました。

すると、「いえ、一切ありません。いわゆる”子役”も無く、子供も大人も全く同じ神楽を稽古します」とのことでした。

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簡略化されて人口が増えた踊りと、後継者不足に苦しみながらも、頑固に形を変えずにその本質的な面白さを伝えていこうとする神楽。

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どちらが正解かを、簡単に決めつけることは出来ないと思います。

私自身は、大償神楽の考え方にとても共感を覚えますが、それだけでは今後続けていくのが難しい気もするのです。

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この”さんさ踊り”と”大償神楽”の命題は、今後長い時間をかけて考えて行きたいと思います。

松本再始動

今日は先月の松本城薪能以来の久しぶりの松本稽古でした。

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あの松本城薪能前座で見事な仕舞を披露した小中学生の子供達が、3人とも日に焼けた顔を見せてくれて、相変わらず元気に稽古をしました。

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もちろん大人の会員さん達もいらして稽古したのですが、今回は「新しい短めの仕舞を始める人」と「薪能前座で一度出した仕舞を引き続き稽古する人」、更に「前に稽古していた仕舞を再び稽古する人」に分かれました。

これは、次の舞台までの期間が少なめだからなのです。

10月7日の京都澤風会まで約1ヶ月、10月21日の松本澤風会まででも2ヶ月弱しか無い稽古期間です。

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一度出した仕舞を続けて稽古するのは、モチベーションを保つという点では難しいものがあります。

しかし反面、前回の舞台で上手くいかなかった箇所を再び稽古する事で、格段に改善されるという利点もあるのです。

今日は何人もそのように型や謡が劇的に良くなった人がいました。

また、より細かな謡と型の合わせどころなども指摘できたので、同じ仕舞でも2回目はグレードアップして見えるはずです。

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次の京都澤風会と松本澤風会の舞台では、新しい仕舞に挑戦される方はもちろん楽しみですが、2回目の人達のグレードアップした仕舞も大変楽しみになってきました。

怒涛の8月を終えて

今日から9月になりました。

思えば8月は、水道橋宝生能楽堂にて能「鵺」を稽古しながら迎えたのでした。

そして正に怒涛のように過ぎていきました。

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9月は一応静かに布団の中で迎えたのですが、果たしてどんな月になるのでしょうか…?

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9月1日といえば、小中高生の頃は始業式の日でした。

ひと月半ぶりに教室で同級生達と再会して、夏休みの話などをしたものです。

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高校の時には陸上部だったので、夏休みも毎日練習でした。

始業式で会う運動部の連中は、私も含めてひと夏の練習で黒く日に焼けて、筋肉がついて一回り大きく逞しくなったように見えました。

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時は流れて、私の今年の9月1日は通常の亀岡稽古でした。もう始業式は無いのです。

そしてこの夏は、陸上部のようなトレーニングも勿論しませんでした。

しかし今年の8月を思い返してみると、心に強烈に残る出来事がいくつもありました。

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ひと月で4回通った岡山吉備津神社の子供能楽教室。

薪能で初めてシテを勤めた松本城薪能では、雨雲が逸れてくれるように天に祈りながら能「鵺」を舞いました。

東広島のこども園での能楽教室では、1〜4歳児40人を相手にするという得難い経験をしました。

初めて銀座の観世能楽堂にて舞囃子を舞った佳名会。

そして8月最終日の昨日には盛岡で、伝統文化活動の担い手が集まってのセミナーでの発表という、これも全く初めての経験をいたしました。

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他にも七葉会の舞台や、琥珀の会立ち上げの稽古や、京大宝生会合宿などなどがあり、それら全てがまた自分の肥やしになったと感じます。

日焼けもしていないし、筋肉も増えておりませんが、夏の前の自分よりも少しだけ強くなった手応えがあります。

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宝生流の在京能楽師にとっては、始業式に近いのが9月9日の月並能だと思います。

8月は定例会が無いので、宝生能楽堂に約ひと月半ぶりに楽師達が集まるのです。

皆さんどんな経験を積んで、どんな顔でまた水道橋の楽屋に戻ってくるのでしょうか。とても楽しみです。

私もこの夏の経験を活かして、また秋の能楽シーズンに全力で向かっていこうと思っております。

盛岡でのセミナー

今日は「岩手未来機構」の皆さんに招かれて、盛岡でとあるセミナーに参加しました。

「岩手県の伝統文化芸術活動の担い手が、今後より良い活動をしていくにはどうしたら良いか」というテーマのセミナーでした。

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ユネスコ無形文化遺産にもなっている”大償神楽”の伝承者の方や、茶道、華道など、様々な分野の人達が集まりました。

私は能楽師の立場から、子供向けのワークショップや能楽教室の話、また大学での能楽部の話などをさせていただきました。

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大償神楽の方は、「昔は地域ごとのまとまりが今より強く、神楽の後継者育成もやりやすかった。

顔見知りの子供達の中から、この子はいけると思う子供に声掛けして、神楽に参加してもらっていた。

しかし複数の地域の学校が統合されてしまい、昔からのやり方で子供達に神楽を教えるのが難しくなった」と仰いました。

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また、「学校や幼稚園の先生のカリキュラムが忙し過ぎて、伝統芸能の体験まで手が回らない」

「担い手が高齢化して、助成金などの申請手続が困難である」

など、厳しい現状を憂う意見が相次ぎました。

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私は子供達や大学生と言った将来を担う後継者に能楽を伝える為ならば、報酬は無くても構わないと、極端な話私自身が経済的負担を負っても良いと考えていました。

しかしその考えに対しても、「そのやり方では、あなたは一代では可能でも誰かに代替わりした後が続かなくなる。やはり担い手への金銭面の保証は不可欠である」

というお言葉をいただき、確かにその通りだと思いました。

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今回は私の能楽師としての事例をお話しする為に呼ばれたのですが、結果的に私の方が色々勉強させていただきました。

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岩手未来機構では、今回の趣旨のセミナーを今夏5回にわたって県内各地で開催して、其々の地域の文化芸術活動の担い手の声を集計して、県への働きかけなどをしていくということです。

これは大変に労力が必要で、また非常に意義深い活動だと思います。

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日本中の伝統文化活動において、おそらく同様の問題が同時進行で起こっていると思われます。

この岩手未来機構のような積極的な活動が全国的に行われて、それが県を超えて連携していければ、日本の伝統文化の維持と発展に大きな力になるだろうと思いました。