松本再始動

今日は先月の松本城薪能以来の久しぶりの松本稽古でした。

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あの松本城薪能前座で見事な仕舞を披露した小中学生の子供達が、3人とも日に焼けた顔を見せてくれて、相変わらず元気に稽古をしました。

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もちろん大人の会員さん達もいらして稽古したのですが、今回は「新しい短めの仕舞を始める人」と「薪能前座で一度出した仕舞を引き続き稽古する人」、更に「前に稽古していた仕舞を再び稽古する人」に分かれました。

これは、次の舞台までの期間が少なめだからなのです。

10月7日の京都澤風会まで約1ヶ月、10月21日の松本澤風会まででも2ヶ月弱しか無い稽古期間です。

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一度出した仕舞を続けて稽古するのは、モチベーションを保つという点では難しいものがあります。

しかし反面、前回の舞台で上手くいかなかった箇所を再び稽古する事で、格段に改善されるという利点もあるのです。

今日は何人もそのように型や謡が劇的に良くなった人がいました。

また、より細かな謡と型の合わせどころなども指摘できたので、同じ仕舞でも2回目はグレードアップして見えるはずです。

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次の京都澤風会と松本澤風会の舞台では、新しい仕舞に挑戦される方はもちろん楽しみですが、2回目の人達のグレードアップした仕舞も大変楽しみになってきました。

怒涛の8月を終えて

今日から9月になりました。

思えば8月は、水道橋宝生能楽堂にて能「鵺」を稽古しながら迎えたのでした。

そして正に怒涛のように過ぎていきました。

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9月は一応静かに布団の中で迎えたのですが、果たしてどんな月になるのでしょうか…?

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9月1日といえば、小中高生の頃は始業式の日でした。

ひと月半ぶりに教室で同級生達と再会して、夏休みの話などをしたものです。

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高校の時には陸上部だったので、夏休みも毎日練習でした。

始業式で会う運動部の連中は、私も含めてひと夏の練習で黒く日に焼けて、筋肉がついて一回り大きく逞しくなったように見えました。

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時は流れて、私の今年の9月1日は通常の亀岡稽古でした。もう始業式は無いのです。

そしてこの夏は、陸上部のようなトレーニングも勿論しませんでした。

しかし今年の8月を思い返してみると、心に強烈に残る出来事がいくつもありました。

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ひと月で4回通った岡山吉備津神社の子供能楽教室。

薪能で初めてシテを勤めた松本城薪能では、雨雲が逸れてくれるように天に祈りながら能「鵺」を舞いました。

東広島のこども園での能楽教室では、1〜4歳児40人を相手にするという得難い経験をしました。

初めて銀座の観世能楽堂にて舞囃子を舞った佳名会。

そして8月最終日の昨日には盛岡で、伝統文化活動の担い手が集まってのセミナーでの発表という、これも全く初めての経験をいたしました。

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他にも七葉会の舞台や、琥珀の会立ち上げの稽古や、京大宝生会合宿などなどがあり、それら全てがまた自分の肥やしになったと感じます。

日焼けもしていないし、筋肉も増えておりませんが、夏の前の自分よりも少しだけ強くなった手応えがあります。

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宝生流の在京能楽師にとっては、始業式に近いのが9月9日の月並能だと思います。

8月は定例会が無いので、宝生能楽堂に約ひと月半ぶりに楽師達が集まるのです。

皆さんどんな経験を積んで、どんな顔でまた水道橋の楽屋に戻ってくるのでしょうか。とても楽しみです。

私もこの夏の経験を活かして、また秋の能楽シーズンに全力で向かっていこうと思っております。

盛岡でのセミナー

今日は「岩手未来機構」の皆さんに招かれて、盛岡でとあるセミナーに参加しました。

「岩手県の伝統文化芸術活動の担い手が、今後より良い活動をしていくにはどうしたら良いか」というテーマのセミナーでした。

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ユネスコ無形文化遺産にもなっている”大償神楽”の伝承者の方や、茶道、華道など、様々な分野の人達が集まりました。

私は能楽師の立場から、子供向けのワークショップや能楽教室の話、また大学での能楽部の話などをさせていただきました。

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大償神楽の方は、「昔は地域ごとのまとまりが今より強く、神楽の後継者育成もやりやすかった。

顔見知りの子供達の中から、この子はいけると思う子供に声掛けして、神楽に参加してもらっていた。

しかし複数の地域の学校が統合されてしまい、昔からのやり方で子供達に神楽を教えるのが難しくなった」と仰いました。

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また、「学校や幼稚園の先生のカリキュラムが忙し過ぎて、伝統芸能の体験まで手が回らない」

「担い手が高齢化して、助成金などの申請手続が困難である」

など、厳しい現状を憂う意見が相次ぎました。

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私は子供達や大学生と言った将来を担う後継者に能楽を伝える為ならば、報酬は無くても構わないと、極端な話私自身が経済的負担を負っても良いと考えていました。

しかしその考えに対しても、「そのやり方では、あなたは一代では可能でも誰かに代替わりした後が続かなくなる。やはり担い手への金銭面の保証は不可欠である」

というお言葉をいただき、確かにその通りだと思いました。

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今回は私の能楽師としての事例をお話しする為に呼ばれたのですが、結果的に私の方が色々勉強させていただきました。

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岩手未来機構では、今回の趣旨のセミナーを今夏5回にわたって県内各地で開催して、其々の地域の文化芸術活動の担い手の声を集計して、県への働きかけなどをしていくということです。

これは大変に労力が必要で、また非常に意義深い活動だと思います。

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日本中の伝統文化活動において、おそらく同様の問題が同時進行で起こっていると思われます。

この岩手未来機構のような積極的な活動が全国的に行われて、それが県を超えて連携していければ、日本の伝統文化の維持と発展に大きな力になるだろうと思いました。

無尽蔵な体力

今日は8月2日以来ほとんど1ヶ月ぶりの江古田稽古でした。

稽古日を決めた時は、「8月も30日頃になれば多少は涼しくなっているはず」と期待していたのですが、今日も朝から容赦の無い酷暑でした。。

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今週は月火水の3日間で幼稚園〜大学生までの稽古や舞台や合宿をこなして、朝起きると疲れが残って身体が些か重たい感じでした。

しかし久々の江古田稽古なので、新しい曲を始める会員さんも多く、昼から先程まで疲れを忘れてモリモリと稽古いたしました。

先程稽古が全て無事に終わると、流石に「ふう」というため息と共に疲労が戻って来た気がします。

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それにつけても今週はいくつかの場面で、若者達の無尽蔵な体力に圧倒させられました。

例えば京大の合宿では、「合宿2日目の朝に、6人くらいで朝5時に起きて寂光院まで散歩に行って来ました!」と聞いて驚愕しました。

私ならば、たとえ2日目で体力に余裕があっても、その後の稽古の事を考えて1分でも長く寝ているはずです。

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また京大合宿に飛び入り参加した高校生は、1泊して翌日昼頃にバスで帰って行きました。

その夜に彼からメールが来たのですが、「あれから下鴨神社に行って、その後京都駅前の新福菜館でラーメンと炒飯を食べて、伊勢丹の地下で柿の葉寿司をお土産に買って帰りました!」という内容で、こちらも驚きでした。

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彼は前日の夜は、京大生と共にバウムクーヘン作りなどをして、相当夜更かししているはずなのです。

しかも猛暑の京都の午後です。

やはり私ならば、”観光→ラーメン→お土産”のフルコースは絶対不可能で、速やかに新幹線に乗って眠りに入ったと思われます。。

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若者達の”無尽蔵な体力”を羨ましいとは思いますが、現在の私には望むべくもありません。

とりあえず、これからモリモリと晩御飯を食べて、明日からの仕事に備えて少しでも体力を充電しようと思っております。

岡山子供能楽教室発表会

今日はいよいよ吉備津神社にて、岡山子供能楽教室の発表会がありました。

この1ヶ月で4回も吉備津を訪れて、私はすっかりこの土地と人々が好きになっていました。

今回で一旦終了かと思うと、なんだか学校の卒業式に行く時のような寂しさを感じます。

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いつものように桃太郎線に乗って無人の吉備津駅で降りて、松並木を通って吉備津神社へ。

昼前に社務所に到着して待っていると、年上チームが先ずやって来ました。

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色とりどりの自前の浴衣に、こちらで用意したカラフルな袴をはいてもらいます。

「すっごいかっこいい〜❗️」

と如何にも高校生らしい反応で、お母さんに写真を撮ってもらったりして、テンションが急上昇していくのがわかりました。

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しかし私が「じゃあ一回羽衣キリを稽古しようか」と言った途端に、

「うえ〜…」というような声をあげて、テンション急降下です。。

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それでも、稽古してみるとシテ謡も正確に謡っているし、型もほぼ出来ていました。

皆とても緊張している様子ですが、本番はまず大丈夫だろうという目処が立ちました。

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続いて年少チームが到着して、仕舞「猩々」の稽古です。

こちらはやはり少し苦労している感じでしたが、中には完璧に覚えている子供もいて感心しました。

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稽古を終えて、いよいよ本番の舞台である”拝殿”に向かいます。

今日の岡山は晴れて残暑が非常に厳しく、拝殿も屋根はあるもののムッとする暑さです。

直前に水分補給などは終えており、子供達と我々能楽師は拝殿内にスタンバイしました。

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観覧にいらした子供達の御家族なども席につかれ、宝生和英家元の御挨拶からついに発表会がスタートしました。

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年少チームの「猩々」から、1人ずつ順番に仕舞を発表していきます。

全員もちろん初舞台で、構造も通常の舞台とは異なる難しい環境の中、全員持てる力を全て出し切って、正に必死で舞っているのがわかりました。

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僅か1ヶ月の稽古でしたが、「羽衣」の年上チームまで1人も欠けることなく舞い終えてくれました。

我々能楽師の奉納仕舞を挟んで、最後に全員で「四海波」を謡いました。

こちらも実に大きな声で元気に謡ってくれて、最初の稽古で苦労した事を思い出すと実に感慨深いものがありました。

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こうして吉備津の神様に無事宝生流の仕舞と謡が奉納されました。

ひとつの新しい歴史が生まれたわけです。

しかしここで終わりではなく、この歴史をこの先積み上げていかねば意味がありません。

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年少チームの子供の中には、「来年は妹と一緒にまた来る!」と宣言してくれた子もいました。

今年から始まって、第1回目を今日無事に終えることが出来た岡山子供能楽教室。

来年再来年と繰り返していって、いつかこの吉備津の地にもまた能楽宝生流が根付いて欲しいと願いながら、あの小さな吉備津駅から小さな桃太郎線に乗って帰途に着いたのでした。

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子供能楽教室の関係者の皆様、また吉備津の皆様、色々どうもありがとうございました。

合宿でやる事

今日も1日朝から晩まで京大合宿でした。

今回私が稽古したのは、

仕舞:春日龍神、半蔀キリ、龍田キリ、箙、籠太鼓、兼平、敦盛キリ、羽衣クセ、清経キリ、松虫クセ、胡蝶、七騎落、羽衣キリ、芦刈キリ、右近、小袖曽我。

舞囃子:花月、班女、箙。

能:経政。

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現役達はこれらに加えて、

謡:加茂、経政、半蔀、雲雀山、土蜘。

の5番も全曲鸚鵡返しで稽古していました。

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これだけの舞と謡が、5日間のうちに情報として京大宝生会に吸収された訳です。

今回も実りの多い合宿だったと思います。

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訳あって来られなかった何人かも、映像や音源などで合宿の内容をフォローしてくれるはずです。

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そして今の現役達のすごい所が、これだけの稽古をしながら遊びも全力でやるところなのです。

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これはなんだと思いますか?

竹の棒にアルミホイルを巻いて、そこに何らかの食材が塗り付けてあるのです。

これに…

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更にクリーム状のタネをかけながらバーナーで炙っていきます。

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かけては炙り、かけては炙り、だいぶ太くなりました。もう一息…。

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完成したようです。

しかしこの段階でも何という食べ物なのか謎ですね。。

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アルミホイルを引き抜いて輪切りにすると….

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なんと”手作りバウムクーヘン”だったのでした。

大変な労作です。

そしてバウムクーヘン以外にも…

“じゃがバター”や、様々なホイル焼きが次から次へと登場します。

「ホイル焼きパーティ」は夜更けまで続いたのでした。

これもまた長く記憶に残る合宿の思い出になりました。

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私は明日の朝に岡山に向かいますが、現役達は謡5曲の「謡納め」をしてから帰ります。

あと一息、最後まで頑張ってほしいものです。

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それから、今回も実に大勢のOBOGが合宿所を訪れて、鸚鵡返しなどの稽古を厳しくしてくれました。

彼らの存在が京大宝生会を支えてくれているのだと、とても頼もしく思いました。

京大合宿2018年夏

毎年春休みと夏休みに、謡三昧舞三昧の濃い合宿を行う京大宝生会。

この夏も先週末から京都大原にて合宿を敢行しています。

私は今日の昼過ぎから仕舞の指導で参加しました。

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今回はいつもとちょっと違うことがありました。

江古田で稽古している高校3年の男の子が、今回限定で合宿に参加したのです。

彼は来年東京芸大を受験して、能楽師を目指す予定です。

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2人で合宿所の民宿に近づいていくと、中から謡が響いてきます。玄関先で鸚鵡返しをしているペアがいました。

先輩の方が振り返り、「先生ご無沙汰しております!」

おおなんと!勉強が忙しくて春からお休みしていた4回生が、久しぶりにやって来てくれたのです。

これは大変嬉しいことでした。

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高校生は果たして京大宝生会とうまく交流できるだろうか…

と少々心配しつつ、彼を現役達に任せて私は仕舞の稽古に入りました。

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午後いっぱい稽古して、18時からの夕食の時間。

高校生は私から遠く離れた現役達の真ん中に席をとり、野球の話などで大変盛り上がっていました。

むしろいつもの合宿の夕食よりも賑やかで楽しそうな雰囲気で、安心しました。

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まだまだ稽古は続きますが、京大宝生会も高校生も元気に頑張ってほしいです。

合宿の模様は、また続報を書きたいと思います。

新しい観世能楽堂にて

今日は銀座の観世能楽堂にて、大皷の佳名会に出演して参りました。

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私が観世能楽堂にお邪魔するのは、観世能楽堂が渋谷から銀座に移ってから初めてのことです。

初めての能楽堂に行くというのもまた、何かと緊張するものです。

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先ず到着するまでが一苦労でした。

ちゃんとアクセス方法を調べてから行ったのですが、地下鉄日比谷線銀座駅から続く筈の地下通路が全く見つからず。。

結局一度地上に出て、三越からスタートしてようやく「GINZA SIX」という観世能楽堂があるビルに辿り着きました。

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地下3階にある能楽堂に到着すると、今度は楽屋の構造を把握するのにまた苦労しました。

宝生流の楽屋から切戸までの道順、囃子方の楽屋の場所、トイレの位置など、暫くの間マゴマゴしつつうろついてしまいました。

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そうこうするうちに、あっと言う間に私の出番、舞囃子「邯鄲」が始まる時間になりました。

切戸を潜って舞台に出ると…

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当然ながら先ずは横板が目の前にあり、そこから前を向くと三間四方の舞台が広がっていました。

「ああ、この空間はどこの能楽堂も変わらないな…」

と、言い知れぬ安心感を覚えました。

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変な話なのですが、楽屋で緊張して舞台に出るとホッとするという変な1日を過ごした気がします。

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しかし1日かけて観世能楽堂にもすっかり慣れました。

新しい観世能楽堂は、とても綺麗で素敵な雰囲気でした。

次回またお邪魔する機会があれば、今度はマゴマゴせずに落ち着いて過ごしたいと思います。

桃太郎の猪…?

今日は緩めのお話です。

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初めて一人で泊まる街での晩御飯は、ちょっと緊張します。

今週岡山で初めて1泊した時のこと。

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その名も「桃太郎大通り」という駅前の目抜き通りを歩いていると、またまたその名も「ももたろうの屋台」というお店を見つけました。

お店の前の看板によれば、何とビール5種類が付いた飲み放題が1200円。ビール大好きな私には夢のようなお店です。

名前も良いし、ここにしよう!と決めて早速中に入りました。

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私「すみません、1人なんですが…」

するとカウンター内にいたお兄さんが「じゃあそちらに。」とカウンター席を指し示してくれました。

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私は左利きなので、無意識のうちにカウンターの左端を選んで座ることが多く、この時も左端の椅子を引きかけました。すると…

「いやいや、そちらにお願いします!」

とお兄さんがやや強めの調子でさっきの席を再び指し示します。

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ああ、すみません…と思いながら、ほとんど空いているカウンター席の中ほどに座りました。

「これはもしや、頑固な店員さんのいるちょっと怖いお店かも…」

と早くも若干気弱になった私ですが、心を奮い立たせて注文をしていきます。

「えー、ハートランド生ビールと、チーズのサラダ、鶏肉とナッツのピリ辛炒めをお願いします…」

ビールも、地元の食材を使ったお料理も美味しいのですが、何となくあの店員さんとの間に緊張感が漂っている感じです。。

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実は先程から私は、気になっているメニューがありました。

「猪のフランベ」という品で、小さな字で”獲れたてを自社処理なので新鮮!お薦めです‼︎”と書いてあります。

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「岡山の猪」に関しては以前から、何とか一度食べたいものだと思っていました。

「山賊ダイアリー」という漫画で、岡山在住の猟師が猪を獲って自分で食べるシーンが実に美味しそうだったのです。

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頑固そうな店員さんに恐る恐る、「あのー、この”猪のフランベ”いただけますか…?」と声をかけると…

「ああ猪!昨日獲れたてが入っているから、美味しいですよ!」

なんと、固かった表情がいきなり満面の笑顔になりました。

猪、相当自慢の品のようです。

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そしてやがて出てきた”猪のフランベ”を食べて驚きました。

これまで何度も猪肉を食べましたが、ベスト3に入る程の柔らかさで、臭みも皆無だったのです。

目を丸くしていると店員さんが、

「うちと提携している猟師さんが、罠で獲れた猪をすぐに処理して運んでくれるから、新鮮で美味しいんですよ。

しかもそれはまだ冷凍もしてないから、柔らかいでしょ?」

と言って、またもやニヤリと会心の微笑みです。

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私は感動のあまり、「猪のフランベ、もう一つお願い出来ますか?」と頼んでしまいました。何しろこのレベルの猪がなんと一皿690円なのです。

すると…

店員さん「気に入っていただけて良かったです!では次は、ちょっと味付けを変えてみましょうか。」

と言って、今度はステーキ風にして出してくれました!

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ビールも「岡山作り」という地元の銘柄に変えました。

地元のビールと猪ステーキ。ステーキがまた絶品なのでした。

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最初はちょっと頑固そうな雰囲気でしたが、やはり「桃太郎大通り」の「ももたろうの屋台」。

「桃太郎」にこだわって大正解でした。

「桃太郎」と言えば当然「犬、猿、雉」ですが、今の私にとっては桃太郎と言えば「猪!」なのです。

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猪で元気をつけて、翌日の吉備津神社での子供能楽教室を無事に乗り切ったのでした。

今回は何故かグルメリポート風になってしまいましたが、この辺で失礼いたします。

熱海での台風の思い出

台風一過の今日は、熱海のMOA能楽堂で”能楽サークル”という舞台がありました。

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実はMOA舞台では、忘れられない台風の思い出があります。

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もう15年近く前になると思いますが、演能中に台風の直撃を受けて、見所のお客様と一緒に能楽堂に閉じ込められてしまったことがあるのです。

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“MOA定期能”という催しで、能は「紅葉狩」。

シテは先代の家元でした。

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昼前にMOA能楽堂に到着した時は、まだ雨風ともにそれ程強くありませんでした。

しかし最初の狂言が終わって「紅葉狩」が始まる15時頃になると、様子が変わって来ました。

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外に面していないので、本来なら風雨の影響は全く無い筈のMOA能楽堂。

それなのにヒューヒューと吹きすさぶ風の音が聞こえ始め、やがて楽屋に水が吹き込んで来たのです。

何処からかと言うと、換気扇からでした。

換気扇は確かに外と繋がっている筈ですが、外までの距離はかなりあるのです。

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一箇所だけ窓のある小部屋から見ると、外の杉林が強風に煽られて激しく波打っているのが見えました。

しかし、既に演者もお客様も能楽堂内に入っており、寧ろ能楽堂が一番安全だと思われました。

なので、能「紅葉狩」はとにかく普通に演じられたのです。

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そして「紅葉狩」が終わってからニュースを見ると…

「台風は伊豆半島に向かっており、間もなく熱海付近に上陸する見通しです。」

なんと、熱海直撃ですか…。

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…という訳で、我々はお客様と共に、MOA能楽堂で台風直撃を迎えることになったのです。

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今スマホで調べてみたのですが、この台風は「平成16年台風22号」だったようです。

資料によれば、戦後最大級の920hPaというとんでもない勢力のまま伊豆半島付近に上陸。静岡県を中心に大きな被害を出した台風ということです。

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台風直撃前後には、窓のない部屋でじっと時間の過ぎるのを待ちました。

台風さえ過ぎてしまえば、なんとか帰れるだろうと思ったのです。しかしそう甘くはありませんでした。。

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熱海から東京に帰るには、JR、海沿いの道、山中を通る箱根ターンパイクの3つの経路があるのですが、これらが土砂崩れや高波などで全て通行不可能に。

つまり熱海は”陸の孤島”と化してしまったのです。

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雨風が弱まった20時過ぎ、我々演者とお客様はMOA美術館に併設されたホテルに移りました。

そして今度は交通の復旧をひたすらに待ち続けたのです。

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やがて日が変わる頃に、海沿いの道が通行可能になったという情報が入りました。

何台かあった車に強引に分乗して、能楽師達はまさに這々の体で熱海を脱出したのでした。

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今年もまだ台風シーズンは暫く続くことでしょう。

とにかく大きな被害が無く過ぎるように、安全を第一に行動したいと思います。