久々の巡回公演

今日は文化庁巡回公演で埼玉県の小学校に行って参りました。

約1年ぶりの巡回公演です。

小学校の体育館に立派な能舞台が作られており、子供達は正面も脇正面も舞台ギリギリまで近付いて座って、正に間近で能狂言を体感することができます。

今日は午前中に1〜3年生、午後に4〜6年生の2回公演でした。

午前中1〜3年生公演では、最初の狂言「盆山」から非常な盛り上がりを見せてくれました。

「笑い」というより「爆笑」です。

そして能「黒塚」では、後シテ鬼女とワキ山伏が”イノリ”で対決するシーンで、子供達の大半がワキと一緒に数珠を揉む動作をして鬼女と闘っていました。

まるで遊園地のヒーローショーみたいな盛り上がり方です。

午後の4〜6年生公演はどんな盛り上がりかと思っていたら、一転して”大人しい”雰囲気で、

「上級生になるとこんなに大人になるものか」

と驚きました。

ともあれ、4〜6年生も最後の「附祝言千秋楽」を一緒に謡うまで、熱心に公演を鑑賞してくれました。

雰囲気こそ違え、子供達みんなの心どこかに”能楽”が刻み込まれたのは間違いないでしょう。

毎回楽しみにしている巡回公演、次の小学校公演は秋になります。

また違う子供達に、頑張って能楽を伝えていきたいと思います。

OBOG会での”御囃子”

昨日4年ぶりに開催された

「京大宝生全国OBOG会大会」

これまでのOBOG会同様に仕舞と素謡がたくさん出ましたが、今回はそれに加えて「囃子」が数番出たのです。

「独管」、「大鼓独調」、「居囃子」

それぞれの囃子方は全て若手OBOGでした。

この4年でそれぞれ熱心にお囃子の鍛錬を重ねて、腕を磨いてきたようで、何れも聴き応えのある舞台でした。

「独調天鼓」は、1人の謡で大鼓と対峙するのは大変なのですが、最後まで張りのある謡が持続していました。

大鼓もそれに負けじと非常に気迫のこもった掛け声でした。

「居囃子経政」は、謡と囃子を合わせるのが難しい箇所もあるのですが、よく稽古を積んできたようでこれも最後までバランスが崩れる事なく終えられていました。

一昔前には、謡の稽古に囃子の知識は要らない、むしろ邪魔になる、という考え方もありました。

しかし昨日の経政などを聴いていると、やはりお囃子がわかっていると、部分部分での謡の位取りが正確になると思われました。

この先も、囃子を出せる舞台があれば積極的にチャレンジしていって欲しいと願っています。

4年ぶりの京大宝生全国OBOG会

今日は五反田の池田山能舞台にて、

「京大宝生全国OBOG会大会」

が4年ぶりに開催されました。

現役3人から最長老の大先輩まで35人ほどが一堂に会した舞台は、正に京大宝生会の歴史の縮図のような濃い内容でした。

後席では1番若手の現役からスピーチが始まり、段々と遡って、最後には京宝連を作ったという大先輩がその”第1回京宝連”が開催されるまでの様々なエピソードを聞かせてくださいました。

現役達はつい先日、”第129回京宝連”にあたる関西宝連の舞台に立ったばかりです。

歴代の先輩方の貴重なお話におおいに刺激を受けたことでしょう。

そして来年は京大宝生会70周年にあたり、記念大会を再来年に開催しようという話も出ました。

久々の全国OBOG会は、過去を知って未来に繋げていく素晴らしい会になりました。

涌宝会申合に行ってまいりました

今日は神楽坂の矢来能楽堂にて、6月2日(日)に開催される「東京涌宝会大会」の申合に行ってまいりました。

毎年ながら盛大な御会で、舞囃子16番、能「猩々」、他にも居囃子、独調、仕舞、素謡などが演じられます。

また会主の和久荘太郎さんのご長男凜太郎君も、今回は舞囃子の地謡に入っていて、初めて隣で地謡を謡いました。

生まれた時から知っている若者と一緒に謡うのは中々感慨深いものがあります。

朝10時から夜18時15分までの盛り沢山な舞台、「東京涌宝会大会」

明後日6月2日、矢来能楽堂にて開催されます。

皆様どうかふるってご来場くださいませ。

構えた時の”爪先”

今日は江古田稽古でした。

夕方に仕舞稽古にいらした方は、前回まで「桜川」、今日から新しく「岩船」の仕舞を始める事になっていました。

稽古を始めようとすると、その会員さんから、

「岩船のような強い曲は、構えは爪先を開いた方が良いのでしょうか?」

と質問されたのです。

半ば好みの問題かもしれないのですが、私は「爪先を開いて構える」というのはしないようにしています。

“柔らかい”仕舞では足を揃え気味で、”荒い”仕舞では腰を深く入れてやや足を開いて構えます。

しかしどちらも両足は平行にして、爪先は開かないように意識して構えているのです。

腰を入れて力を込めて構えた結果、少し爪先が開いて見えるくらいは良いと思います。

でも開き過ぎると”ガニ股”になって、見た目が美しく無い気がします。

「鬘桶」に座っている時も同様で、足先は常に平行になるように気をつけております。

ただ古い舞台写真などを見ると、明確に爪先を開いて構えているものがあるので、やはり個人の考え方や、時代によっても構えは微妙に変わるのかもしれません。

3日分歩きました

普段から歩ける限りは徒歩で移動するのを心がけています。

今はちょうど暑くも寒くもないので、歩くには絶好の季節です。

しかし一昨日の松本、昨日の青森と強い雨に降られてほとんど歩けませんでした。。

今朝は青森の宿を出ると雨が止んでいたので、3日分を取り戻そうと、思い切って青森駅から新青森駅まで歩いてみました。

およそ1時間の距離です。

新青森から仙台に移動して、仙台駅から稽古場の東北大学近くの公民館までも往復歩いたので、月曜火曜を足したよりも長く歩けて大満足でした。

途中で紫色の綺麗な花を見かけて、ラベンダーかと思って調べたらどうも違うようでした。

人の家のお庭に咲いていたので写真も撮れず…

色々調べて近そうなのが、

「セイヨウジュウニヒトエ」

という花でした。

確かに紫色の派手な見た目は、「十二単衣」を西洋風にした感じでした。

今度見かけたら何とか写真を撮ってみたいものです。

明日からは暫し東京なので、初夏の都内をどんどん歩こうと思います。

「ほおり」と「ホーリー」

昔「井筒」の謡を初めて辰巳孝先生に稽古していただいた時の事です。

シテ謡の出だし「暁ごとの閼伽の水」

で、「閼伽(あか)」はなんの事か知ってるかい?

と先生に聞かれたのです。

もちろん当時は知らず、「いえ、わかりません」と即答しました。

すると先生は、

「閼伽は元々は”アクア”と同じ語源だよ。だから”閼伽の水”というのは本当はおかしいんだ。”水の水”になってしまうからね」

と仰いました。

謡本の中の言葉とラテン語が同じ語源とは新鮮な驚きでした。

その後も「鳥居」の語源がストーンヘンジの三角柱”トリリトン”であるという説を歴史ミステリーの本で読んだりしました。

今では、意外な語源に繋がっていそうな日本語を見つけると、つい色々と語源を想像して楽しんでしまいます。

今日これを書いたのは、昨日松本稽古場で「三輪」の謡稽古をした時に、やはりそんな言葉があったからです。

「三輪」後場の最初の地謡に、

「ただ祝子が着すなる」

という言葉が出てきます。

“祝子”は”ほおりこ”と読み、「神職」を意味するそうです。

そして「holy」という英語は、名詞だと「聖人、聖者」を意味するのです。

“ほうり”と”ホーリー”

もちろん全く関係ない言葉なのでしょうけれど、響きと意味がこれほど似ていると、もしかしたら同じ語源かも…

あるいは、「神聖なる存在」を「ホーリ」と呼びたくなる、何らかの理由があるのだろうか…

などと想像して、ひとり楽しい気分になってしまうのです。

山々に守られて

今日は雨のパラつき出した東京を昼過ぎに出て、特急あずさで松本稽古に向かいました。

下諏訪あたりまでは降ったり止んだりだったのですが、トンネルをひとつ抜けて松本盆地に入ると雨は上がっていました。

水の入った田圃に空の薄青色が写って、瑞々しい初夏の風情があります。

松本は山に囲まれているので、雨も雪もその山々に遮られて、ひどくは降らないのです。

数年前の「松本城薪能」でも、台風の接近で舞台中止かと思いきや、ギリギリで天候が持って能「鵺」をなんとか舞えた記憶があります。

実は今年も8月8日に「松本城薪能」が開催予定です。

宝生和英御宗家がシテを勤められる能「紅葉狩」と、私がシテを勤めさせていただく能「経政」が出ます。

今回も天気だけが心配ですが、松本盆地を囲む山々に守ってもらい、なんとか舞いたいと思います。

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第17回関西宝生流学生能楽連盟自演会が開催されました

今日は香里能楽堂にて「第17回関西宝生流学生能楽連盟自演会」が開催されました。

各学校とも稽古の成果を存分に出し切った熱い舞台でした。

天候にも恵まれて、見所には関西宝連各校のOBOGの姿も多数見られて、一日中賑やかな雰囲気でした。

私が見て「これは素晴らしい…!」と感心する舞台がいくつもあり、やはり先生方の確かな稽古が根付いているのだと嬉しくなりました。

先日書かせていただきました京都女子大宝生会の久々の新入生は、「鶴亀」の仕舞を完璧に舞っていて、これまた嬉しい驚きでした。

明らかにセンスの良さが光っていて、今後がとても楽しみです。

京大宝生会の仕舞と謡も普段稽古で見ているよりも本番の方が出来が良く、この調子で全宝連も頑張ってほしいです。

後席の締めには「千秋楽」の謡を皆で謡い、今頃は二次会で盛り上がっている学校もあるかと思います。

次はいよいよ6月29.30日に京都金剛能楽堂にて開催の「全国宝生流学生能楽連盟自演会」です。

ホスト支部としてこれから色々とやる事が増えますが、全国の皆さんと京都で楽しく交流できるように学生も能楽師も一体となって準備を進めて行きたいと思います。

本物の松尾芭蕉はどれ…?

松尾芭蕉が「奥の細道」の旅へと出発したのは、元禄2年3月27日、新暦に直すと1689年5月16日のことです。

つまり今月は芭蕉が奥の細道へと旅立った月でもあるのです。

そしてその出発地点は私の東京三ノ輪の自宅から程近く、辺りの日光街道沿いには「松尾芭蕉」の像や絵が幾つも点在しています。

以前からそれらの像の横を通る度に思っていたのが、

「どれが本物の松尾芭蕉に一番似ているのだろうか」

ということでした。

何しろそれぞれの像が全く違う個性を持っているのです。

例えば、南千住駅前の銅像はこんな感じ。

そして北千住に近い旧日光街道沿いの木像は、

こんな感じです。

この2つはまだヒョロリと痩せている所など共通点が多いのですが、足立市場近くの石像は…

ふっくらして全然違うイメージです。

この石像が旅立ちの時点で、旅を続けていくうちに痩せていったとか…?

そして隅田川にかかる「千住大橋」の下には、芭蕉が船から上がっていよいよ奥の細道に出発する時の絵が描いてありました。

これまた先ほどの3体の像とはちょっと異なる風貌です。

しかしこの絵、実は松尾芭蕉を敬愛して奥の細道を実際に辿って旅をしたという「与謝蕪村」が描いた芭蕉の肖像なのです。

芭蕉と蕪村は時代も近いし、これはこの絵の「芭蕉」が一番本物に近いのかも…と思いました。

新作能「松尾芭蕉」ができたとしたら、どんな能面が似合うのでしょうかね…?