和洋折衷言語での稽古

今日は久しぶりの京大稽古でした。先月の「関西宝連」以来の稽古になります。

「関西宝連」では素謡「鶴亀」だけの出演だった新入生達は、来る6月29.30日の「全宝連京都大会」で仕舞デビューすることになっています。

新入生の仕舞を1人ずつ本格的に稽古するのは初めてだったのですが、既に関西宝連で謡を稽古した効果が出て、シテ謡がちゃんと謡の声になっていて驚きました。

またカナダからの留学生も仕舞「紅葉狩」を出すので、2回生の先輩が稽古をつけていました。

その稽古が英語を交えたとても面白いものでした。

「ユア上半身キープストレート!(上半身を真っ直ぐに!)」

「ライク キング!(王様みたいに胸を張って!)」

「フットは全部キープグラウンド!(足の裏を地面につけたままで摺り足!)」

という和洋折衷言語で、聞いていてちょっとニヤリと笑ってしまいました。

でもこの稽古を受けた留学生さんは意味を良く理解して型をやっていて、中々に筋が良いのです。

全宝連までにはまだ稽古があるので、より精度を上げて、良い仕舞になるように私も頑張って稽古したいと思います。

私は日本語しか使えないのですが…。

高台寺の舞台が無事終了いたしました

京都高台寺にての太閤秀吉と寧々様に関連した3日間の催しが先程無事終わりました。

夜に降り出した雨は催し終了後に本降りになり、ギリギリセーフでした。

また仕事の山場をひとつ越えて、次は学生の全宝連に照準を合わせて稽古を頑張って参りたいと思います。

関宝連と高台寺が無事終わりました

今日の宝生流は各地で色々様々な催しが重なっていました。

私の関わる舞台では、まず水道橋宝生能楽堂での「関宝連」です。

私は行けなかったのですが、自治医大能楽部が仕舞と素謡を頑張って無事に終えられたと連絡を受けて安堵いたしました。

一方私と言えば、先ず午後に大阪での「七宝会」で能「梅枝」の地謡を勤めて、終わってすぐに京都高台寺に移動して夜に能「明智討」に参加いたしました。

…今日の全てが何とか無事終わって、明日はまた高台寺での新作能「寧々」に出演させていただきます。

一度気持ちをリセットして、また明日の舞台に向けて頑張って参りたいと思います。

寧々様ゆかりの高台寺にて

今年は豊臣秀吉の正妻「寧々」様の四〇〇年遠忌にあたるそうです。

本日は秀吉の死後に寧々様がその菩提を弔うために建立されたという「高台寺」にて、秀吉が作った「太閤能」のひとつである「明智討」が演じられました。

辰巳満次郎師が明智光秀、辰巳和磨さんが太閤秀吉を演じて、京大宝生会の若手OB4人も立衆と地謡で参加させていただきました。

明日も同じく「明智討」が演じられ、明後日には新作能「寧々」も演じられます。

私は「高台寺の住僧」を勤めさせていただきます。

明後日の舞台のために

今日は自治医大稽古に行ってきました。

5月の1ヶ月間は、6年生が地元研修でそれぞれの出身地に戻っており、また入院していた部員が先日無事退院したりして、今日は本当に久しぶりに大勢が揃っての稽古でした。

更に嬉しい事に、新入生が1人入部していました。

秋田出身の6年生が、同じ秋田出身の新入生に声をかけたら入ってくれたそうなのです。

早速「紅葉狩」の仕舞を稽古しました。

嬉しいニュースが多かったのですが、実は自治医大能楽部としては中々に大変な状況なのでした。

「関東宝生流学生能楽連盟自演会(関宝連)」

の舞台が明後日に迫っているのです。

このひと月の間は部員が全国に散らばってほとんど稽古出来ず、仕舞のシテと地謡との合わせも勿論出来ていません。

今日1日の突貫工事で、明後日の舞台に備えないといけないのです。

とりあえず仕舞は、私と一緒に地謡を謡いながら2回稽古して、更に今度は部員だけで地謡を謡ってもう2回。

合計4回稽古しました。

素謡「桜川」も、一度謡ってもらって、とにかく直せるところを出来るだけ修正して稽古を終えました。

部員達は、「これから晩御飯行って、その後帰って稽古しよう」

「明日は実習が早く終わるはずだから、後はずっと稽古しよう」

と明後日までの限られた時間を有効に使う相談をしていました。

日々の実習や授業が本当に過酷な彼らにとって、仕舞や謡まで覚えるのは大変な事だと思います。

なんとか明後日の「関宝連」を無事乗り切って、月末にある「全宝連京都大会」では、より稽古を積んで舞台に臨めるように、私も頑張ってお手伝いしたいと思います。

サンタンカの見える部屋で

私の92歳になる父親は、先月に少し体調を崩して、今は三重県久居の実家からほど近い介護施設で過ごしています。

昨日も久居まで会いに行って参りました。

実家の膨大な父親の蔵書の中から、リクエストのあった本を持っていくようにしています。

昨日は岩波文庫の「唐詩選・上中下」

の3冊を持っていきました。

父親の部屋に着くと、ベッドから降りて車椅子に座っており、傍らのテーブルには数枚のスケッチが置いてありました。

野菜や花などの小さなスケッチです。

「唐詩選」を手渡すと、「これは楽しみだねえ」と喜んでくれました。

父親は日々読書やスケッチをして静かに過ごしているようでした。

よく陽の当たる部屋で、窓の外にオレンジ色の綺麗な花がたくさん咲いているのが見えます。

これは中国原産の「サンタンカ(山丹花)」という花だそうで、中国の伝説からその名がとられたようです。

沖縄でよく咲いているらしく、そういえば窓の外が何となく南国風に感じられました。

すでにサンタンカもスケッチしたようで、次に行く時には駅前の花屋で何本か、スケッチ用の花を見繕って行こうかと思います。

京大宝生会流の追善謡

先週末の「京大宝生全国OBOG会」では、4月29日に亡くなられた佐藤孝靖先輩の追悼で「融」が謡われました。

ちょっと変わった謡い方で、「それは西岫に」から始めて、1人が一句ずつ交代で謡っていきます。

私は「例えば月のある夜は星の薄きが如くなり」を謡いました。

数十年来の交友があったOBが、それぞれの佐藤先輩への想いを込めて、一句を大切に謡っていきます。

掛け合いの部分が終わって、

「影傾きて明け方の」

からは全員で謡います。

京大宝生会30人の声が唱和すると、底力のある重厚な響きになりました。

舞台正面には笑顔の佐藤先輩の遺影が飾られていたのですが、その瞬間には笑みが一層深くなって、細かくウンウンと頷かれたような気がいたしました。

カレンダーの6月1日の欄に、

「京大宝生全国OBOG会」

と大きく書いておられたという佐藤孝靖先輩。

間違いなく誰よりも今回の久々のOBOG会を楽しみにされていました。

御参加が叶わなかったのは誠に残念無念ですが、京大宝生会流の追善謡「融」にはご満足いただけたと思います。

そしておそらく天上では、辰巳孝先生や小川先生、坪光先生、植田先輩、米澤先輩、塚本先輩といった錚々たるメンバーに佐藤先輩も加わった舞台が、地上と平行して盛大に催されていたことでしょう。

久々の巡回公演

今日は文化庁巡回公演で埼玉県の小学校に行って参りました。

約1年ぶりの巡回公演です。

小学校の体育館に立派な能舞台が作られており、子供達は正面も脇正面も舞台ギリギリまで近付いて座って、正に間近で能狂言を体感することができます。

今日は午前中に1〜3年生、午後に4〜6年生の2回公演でした。

午前中1〜3年生公演では、最初の狂言「盆山」から非常な盛り上がりを見せてくれました。

「笑い」というより「爆笑」です。

そして能「黒塚」では、後シテ鬼女とワキ山伏が”イノリ”で対決するシーンで、子供達の大半がワキと一緒に数珠を揉む動作をして鬼女と闘っていました。

まるで遊園地のヒーローショーみたいな盛り上がり方です。

午後の4〜6年生公演はどんな盛り上がりかと思っていたら、一転して”大人しい”雰囲気で、

「上級生になるとこんなに大人になるものか」

と驚きました。

ともあれ、4〜6年生も最後の「附祝言千秋楽」を一緒に謡うまで、熱心に公演を鑑賞してくれました。

雰囲気こそ違え、子供達みんなの心どこかに”能楽”が刻み込まれたのは間違いないでしょう。

毎回楽しみにしている巡回公演、次の小学校公演は秋になります。

また違う子供達に、頑張って能楽を伝えていきたいと思います。

OBOG会での”御囃子”

昨日4年ぶりに開催された

「京大宝生全国OBOG会大会」

これまでのOBOG会同様に仕舞と素謡がたくさん出ましたが、今回はそれに加えて「囃子」が数番出たのです。

「独管」、「大鼓独調」、「居囃子」

それぞれの囃子方は全て若手OBOGでした。

この4年でそれぞれ熱心にお囃子の鍛錬を重ねて、腕を磨いてきたようで、何れも聴き応えのある舞台でした。

「独調天鼓」は、1人の謡で大鼓と対峙するのは大変なのですが、最後まで張りのある謡が持続していました。

大鼓もそれに負けじと非常に気迫のこもった掛け声でした。

「居囃子経政」は、謡と囃子を合わせるのが難しい箇所もあるのですが、よく稽古を積んできたようでこれも最後までバランスが崩れる事なく終えられていました。

一昔前には、謡の稽古に囃子の知識は要らない、むしろ邪魔になる、という考え方もありました。

しかし昨日の経政などを聴いていると、やはりお囃子がわかっていると、部分部分での謡の位取りが正確になると思われました。

この先も、囃子を出せる舞台があれば積極的にチャレンジしていって欲しいと願っています。

4年ぶりの京大宝生全国OBOG会

今日は五反田の池田山能舞台にて、

「京大宝生全国OBOG会大会」

が4年ぶりに開催されました。

現役3人から最長老の大先輩まで35人ほどが一堂に会した舞台は、正に京大宝生会の歴史の縮図のような濃い内容でした。

後席では1番若手の現役からスピーチが始まり、段々と遡って、最後には京宝連を作ったという大先輩がその”第1回京宝連”が開催されるまでの様々なエピソードを聞かせてくださいました。

現役達はつい先日、”第129回京宝連”にあたる関西宝連の舞台に立ったばかりです。

歴代の先輩方の貴重なお話におおいに刺激を受けたことでしょう。

そして来年は京大宝生会70周年にあたり、記念大会を再来年に開催しようという話も出ました。

久々の全国OBOG会は、過去を知って未来に繋げていく素晴らしい会になりました。