夏の始まり

今朝起きると、東京は天気予報通りの強い雨でした。

私の自宅は地下鉄日比谷線三ノ輪駅から徒歩2分なのですが、昼頃に家を出てから2分で傘があっと言うまにぐしょ濡れになって、三ノ輪駅に到着しました。

しかしこの先は傘はいらない道中なのです。

上野駅から東北新幹線に乗り、一気に青森まで。

新青森駅で東北新幹線を降りると、ムワッとする熱気が身体を包みました。

大雨の東京とは打ってかわって、青森は今日最高気温30℃の夏の陽気だったようです。

夜7時を過ぎてもまだ日が残っており、ついこの前まで肌寒い思いをしたのが嘘のようです。

青森稽古場ではまだ冷房が使えなくて、仕舞稽古をすると皆さん汗をかいておられました。

もちろん私も舞っていると暑さを感じて、今年もまた文字通り稽古や舞台に”汗水を垂らして”取り組む夏がやって来たのだと実感したのでした。

亀岡の親子能楽教室

今日は亀岡稽古だったのですが、通常稽古の前に「親子能楽教室」の稽古をいたしました。

お母さんと子供が一緒に謡と仕舞を稽古します。

曲は謡も仕舞も「高砂」です。

夏の間に定期的に稽古して、9月にその成果を舞台で発表するのです。

亀岡稽古場には立派な能舞台があるので、このような能楽教室をするのには大変好都合なのです。

謡と仕舞だけで無く、正座しての正式な挨拶や、「鏡板」や「橋掛」の意味、また”ひだり”と”みぎ”は”お日様”と”水”に関わる言葉だという事などなど、色々な豆知識も挟みながら進めていきました。

お母さんもお子さんも興味津々という感じで、この機会に能楽を通じて日本古来の様々な決まり事や考え方も知ってもらえたらと思います。

6、7、8月の間、亀岡親子能楽教室の稽古も頑張って参ります。

思いがけない再会

今日は水道橋宝生能楽堂にて、宝生流定期公演の能「春日龍神」の地謡を勤めました。

シテは佐野弘宜さんでした。

佐野弘宜さんのお弟子さんで、一時期京都に引っ越して私のところで稽古していたお母さんと男の子がいます。

このホームページにも写真を使わせていただいているのですが、当時は男の子はまだ幼稚園児で、本当に小さかったのを覚えています。

その後、親子はまた関東に戻られて、再び佐野弘宜の元で稽古を再開されました。

それから数年会っていなかったのですが、何と今日はその親子が佐野弘宜さんの「春日龍神」を観にきてくれたのです。

能が終わってロビーに出て行くと、向こうから見覚えのある親子が走って来ました。

しかし男の子は面影は変わらないけれど背丈が倍くらいに大きくなっていました…!

聞けばもう小学6年生で、いわゆる”お受験”に突入しているそうなのです。

いつの間に6年も経っていたのですね…

男の子は私の事など忘れてしまっているかと思いきや、以前に澤風会に出てくれた時に番外で私が舞った舞囃子「春日龍神」の事をちゃんと覚えてくれていて、それも大変嬉しい事でした。

今は稽古が嫌になる時もあるそうなのですが、私も丁度小学6年生くらいの時に稽古が嫌になってお休みした期間があった事を伝えて、気長にやってくれるようにお願いして、またの再会を約して楽屋に戻りました。

この先高校や大学で能楽部がある学校に入ったら、是非そこで能を続けてもらいたいものです。

その時にまた思いがけないタイミングで再会出来ると嬉しいですね。

和洋折衷言語での稽古

今日は久しぶりの京大稽古でした。先月の「関西宝連」以来の稽古になります。

「関西宝連」では素謡「鶴亀」だけの出演だった新入生達は、来る6月29.30日の「全宝連京都大会」で仕舞デビューすることになっています。

新入生の仕舞を1人ずつ本格的に稽古するのは初めてだったのですが、既に関西宝連で謡を稽古した効果が出て、シテ謡がちゃんと謡の声になっていて驚きました。

またカナダからの留学生も仕舞「紅葉狩」を出すので、2回生の先輩が稽古をつけていました。

その稽古が英語を交えたとても面白いものでした。

「ユア上半身キープストレート!(上半身を真っ直ぐに!)」

「ライク キング!(王様みたいに胸を張って!)」

「フットは全部キープグラウンド!(足の裏を地面につけたままで摺り足!)」

という和洋折衷言語で、聞いていてちょっとニヤリと笑ってしまいました。

でもこの稽古を受けた留学生さんは意味を良く理解して型をやっていて、中々に筋が良いのです。

全宝連までにはまだ稽古があるので、より精度を上げて、良い仕舞になるように私も頑張って稽古したいと思います。

私は日本語しか使えないのですが…。

高台寺の舞台が無事終了いたしました

京都高台寺にての太閤秀吉と寧々様に関連した3日間の催しが先程無事終わりました。

夜に降り出した雨は催し終了後に本降りになり、ギリギリセーフでした。

また仕事の山場をひとつ越えて、次は学生の全宝連に照準を合わせて稽古を頑張って参りたいと思います。

関宝連と高台寺が無事終わりました

今日の宝生流は各地で色々様々な催しが重なっていました。

私の関わる舞台では、まず水道橋宝生能楽堂での「関宝連」です。

私は行けなかったのですが、自治医大能楽部が仕舞と素謡を頑張って無事に終えられたと連絡を受けて安堵いたしました。

一方私と言えば、先ず午後に大阪での「七宝会」で能「梅枝」の地謡を勤めて、終わってすぐに京都高台寺に移動して夜に能「明智討」に参加いたしました。

…今日の全てが何とか無事終わって、明日はまた高台寺での新作能「寧々」に出演させていただきます。

一度気持ちをリセットして、また明日の舞台に向けて頑張って参りたいと思います。

寧々様ゆかりの高台寺にて

今年は豊臣秀吉の正妻「寧々」様の四〇〇年遠忌にあたるそうです。

本日は秀吉の死後に寧々様がその菩提を弔うために建立されたという「高台寺」にて、秀吉が作った「太閤能」のひとつである「明智討」が演じられました。

辰巳満次郎師が明智光秀、辰巳和磨さんが太閤秀吉を演じて、京大宝生会の若手OB4人も立衆と地謡で参加させていただきました。

明日も同じく「明智討」が演じられ、明後日には新作能「寧々」も演じられます。

私は「高台寺の住僧」を勤めさせていただきます。

明後日の舞台のために

今日は自治医大稽古に行ってきました。

5月の1ヶ月間は、6年生が地元研修でそれぞれの出身地に戻っており、また入院していた部員が先日無事退院したりして、今日は本当に久しぶりに大勢が揃っての稽古でした。

更に嬉しい事に、新入生が1人入部していました。

秋田出身の6年生が、同じ秋田出身の新入生に声をかけたら入ってくれたそうなのです。

早速「紅葉狩」の仕舞を稽古しました。

嬉しいニュースが多かったのですが、実は自治医大能楽部としては中々に大変な状況なのでした。

「関東宝生流学生能楽連盟自演会(関宝連)」

の舞台が明後日に迫っているのです。

このひと月の間は部員が全国に散らばってほとんど稽古出来ず、仕舞のシテと地謡との合わせも勿論出来ていません。

今日1日の突貫工事で、明後日の舞台に備えないといけないのです。

とりあえず仕舞は、私と一緒に地謡を謡いながら2回稽古して、更に今度は部員だけで地謡を謡ってもう2回。

合計4回稽古しました。

素謡「桜川」も、一度謡ってもらって、とにかく直せるところを出来るだけ修正して稽古を終えました。

部員達は、「これから晩御飯行って、その後帰って稽古しよう」

「明日は実習が早く終わるはずだから、後はずっと稽古しよう」

と明後日までの限られた時間を有効に使う相談をしていました。

日々の実習や授業が本当に過酷な彼らにとって、仕舞や謡まで覚えるのは大変な事だと思います。

なんとか明後日の「関宝連」を無事乗り切って、月末にある「全宝連京都大会」では、より稽古を積んで舞台に臨めるように、私も頑張ってお手伝いしたいと思います。

サンタンカの見える部屋で

私の92歳になる父親は、先月に少し体調を崩して、今は三重県久居の実家からほど近い介護施設で過ごしています。

昨日も久居まで会いに行って参りました。

実家の膨大な父親の蔵書の中から、リクエストのあった本を持っていくようにしています。

昨日は岩波文庫の「唐詩選・上中下」

の3冊を持っていきました。

父親の部屋に着くと、ベッドから降りて車椅子に座っており、傍らのテーブルには数枚のスケッチが置いてありました。

野菜や花などの小さなスケッチです。

「唐詩選」を手渡すと、「これは楽しみだねえ」と喜んでくれました。

父親は日々読書やスケッチをして静かに過ごしているようでした。

よく陽の当たる部屋で、窓の外にオレンジ色の綺麗な花がたくさん咲いているのが見えます。

これは中国原産の「サンタンカ(山丹花)」という花だそうで、中国の伝説からその名がとられたようです。

沖縄でよく咲いているらしく、そういえば窓の外が何となく南国風に感じられました。

すでにサンタンカもスケッチしたようで、次に行く時には駅前の花屋で何本か、スケッチ用の花を見繕って行こうかと思います。

京大宝生会流の追善謡

先週末の「京大宝生全国OBOG会」では、4月29日に亡くなられた佐藤孝靖先輩の追悼で「融」が謡われました。

ちょっと変わった謡い方で、「それは西岫に」から始めて、1人が一句ずつ交代で謡っていきます。

私は「例えば月のある夜は星の薄きが如くなり」を謡いました。

数十年来の交友があったOBが、それぞれの佐藤先輩への想いを込めて、一句を大切に謡っていきます。

掛け合いの部分が終わって、

「影傾きて明け方の」

からは全員で謡います。

京大宝生会30人の声が唱和すると、底力のある重厚な響きになりました。

舞台正面には笑顔の佐藤先輩の遺影が飾られていたのですが、その瞬間には笑みが一層深くなって、細かくウンウンと頷かれたような気がいたしました。

カレンダーの6月1日の欄に、

「京大宝生全国OBOG会」

と大きく書いておられたという佐藤孝靖先輩。

間違いなく誰よりも今回の久々のOBOG会を楽しみにされていました。

御参加が叶わなかったのは誠に残念無念ですが、京大宝生会流の追善謡「融」にはご満足いただけたと思います。

そしておそらく天上では、辰巳孝先生や小川先生、坪光先生、植田先輩、米澤先輩、塚本先輩といった錚々たるメンバーに佐藤先輩も加わった舞台が、地上と平行して盛大に催されていたことでしょう。