少年から青年へ

今日は水道橋宝生能楽堂にて、来週9月23日に開催される和久荘太郎さんの「演能空間」の申合がありました。

能は「烏帽子折」です。

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この曲は滅多に出ない大曲であり、シテが大変なのは勿論ですが”子方”もシテに準ずる重要な役割を担います。

子方の卒業の曲とも言われます。

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今回の子方は、和久さんの御長男の凛太郎君です。

年齢も背格好も、ちょうど”元服する若者”の役にぴったりで、実に清々しい演技でした。

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数年前に、私が教えていた少年が辰巳満次郎先生シテの「烏帽子折」で子方を勤めさせていただきました。

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その少年は「烏帽子折」で子方を卒業して、今ではすっかり”青年”になり、東京芸大邦楽科に入って宝生流の若手予備軍として修行しています。

あの時の「烏帽子折」で満次郎先生に元服させていただいたのだと今でも感謝しております。

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和久凛太郎君も、今回の舞台でお父様の荘太郎さんの手で元服を果たして、その先は立派な青年になっていくのでしょう。

ひとりの少年が大人への一歩を踏み出す、一生に一度しかない貴重な舞台です。

皆さま、23日開催の「演能空間」はどうかお見逃しないようにお願いいたします。

20周年記念松実会大会に出演して参りました

今日は大阪の山本能楽堂にて、石黒実都師主宰の「20周年記念松実会大会」に出演して参りました。

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20年前はまだ私は東京芸大の学生でした。

松実会の20年の遥かな道のりを想像いたします。

無数の出来事や、別れや出会いを経て、今日の晴れやかな舞台があるのでしょう。

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能「絵馬」も大変素晴らしい舞台でした。

その後ツレである男神と女神を勤めた2人が、朝から実に息の合った行動をしていました。

舞台上でも、難しい「神楽相舞」を良く揃えて舞っていたのです。

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終わった後の宴会で、2人は京都女子大宝生会の同期だったことがわかりました。

現役の4年間で喜怒哀楽を共にした2人が、少しの時を経て舞台の上でふたりの神様になり、同じ舞を舞うのです。

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入部当時の彼女達は、将来そんな出来事が起こるとは夢にも思わなかったでしょう。

しかし、大学を卒業してもコツコツと稽古を続けてくれたこと、そしてもちろん石黒実都師が20年間息長く「松実会」の稽古を愛情を持って続けてこられたことで、「同期の神楽相舞」という奇跡のような舞台が実現したのです。

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この上なくパワフルな石黒実都師は、この先も松実会をずっと盛り上げていかれることでしょう。

また次回以降も、今日の記念大会のようなドラマチックで素晴らしい舞台に出会えることを楽しみにしております。

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石黒先生、松実会の皆様、本日は誠にありがとうございました。

予祝いの晩御飯

今日は朝から京都に移動して、久しぶりに「ゲストハウス月と」にて紫明荘組稽古でした。

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21日に開催の「第14回澤風会京都大会」直前の稽古だったので、沢山の方々に来ていただきました。

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京大宝生会のOBOGも沢山で、稽古が終わってから神戸大宝生会OBの方も含めて5〜6人で晩御飯を食べに行きました。

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話題は京大神大、現在過去未来と360度以上に及んで、終盤は半ば混沌としていたのですが、その中で早くも来年の「澤風会15周年記念大会」の話が出ました。

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4年前の「10周年記念大会」では能「加茂」が出ました。

更に9年前の「5周年記念大会」に遡ると、能「夜討曽我」、「藤」、「井筒」、「船弁慶」と4番の能が出たのです。

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今年の第14回大会の能「羽衣」を経て、来年はどんな能が出ることになるのでしょう。

しかし勿論、先ずは今週末の第14回大会が肝心です。

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晩御飯の途中でOBのM君が、「確か新潟辺りでは”予祝い”という慣わしがあるそうですよ」

と言いました。

物事の成功を予めお祝いしてしまう、という風習だそうです。

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あらかじめ盛大にお祝いをすれば、成功に向けてのモチベーションは確かに上がると思います。

それでは今日の晩御飯は「第14回澤風会大会」の”予祝い”になるのだろうと、我々は一層盛り上がったのでした。

院展の迷宮・2019秋

今日は宝生能楽堂にて「五雲会」が開催されました。

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私はその前の午前中に、わずかな時間ですが上野の東京都美術館で「院展」を見て参りました。

田町稽古場の会員さんが毎回出品されているのです。

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行く度に「日本画の迷宮」をあてどなく彷徨うことを楽しみにしている院展です。

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もう7〜8回目になるかと思われますが、最近ではその時の自分の心境によって好みの絵が変わる事に気付きました。

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今回強く魅かれた絵は、

「異形の神々が立ち並ぶ神殿」

「”天狗風”で洗濯物が飛ばされるところ」

「真白い”ヤク”と、その背後の沢山の仏像達」

「バリ島のヴィシュヌ神」

…などでした。

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つまり、何か「人知を超えた存在」をモチーフにした絵に惹かれたようなのです。

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しかし勿論それ以外にも印象的な絵はありました。

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今回最も心に残ったのは、ある二頭の動物の絵でした。

静かに澄んだ瞳で、並んで遠くを見つめる彼らに付けられた題名は「美しい二人」。

二人の佇まいと、その周囲を包む静謐な空気は、本当に美しく見えました。

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その動物は、「ブチハイエナ」でした。

おそらく多くの人々からはあまり良い印象を持たれていないと思われる”ハイエナ”。

しかし我々の持つそういった印象は、所詮一面的にしか過ぎないのです。

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美しい二人のハイエナの姿に、大切なことを再認識させられた気がいたしました。

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田町稽古場の会員さんの絵も勿論素晴らしく、遠くで鳴る雷が聴こえて来るような画風でした。

今週遭遇した雷雨を思い出しました。

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今回も僅かな時間の滞在でしたが、心地よい浮遊感を味わうことができました。

「院展」は明後日まで開催されています。

皆さまもご自分の好みの絵を見つけに、是非院展にいらっしゃることをお薦めいたします。

電車で快眠

昨日の木曜日は、午前中に宝生能楽堂にて「五雲会」申合。その後江古田に移動して夜まで稽古しました。

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そして今日金曜日は松本稽古でした。

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普段は働きながら疲れを癒す生活に慣れておりますが、今回の竹生島合宿では2日間非常によく歩いてよく稽古したので、まだ身体の芯に疲れが残っており、今朝は起きるのが少々辛く感じました。。

そんな身体を奮い立たせて新宿駅に移動して、”特急あずさ”に乗り込みました。

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特急あずさでは、道中の景色を眺めながら本など読んだり、謡を覚えたりするのが常です。

しかし今日は、席に座るとすぐに猛烈に眠くなってきました。。

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そして気がつくと寝ている(?)状態だったようで、夢うつつで「次は岡谷…」「次は塩尻…」と聞いて、

「間も無く終点松本です」

というアナウンスでハッと目が覚めました。

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どうやら2時間40分キッチリと眠ったようです。しかも私の場合電車の眠りは身体に合っているらしく、疲れが嘘のように取れてスッキリした気分です。

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元気一杯に夜まで稽古して、先ほどまた”あずさ”に乗り込みました。

今度は座っても眠くならないので、帰り道は本を読んで謡を覚えながら電車に揺られていこうと思います。

龍神様に届いたから…?

昨日は竹生島能合宿を昼過ぎに終えて、京都から14時過ぎの新幹線で田町稽古に直行しました。

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京都駅で京大宝生会と別れた時、京都は凄い雷雨でした。

「皆は無事に家に帰れるだろうか…」

と心配しながら東京方面に向かいましたが、間も無く品川で新幹線を降りるという頃に急に外が暗くなって来ました。

稲光も光り始めています。

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どうやら東京も雷雨になりそうです。

本降りになる前に急いで稽古場に行こうと思い、やや慌てて山手線に乗り換えました。

そして乗ってすぐに、

「次は大崎…」

というアナウンスに打ちのめされました。

「逆方向に乗ってしまった。。」

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そして大崎から引き返す山手線に乗る頃から、大粒の雨が窓に当たり始めたのです。

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田町は「ゴロゴロ、ピカッ、ドカーン」というまるで漫画の擬音のような雷鳴が轟き渡って、滝のような雨です。

この夏初めてというくらいに、土砂降りの雨に降られてしまいました。。

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折り畳み傘で何とか稽古場に到着すると、すぐに自治医大の青年がやって来ました。

私「雨大丈夫だった?」

すると…

青年「ええ、もう止んでますよ」

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え?そんな馬鹿な…と思い外を見ると、確かにもう嘘のように雨は止んでいたのです。

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龍神は雨を呼ぶ、と聞いたことがあります。

京都と東京で遭遇した雷雨は、竹生島詣でをして能「竹生島」を奉納した京大宝生会の願いが龍神様に届いた証拠かもしれない…

と前向きに捉えて、田町稽古に突入していったのでした。

緑樹影沈んで…

京大宝生会の竹生島能合宿2日目です。

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我々は宿を出て、近江今津港に向かいました。

左端に見える島影はそう、「竹生島」です。

そして中央部、点のように見える船は、竹生島からやって来た渡し船です。

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その船に乗り込んで、いよいよ「竹生島クルーズ」に出発しました。

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空は晴れて、波は穏やか。ちょうど心地よい風が吹く実に快適なクルーズでした。

全員が2階のデッキに上がって、風に吹かれながら竹生島を目指しました。

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いよいよ…

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到着です。

島の周囲が切り立った崖になっており、樹々が湖上に張り出しています。

魚影も見えて、正に「緑樹影沈んで 魚木に登る景色あり」という謡の通りの光景でした。

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到着後、観光客の皆さんが去るのを待って竹生島港にて能「竹生島」を一部奉納。

皆気分良く謡い、舞っていました。

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その後は能「竹生島」の展開を辿ります。

シテ「此方へおん入り候へ…」

シテを先頭に急階段を上って”弁財天”の社に。

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弁財天社は大きな建物です。

私「この土台が”一畳台”、この建物が”宮”の作り物ね…」

そして先ず前ツレが「社壇の扉を押し開き 御殿に入らせたまひ…」と社に入って行きました。

全員お参りした後に、今度は後ツレが「現れ給うぞかたじけなき…」と社から出て行きました。

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「竹生島ごっこ」を楽しみながら、順路を進んで行き、最後に皆で「かわらけ投げ」をしました。

直径5センチほどの土器の皿を投げて、鳥居を潜れば成功なのですが、中々難しいのです。

全員が上手くいかない中、最後にシテが投げたお皿が鳥居の真上を通過しました。

「これは成功と言って良いでしょう!」

と満足して、港への帰路につきました。

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途中ザッと降り出した雨も、幸いにすぐに止んでまた青空です。

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港近くの建物を見たシテが、

「先生、あれって後シテが持っている”宝珠”では…」

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おお、確かに屋根の天辺に”宝珠”が載っています。

これはどういう意味なのでしょうか…?

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そして竹生島への名残を惜しみつつ、再び船に乗って出発しました。

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出航直後に、竹生島のすぐ横に一艘の舟を見つけました。

なんとこの舟に、シテとツレに見える2人の人影が!

「リアル竹生島だ!」

と喜びながら、鏡のように凪いだ琵琶湖上を風に吹かれて近江今津へと向かったのでした。

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密度の濃いとても充実した良い能合宿でした。

部員それぞれの心に、琵琶湖や竹生島や、この2日間の出来事がしっかりと記されたことでしょう。

この合宿の経験を糧にして、京大宝生会は能「竹生島」へと向かう旅を、全員で力を合わせて続けて参ります。

京大宝生会竹生島能合宿

昨日に続いて朝から酷暑の中、我々京大宝生会は琵琶湖での「竹生島能合宿」へと出発しました。

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朝9時から京大BOXで一度「竹生島」を稽古してから、地下鉄東西線の東山駅へ。

「竹生島」のワキ、延喜帝の臣下と同じ道(電車ですが)を辿って鳰の浦に向かったのです。

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昔の湖岸線があったという膳所(ぜぜ)の「義仲寺」に先ず参詣しました。

このお寺のすぐ前から、ワキはシテの釣舟に乗り込んで竹生島を目指したはずです。

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お寺の方の親切な説明が有り難く、しかし容赦なく降り注ぐ強烈な日差しにフラフラになりながら、木曽義仲公と松尾芭蕉翁のお墓にお参りしました。

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そして流石に釣舟は無理なので、JRで琵琶湖を横目に見つつ湖西を北上しました。

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宿は「近江高島」という駅にあり、歩いてすぐに琵琶湖の湖岸に出ます。

今回の大きな目標の一つに、「琵琶湖に向けて能竹生島を奉納する」というのがありました。

かつて葛城山頂で能「葛城」を、熊野川土手で熊野本宮に向けて能「巻絹」を奉納した京大宝生会です。

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良い場所は無いかと探した結果、下の場所を見つけました。

錆びた階段が湖に延びている辺りが、景色も良く広さも手頃です。

しかしその時すぐには「竹生島」を始めませんでした。

「竹生島」の後半は”夜”が舞台です。

一度宿に戻り、夜を待って我々は再び湖岸へと向かいました。

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暗闇かと思いきや、大きな月が天頂近くに皓々と輝いて、くっきりと影が出来る明るさです。

「月海上に浮かんでは 兎も波を走るか…」

「月に輝く乙女のたもと…」

「月澄み渡る 海づらに…」

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前には夜の琵琶湖、天には皓々たる月。

その中で「竹生島」を謡い、舞う人達を見ていると、私は非常な感動を覚えました。

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去年の「経政能合宿」に続いて、今年もとても心に残る能合宿になりました。

竹生島を奉納した湖岸から見上げた月です。

猪に囲まれての稽古…

今日は朝に台風明けの東京から何とか新幹線に乗り、京都紫明荘組稽古に向かいました。

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台風の影響で”酷暑”が戻ってしまった京都に到着して、向かった先は京都御所のすぐ横にある「護王神社」です。

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こちらの神社の和室を、紫明荘組稽古の場所として試しにお借りしてみることになったのです。

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猪で有名な護王神社は、「足腰の神様」でもあるそうで、能楽師としては大変に有り難い御利益です。

先ずは念入りに参拝いたしました。

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和室のある建物に入ると、大きな棚にびっしりと…

猪の置物が。きっと全国から奉納されたものなのでしょう。

こんな猪棚(?)がまだまだたくさん並んでいました。

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和室の中にも…

高級置物猪。

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掛軸猪。

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日本画猪と、猪さんの群れに囲まれての稽古でした。。

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かつて見たことのない大変インパクトのある神社で、猪の好きな方には全力でお薦めいたします。

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稽古環境としても良い所でしたので、また稽古にも使わせていただきたいと思いました。

シンクロナイズド能楽師

今日は宝生能楽堂にて開催の「月並能」で、能「鵺」の地謡を勤めました。

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地謡では、以前書きましたが座って、扇を抜いて、その扇を前に回して…という作法を全員が揃って同時に行います。

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…実は昨日の「彦根城能」の時に、地謡ではない所で能楽師のシンクロ現象が発生しました。

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昨日私は京都を正午に出て、JR普通電車で彦根駅に向かいました。

車窓の田園風景を楽しみながら1時間ほどで彦根駅に到着して、席から立ち上がって扉の方に振り返ると…

私「あ…」

石黒実都師「あれ…」

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同じ車両のほんの数列後ろに、石黒師が座っていたようなのです(12両編成)

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石黒師「お昼ご飯食べて行っていいかなぁ」

私「済ませてきましたが、コーヒーなら付き合いますよ」

そして、彦根駅前の適当なお店に入りました。

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私「このお店にも誰かいたりして…」

という言葉の途中で、先に入った石黒師の笑い声が聞こえてきます。

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え?まさか…と思って扉をくぐると…

山内崇生師「よ!お疲れ様!」

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ななんと、一番手前のテーブルで、来たばかりの丼を前にした山内師が微笑んでいたのでした。。

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山内師「これ”彦根丼”。美味しそうでしょ?」

石黒師「へぇ〜、じゃあ私は”彦根うどん”ひとつお願いします!」

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…このような石黒師、山内師との奇妙なシンクロ現象は、何故か度々起こります。

普段は全国のバラバラな場所で活動しており、性格も全く異なると思われる我々です。

しかし、長年同じ仕事場を経験して来た結果、ある舞台に向かう時の脳の働き方が、おそらく似通ってしまうのだと思われます。。

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それが嬉しいかと言うと、そうでもありません。

電車でバッタリ会った時…

私「なんか残念というか悔しいですね。。」

石黒師「ほんまやね…私高槻から普通に来ただけやのに…」

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何か運命に負けた感じがある、能楽師のシンクロ現象。

若干不本意ながら、この先も度々続くのだろうと思われます。。