新人アナウンサーは…

昨日は水道橋宝生能楽堂にて「月浪能特別公演」が開催されました。

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宝生能楽堂の定例公演では、開演前などにアナウンスが流れます。

携帯電話の電源をお切りいただくことや、様々なコロナウイルス対策など重要な内容のアナウンスです。

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そして昨日、そのアナウンスの声が初めて聴く人のものになっていました。

年度がわりで人も入れ替わったのかな…

と思いながら聴いていたのですが、途中で

「何か聴いたことのある声だな…」

と気が付いたのです。

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放送マイクのある事務所に行ってみると…

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やはりマイクの前に立っていたのは良く知っている顔でした。

幼稚園の時からずっと私が稽古をつけている、大学生の女の子だったのです。

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彼女がまだ幼稚園の時に、この宝生能楽堂で開講された謡曲仕舞教室に自分の意思で(!)入門してきました。

それ以来小学生の頃までは、毎回必ず着物を着て(!)稽古に通ってくれました。

その後も江古田稽古場で中学、高校と稽古を続けて、昨年大学に入学してからは「関東宝生流学生能楽連盟」の一員としても活躍してくれているのです。

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その大学生が新年度からの宝生能楽堂定例公演手伝いのアルバイトに入ることになった、というのは前もって聞いていました。

しかし、バイト初日にアナウンスを任されるとは…

しかも長い原稿を淀みなくスラスラと読んでいて驚きました。

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幼稚園から慣れ親しんだ宝生能楽堂で、おそらく能楽公演も少しは観ることができるであろうこのアルバイトは、正に彼女のために打って付けだと思います。

これから事務所の皆さんや先輩に色々と教わって、長く続けてもらいたいと願っています。

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私にとっては、定例公演のアナウンスを聴くのも楽しみのひとつになりました。

サクラサク

今月から亀岡稽古がようやく再開されて、昨日行ってまいりました。

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亀岡稽古場の亀山城址には、「このはなざくら」という珍しい桜があります。(2018年4月10日のブログに詳しく書きました)

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昨日の稽古の合間に、その「このはなざくら」の原木を見に行ってみると…

幸運な事にちょうど満開を迎えていました。

これまで私は毎年のように「このはなざくら」を見てきましたが、その中でも今年の花が一番美しく感じられました。

ソメイヨシノほどの派手さはありませんが、自然に逆らっていない「やさしい美しさ」とでも言える上品な咲き姿なのです。

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昨日は他にも…

カタクリが咲いていたり…

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シャクナゲがもう咲き始めていたり、”春爛漫”という風情でした。

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そして一夜明けて今日は、京大宝生会の稽古に行ってまいりました。

こちらもようやくBOX舞台の使用が解禁されたのです。

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そしてBOXに到着すると、なんと去年見学に来て一度だけ体験稽古をした学生の姿が。

学生「入部することにしました。どうかよろしくお願いします」

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おお…!

京大宝生会にとってはほぼ2年ぶりの新入部員です!

新しい春の訪れとともに、京大宝生会もまた新たな歴史を刻んでいくことになりました。

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現役達は早速新入部員に構えや運びを教えたり、「4回生の○○です。よろしくお願いします」と挨拶したり、何となく気恥ずかしそうで、しかし嬉しそうな様子です。

昨日の満開の「このはなざくら」のように、新入部員を迎えてパッと華やいだ春の京大宝生会の風景なのでした。

集大成の能「鶴亀」

先日の「第15回澤風会大会」では能「鶴亀」と能「小督」の2番の能が出ました。

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そのうちの能「鶴亀」のシテを勤めた京大若手OBは、今回が初シテでした。

彼は卒業して10年にもならない本当の若手なのですが、この度”教授嘱託免状”をとる事になり、その披露の意味の演能でもあったのです。

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数ある能の中で何故「鶴亀」を選んだのか。

実は彼は、京大宝生会に入部してすぐの”初舞台”が大江能楽堂で開催された「京宝連」での素謡「鶴亀」でした。

更に彼は同じく大江能楽堂での「澤風会」における初舞台も仕舞「鶴亀」だったそうなのです。

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そして今回は能の初シテとして、やはり大江能楽堂で能「鶴亀」を舞う事になったわけです。

初舞台から10年と少しの間、たゆまずに稽古を続けた成果のひとつの集大成としての能「鶴亀」を、彼は堂々と演じてくれました。

若いながら風格のある重厚な皇帝でした。

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またこの能「鶴亀」には曲名にもある”鶴”と”亀”が登場します。

子方が演じる事が多いこの鶴と亀ですが、今回は京大宝生会を今年卒業する4回生の2人に舞ってもらう事にしました。

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この1年はコロナ禍の影響で、学生自演会が軒並み中止や延期になってしまいました。

京大宝生会の最高学年として、2人は本来ならば難しい曲に挑戦したり、沢山の地頭を経験したり出来た筈なのに、結果的に無観客の「冬の関西宝連」だけしか舞台に立てなかったのです。

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現役時代の最後にせめて、お客様の前で華やかな舞台に立ってほしいと鶴亀のオファーを出したところ、2人は快諾してくれました。

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実は京大宝生会の2人にお願いしたのは別の意味もありました。

京大能楽部BOX舞台には能「鶴亀」で使うのと同じサイズの「一畳台」があり、四隅の柱になる棒も完備されています。

そこで稽古すれば、能面をかけての「相舞」も合わせやすいと考えたのです。

ところが…

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今年に入って早々に発令された緊急事態宣言により、京大能楽部BOX舞台が使用禁止になってしまったのです。。

コロナウイルスはとことん意地が悪いと、やり場の無い憤りを感じてしまいました。

しかし鶴亀の2人はその逆境にもめげずに頑張ってくれました。

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自分で公民館などを借りて自主練をして、卒論や卒業研究の合間に澤風会稽古にも頻繁に通ってくれたのです。

大江能楽堂での申合、また当日朝の最後の合わせを経て、相舞のシンクロ率は急速に上がっていきました。

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そして本番では、鶴と亀の相舞もその後の座る場所も、すべて完璧な舞台を見せてくれました。

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シテにとっては初舞台から今までの10年あまりの稽古の集大成でもあり、また鶴と亀の4年間の現役生活の集大成でもあった今回の能「鶴亀」。

この能もまた記憶に残る素晴らしい舞台になりました。

第15回澤風会大会が無事終了いたしました

今から8日前のことになりますが、3月7日日曜日に京都大江能楽堂にて「第15回澤風会大会」を開催させていただきました。

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元々は昨年9月に開催予定でしたが、コロナ禍の影響により半年延期しての開催でした。

今回も様々な感染防止対策を施しましたが、開催から1週間以上が平穏に過ぎてひとまず安堵しております。

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このような大変な時期にもかかわらず、能「鶴亀」と能「小督」という2番の能、また舞囃子、仕舞、素謡に独調という盛り沢山の番組になりました。

能「鶴亀」シテと能「小督」前シテの京大宝生会若手OBはこの度めでたく嘱託免状をいただくことになり、その嘱託披露のための能でもありました。

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今回は大々的に宣伝はいたしませんでしたが、ご家族やお知り合いの方々にたくさんいらしていただき、見所は程よく華やいだ雰囲気でした。

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ご出演いただきましたシテ方と、囃子方、ワキ方、狂言方の三役の先生方、また応援にいらしてくださった見所の皆様、そして毎回感染防止に心を配りながら稽古に励んだ会員の方々に感謝の気持ちは尽きません。

誠にありがとうございました。

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舞台のいつもの緊張感に加えて、コロナ対策の緊迫感もあり、一生忘れられない舞台となりました。

舞台上ではそれぞれが稽古の成果を遺憾なく発揮して、今回もまた熱い舞台でした。

詳しい模様は何度かに分けて書かせていただきたいと思います。

いろんな五人囃子が…

去年の今頃、近所の「素戔嗚神社」に飾られている雛人形の中に面白い「五人囃子」がいたのをブログでご紹介いたしました。

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今日はちょうど雛祭りの日なので、今年も素戔嗚神社に行ってみたのです。

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定点観測。去年と全く同じように桃の花が咲き始めていました。

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そしてお参りをしてから、早速雛人形のところに行ってみました。

すると期待通り(?)色々と突っ込みどころ満載の「五人囃子」に出会うことができたのです。

いくつかご紹介します。

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わぁ❗️なんだかビックリ‼️

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私はなんだか疲れちゃった…。

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僕も、疲れました…。

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この太鼓の中から、何か聴こえてくるような気がするぞ。

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おーい、中に誰かいませんか〜?

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この太鼓、食べたら美味しいかも…。

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小鼓も美味しいよ。

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大鼓も美味い!

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などなど、個性豊かな御囃子方が揃い踏みでした。

そして帰り際に境内の池を覗いてみると…

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たくさんの”おたまじゃくし”が泳いでいました。

コロナ禍の中でも、花や虫や動物達は確実に明るい春を迎えようとしています。

おたまじゃくしに少しパワーをもらって、良い気分で素戔嗚神社を後にしたのでした。

源氏供養の不思議

一昨日の土曜日に水道橋宝生能楽堂にて「五雲能」が開催され、私は能「源氏供養」を無事に勤めさせていただきました。

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緊急事態宣言下で席数を半分に減らしての開催でしたが、有り難いことにその半数の座席がほぼ満員でした。

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先日、能LIFEに載せるために「源氏供養」の短い解説を書いた時に、

この能は源氏物語というフィクションを書いたために「妄語の罪」に苦しむ紫式部の霊が、物語を供養するために舞を舞うお話。しかし、能「源氏供養」自体がまたフィクションなのであり、不思議な”入れ子構造”になっているのだ。

…というようなことを書きました。

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しかし更に深く考えると、この「源氏供養」という能の構造はもっと複雑なものである気がします。

…能「源氏供養」の作者自身が、源氏物語と紫式部の供養をしたくてこの曲を作ったのではないかと私は思うのです。

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能の中には「源氏物語」を題材とした曲がたくさんあります。

「葵上」「半蔀」「野宮」「玉葛」「須磨源氏」などなど…。

つまり世阿弥を筆頭とする能作者達は、「源氏物語」のおかげで数多の名曲を生み出すことができた訳です。

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そのお世話になった「源氏物語」を供養して、尚且つ作者の「紫式部」をリスペクトする作品をひとつくらい作るべきではないか、と考えた能作者がこの「源氏供養」という曲を書いたのではないでしょうか。

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更にまた、この「源氏供養」を舞う私自身も、これまで能役者として何番もの源氏物語関係の曲を勤めて参りました。

私もまた源氏物語には大変お世話になってきた訳なのです。

なのでこの「源氏供養」を舞うことで、能役者もまた源氏物語と紫式部への感謝と供養をしている気がするのです。

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「紫式部の霊」と「能作者」と「能役者」

今”源氏供養”をしている主体はいったい誰なのだろうか…?

何とも不思議な気持ちになる曲でした。

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…今日私は京都稽古の合間を縫って、北山紫野にある「紫式部墓所」に行って参りました。

そして千年以上前に生きたひとりの女性に、

「今まで色々な曲でお世話になりました。今後ともどうかよろしくお願いいたします」

と生きている人にするようにご挨拶をしてきたのでした。

1件のコメント

「養老」の語源は…

今月は文化庁の巡回公演が続いていて、昨日は愛知県豊田市の小学校にて午前午後2回の公演が無事に終わりました。

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名古屋からバスで公演会場の豊田の小学校に向かう途中に「猿投(さなげ)」という地名があって興味を惹かれました。

由緒ありげな地名を見るとわくわくしてしまうのです。

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ちょっと調べると、「日本武尊」や「景行天皇」といった能にも登場する方々に由来する地名であることがわかってますます嬉しくなりました。

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そういえば先月の紀伊半島巡回公演の時には、和歌山から奈良に向かう山中をバスで走っている時に、「丁」という地名を見かけました。

古い地名には一文字のものが珍しくないのですが、この時は「え?」と驚いてしまったのです。

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「丁」という地名の下にローマ字で「YORO」と書いてあったのが、通りすがりの一瞬ですがはっきりと見えたのです。

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丁と書いて「よろ」。

全く初めて見る読み方です。

これも調べてみると、古代の朝廷に使えて土木作業をしていた人々を「丁(よろ)」と呼んでいたと知りました。

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さらに驚いたことにこの「よろ」という読み方は、「養老(ようろう)」という地名にも通じているとのことなのです。

能の曲名として今まで親しんできた「養老」

の語源を、紀伊半島の山中で知ることができるとは思いもよらぬことでした。

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巡回公演はまだ来月まで続きます。

子供達との出会いとともに、初めて行く土地の地名や伝承に触れることも、とても楽しみです。

山形巡回公演

一昨日の月曜日には、文化庁巡回公演で山形県の酒田に行って参りました。

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山形県は実はこれまでの人生で一度も降り立ったことの無い県のひとつでした。

公演前日の日曜夜に感慨深い気持ちで酒田駅を出ると、最初の感想は「風が強いな…」ということでした。

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降ってくる雪も、地面に積もった雪も、絶え間なく吹く強風に飛ばされて一緒くたになって舞い狂っているのです。

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公演会場の「庄内能楽館」の周辺には、広大な松の防風林が続いていました。

その松の様子がまた何とも壮絶なものでした。

多くの松が根元から同じ方向に半ば倒れて生えていたのです。

海側から絶え間なく吹きつける強風に晒されて育って来た結果なのでしょう。

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先日の紀伊半島巡回公演とは全く異なる環境でしたが、小学生の子供達はここでも元気でした。

この辺りには「黒森歌舞伎」という民俗芸能が伝わっていて、この小学校の子供達による「少年歌舞伎」というのも行われているそうです。

地域の伝統文化と共に育った子供達は、能楽も眼を輝かせて観てくれました。

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公演後は能楽師皆でバスに乗り、最上川に沿って新庄駅へ向かいました。

車窓からは”風車”が多く見られました。

松を捻じ曲げるほどの強風を、発電に利用しようということなのでしょう。

厳しい環境を逆手に取った、強かな発想です。

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日が暮れて新庄駅に到着すると、雪が激しさを増していました。

「雪の降る街を」という古い歌が聴こえてきそうな、寒さが身に沁みる北国の風景でした。

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余談ですが今回の山形では、食べ物の美味しさに何度も驚かされました。

ホテルの朝食で出た「塩納豆」や本場の「芋煮」は、本当に毎日食べたくなる美味しさなのです。

また最上川を遡上する鮭で作られた「鮭とば」も、これまで食べた鮭とばとは全く別ものの芳醇な味わいでした。

そして何より「お米」と「味噌汁」の美味しさです。

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山形県はまた度々訪れてみたくなるような、しみじみと良い土地でした。

今回お世話になった皆様どうもありがとうございました。

3番の共通点は…

今日は水道橋宝生能楽堂にて「五雲能」に出演して参りました。

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昨年までの「五雲会」から名称を新しくしてのはじめての「五雲能」開催でした。

2度目の緊急事態宣言を受けて、再び客席数を半分に減らしての開催でしたが、沢山のお客様にいらしていただきました。

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今日の番組は能「竹生島」、「羽衣」、「国栖」の3番です。

楽屋入りして初番の「竹生島」の装束を見ると、興味深いことに気付きました。

後ツレ天女の長絹の色が”白”だったのです。

通常は”紫”の長絹です。

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そこで考えて、ハッと思いつきました。

能「羽衣」のシテも天女、そして能「国栖」の後ツレもまた天女なのです。

天女3番連続…。

これは長絹の色を3通りに変える方針なのだろうな…

と、思ったところで次の「羽衣」の装束が広げられて、またハッと驚きました。

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「長絹」ではなく「舞衣(まいぎぬ)」という装束だったのです。

色は紅。

能「羽衣」は宝生流では稀に「舞衣」で演じられますが、私が過去に見たことのあるのは白い舞衣のみで、”紅の舞衣”で演じられたのは初めてのことでした。

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そして留の能「国栖」の天女が見慣れた紫地長絹でした。

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長絹の色を変えて、また舞の笛も竹生島は「中之舞」、羽衣は「序之舞」、国栖は「下り羽」と異なる調子で、見所のお客様には同じ「天女」には見えなかったことと思われます。

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また全く異なる要素で、今日の能には3番ともに「漁師」が登場しました。

「竹生島」シテは琵琶湖の漁師。

「羽衣」ワキは三保の浦の漁師。

「国栖」シテは吉野川の漁師。

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偶然ながら”湖”、”海”、”川”の漁師が揃いました。

こちらもそれぞれ異なる装束、異なる位取りで、気付かなければ同じ「漁師」とは思われないでしょう。

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このように、その日の舞台の「隠しテーマ」を見つけて、その装束や囃子の変化は実は色々考えて配分されたものだと気がつく事も、能のひとつの楽しみ方だと思います。

紀伊半島巡回公演

昨日今日と、文化庁主催の紀伊半島巡回公演に出演して参りました。

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昨日は和歌山県の有田川に面した中学校での公演、今日は奈良の小学校での公演でした。

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校庭には”登り棒”や”吊りタイヤ”など、私の小学校にもあった遊具が並んでいて、とても懐かしい雰囲気の小学校です。

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そして公演会場の体育館のすぐ裏手には…

能「当麻」に出てくる「二上山」が聳えていました。

来る途中のバスの車窓からは「畝傍山」「耳成山」「葛城山」なども見られて、悠久の歴史を感じる巡回公演になりました。

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今日は私が能「黒塚」のシテを勤めて、終了後には装束のままで子供達からの質問を受ける時間がありました。

過去の巡回公演でも中々に鋭い質問が出て、油断ならないこの「質問コーナー」です。

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今回もやはり、

「鬼女はいつから”鬼”になったのですか?」

というような深遠な問いがあり、回答に四苦八苦いたしました。

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しかし、お囃子の体験コーナーでは逆に「小鼓と大鼓の皮の材質は何でしょうか?」というお囃子方からの質問に、

「アルパカ!」

と答えた子供がいて楽屋は静かに爆笑していました。

小学生とは面白いですね。

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今回の巡回公演はやはりコロナ禍の影響で何ヵ所かの公演が無くなってしまいました。

行けなかった学校、会えなかった子供達のことを思うと非常に残念ですが、せめて昨日と今日、ふたつの学校で公演出来たのは大変有り難い事でした。

関係者の皆様誠にありがとうございました。

またコロナが落ち着いたら、今回行けなかった学校でも公演が出来たらと思います。