今年の煙は凄かった

大山崎宝積寺の鬼くすべ、無事終了いたしました。

昼頃に宝積寺に着くと、満開になった佐野藤右衛門さんの枝垂れ桜が出迎えてくれました。雨上がりの空は、この後段々晴れて来ました。


鬼くすべ開始前に、出席者の前で御住職のお話があり、「最近煙が少ないとの声があるので、今年は盛大に焚きます」とのこと。

半分期待、半分こわごわで本堂へ。

謡の奉納も無事終わり、いよいよ護摩壇の檜の葉に火がつきました。


10分後には…


確かに過去何度も参加した中では経験した事の無い量の煙です。最終的には煙で何が何だかわからなくなりました。。

鬼は蓬の矢で無事に鎮められ、外に出た時の空気の美味しかったこと!

鬼くすべは毎年4月18日に催され、今年でなんと1294回目になるそうです。

今年いらっしゃれなかった皆様も、来年は是非いらしてくださいませ。

大山崎  鬼くすべ

明日4月18日の14時より、大山崎の宝積寺にて大厄除追儺式「鬼くすべ」が行われます。

724年から続くという大変に古い歴史を持つ行事です。

14時になると、宝積寺の仁王門が開いて、御住職を先頭に僧侶の方々、また5人の鬼や七福神など多彩な面々が行列をなして本堂に向かいます。

本堂に全員集合すると、本堂の扉という扉はぴったりと閉め切られて、ほぼ密閉された空間になります。

その後で壇上で護摩が焚かれ、そこに檜の青い葉が次々にくべられます。

すると堂内には白い煙が大量に充満し、燻べられて弱った鬼が更にヨモギの矢で射られて、退散する、という流れです。

ところが燻べられるのは鬼だけに限らず、堂内の僧侶の皆さんや七福神、一般の見物人までが煙にいぶされて大変な事になるという、ちょっと恐ろしい行事でもあるのです。

「最近は煙が少なくなってしまった」と毎年言われますが、私から見ると充分過ぎる量の煙だと思われます。

いらっしゃる方はハンカチか、いっそ大きなタオルがあると良いかと思います。

我々大山崎稽古場のメンバーは、堂内で護摩が焚かれる直前に謡を奉納するのがここ10数年来の習わしになっております。

行事は14時からですが、堂内での見学を希望される方は13時過ぎにはいらっしゃることをおすすめいたします。

境内には三重塔や閻魔大王像、佐野藤右衛門さんの枝垂れ桜や「打ち手と小槌」など、様々な見所もございます。

明日には天気も回復する予報ですので、お時間のある方は是非大山崎宝積寺の鬼くすべにいらしてくださいませ。

舞台の翌日

舞台の翌日に疲れが残っていることはよくあります。特に能のシテの次の日はそうです。

身体的な疲労感は勿論なのですが、心の中でシテの人格が抜けてしまった空虚感というか、表現の難しい脱力感で暫しぼんやりとしてしまうことがあり、今回の百万がそんな感じなのです。

巻絹のシテの最後はこんな状態かもしれません。

これは通常の稽古や他の舞台をすることで徐々に解消出来るものなのですが、今日は久しぶりの休みだったので散歩と公園での読書で過ごして、ようやく現実に戻って参りました。

明日からまた頑張って稽古に舞台に励みたいと思います。散歩の途中で珍しい薄緑色の桜が咲いていました。

読書は梨木香歩さんの「からくりからくさ」でした。

能面も重要なモチーフになっていて、「何かを伝えていくこと」「自分の根っこを見失わずに、勇気を出して変わっていくこと」といったテーマが丁寧な文章で書かれた作品で、深い余韻を残して終わりました。

百万、終了いたしました

おかげさまで、五雲会の能百万が無事に終了いたしました。

今回も沢山のお客様にいらしていただきまして、誠にありがとうございました。

遠くはドイツから、また松本、京都、北陸からもいらしていただいた皆様、重ねて御礼申し上げます。

京都に帰る学生組を、水道橋から徒歩で東京駅の夜行バス乗り場まで行って見送り、先程解散しました。

舞台が終わってからも、今後に向けた課題は山のように提示されました。

明日からまた次の舞台に向けて、頑張って参りたいと思います。

100日目御礼

おかげさまで、当ホームページを開設してから今日で100日目を迎えました。

たくさんの方々に見て頂いて、本当に有り難く存じます。心より御礼申し上げます。

ブログもほぼ1日1回更新しておりますので、100回くらいになると思います。

ブログは「能に関わること」「稽古に関わること」を何処かに織り交ぜる、というルールを自分で決めて書いております。

しかしいつかは書く事柄がどうにも思い浮かばない時も来るかと思います。

そのような時には、必ずしも能に関係の無い、例えば「読んでいる本の話」とか「曲名ではないが、各地で見かけた面白い看板」といった内容を「裏ブログ」のような形で書かせていただきたいと思っております。

ともあれ次は200日を目標に、頑張って更新して参ります。

どうか今後とも当ホームページをよろしくお願いいたします。

申合の意味

今日は水道橋の宝生能楽堂にて、五雲会の申合があり、能「百万」も先ほど終了いたしました。

申合では、「無事終わった」という言い方は適切ではありません。

能楽における「申合」という言葉は、本番前に出演者全員がただ一度だけ集まり、本番に近い形で舞台をやってみて、調整したり直したりする必要がある事項を皆で「申し合わせる」という意味を持ちます。

たった一度の全員集合の機会で、全てが本番同様、想定通りに「無事」終わることはあり得ません。申合を踏まえて、本番までに改善できる要素は必ずあります。

なので、「緊張してよく覚えていませんでした」などということはあってはならず、寧ろ初めてお相手する地謡方の調子や位、囃子方の手組や舞の寸法、またワキ方や子方との掛け合い等々を、一瞬毎に冷静に確認しながら舞台を進めていきます。

そして比較的若い楽師中心の舞台である「五雲会」の場合、特に私のような未熟な若手の役者にとっては、申合の後に先輩方からいただく沢山の注意点がとても重要な意味を持ちます。

これら全てのことを考慮して修正し、「申し合わせた」事柄が本番でその通りに出来た時に初めて「無事に終わった」と言えるのだと思います。

明後日の本番が納得できる舞台になるように、もうひと頑張りいたします。

皆さまどうか明後日は五雲会にお越しくださいませ。

宝生流五雲会:4月15日正午始  於宝生能楽堂  

お問合せ℡03-3811-4843宝生会

百万プロフィール

五雲会の能百万の申合がいよいよ明日になりました。

百万は舞も謡も、その解釈と味付けが難しく、苦労しております。

謡は突き詰めれば「高い」「低い」「早い」「遅い」の組み合わせだ、と聞いたことがあります。

しかしやはりもう少し細かい要素もある気がします。

「年齢」「性別」「職業」「住所」「家族構成」…なんだかアンケートみたいですが。これらも加味して考えないと、その曲の位が理解出来ないと思うのです。

百万で言うと…

・氏名:百万

・年齢:40歳前後

・性別:女

・職業:女芸人

・家族構成:夫(死別)、長男(行方不明)

・住所:本籍地…大和国 西大寺辺り、現在…住所不定(行方不明の長男を探して、奈良から京都へ移動し、嵯峨清涼寺に至る)

こんな感じでしょうか。書いてみると、相当苦労している人ですね。

しかし曲調には不思議と深刻な暗さはありません。むしろ「強さ」や「希望」を感じる場面もあります。

これは彼女が曲舞の名手であったり、大念仏の音頭取りをしたりと言うように、芸人として優れており、その自信と誇りのようなものが現れているからかもしれません。

…このような様々なことを考慮しながら、私なりの百万を頑張って舞わせていただきたいと思います。

桜色はどこに?

昨日の稽古の時に、あるお弟子さんが「桜色の着物で桜川を舞いたい」というお話をされていました。

その流れで桜川の能装束の写真をお見せした所、とても驚かれました。

「桜色じゃないのですね!」

能桜川のシテは、浅葱色の水衣を纏い、腰から下は同系の濃い浅葱色か、萌黄色の縫箔を着けています。

これは専門用語では「色無」と言われて、色無のシテは紅系統の色が一切入っていない装束のみを身につける決まりになっているのです。

つまり「桜川」にもかかわらず、舞台上には桜色は全く見当たらないのです。

シテは桜の花を掬う為の網を持っているのですが、そこにも花弁は載っていません。

観る人の想像力に訴えかけるというのが能楽の大事な要素なのですが、桜川は正にその真骨頂と言える曲だと思います。

場所は桜川、探す子供の名前は桜子、謡の中には「桜」「花」という文字が無数に散りばめられています。

無いのは本物の「桜」だけ。観客それぞれが記憶の中の「桜」を舞台上に投影させることで能が完成するのです。

折しも各地で桜が咲いています。川面に美しく散った花弁も其処此処で見られることでしょう。

その綺麗な風景を眺めて、出来ればその時の心象とともに記憶して、いつか桜川の舞台を観る時に思い出していただけると良いかと思います。

…しかしこれは能桜川のお話で、冒頭のお弟子さんのように仕舞や舞囃子を桜色の着物や桜模様の扇で舞うのは、とても素晴らしいことだと思います。

桃源郷へ

今日はまた松本稽古でした。

先日の稽古では甲府盆地の桃が全く咲いて無くてがっかりしたのですが、今日はどうでしょうか。奥多摩から暫く続くトンネル地帯を抜けると…

おお!桃の花が!

そこはもう桃源郷と言って良い風景でした。街中至るところ満開の桃なのです。

車窓からなのでピントがいまいちですが。

桃と菜の花の競演です。

写真には上手く写りませんでしたが、遠く雪を戴く富士山の姿も見えました。右隅を拡大するとかすかに写っています。

電車で行けるので、厳密には桃源郷というのは間違いで、三笑の慧遠禅師もこんな大きな町はお好みで無いでしょう。

しかし本当に夢のような風景なので、お時間がある方は今週中くらいに是非甲府盆地にお出かけすることをお薦めいたします。

謡いまつがい

昨日、いただいたお菓子を食べる時に「かぼちゃ」「くるみ」味と食べて最後に食べたのが下の味でした。

…「どんもーあ」。新しい植物だろうかと思い、その字で検索までしてしまいました。。

ずっと気になって、布団に入っても考えているうちにハッと気がついて一人赤面しました。

最近はまた、メールで「どうもありがとうございません」と送ろうとして、すんでの所で気がつくということもありました。

自らの言語能力に自信が無くなっている今日此の頃です。

謡本においては、元々が難解な上に、記号がまるで読み仮名のようについているので、言い間違いならぬ謡い間違いが起こりがちです。

私の経験したのは、例えば…

・敦盛…敦盛キリの「盛」の部分の横に「トリ」の記号が書いてあり、「熊谷の次郎直実逃さじと追っかけたり。敦トリも〜!」

・紅葉狩…後ワキ「夢の告げと〜」の「告げ」の横に「ステル」の記号があり、「夢のステ〜!」

また、記号も関係無しの謡まつがいとしては、

・右近…キリの「おさまる都の花盛り〜」を「おさまる都の花飾り〜」

すごい所では、

・右近の同じ所で「おさるの都の花盛り〜!」

というのがありました。

その場では、内心ちょっと笑ってしまったりするのですが、そこで謡本の書き方の難しさや、当たり前に謡っている部分の謡いにくさを再認識できたりするのです。

今日のネタのどれかが自分のことだと思われた方は、大変申し訳ありません。

冒頭の私のネタを、よろしければ何処かでお使いくださいませ。

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