能「安宅」の演出

今月22日にある宝生会別会にて、家元は能「安宅  延年之舞」という大曲を演じられます。

私もツレの同行山伏を勤めます。

この「安宅」は、シテ弁慶の他に子方義経、ツレ同行山伏8人、ワキ富樫、間狂言2人と、舞台上に合計13人の立方が登場します。

登場人物がシテ1人ワキ1人だけの能も多い中で、大変華やかな曲だと言えるでしょう。

これらの人々が混乱なく移動して、舞台や橋掛をフルに使って演技をします。

また持ち物や小道具も、「扇」、「数珠」、「笈(おい)」、「金剛杖」など沢山ありますが、これらを実に上手く入れ替えたり回収したり、また渡したりして効果的に使用します。

因みに私が務めるツレ同行山伏の持ち物は、「扇と数珠」→「数珠のみ」→「手ぶら」→「扇と数珠」と変化します。

実は先程、シテ方全員揃っての稽古があったのですが、一曲を通してやってみると改めて「舞台や小道具の使い方、入れ替え方の妙」を感じました。

これは偏に作者の技量なのでしょう。

見所から見るといたって円滑に進む「安宅」は、水面下では演出の細心の心配りによって成り立っている曲なのです。

別会にいらっしゃる方、また今後に能「安宅」を御覧になる方は、その辺りの「妙」もまた味わっていただければと思います。

絶対晴れる!

今週は火曜日群馬、水曜日大阪枚方、土曜日熱海と三ヶ所で薪能がありました。

このうち、水曜日枚方と本日土曜日熱海は、事前の週間天気予報では雨のマークがついていました。

雨の場合は室内の会場が用意されていましたが、やはり外で綺麗な月を見ながらの舞台というのが一番です。

とは言え天候には逆らえません…と思っていたら、逆らえる人がいたのです。

満次郎師「絶対晴れる!雨は降らないことになっている‼️」

今週の三ヶ所の薪能はすべて満次郎師が中心となり、自らシテも舞われる舞台です。

何としても晴れた夜空の下で演能したい、というお気持ちは痛いほどわかります。

週間予報を度々チェックしながら様子を見ていると…

なんと、水曜日の雨マークが前日に外れて、曇りに変わりました。そして当日夜の枚方、淀川河川敷は、中秋の名月が美しく輝く絶好の夜空になったのです。

更に、本日土曜日の週間予報も雨だったのが、雨のち曇りに変わり、そして先程熱海の会場に入る時には、なんとなんと青空が広がって来ていました。

満次郎師の気合パワーは、本当に雨を吹き飛ばしてしまったのです。

全く非科学的ですが、こういうパワーは実際にあるのかも…と思ってしまうほど不思議な、今週三ヶ所の薪能でした。

私も澤風会の前には、気合パワーで雲を吹き飛ばしたいと思っております。

「後見」の難しさ

シテ方が舞台に出る時、次の3つのうちで一番緊張を強いられるのはどれでしょうか?

①シテ、ツレなどの役。

②地謡。

③後見。

おそらく大半の予想は①でしょう。能楽師にこの質問をしても①と答える人が多いと思います。

しかし私にとっては実は③の「後見」が一番緊張するのです。

「後見」とは、紋付袴姿で横板の隅に2人で座っていて、舞台上の事を色々補佐する役割です。

何故私にとって「後見」が一番緊張するのかと言うと…

・シテの装束は基本的に「後見」が着付けるので、舞台の最中に装束が乱れたりしないか、見え具合は悪くないかなど、常に気を配らねばならない。

・作り物の出し入れも「後見」の仕事なので、出す位置が適切かどうか、また途中で紐が切れたり、竹が折れたりといったアクシデントが無いか、これも常に注意を払う必要がある。

・「物着(ものぎ)」と言って、舞台上でシテが着替える時があり、「後見」は衆人環視の中で装束を素早く正確に着付けることを要求される。

これらに加えて、

・舞台の最中に何かアクシデントがあった場合、静観するのか、何らかの対応をするのかを瞬時に判断せねばならない。

更に、

・シテが急な体調不良などで舞台続行が不可能になった場合、替わりに「後見」が続きを舞う。

という事態も有り得るのです。

そして「後見」はこれら全てのことを、

・決して目立たずに、立ち居振る舞いもお客様の印象に残らないように、何気無く行動しなければならない。

のです。

私は今週火曜日の薪能で「船弁慶」の後見を勤めて、また明後日の日曜日には能「大江山」の後見を勤めます。

舞台が円滑に進んで無事に終わるまで、私は非常に緊張して後見を勤めておりますが、それは決して表面には出さないので、ご覧になった皆様の印象には残らない筈です。

皆様の記憶に残らないように、頑張りたいと思います。

秋の訪れ

ここ数日でぐっと涼しくなりました。

火曜日は群馬県で薪能があり、その日は陽射しが強烈で日没まではとても暑く、「まだ夏みたいだ」と思っていました。

ところが昨日の水曜日。

大阪枚方の淀川河川敷で薪能があったのですが、会場に夕方到着すると風がとても冷たく、今シーズン初めて「肌寒い!」と感じました。

そして今日は信州松本稽古。

朝に松本稽古場の会員さんから「松本凄く寒いです。ストーブつけたいくらいです。」とメールが来ました。

特急あずさで新宿を出ると、車窓から見える風景は、例えば刈り入れが済んで稲が架け干ししてある田圃や、ススキが風に靡いているのや、種類によっては早くも赤く色づき始めている木々など、「日本の正しい秋の訪れ」を感じさせるものでした。

そして松本稽古場では、大変大きくて美味しい栗の渋皮煮をいただきました。

会員さん「主人が8時間かけて煮たものです。」

いつも美味しいお菓子を作ってくださる御主人、どうもありがとうございます。

視覚や味覚で秋を感じた一日でしたが、いかんせん極端な暑がりの私のことです。服装は全く夏のままの半袖シャツ一枚で松本稽古場に行き、皆さんに笑われてしまいました。。

しかし私としては、昨日今日のようにちょっと肌寒いくらいが丁度良いのです。

一年で一番好きな秋が、ようやく来てくれました。

これから気温が下がるのと反比例して、私の行動力は増していく筈です。

ますます稽古や舞台を頑張りたいと思っております。

旅をする蝶

月曜日の京都謡蹟散策の解散後に、私は亀岡稽古に参りました。

実はその日の亀岡稽古では、密かに楽しみにしていることがありました。

8月27日のブログに写真を載せた「フジバカマ」を覚えていらっしゃるでしょうか?

この花です。

秋の七草のひとつでもあるフジバカマには、実は10月初旬にある特別な来訪者があるのです。

「アサギマダラ」という蝶です。

私がこの蝶と初めて出会ったのは、中学校の「科学部」の夏合宿で訪れた山梨県の本栖湖畔でした。

都内では見たことの無い綺麗で大きな蝶が、私のすぐ近くで逃げもせずに植物と戯れていました。

しかしその時には、このアサギマダラに非常に特殊な習性があることは知りませんでした。

アサギマダラは「渡り」をする蝶なのです。

春から夏には主に本州の高原地帯に住み、秋になると南へと移動を始めます。

そして本州から九州へ、更になんと大海原を越えて南西諸島まで渡っていくのです。

中には遥か台湾まで2000キロ以上の渡りをする個体もいるとか。

途中は海上に浮かんで休み、栄養補給はしないということです。

なので、海上に出る前に食餌を済ませる必要があるのですが、アサギマダラが蜜を吸う植物は何種類かに限られます。

このうちのひとつが「フジバカマ」なのです。

私は昨年のちょうど今頃の亀岡稽古の時、フジバカマに飛来した沢山のアサギマダラと出会うことが出来て感動いたしました。

今年も出来れば、長い長い「渡り」の途中に亀岡に立ち寄った彼らと会いたいと、密かに願っていた訳です。

ところが、月曜日は本降りの雨。

フジバカマにはアサギマダラどころか、虫の影さえ一匹も見当たりません。

「今年は会えなかったか。また来年だな…」

と残念に思いながら稽古を終えて、帰りがけにお弟子さんにその話をした所、なんと「昨日フジバカマにアサギマダラが来ていて、写真を撮っていた方がいますよ」とのこと。

更に帰りの新幹線でその写真がメールで送られて来たのです。

この先遥か南西諸島を目指す長い旅の途中で、今年も亀岡のフジバカマに立ち寄ってくれたアサギマダラです。

直接は会えませんでしたが、今も飛び続けている筈の彼らの旅の無事を祈りながら、しみじみと写真に見入ったのでした。

来年はどうか顔を見られますように。

澤風会京都散策2

第12回澤風会翌日の恒例京都謡蹟散策。

北野天満宮御旅所の「ずいき神輿」を見学した後、今度は星の神様で方位の吉凶を司るという「大将軍八神社」へと歩きました。

大将軍八神社の前の道は「一条通り」です。

京大正門前の道が「東一条」なので、このままずっと東に行けば京大に辿り着くのですね。

この「一条通り」、大将軍八神社の辺りでは「妖怪ストリート」とも呼ばれるそうで、「百鬼夜行」の通り道と言われたちょっと怖い道なのを逆手にとって、「妖怪」で地域おこしをしている面白い商店街なのです。

例えば商店街の店先にはこんなモノが…


手作り感満載の妖怪人形です。

「鞍馬天狗」は伊達男なのか?と思ってよくよく見れば、「龍馬天狗」なのでした。。

今ちょっとしたブームの「飛び出し坊や」も、ここではこんな感じ。


青鬼くんや…


ろくろ首ちゃん。

こんなのが飛び出して来たら、運転手さん動転してしまいますね。かえって危ないかも…

毎年秋には「百鬼夜行」を再現した妖怪仮装行列も行われるそうで、今年は10月14日の土曜日らしいです。


沿道では「妖怪アートフリマ・もののけ市」なるものも開催されるということで、こちらも今年は無理ですが日程が合う年に是非行って、面白写真を撮りまくりたいと思います。

…「謡蹟巡りはどうした」と言われそうですが、ちゃんと「右近の馬場」や「土蜘塚」、「式子内親王の墓」などを見て回りました。

しかしこれらは有名な場所なので、改めてここで紹介することはないかな、と…。

合間に食べた、太いうどんが一本だけ長〜く繋がっている「たわらや」の「一本うどん」や、上七軒の入口にある「やきもち」が素朴で美味しかったです。

舞台も散策も無事に終わって、今日からまた通常モードです。

次の舞台に向けて、また稽古頑張って参ります。

皆様どうかよろしくお願いいたします。

澤風会京都散策1

昨日はおかげさまで第12回澤風会が無事に終了いたしました。

京都の澤風会の翌日は、大山崎稽古場の会員で、「大山崎ふるさとガイドの会」のメンバーでもある木村さんのガイドによる京都謡蹟散策が恒例になっております。

今日も朝から散策をして参りました。

今回の目玉は、北野天満宮の「ずいき祭」で使用される特殊な御神輿、「ずいき神輿」の見学です。

何でも全体が野菜で作られているとか。

なんとなく、外国の市場によくあるような野菜満載のワゴンを想像してしまいました。

京都駅からJR山陰線で円町へ。そこから徒歩で「北野天満宮御旅所」へ。

境内に「ずいき神輿」はありました。


想像した「野菜満載ワゴン」とは全然異なり、もっと精緻な装飾が施されています。


説明によると、野菜の他に海苔なども使われており、金色に見える部分も「麦わら」を割いて平らにのばした物を貼り付けてあるそうです。

気の遠くなるような繊細な作業です。

また神輿の四方には、野菜や乾物を使った「美女と野獣」や「土俵入り」と言った「作品」が飾られて、なんともユーモラスな雰囲気を醸しています。

境内には「子供神輿」もあって、こちらの装飾はまた子供が喜びそうな現代的なものでした。


なんと「ミニオン」。


パンダも。

この「ずいき神輿」の原型はすでに平安時代からあったようです。

説明してくださったずいき神輿保存会の方は、「本業は農家で、代々ずいき神輿の為の野菜を育てて来た」と仰いました。

この御神輿もまた能楽と同様に、「五穀豊穣への祈り」という遥か先人の思いが、現代まで大切に伝えられた物でした。

「ずいき神輿」は10月5日まで北野天満宮御旅所で見ることが出来ます。

その後は、解体されて元の畑の土に返されるとか。

京都にいらっしゃる方は、このチャンスに是非御覧になる事をお薦めいたします。

散策はまだ続きますので、この先はまた明日に。

澤風会御礼

おかげさまで第12回澤風会大会は無事に終了いたしました。

朝から終了まで私はただ地謡を謡い続けて、舞台上では何も大きな問題は起こりませんでした。

稽古の成果の発揮ということにおいて、これ以上は望めない程の舞台であったと思います。

初舞台や嘱託披露や、様々な状況の中で舞台を無事に勤められた皆様、本当にありがとうございました。

また次の舞台をどうかよろしくお願いいたします。

本日はこれにて失礼いたします。

明日は第12回澤風会です

明日はいよいよ第12回澤風会大会が、京都大江能楽堂にて開催されます。

今日は朝から最後の仕上げの稽古をして、先ほど無事に終わりました。

今回も良い準備が出来たと思います。

きちんと稽古をされた方にとっては、本番はご褒美のようなものだと思います。

あまり緊張したり心配したりせずに、舞台を楽しんでいただけたら良いと思います。

私は澤風会の本番では基本的に、舞台上で多少間違いがあっても何も反応しないことにしています。

「稽古を積んでいれば、自然に正しい型や謡に戻る」というのが私の経験則なのです。

また、度々申し上げることですが、「稽古を積んだ上での間違いと、稽古が足りない為の間違いは、すぐに見分けられる」というのも経験則です。

能楽は勝敗がつくものではないので、努力してきた成果は、たとえ完璧な結果ではなくても、見所のお客様に必ずわかっていただけるのです。

直前稽古が出来なかった方も、型や謡は既に出来上がっているので、あとは可能な限り良いコンディションで切戸の前にいらしていただければと思います。

明日はどうかよろしくお願いいたします。

小鼓の独調会

今日は新橋の料亭で催された、小鼓の「独調の会」に出演して参りました。

8月初めの京都での太鼓の会、8月終わりの軽井沢での大鼓の会に続いて、今度は「小鼓」だけに合わせて1人(または2人)で謡う舞台でした。

澤風会、郁雲会からも5人の方々が出演され、高級料亭に似つかわしい華やかなお着物姿で、稽古の成果を存分に発揮されました。

小鼓という楽器は、能や舞囃子においては大鼓とペアになって、ひとくさりの内の前半を主に大鼓が、後半を主に小鼓が主導して囃します。

太鼓、大鼓、小鼓とそれぞれの独調を謡ってみて感じたのは、「小鼓の独調が一番難しい」ということでした。

前半を支配する大鼓がいない中で、どんな位でひとくさりを謡い始めるかは完全に「謡い手」に任されます。

謡の途中から入ってくる小鼓の手を聴いて、次のくさりの謡の位を決めていく、というのを何と例えたら良いでしょうか。

何か目をつぶって高い所から水に飛び込むような、水面に到達するまでの間に感じるであろう心許なさのような、そんな感覚を謡いながら繰り返し味わっていました。

しかしその難しさの分、また大変に勉強になりました。

料亭という普段縁遠い場所で、緋毛氈の上で金屏風を背にして謡うというのも、また新鮮な経験でした。

本日の会は、幸流小鼓方の曽和正博先生の古希の御祝の会でした。

曽和先生御目出度うございます。またお招きいただきどうもありがとうございました。