今朝の新幹線から、今シーズン初めて雪をいただく富士山を見ることができました。
新年にこのブログを始めた最初も富士山の写真だったので、感慨深く眺めました。
…本当はもう少し書きたいのですが、本日は覚える謡の量と、考えなければならない事の多さに、ここで失礼したいと思います。
こんな日もあると、どうかご容赦くださいませ。
今日はある稽古場で、会員さんの奥様が仕舞の稽古を始めてくださいました。
その会員さんは、水道橋の謡曲仕舞教室以来もう10年近く稽古されているベテランです。
奥様はこれまでも何度もお会いしたことがあり、東京だけでなく京都の会にまで、会員さんの応援にいらしていただいたこともあります。
しかし、彼此10年近くを経て、その奥様自身がお稽古を始めてくださるとは、正直びっくりいたしました。
今までにも何人か、能とは関係の無かった知人が稽古を始めてくれたことがありますが、そのような場合、最初は何となく気恥ずかしい感じがします。
しかし稽古を進めるうちに徐々にペースが掴めて来ました。横ではご主人が一緒に「サシ」や「ヒラキ」を稽古してくださっています。
奥様はとても筋が良く、今日だけで早くも最初の仕舞「絃上」をひと通り稽古されました。
ご夫婦で稽古されると、お家での話題も増えて大変良いと思います。
今夜は初めての仕舞稽古の話で盛り上がっておられるかもしれません。
どうか末長く稽古していただき、そしていつの日か「夫婦で共演」というのもひとつの目標にしていただければと思っております。
今後ともどうかよろしくお願いいたします。
今回の面白写真、先ずは「普通の看板」と「普通でない看板」の比較から。
普通の店員募集看板がこちら。
そして京都で見かけたのがこちら。
もしかして店員募集でなく、本当に仲間が欲しいだけの可能性もありますが…。
次は「○○禁止」の普通の方。
そしてやはり京都にて。
こんな風に禁止されると、「こちらこそすんまへんな〜」と素直に従いたくなりますね。
次は「能の型」シリーズです。
「左右」のバリエーションで「大左右」もあります。平仮名で書くと…
次にノンジャンルの面白看板です。
大阪にて。この分別方法は初めて見ました。
「一般」と「粗」はどうやって区分するのか興味あります。どなたか教えてくださいませ。
松本にて。
これ全部ひとりの店主がやっているとしたら、なかなか忙しそうです。
私はまだこちらに駆け込む程は疲れておりませんが、いずれ一度偵察に行きたいと思います。
最後は「面白い願い事」
「スーパーゆうめいじん」もすごい言葉ですが、むしろ「おくづかい」。
なんとなくひっそりと秘密に使うお金みたいで、良い響きだと思います。間違いですけどね。。
少し前の写真で、載せるタイミングが無かったのですが、願い事繋がりで。
三ノ輪橋の大衆居酒屋にあった七夕飾りです。
三ノ輪辺りは、決して上品な町ではありませんが、下町の温かい人情味が残っている楽しい町なのです。
それでは今回はこの辺で失礼いたします。
今日はまた台風のために、大山崎の稽古をお休みにしてしまいました。
8月に続けて今年2度目で、大変申し訳なく思っております。。
どうも昔から私は台風の影響を受けやすい気がいたします。
…と言ってもまあ気のせいなのでしょう。台風に影響される人は全国に何千万人単位でいるはずですからね。
このように、「誰にでも当てはまる一般的な事象を、自分だけに当てはまる特別な事だと勘違いしてしまう」という心理にも実は名前がついていて、「バーナム効果」というそうです。
星占いなどはこの「バーナム効果」を上手く利用しているのでしょう。
本当を言えば、自然災害の台風を恨んでも仕方ないことですし、自分の他にも大変な目にあった人は沢山いるのだから、我が身を嘆くことも無いわけです。
それでもつい恨み節を吐いたり愚痴をこぼしたりしてしまうのが人間の性なのでしょう。
能「天鼓」のサシの謡にも、「恨むまじき人を恨み、悲しむまじき身を嘆きて…」とあるので、2000年も前の後漢時代の人も同じような「バーナム効果」の心理状態を味わっていたようです。
ここは寧ろ能「山姥」クセにある「ただ打ち捨てよ何事も」という心持ちを目指して生きていきたいものです。
今日は久しぶりに青空を見ました。これから「天高く馬肥ゆる秋」になっていくのでしょう。
大山崎の皆様、来月は必ず参りますので、どうかまたよろしくお願いいたします。
宝生会別会の能「安宅 延年之舞」はおかげさまで無事終了いたしました。
シテツレ子方合わせて10人が一斉に楽屋で装束を着けて、着いた者から順に鏡の間に移動するので、楽屋はてんてこ舞いです。
楽屋はとても大変なのですが、この「安宅」や、「正尊」、「七人猩々」、「春日龍神 龍神揃」、「鞍馬天狗 天狗揃」などのいわゆる「人数もの」の楽屋は、独特の華やかな空気に包まれます。
装束を着けたツレ同士が互いの姿を見て、「おっ、兜巾が似合うね。ベスト・トキニスト・オブ・ザ・イヤーだね!」などと評し合ったりしています。
安宅のツレ同行山伏の着付(最初に着る装束)は、大抵が白地に紺、緑、茶などの格子柄の模様が入った、そこそこ色のある装束です。
今日の私の着付は…とズラリと並んだ装束を見渡すと…。
白地に格子は皆と一緒なのですが、格子の色は薄い茶と銀鼠色で、全体に非常に落ち着いた(地味な…)色に見えます。。
しかし内弟子さんが言うには「澤田さんの着付は、僕のおすすめのシャンパンゴールドです!」
成る程!シャンパンゴールド!
…何か派手な着付に見えて来ました。
装束を着けて鏡の間に行くと…
先輩「あれ、澤田くんの着付、なんか地味だね」
私「いえいえ派手です。シャンパンゴールドですから!」
そういった空気も本番が近づくにつれて、まるでゴム飛行機のプロペラを廻すように徐々に引き締まっていきます。
そして囃子方の「お調べ」が始まる頃、鏡の間には、各々の緊張感が綯交ぜになった非常に張り詰めた空気が漂います。
やがて聞こえてくる「次第」の囃子に乗って、身も心もツレ同行山伏となった私は舞台へと飛び出して行くのでした。
今日は水道橋宝生能楽堂にて、藪克徳師の同門会「篁風会」に出演して参りました。
朝9時開始で、終わったのが19時40分。
毎年のことながら実に盛大な会だと思います。
能が「杜若」で、その他舞囃子もたくさん出ました。
実は今日の舞囃子の中で、ちょうど来年の郁雲会澤風会で出る予定の珍しい曲があり、密かに参考にさせてもらいました。
また素謡も多くあったのですが、この素謡の時に驚いたことがあります。
素謡「半蔀」は、番組にはシテとワキの2人だけのお名前が書いてありましたが、始まってみると20人以上の地謡が座っておられます。
会主「すいません、人が少ないと寂しいから誰か出て、と言ったらこんなことになりました…。」
いやいや、実に素晴らしいことだと思いますよ。
出る予定でない素謡に出て地を謡えるということは、前にその曲をきちんと稽古していないと無理なことです。
今日は「半蔀」以外の素謡にも地謡が本当に大勢出ておられたので、篁風会の皆さんはちゃんと稽古した曲のレパートリーが多いということなのでしょう。
我が澤風会も、「地謡に飛び入りしてもすぐにちゃんと謡える力」、略して「地力」をもっともっとつけていきたいものだと、大いに刺激を受けたのでした。
…明日の別会「安宅」に備えて、私は早く休みたいと思いますが、なんと藪君も明日私と同じ安宅のツレ同行山伏を勤めるのです。
彼のタフさもまた、見習いたいものだと思いました。
今日は水道橋宝生能楽堂にて、明後日開催の宝生会別会の申合がありました。
かねてから書いておりますが私は宝生和英家元のシテによる能「安宅 延年之舞」の、ツレ同行山伏を勤めます。
能「安宅」は見処満載の曲ですが、私が個人的に好きなところは、
①シテツレ合わせて9人同吟による、都〜安宅の関までの道行。
②全員素早く二列縦隊になっての最後の勤行。
③全員素早くV字型に座っての勧進帳読み上げ。
④橋掛を端から端まで走りながらのシテ謡「あ〜〜〜〜〜〜暫く‼️」。
⑤全員でスクラムを組んでのおしくらまんじゅう。
⑥弁慶の舞。
⑦同行山伏達の一斉退場。
と言ったところです。
このうち特にツレ同行山伏達の息の合った動きが重要なのが②③⑤⑦のシーンなのですが、実は最後の⑦が私にとっては意外とネックなのです。
…と言いますのは、⑤まで終わるとツレ同行山伏達は舞台を取り囲むようにL字型に座って、そのまま最後まで殆ど動けないのです。
今日の申合でも、途中段々と足が痺れてくるのがわかり、⑦のシテ謡「疾く疾く発てや」で正に早く立たないといけないのに、私だけ立てずに置いてけぼりになったらどうしよう…と不安になってしまいました。
しかしその時、視界の端に見えたのが他のツレ達の様子です。何となくみんな足が辛そうな雰囲気なのです。
「自分だけしんどいのではないらしい」と思えると人間なぜか変に安心するもので、⑦のシーンでも無事に立って速やかに退場できました。
とは言え今日は着物に袴姿、明後日の本番は重い装束を着けての舞台です。
今日明日はちょっとだけ控え目な食事にして、本番で「疾く疾く」立てるようにしたいと思います。
少し前に「アルファ碁」という囲碁のコンピュータプログラムが、人間の最強棋士に勝ったというニュースがありました。
そして今日見たニュースでは、そのプログラムの進化版「アルファ碁ゼロ」が出現したそうです。
「アルファ碁」は過去の棋士の対局データを参考にして強くなるソフトでしたが、「アルファ碁ゼロ」の方はなんと、「先人の知恵」を一切排除して、「自己対局」を500万回繰り返して学習し、結果「アルファ碁」との100番の対局に全勝してしまったというのです。
これは色々考えさせられるニュースでした。
昔から綿々と続いて来た対局の積み重ね、その棋譜を勉強することで新しい戦法を磨いて来た歴史、そう言ったものが「アルファ碁ゼロ」の前では全く無意味なことになってしまうのです。
これが他の様々な分野に応用されていくと、やがて人間の居場所は無くなってしまうのでは、というSFのような心配をしてしまいます。
しかし「能楽」に関して考えてみると、「自己対局のみによる最強化」というのは不可能ではないでしょうか。
正しい型付、正確な地拍子、美しく聴こえる謡の声の周波数、といったものをインプットして、「あとは自分ひとりで稽古しといてね」と放っておいても、「味のある舞台」というものは出来ないのではないかと思います。
同じ時代にたまたま居合わせた手練れ同士が、舞台上で時には互いに自己主張し、時には相手の間合にあわせて、微妙な均衡の元に創り上げる熱い舞台。
そういったものには、まだ人工知能の入り込む余地は無いのではないでしょうか。
また個人的には囲碁や将棋においても、やはり生身の人間同士の対局にはその棋士の「人生」や「人となり」が反映されて、そこに勝敗を超えた面白味がある気がします。
「能楽師」には個性が強烈な人が多くて、たまに往生する時もありますが、その「人間臭さ」が舞台には必要であるが故に、能楽はこの先もAIに道を譲ることは無いのだろう、「アルファ能」は生まれないのだろうと思うのです。
今日は故辰巳孝先生の十三回忌法要が大阪香里園の先生の御自宅で営まれる日でした。
私も勿論伺う予定にしておりましたが、朝起きると喉の痛みが増しており、どうやら熱も出て来たようです。
周りの能楽師の皆さんに、万が一にも風邪をうつすことがあってはなりません。
誠に申し訳ないと思いながら、法要欠席の旨を連絡いたしました。
その後風邪薬を飲んでうとうとしながら、辰巳先生のことを色々思い起こしてみました。
先生の思い出は実に沢山あるのですが、やはり私を能楽の道に導いてくださった出来事が先ず頭に浮かびました。
私が京大4回生の時、京大宝生会は11月の自演会で2年ぶりに能「春日龍神」を出すことになり、私は地頭を勤めました。
4年間の集大成であり、またその前年に能を出せなかった悔しさもあったので、私は夏以降は「春日龍神」にかかりきりになりました。
毎日春日龍神を謡い、また後半達に代わる代わる鸚鵡返しをするうちに、9月頃には最初のワキ謡「月の行方も其方ぞと…」から最後まで、無本で謡うようになりました。
そうして全力投球した自演会も無事終わり、達成感と脱力感でボンヤリと過ごしていた年末のある日。
小川先生から連絡がありました。
「澤田さん来年の七宝会の地謡に入っているけど、知ってはる?」
七宝会は辰巳先生が主宰されている関西宝生流の公式な定例会です。
私にとっては青天の霹靂で、詳しく伺ってみると、来年の予定番組で能「竹生島」の地謡の末席に私の名前があるとのことでした。
当時23歳の私のような若輩者が七宝会の地に入るなど、全く思いもつかないことでした。
小川先生「辰巳先生はちゃんと見てはったのやねぇ」
「春日龍神」の地謡が、あの辰巳先生に認められたということなのでしょうか。
私は素直に感動いたしました。
まだ玄人になることまでは考えておりませんでしたが、その時に「自分は辰巳先生の元でこれからずっと宝生流をやっていくのだ」と強く決意したのを覚えております。
その辰巳先生が亡くなられてもう十三回忌になるとは、まさに光陰矢の如しです。
この道に私を導いてくださった先生に心より感謝しつつ、今日は辰巳先生の思い出をゆっくりと考える日にしたいと思います。
今日は東京都稲城市にある南山小学校で能楽教室をして参りました。
南山小学校では1年前にも同じように能楽教室をしたのですが、その時の参加者は6年生がたったの5人だけだったのです。
京王相模原線の稲城駅を降りて南東方向に15分程歩くと、道は段々と登り坂になります。
そして造成中と見られる広大な空き地の向こうに立派な校舎が見えて、そこが南山小学校でした。
1000人の児童でも対応出来そうな真新しい建物に、ほんの少しの生徒さんたち。
副校長先生「宅地の造成などがこれから始まる新しい街なのですが、街が出来る前に小学校が先に出来てしまったのです」
成る程そういう事情だったのですね、と腑に落ちて、5人の元気な生徒さん達を前に頑張って能楽教室をしたのが去年のこと。
今年再び稲城駅で降りて、街はどうなっているだろうかと同じ道を登っていくと、まだまだ空き地は多いのですが、新しい大型マンションや、分譲住宅地が増えて、お店や建物も新しいものが多く見られました。
街が段々に成長している感じです。
そして能楽教室参加者は、なんと去年の約5倍増の23人でした!
5人でも元気一杯だった子供達が、23人です。
非常に高いテンションで、充実した能楽教室をすることが出来ました。
風邪気味で喉は本調子ではありませんでしたが、子供達に元気をもらった感じで、終わった時には何か気分がスッキリしておりました。
来年またこの街に来れたら、今度は何人の子供達に会えるのか楽しみです。
そしてこの新しい街がどんな風に成長していくのかを見るのも、また楽しみのひとつになりました。