オーロラとヤンキースタジアム

昨日は久しぶりの田町稽古だったのですが、そこでとても羨ましいお話を聞きました。

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お2人の会員さんが、それぞれアイスランドとニューヨークに行って来られたそうなのです。

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アイスランドには「オーロラ」を観にいらしたそうで、見事なオーロラが観測出来たということです。

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またニューヨークにいらした方は、7月に彼の地で生まれたお孫さんの顔を見にいらしたそうなのですが、観光も存分にされて、なんとヤンキースタジアムでヤンキースのプレーオフの試合を観戦されたということなのです。

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こう見えて私は、「大自然の驚異的な景色を見ること」や「スポーツ観戦」が大好きなのです。

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京大時代には、知床半島や屋久島、またアラスカに旅行したり、サッカー、アメフト、野球などを観戦したりしていました。

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今でも時間さえあれば、本当はそれらのことがしたいのです。

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自分の中での密かな夢がいくつかあり、「30代でダイビングをする」は幸運なことに叶えられました。

「40代でサーフィンをする」はちょっと厳しそうです。。

「50代で渓流釣りをする」というのが今後の夢ですが、「オーロラを観ること」、「メジャーリーグ観戦」も夢に追加したいと思います。

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実現するかどうかはともかく、オーロラの下やヤンキースタジアムにいる自分を想像しつつ、今日も舞台と稽古を頑張ろうと思います。

日本最古の小学校にて

松本にある「開智小学校」は、日本最古の小学校のひとつである「開智学校」の流れをくむ歴史ある小学校です。

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実は澤風会松本稽古場で稽古している女の子「ふうちゃん」がこの開智小学校で学んでいます。その縁で、一昨年から毎年開智小学校で能楽教室を開いているのです。

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今日は第3回能楽教室でした。

重要文化財である明治初期の洋風建築「旧開智学校」の建物。重厚な歴史を感じる、味わい深い建造物です。

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その「旧開智学校」に隣接して、広い敷地の「開智小学校」があります。

校内に入ると、玄関にはこんな貼り紙が。

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歯医者さんの先生と並んで書いていただいておりました。なんだかこそばゆい感じです。

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能楽教室は体育館に6年生全員が揃って行われました。

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壇上には私と共に、お手伝いいただいた松本澤風会の会員の方々が。よく見ると、私の隣にとても小さなシルエットが見えます。

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来年から開智小学校に入学する、澤風会最年少の男の子です。今日は幼稚園をお休みして、能楽教室に参加してくれました。

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彼が入学してくれたら、あと少なくとも6年は能楽教室が続けられると思います。

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そして能楽教室が続いている間に、「開智小学校に能楽クラブを作る」というのが、私の密かな目標なのです。(書いてしまっていますが…)

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国宝松本城からは徒歩2分、日本最古の小学校である旧開智学校の流れをくむ「開智小学校」の子供達に、世界最古の舞台芸術である「能楽」を学んでもらうのは、とても意義深いことだと思うのです。

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その目標に向かって、今後も地道に努力して参りたいと思います。

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からまつをしみじみと見き

今日は先月の松本澤風会以来の久々の松本稽古でした。

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いつものように特急あずさで新宿を出て、少しうとうとしたのですが、小淵沢辺りで目が覚めて外を見ると、鮮やかな黄金色が眼に飛び込んで来ました。

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落葉松の黄葉です。

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春の甲府盆地の桃の風景と同じくらい、私の好きな中央本線沿線の秋の景色でした。

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「松」は能楽において最も重要な樹木と言って良いでしょう。

「鏡板」にもなっており、「永遠に緑であること」で「長寿」や「神性」のシンボルとして崇められて来たのです。

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ところが日本で唯一、葉を落とす松の仲間があり、それが「落葉松」なのです。

葉が落ちてしまうのは「松」のイメージとは矛盾してしまうかもしれません。しかし私は紅葉の中でも、この落葉松の少し控え目な色の黄葉が、何とも言えず好きなのです。

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「からまつの林を過ぎて

からまつをしみじみと見き

からまつはさびしかりけり

旅ゆくはさびしかりけり」

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という北原白秋の詩ほど、旅情をかき立てる詩を私は知りません。

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落葉松林の中を孤独に歩く、草履に脚絆、マントを羽織った明治大正時代の旅人の姿が眼に浮かびます。

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茅野から上諏訪辺りまで、この落葉松の風景にしみじみと見入った私は、何とも言えない満足感を抱いて松本駅に降り立ったのでした。

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※このホームページを管理するアプリを最新バージョンに更新したところ、文章の行間を自在に空けることが出来なくなってしまいました。

行間の幅も含めて、私の好みの文章になっていたのですが、暫くは試行錯誤で行間を管理したいと思います。

お見苦しいかと思いますが、暫しの間どうかご容赦くださいませ。

ニューヨークからの撮影隊

今日は宝生能楽堂にて月並能がありましたが、その前に私はもうひとつ仕事がありました。

江古田稽古場にて、ニューヨークから遥々いらした写真家のマグダレナ・ソレさんと彼女の生徒さん達による写真撮影があったのです。

「生徒さん達」と伺っていたので、学生さんかと思ったら、皆さん私の母親に近い年齢の方々でした。

マグダレナ・ソレさん一行は京都や東京で日本の様々な風物を撮影されていて、その中で「能楽師の写真が撮りたい」とのことで、私の所にいらしてくださった訳です。

ひとつ問題は、一行は日本語が殆んど話せず、私は英語が全く喋れないという事でした。

そこで私の知人の中で最も英語が堪能で、しかも宝生流の稽古もしているという人に助けを求めました。

プロフェッショナルの通訳で、先日宝生能楽堂にて、能楽通訳ガイド研修も受講してくれた勝木さんと、最近稽古を始めた高校英語教師の石崎さんです。

この2人に、私の内弟子同期の若手能楽師を2人加えて撮影が始まりました。

皆さん見るからに高性能な一眼レフカメラで、10人程で代わる代わる沢山の写真を撮影されました。

途中私が簡単な説明をするのを、すかさず勝木さんが英語に直して伝えてくれて、それを聞く度に皆さんは「ホォーッ」と感嘆の声を上げて、更に熱心にシャッターを切っておられます。

実は先日も書いたのですが、今回の撮影は私のこのホームページをご覧になった日本人の方から依頼を受けたお話でした。

ホームページ由来のお仕事は初めてで、どのような方々がいらっしゃるのかドキドキしていたのですが、結果的には皆さん大変良い方々で、撮影を通じて能楽に興味を持っていただけて、とても有り難く思いました。

ニューヨークに戻られてから、出来上がった写真をお送りくださるとのことで、非常に楽しみにしております。

ホームページがきっかけの縁が、今後もっと増えていけば良いと思います。

勝木さん始め本日お手伝いいただいた皆様、本当に色々どうもありがとうございました。

今年の「薪能納め」

今日は静岡の沼津御用邸にて薪能がありました。

「松籟の宴」という一連のイベントの一環で満次郎師が半能「融」を舞われたのです。

私にとっては、「今年最後の薪能」でした。

御用邸の松林の中で「竹のインスタレーション展」が開催されており、その作品のひとつの前に能舞台が組まれていました。

「インスタレーション」とは初めて聞きましたが、「空間と一体化させた芸術作品」といったもののようです。

題名もついており、どうやら「生け花」の要素がある作品なのですね。

さらにその作品を背景に能を演ずる訳なので、「能×インスタレーション×御用邸松林の風景」という、大変芸術性の高い空間が出来上がりました。

11月半ばの薪能という事で寒さが少々心配でしたが、幸いにそれ程気温が低くならずに、満席のお客様の前で無事に舞台を終えることが出来ました。

火入式の奉行役でいらした沼津市長さんは能楽好きだそうで、「出来れば毎年恒例の舞台にしたいです!」と前向きに仰ってくださいました。

繰り返しですがこの舞台が今年の「薪能納め」でした。

しかし能楽堂での舞台や稽古はまだまだ続きますので、年末までノンストップで頑張って参りたいと思います。

座ったままで舞う曲

今日は午前中に水道橋宝生能楽堂にて、明後日開催の月並能の申合がありました。

私は能「熊坂 床几之型」の地謡を謡いました。

「床几之型」の小書でわかるように、後シテの大盗賊「熊坂長範」が暫くの間床几に腰掛けたままで演技をする特殊演出です。

あまり詳しく書くとネタバレになってしまうのですが、今日地謡座から見てとても興味深い小書だと思いました。

人によっては「床几にかけて型を出来るので、歳をとってからやる為の小書だ」と考えるようです。

しかし私は少し違う印象を受けました。

通常の「熊坂」は薙刀を担いで登場して、舞台いっぱいを使って牛若丸との大立ち回りを派手に演じます。

そのシーンを床几にかけたままで舞うと、少々地味になるのでは、と思われます。

ところが、確かに動く範囲はごく狭くなりますが、そこにまた違う効果が現れた気がしたのです。

「観客の眼がシテに集中していく」という効果です。

一点だけを見続けることでシテの動きに徐々に感情移入していき、型のひとつひとつが通常よりもむしろ強く印象に残るのです。

因みに床几に長く腰掛けて型をする能は他にもあり、やはり同じ効果を狙っていると思います。

例えば能「頼政」がそうですが、これは途中で立ち上がります。

また能「海人 懐中之舞」は、前シテの「玉之段」を床几にかけて演じますが、後シテは立って舞います。

それらと比べてもこの「熊坂 床几之型」は、「座ったままでどこまで舞えるのか」を究極的に突き詰めてみようという、作者の強い意思を感じるのです。

いったいどこまで座って舞うのか、興味を持たれた方は是非、宝生能楽堂にて明後日の日曜日14時開演の「月並能」においでくださいませ。

きっと驚かれると思います。

異名同曲と同名異曲

今日は昼過ぎに京都金剛能楽堂で京大能楽部自演会「能と狂言の会」の申合があり、その後バタバタと東京に移動して、これから水道橋宝生能楽堂にて「リレー公演」に出演いたします。

3ヶ所の能楽堂(宝生能楽堂、矢来能楽堂、梅若能楽学院会館)で今日から3週間にわたって同じ演目を上演する企画です。

「同じ演目」と書きましたが、チラシの表には「黒塚」と「安達原」の2つの曲名が書かれています。

内容は同じ曲でも宝生流では「黒塚」、観世流では「安達原」と呼ぶのです。

このように全く違う名前になるのは珍しいのですが、同じ曲を「少しだけ違う」曲名で呼ぶことは多くあります。

・宝生流「草紙洗」は観世流では「草子洗小町」、喜多流では「草紙洗小町」。

・宝生流「大原御幸」は喜多流では「小原御幸」。

・宝生流「八島」は観世流では「屋島」。

などなど。ややこしいところでは、

・宝生流「枕慈童」は観世流では「菊慈童」ですが、観世流「枕慈童」という曲もあり、こちらは宝生流とは内容が違う曲になります。更に金剛流には、同じ慈童が出てくる「彭祖」という曲もあります。

こうなると書いていても訳が解らなくなります。。

しかし逆に曲名通になると、曲名を見ただけでどの流儀かわかるようになり、それはそれで楽しいかもしれませんね。

興味ある方は是非調べてみてくださいませ。

今日はこれにて。

渡り鳥

今日は夜に香里能楽堂で、新作能「復活のキリスト」の稽古がありました。

京都から香里園に京阪電車で向かったのですが、途中車窓から、渡り鳥の編隊飛行を見ました。

淀を過ぎて八幡市との中間くらいの所で、遠くの空でしたが10数羽の比較的大型の鳥達が、逆V字の隊列を組んで、北東から南西方向に向かって飛んで行ったのです。

「ああ、秋だなあ」としみじみ思いました。

私が見たのは、推測ですが鴨の一種で、大阪城公園にある飛来池を目指していたと思われます。

能「花筺」のシテ照日の前は、南に渡っていく渡り鳥である「雁」を道案内にして、越前国を出発し大和国桜井にあった玉穂宮を目指しました。

しかし、実は現代日本においてはこの「花筺」のエピソードは成立し得ないのです。

…というのは、雁がシベリアから飛来する南限が、現在は島根県の宍道湖だそうだからです。

日本海側までしか渡って来ないと言うことは、福井県から奈良県に向かうための道案内にはなりません…。

これにはやはり地球温暖化が影響しているようです。

明治の頃には上野の不忍池にも雁がいたそうで、もっと昔の継体天皇の時代には、大和国辺りまで渡っていたかもしれません。

しかし、じわじわと暖かい地域が北上して行き、もしかすると遠い将来には、本州では雁の渡りが見られなくなる、という日が来るかもしれません。

一介の能楽師の私ですが、やはり地球の環境が変化していくのは気がかりなことです。

渡り鳥を見てしみじみと秋の深まりを感じる風情が、いつまでもこの日本にあってほしいと思うのです。

亀岡の花々〜木の実の段〜

今日は暦の上では「立冬」だそうですね。

冬の気配を感じる筈の日ですが、亀岡稽古に行ってみると日中は暖かく、小春日和でした。

この時期になるとさすがに花は殆ど咲いていませんが、かわりに色々な「木の実」が見られました。

遠目にも鮮やかな赤色の中に、黒い実が点々とあってなかなかインパクトがあります。

これは「ベニバナヤマシャクヤク」の実です。

花は「芍薬」の名前の通りにピンク色の楚々とした風情なのですが、実の方は何か妖艶な美しさでした。

赤い実の「ヤブサンザシ」です。

名前の由来はこの実が「サンザシ」の実に似ているからで、全く違う植物だそうです。

美味しそうに見えるこの実なのですが、食用になるのは「サンザシ」の実の方で、残念ながら「ヤブサンザシ」の実は食べられないらしいです。

「ハクサンボク」です。

こちらの実も何となく食べられそうですが、これはホワイトリカーに漬けて果実酒に出来るそうです。

因みに「赤い実」は、鳥に食べてもらい易いように目立つ色をしているが、じつはそんなに美味しくなくて、目立たない色の実の方が美味しい、という説を聞いたことがあります。

次はそのような地味な色の実を紹介します。

これは「シロヤマブキ」。

こちらは前に花も紹介した「ヤブラン」です。

「ヤブラン」の実は、実際食べて美味しいと書いている人がいました。「シロヤマブキ」の方は調べてもわからなかったので、おそらくアウトなのでしょう。

どちらも「草木染め」の材料になるようです。同じ黒い実でも、染めると「シロヤマブキ」は薄緑色、「ヤブラン」は紫系の色になるようで、実の色と全く違う色になるのが草木染めの面白いところです。

石の隙間に本当にひっそりと、小さな花が咲いていました。

これは「キチジョウソウ(吉祥草)」だそうです。

この花が咲くと良いことがあるということなので、最後に見られて何か嬉しい気分になりました。

能「通小町」には、小野小町の霊であるツレが様々な木の実を歌うように紹介する内容の箇所があり、「木の実の段」とも呼ばれます。

私の紹介ではそれこそ「花」がありませんが、これにて「亀岡版・木の実の段」をお終いにさせていただこうと思います。

「八島」幻想

今日は2ヶ月ぶりに大山崎稽古に行って参りました。

先月は台風21号の影響でお休みしてしまったのです。

謡は今日から新しい曲「八島」が始まりました。

実はこの「八島」に関しては、前々から不思議に思うことがありました。

「前シテが老人である」ということです。

能においては、神様や死者や化物などの化身である前シテは、本体である後シテと年齢性別が一致しないことはままあります。

しかしながら、「八島」の後シテである源義経は、他の一連の所謂「判官物」シリーズでは、あえて子方に演じさせる程に「若さ」と「輝き」をアピールしています。

その義経の化身が「老人」。

例えば別の勝修羅物「箙」の前シテなどは直面で、若者が演ずることが多い曲です。

「源義経」に格を与える為に老人にしたのでしょうか…。

ふと思いついたのが、別の可能性です。

全くの私見なので笑っていただいて構いません。

それは「義経は老人になるまで生きていた」という可能性です。

現在においてさえ、義経は衣川で生き延びて、北海道から大陸に渡り…という説があります。

まして義経の死後それ程時間の経っていない室町時代ならば、より信憑性の高い噂があってもおかしく無いと思います。

また多くの民衆も義経に「生き延びていてほしい」と思っていた筈で、それを汲み取った世阿弥が前シテの年齢設定にその願望を反映させた、というのは穿ち過ぎでしょうか。

しかし、そう解釈する方が夢があると私は思うのです。

例えばモンゴルの大平原が舞台で、「八島」と同じ年恰好の前シテが現れる。

そして老人は「衣川以後、モンゴル帝国建設まで」を物語って消え失せ、やがて後半になると「八島」の頃よりもはるかに風格を増した後シテが登場する。

…というような新作能を想像するだけで、私は心が湧き立ってくるのです。