物の名も処によりて…

能「芦刈」で、「物の名も処によりて変わりけり」という謡があります。

難波では「芦」とか「葦」と呼ばれる草を、伊勢では「濱荻」と称する、という内容です。

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今日は「冬至」ですが、冬至にはよく「かぼちゃを食べると良い」と聞きます。

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この理由をちょっと調べたところ、関東ではかぼちゃを「唐茄子(とうなす)」ということがあり、冬至に因んで「と」の付く食べ物を食べると身体に良いと言われているそうです。

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しかし、関西ではかぼちゃは「なんきん」とも言われており、冬至には「ん」の重なる名前の物を食べて「運」をつける、と京阪電車の「いもたこなんきん」という居酒屋の吊り広告で見た記憶があるのです。

何となく、関西の説が風情がある気がします。

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私は予備校まで東京で、大学で初めて関西に行ったので、「かぼちゃ」と「なんきん」のような単語の違いに驚く事がしばしばありました。

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「饂飩、蕎麦のきつねとたぬきの違い」や、「大学の学年を”1回生”、”2回生”と呼ぶ」ことなど、例は枚挙に暇がありません。

ところが一番インパクトがあったのは、意外にも「今川焼き」だったのです。

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小学生の頃から澤田家のおやつの定番のひとつだった「今川焼き」。

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しかし京都でお祭りの屋台を眺めていると、東京の縁日では必ずある筈の「今川焼き」という屋台がひとつも見つかりません。

かわりに「大判焼き」とか「回転焼き」と称して、今川焼きと全く同じ物が売られていたのです。

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更に京都の下宿近くの銀閣寺道交差点にあった菓子店では、「大文字焼き」の名前で売られているお菓子が、やはり食べると今川焼きと同じ味でした。

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一番驚いたのが、大阪香里園の辰巳孝先生のお宅にて、「澤田さん、”ござそうろう”食べはる?」と聞かれた時でした。

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私の脳内で「御座候」は謡の文句であり、「食べる」という方向に変換出来ずに「はぁ?」と間抜けな声を上げてしまいました。。

そしてその後お盆に乗せられて来たのが、また「見た目も味も今川焼き」のお菓子だったのです。

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という訳で、「物の名も処によりて変わりけり」と聴くと、いまだに何となく「今川焼き」と「御座候」を思い出してしまいます。

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とりあえず今日は、これから「ん」が付く食べ物を何か食べて「運」を付けておきたいと思っております。

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江古田稽古場の忘年会

今日は江古田稽古場の稽古納めと忘年会がありました。

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もう10年ほど前になるジパング倶楽部時代から続けてくださっている8人の方々や、学生時代から稽古されている大ベテランの方々などで、江古田駅近くの割烹で賑やかに宴会をいたしました。

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席上である会員さんが「忘年会とは、その年の苦労を忘れるために行う宴会だそうです」と仰いました。

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個人的には、今年も嬉しい事が沢山あり、また悲しい出来事も多くありました。

そしてそれらの物事と平行して、必ず日々の稽古或いは舞台のどちらかがあった訳です。

稽古も舞台も、必然的に何がしかの「苦労」を伴うものです。

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つまり、今年の苦労を忘れるという事は、今年の悲喜交々も忘れてしまう事になってしまいます。。

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なので私はむしろ、「色々あり過ぎて忘れてしまいそうな、この1年に起こった様々な出来事を、みんなで思い出す会」の略称として「忘年会」と思うことにしたいと思います。

…ちょっと強引ですかね…。

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江古田稽古場の皆様、今年も色々とありがとうございました。

来年もどうかよろしくお願いいたします。

遅延の理由は…

ちょうど一週間前に、早朝の青森駅で停電トラブルに巻き込まれた話を書きました。

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するとそれを読んだ青森在住の京大宝生会の同期から、「何かいつもトラブルに巻き込まれているね」とメールが届きました。

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確かに今年も、鉄道絡みでは色々な事がありました。

・大雪、豪雨、台風による遅延。

・イノシシやシカと衝突しての遅延。

これらは毎年の事なのですが、それ以外にも、

・京都から東京行きの新幹線に乗ってすぐに「お客様の中でお医者様か看護師の方がいらしたら、至急7号車のデッキまでいらしてください」とアナウンスがあり、ややしてから「この列車は米原駅で臨時停車します」と再度放送が。

そして米原駅で暫し止まった後に「看護師の方のご協力により、急病のお客様を無事に救急搬送出来ました。」とまた放送があり、車内には何となく安堵の空気が流れました。

…という事などもあり。

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今月に入っても、

・車が踏切に強引に進入して、遮断機の棒が折れて線路を塞いだ為に特急あずさが遅延。

またその後に、先週の青森駅の停電がありました。

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…そして昨日。

亀岡稽古を夜に終えて、京都駅に移動して新幹線に乗ろうとしたら、いつも乗る比較的空いている「ひかり」がホームにいません。

その理由は…

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「岡山駅でお客様のペットの犬が新幹線ホームから線路に降りて現在逃走中のため、ダイヤが乱れております」

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…新幹線の線路を必死で逃げる犬と、それをまた必死に追いかける駅員さんを想像すると、大変失礼なことながら少しニヤリとしてしまいました。

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今年もまだ長距離移動が何度かあり、来年もまた電車に乗る日々が続きます。

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勿論移動中は何事もないのが一番なのですが、ここまで来ると次はどんな思いもよらない出来事が起こるのか、少しだけ期待する気持ちもあるのです。

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また何か驚くような事があれば、ご報告させていただきます。

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…あの逃げた犬が、無事に飼い主の元に帰れたことを祈りつつ。

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続 すごい記憶能力

10月29日のブログで、「すごい記憶能力」を持つ京大農学部林学科時代の友人の事を書きました。

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黒板の文字を映像として全て記憶出来るので、ノートを一切とらないという人でした。

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その時には「今となっては連絡の取りようがない」と思っていたのですが、実は偶然が重なって、彼とまた縁が繋がる可能性が出て来たのです。

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あのブログを書いた後に、試しに彼の名前でグーグル検索をしてみると、彼はやはりその後森林の研究者の道を進んで、今では神戸大学農学部の准教授になっているようでした。

しかし、わざわざ彼の大学用のメールアドレスに連絡するのも変な気がして、まあ元気に研究者をやっているなら良いと満足していました。

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それが最近になって、神戸大学宝生会を指導している宝生流教授嘱託の方より、「うちの学生の○○くんは、農学部の授業でよく山に行っているらしいので、先生(私の事)と話が合うかもしれないですよ」と聞いたのです。

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「神戸大学農学部」で「山」に行く授業。

もしかして彼と繋がりがあるかもしれません。

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そして一昨日の関西宝連が終わった後の宴会で、その神戸大学宝生会の学生に駄目元で聞いてみました。

「神戸大の農学部に、僕の友人の□□という名前の准教授がいるのだけど、知らないかな…?」

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すると「えっ!僕その先生の授業を受けてますよ!」

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なんと、ピンポイントで繋がってしまいました。

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神戸大学宝生会が復活していたこと。

そして彼が神戸大学農学部の准教授になっていたこと。

さらにまた私が彼の「すごい記憶能力」をブログに書いたこと。

これらが全て重なって、今回の偶然が生まれたのだと思います。

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こうなると何とか彼に会ってみたくなりました。

もし再会出来たら、25年ぶりくらいになります。

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そして再会出来た時には、あの「記憶能力」はまだ健在なのか、是非聞いてみたいと思います。

「紫明荘組」の忘年会

今日は京都紫明荘稽古場の稽古納めの後に、四条大橋南西詰にある「東華菜館」にて忘年会をいたしました。

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忘年会は紫明荘稽古場の最大の恩人である植田竜二さんへの献杯で始めさせていただきました。

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美味しい中華料理を食べながら、本来ならばこの忘年会に参加された筈の植田さんの思い出話や、今年の舞台や稽古の様々なエピソード、来年の抱負などを語り合った楽しいひと時でした。

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実は「紫明荘」は植田さんのいらした「島津製作所」の施設だったので、来年からはお借り出来ないことになりました。

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しかし新しい稽古場を色々と模索しながら、紫明荘組は来年も一層稽古に舞台に励んでまいります。

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私の一存なのですが、稽古場は変わっても、来年もこの稽古場の名前は正式名称「京都紫明荘組稽古場」、通称「紫明荘組」と呼んで参りたいと思います。

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紫明荘組の皆様、今日もありがとうございました。

どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

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第5回関西宝連のご報告

今日は大阪能楽会館にて、第5回関西宝生流学生能楽連盟自演会が開催されました。

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大阪能楽会館は今年いっぱいで閉めてしまうので、これが学生達にとっても私自身にとっても、最後の能楽会館の舞台になります。

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また最後なのは能楽会館だけでなく、今日は4回生達の現役最後の舞台でもありました。

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その京大宝生会4回生5人を全員役に揃えた素謡「咸陽宮」や、卒業仕舞「山姥キリ」「玉之段」「車僧」は何れも大変見応えのある舞台でした。

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終了後の宴会で同志社の4回生が、「一回生の時に見た先輩の仕舞を、卒業仕舞でやりたいとずっと思っていた」と言っていましたが、おそらく今日のたくさんの卒業仕舞を見て、同じように思った下回生もいた事でしょう。

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下回生と言えば、今日は下回生も4回生に負けない程に頑張っていました。

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1、2回生だけによる素謡「紅葉狩」は、無本で20分以上謡う長い素謡でした。

それだけでもかなり大変な事なのですが、朝に楽屋に行くと、現役「実はワキの1回生が風邪でダウンして休みなのです…」

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なんと、ではワキだけ本を見て、誰か替わりに謡えば?

と言ってみたところ、

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「いえ。実は1回生の○○さんが無本で替わりに謡えると言っております。」

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おお、それはすごいけれど、当日ぶっつけ本番で大丈夫なのか?

地頭(2回生)「もしもの時は僕がワキ謡を付けるので大丈夫です。」

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さすが地頭、役謡も一通り頭に入っているようです。

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そして本番では、ワキ謡は全くノーミスで、全体として見ても1、2回生の枠を超えて大変見事な素謡でした。

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4回生が卒業してしまうのは淋しいことですが、来年再来年に繋がる力も確実に育っているのを実感出来た今日の関西宝連でした。

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4回生の皆さん、4年間お疲れ様でした。

しかしどうか卒業しても、何らかの形で能を続けていってほしいと心から願っております。

今年最後の五雲会

今日は水道橋宝生能楽堂にて五雲会に出演して参りました。

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ちょっと早いのですが、これが今年最後の水道橋の舞台になります。

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私は留(最後)の能「船弁慶」の地謡でした。

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今年最後の五雲会ということで、見所も沢山の人で溢れています。

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思い起こすと、私の今年最初の舞台はこの水道橋での1月の月並能で、しかもその初番の能「翁」の地謡でした。

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月並能の初番地謡で始まった今年を、五雲会の留地謡で締めくくれるのは、なんだか輪がぴったり閉じるようで嬉しいことでした。

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楽屋の何人かの人達や、ロビーでお会いした方々などに「今年お会いするのは多分今日で最後ですよね。どうか良いお年を」と挨拶を交わして宝生能楽堂を後にしました。

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来年からは五雲会の形式が変わって能が3番になり、そのかわりに新たな舞台「夜能」がスタートします。

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私も5月25日の夜能で能「夜討曽我」のシテを勤める予定です。

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今は新たな方向へとどんどんチャレンジを続ける宝生流です。

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私は基本的には変わらずに淡々と進んで行きたい性格なのですが、そうは言っても今年の自分に何か少しでも付け加えられるように、来年も精進して参りたいと思います。

散歩心に火がついて…

普段電車での移動ばかりで、文字通り「地に足のつかない」生活をしているためか、私は実は散歩が大好きです。

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今日は稽古のキャンセルなどがあり、ぽっかりと時間の空いた1日でした。

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ゆっくり休んで午後遅くに、細々とした買い物などをしようと近所のジョイフル三ノ輪商店街に行ったのですが、関係無いお店をぶらぶら見てまわったり、途中テレビの撮影(リリーフランキーと少年が商店街で買い物をするシーンでした)に出くわしたりしているうちに「散歩心」に火がついてしまいました。

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三ノ輪橋からぶらぶらと南下して、根岸辺りを抜けて鶯谷駅の横を通ると、上野寛永寺に出ました。

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そこから上野駅の公園口の横を通ってアメ横の方におりました。

上野駅越しにスカイツリーが綺麗でした。

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上野から今度は不忍池のほとりを通って、上野動物園をかすめて根津方面へ。

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言問通りに出てからは通称「へび道」と言われるくねくねした一本道を日暮里方面へ進みました。

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やがて「谷中銀座商店街」に辿り着き、日暮里駅に向かいます。

日が暮れた谷中銀座は、地元の人だけが行き交う懐かしい商店街でした。

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突き当たりの「夕焼けだんだん」を登って振り返ると、もうすっかり夜の谷中銀座が望めました。

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そして日暮里駅を横目に見て、今度はいわゆる「日暮里繊維街」に入ります。

ここを抜けると、三ノ輪まではもう僅かの道のりです。

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ここ最近は本当に身も心も地に足のつかない日々が続いていましたが、下町の何気ない暮らしを見ながら散歩して、ちょっと落ち着くことが出来ました。

雪の青森から

雪の青森から今朝何とか帰って参りました。

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「何とか」というのは、実は今朝青森駅で停電トラブルに巻き込まれてしまったのです。

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雪の影響なのかはわからないのですが、早朝に宿を出て青森駅に行くと、構内の停電で電車が始発からすべて止まっていて、タクシーで新青森駅まで代行輸送をするとの事でした。

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しかしタクシーには長蛇の列。

新青森駅に着いた時には私の乗る筈の新幹線はとうに出発していました。

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次の新幹線は1時間後です。

しかもその新幹線に乗ると今度は停電が復旧したとかで、青森から遅れて来る在来線を待ってなかなか出発してくれません。。

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それやこれやで、冷や汗をかきながら水道橋の宝生能楽堂に駆け込み、何とか五雲会申合に間に合ったという訳なのです。

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雪と寒さと停電と、最後まで気が抜けない東北巡業でした。

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今回の雪と氷の写真を何枚か。

新青森駅に巨大な天然のクリスマスツリーが出現していました。

左端のクレーンの先端にいる人と比べると、大きさがわかると思います。

実はこのツリーは一本ではなく、9本の「青森ヒバ」が円形に植えられているのだそうです。

しかし雪だけのシンプルなデコレーションがとても美しく見えました。

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先日のブログで書いた「雪だるま〜る」も雪を被って「雪だるま」になっていました。

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居酒屋 弁慶のキャラ、弁慶君も雪に覆われて寒そうです。。

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「つらら」を久しぶりに見ました。

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次の東北は来年1月の予定です。

その時にはまた北の町の有様を色々書きたいと思います

休息と復活

今日は枚方カトリック教会で植田竜二先輩の告別式がある日でした。

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私は東北での仕事があり、大変残念で申し訳無いことながらどうしても参列出来ませんでした。

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しかし何人かの方から式の様子をメールでお送りいただき、それを読むと本当に良い旅立ちだったのだなと思いました。

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聖堂に入りきらない程大勢の植田さんを慕う人達に囲まれて、京大宝生会OBが交互にシテ謡を謡っての「融」の素晴らしい謡も手向けられ、奥様と結婚式を挙げられた教会で、花に囲まれて旅立って行かれたとのこと。

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「ある人がどのように生きたのかは、その人が亡くなった時にわかる」というような意味の言葉を聞いたことがあります。

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植田さんは本当に良い人生を、最後まで植田さんらしく全うされたのだと思います。

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また式では、休息と復活というお話があったとのこと。

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植田さんもきっと生まれ変わって、また未来の京大宝生会を指導してくださるのでしょう、と石黒実都さんからのメールにあり、しみじみとその通りだと思いました。

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その時に京大宝生会がちゃんと続いているように、私がいる間は全力を尽くし、そして私がいなくなる時が来たら、次の誰かにきちんとバトンを渡していきたいと思います。

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植田さんどうかその時まで暫くの間は、天国でゆっくりとお休みになってください。