崇寶会・松実会のお手伝い

今日は奈良春日野国際フォーラム舞台にて、「第18回崇寶会・松実会」のお手伝いをして参りました。

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崇寶会は山内崇生師、松実会は石黒実都師の同門会です。

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お2人は私と歳の近い先輩として、普段から何かと一番お世話になっている方々です。

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今日の会は、私は確か第10回の時に初めてお手伝いさせていただいてから続く御縁ですが、今回の第18回ではとにかく仕舞がたくさんあって驚きました。

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年齢層も、お子さんから学生、社会人、ベテラン勢と多彩な顔触れでした。

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学生の何人かは京都で授業に出てから、また社会人の方の中には仕事を終えてからいらして、すぐに舞台に出てくださる方がいらっしゃいました。

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小さなお子さんと一緒に来て、何とか舞台に出てくれた若いお母さんも印象的でした。

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そうやって色々やり繰りして駆けつけてくださる方が多いのは、やはりこの会の舞台が魅力的だからこそだと思います。

合同の会で18回の歴史を刻む会はそれほど多く無いと思いますが、これもお2人のチームワークが抜群だから出来る事なのです。

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この盛大でありながらも堅苦しく無い楽しい舞台が、今後も末永く続くように心より祈念いたします。

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本日はどうもありがとうございました。

三日会わざれば…

今日の京大稽古にて。

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私「では仕舞始めますか」

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2回生(副部長)「え〜七騎落の地謡は、○○さん、××さん、☆☆さん、△△さんです」

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七騎落を終えると次は…

2回生(副部長)「次の雲雀山の地謡は、□□さん、◇◇さん、●●さん、★★さんです!」

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おお、2回生がテキパキと指示しています。

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そして稽古が進んで夜遅くなり、何人かが帰る時間になると…

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2回生(部長)「一旦ミーティングします〜」

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おお、やはり2回生の新部長がきっちりと仕切っています。

更にそのミーティングでは…

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部長「何か話ある人いますか?」

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1回生「あ〜、新歓委員からですけど…」

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なんと、1回生も早くも仕事をする立場になっていたのですね。

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部長などの執行部学年を終えた3回生は、地頭にチャレンジして頑張っています。

そして4回生は、もう大学生最後の舞台を目前に控えて、貫禄すら漂わせています。

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「男子三日会わざれば刮目して見よ」は、三国志の話を基にした慣用句ですが、今日の稽古では正にその心持で、「みんないつの間に成長していたのだなあ」と瞠目したのでした。

張り扇の修理

我々は稽古の時に、普通の扇の他に「張り扇」というものを使います。

このような物です。

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張り扇は、扇の骨に和紙を重ねて貼り付け、更に上から牛や鹿の皮で包んで作ります。

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私も以前は自分で作ったものを使っておりましたが、今使っている写真の張り扇は私の自家製とは全く違う上等なものです。

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7年程前に、大皷方の佃良太郎さんの結婚式で、引き出物として頂戴したのです。

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出席した能楽師200人分の張り扇を、なんと良太郎さんのお父様の佃良勝先生が自ら一本一本作って下さったものなのです。

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以来7年、全国どこへ行くにもこの張り扇と一緒でした。

海外にも何度か一緒に行きました。

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何万回と叩いても頑丈に耐えてくれていたこの張り扇なのですが、実はついに少し痛んでしまいました。

一本の白い部分と茶色の持ち手部分の縫い目が解けて、スポッと抜けてしまったのです。

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扇の骨が芯になっている構造がよくわかりました。

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…しかしこのままでは明日以降の稽古に支障をきたすので、自分で修理することにしました。

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ごく普通の黒い糸と針で、白い部分と茶色の部分をジグザグに縫い、更に上からぐるぐる巻きにして完成です。

また明日からバシバシ叩いていかせてもらいます。

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張り扇さん、これからもどうぞよろしくお願いします。

東京の地下鉄は…

「東京の地下鉄はややこしい」というのは、昔からよく聞く話です。

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昨日は夕方に水道橋から装束を持って、六本木のあるレストランに行くというミッションがありました。

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乗り換え案内に従って地下鉄三田線で水道橋を出発。

日比谷で地下鉄日比谷線に乗り換えようと思いました。

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ところが日比谷駅の三田線から日比谷線までは、結構距離がある上に、階段のアップダウンも沢山あるのですね。。装束を持っている身には辛い道程でした。

余裕を持って出たのですが、予想よりも時間がかかって、疲れてしまいました。

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今日はより複雑で、

①三ノ輪から地下鉄日比谷線で秋葉原へ→

②秋葉原から歩いて岩本町駅に行き、都営地下鉄新宿線で九段下へ→

③わんや書店で謡本を受け取り、再び九段下駅から、地下鉄半蔵門線で三越前へ→

④三越で御歳暮をひとつ送る→

⑤歩いて日本橋駅に行き、都営地下鉄浅草線で三田へ移動→

⑥田町稽古。

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という、書くと余計に複雑に感じる地下鉄移動日でした。

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そして、何箇所かで罠に嵌ってしまいました。

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③でわんや書店を出て九段下駅に戻り、地下鉄半蔵門線に乗った筈が、気がつくと「次は曙橋〜」というアナウンスが。

方向が逆で、そもそも何故か都営地下鉄新宿線に乗ってしまっています。。

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狐につままれた気持ちでまた九段下へ引き返し、今度は慎重に半蔵門線に乗り換えました。

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次に④三越で御歳暮を済ませ、⑤日本橋駅まで歩いたのは良かったのですが、都営地下鉄浅草線のホームに入ると逆方向で、それでは向かいのホームに行こうとすると、「このホームから向かいのホームには行けません」という看板が。

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何故か改札の外にしか階段が無かったのです。

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合計で20分以上時間をロスしてしまい、稽古ギリギリに何とか三田駅に到着できました。

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そして田町稽古を終えて、またまた地下鉄浅草線→地下鉄日比谷線と乗り継いで、只今無事に三ノ輪駅に戻って参りました。

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間違いを含めると、今日の夕方以降だけで8回地下鉄に乗ったことになります。

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東京暮らしも長いので、「東京の地下鉄」といっても、そう苦労することは最早無いと思っておりましたが、なんの地下鉄の手強さを改めて思い知らされた昨日今日だったのでした。

銀杏吹雪

昨日の朝は京都大山崎の宝寺で稽古でした。

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その稽古中に、会員さんの一人が窓の外を見て、「あら!雪⁉︎」と声を上げました。

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しかし昨日朝は良い天気で、そこまで寒くもありません。

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何だろうと窓外を見ると、境内の大銀杏の葉が、風が吹く度にまるで雪のように大量に散っていたのでした。

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「花吹雪」ならぬ「銀杏吹雪」だったのです。

とても美しい光景でした。

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そして昨日午後には名古屋経由で特急しなのに乗り、松本に向かいました。

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恵那あたりから山に分け入って木曽路を信州に向かっていくと、季節が秋から冬にどんどん進んでいくのがわかります。

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紅葉はだんだんと無くなり、途中で行く手に雪を被った木曽御岳が見えて来て、やがて松本盆地に入ると北アルプスは今回も寒々しい雪雲に覆われていました。

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天気予報では西日本平野部でも初雪の予想で、夜になると松本はしんしんと冷え込んで来ました。

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そして今朝、今度は特急あずさで新宿に向かいました。

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ところが松本を出て間もなく、上諏訪駅で特急が止まってしまいました。

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茅野の先で車が強引に踏み切りに入って遮断機の棒が折れたとかで、30分程立ち往生してしまったのです。

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仕方なく本を読んで待っていると、目の端の車窓外を何か白い粒が横切りました。

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昨日の「銀杏吹雪」のことがあるので、「また雪に見える何かかな?」と思って窓をじっと見てみました。

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すると、今度は間違い無く白い雪の粒が、はらはらと舞っていたのです。

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降っている雪を見たのは今シーズン初めてでした。

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昨日の「銀杏吹雪」と今日の「初雪」。

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秋の終わりと冬の始まりを体感出来た週明けでした。

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…しかし私はまたも風邪気味になってしまいました。。

大きな舞台は一段落したので、無理せずに治したいと思います。

元伯先生のこと

私が初めて「太鼓」を習ったのは、東京芸大に入学してからのことでした。

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当時の太鼓の先生は「観世元信先生」でした。

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落語がお好きな先生で、稽古の口調もどこか落語に似た穏やかな江戸言葉でした。

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そして一年が過ぎ、翌春から先生が替わられました。

今度は元信先生の息子さんの「観世元伯先生」です。

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外見は元信先生と似ていらして、どんな稽古なのか興味深く思いながら初めての元伯先生稽古に臨みました。すると…

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「(刻みを高く)上げろ〜‼️」

「(刻みを上げるのは)まだだ〜‼️」

「そこは、まっつぐ(真っ直ぐ)打て〜‼️」

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もしも手を間違えようものなら「おい‼️‼️」

とドスの効いた声と眼光が飛んで来ます。

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親子で同じ江戸言葉なのに、これほど雰囲気が違うものかと妙な所に感動しながら、「これは今後の太鼓は大変な稽古になるな…」と内心恐れを抱いたことを覚えております。

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4年生になった頃の「真の序の舞」物の「老松」の稽古など、半ば命懸けの心持で稽古部屋に入ったものでした。

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しかし元伯先生の厳しい稽古と、その芯の通った厳格な稽古の在り方それ自体に、とても大切なものを教えていただいたと感じております。

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その観世元伯先生が、全く信じられない話なのですが51歳の若さでお亡くなりになりました。

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一年前に体調を崩されたと伺い心配しておりましたが、あの気迫と生命力に溢れた先生のこと、必ず治して舞台に戻って来られると信じておりました。

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先生御自身が想像を絶する厳しい稽古や無数の舞台を潜り抜けて、血の滲む修行をして身につけられたその芸は、これから一層舞台で花開き、そしてこの先数十年かけて多くの後進に伝えられる筈の大切な宝物でした。

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その舞台を、その稽古を出来ないままに旅立たざるをえなかった先生の無念さは、私には想像すら出来ません。

世にこんな残酷なことがあるのかと思います。

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せめて残された我々に出来ることは何でしょうか。

先生という宝物はこの世には居なくなってしまわれましたが、また先生が遺していかれたものも沢山あるのだと思います。

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私が受けた教えなどはほんの僅かですが、それでも強烈に心に残っております。

自分の舞台の稽古をする時、また澤風会で太鼓物をあしらいながら稽古したりする時には、先生の厳しい稽古を思い出すことが多いです。

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せめて今までに教えていただいたことはしっかりと忘れずに、今後の舞台や稽古に活かしていくこと。

それが私に出来る唯一のことのような気がします。

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元伯先生、今はゆっくりとお休みください。

そしてどうかこれからも能楽界を見守っていてくださいませ。

数々のお教えどうもありがとうございました。

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マグダレナ・ソレさんからのメール

今朝早くにメールの着信音が鳴りました。

この時間のメールは、ドイツの後輩からのことが多いのですが、朝起きて開いてみると全く違う人からでした。

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先月にニューヨークから遥々撮影にいらした、写真家のマグダレナ・ソレさんからのメールだったのです。

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「出来上がった写真はお送りします」と聞いて楽しみに待っておりました。

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先月の写真撮影は江古田稽古場で行われました。

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装束は松本稽古場の会員の古美術商の方からお借りした「色無唐織」と、京大宝生会の和裁が堪能な四回生が織ってくれた「箔」と「鬘帯」を着付けて、面は母親の旧知の方からお借りしている「深井」を掛けての撮影でした。

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これらは私が用意出来る唯一の装束です。

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もっと沢山の装束をお持ちの適切な方がおられるとは思いましたが、今回は是非ともこの撮影をお引き受けしたいと考えたのです。

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「私のホームページをご覧いただいての依頼であった」というのが第一の理由です。

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そして更に、上に記した唯一の装束セットは、昨年夏のブレーメン公演に際して様々な方との御縁で揃ったものであり、「縁あって揃った装束で、また新たな縁を作れる」というのがとても有り難い事に思えたからです。

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ソレさんからの今朝のメールには、「能楽という芸術に触れる大変印象的で素晴らしい経験が出来て心より感謝します」というような内容が書かれていて、何とか役目を果たせたかと安堵いたしました。

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願わくば今回の御縁がこの先も繋がって、またソレさんや仲介の日本人の方と何かお仕事が出来れば有り難いことです。

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ソレさんにお送りいただいた写真はとても沢山あるのですが、これらはまた何らかの方法で改めて皆様にご覧いただきたいと思っております。

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宝門会大会

今日は香里能楽堂にて、宝門会大会に出演して参りました。

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いつも澤風会の舞台を観に来ていただき、このブログも読んでくださっている宝門会のお弟子さんが、今回は初シテとして能「巴」を舞われました。

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水曜日の申合でお会いして、お声をおかけした時の話。

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私「今回はおめでとうございます!」

お弟子さん「全然おめでたくないです〜!まだ何もしてないです〜!」

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いえいえ、この「おめでとうございます」は、初シテを舞われるという事に対してのお祝いなのです。

本番が無事に終わったら、また盛大に「おめでとうございます!」とお祝いさせていただきます。

お弟子さん「え〜、そうなんですか〜!」

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そして今日、能「巴」の本番は大変素晴らしい舞台になりました。

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私「いや〜、本当におめでとうございます!」

お弟子さん「ありがとうございます〜‼️」

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晴れ晴れとしたお顔です。

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面をかけて能を一番舞うということは、我々でも大変なことです。

ましてや初シテならば、稽古段階からの御苦労は想像を絶するものがあったことと思います。

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しかしながら、その「初シテ」を無事に勤められたということは、実は稽古100回にも倍する貴重な経験を積まれたことなのだと思うのです。

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この次の稽古からはたとえ難しい仕舞でも、「何だか身体が軽いし、足元が普通に見えるし、呼吸が楽で謡いやすい!」という喜びを感じられるはずです。

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次回の舞台では、何段階もステップアップされたお姿を拝見するのを楽しみにしております。

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重ねて本日は初シテおめでとうございました!

卒業素謡

今日は先月の「能と狂言の会」以来の京大宝生会稽古でした。

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BOXに行くと、みんな次の「関西宝連」の舞台に向けてそれぞれ始動していました。

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春の関西宝連は「新入生のお披露目」という舞台で、初々しい仕舞や素謡鶴亀がたくさん出るのですが、冬の関西宝連は「卒業生の最後の舞台」という意味合いがあります。

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最上回生はいわゆる「卒業仕舞」や「卒業素謡」を、これまでの稽古の集大成として舞台に出すのです。

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私が現役の頃は、この舞台は12月なのに何故か「秋の京宝連」と呼ばれていたのですが、やはり卒業仕舞と卒業素謡が毎年出ておりました。

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最上回生の最後の仕舞は、各々の思い入れが深く込められていて非常に見応えがあるのですが、「素謡」にもまた思い出深い舞台がありました。

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私の二つ上の学年は、男子が3人でした。

この3人の先輩達が、秋の京宝連で卒業素謡「高砂」を、3人だけで謡われたのです。

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前半のシテ、ツレ、ワキの掛け合いの途中から始まり、位のあるシテ、その奥さんのツレ、颯爽と謡う神主のワキと、3人のキャラクターにぴったり合った配役でした。

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そして掛け合いが終わって所謂「四海波」の地謡だけを3人揃って気迫十分に謡い切り、さっと切戸に引いていかれたのです。

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全体でも5〜6分程度の短い素謡でしたが、その潔い雰囲気がなんとも格好良く、今でも強く印象に残っております。

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「卒業仕舞」に関しては、また色々思い出があるので改めて書きたいと思いますが、毎年この時期になると、「みんなもう卒業か、早いなあ」と、一足早く卒業の感慨にふけってしまうのです。

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今年はどんな舞台になるのか、また関西宝連がとても楽しみです。

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日本女子大宝生会、復活なるか

私の母親は「日本女子大学宝生会」の出身です。

なので、私が能楽の道に進むことになったのも、元を辿れば日本女子大宝生会があったおかげであるとも言えます。

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しかしながらこの日本女子大宝生会は20数年前になくなってしまいました。

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以来母親は、事あるごとに日本女子大宝生会を復活させたいと言って、様々な働きかけをしておりました。

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ちょうど一年前からは、日本女子大構内にある同窓会館「桜楓会館」の和室を毎週木曜日に借りて、稽古勧誘のビラを配って学生を待つ、ということもして来ました。

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しかし学生さんの反応は思わしくなく、木曜午後いっぱい桜楓会館で自分の稽古だけして帰ってくる、という日も何度もあったようです。

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私は神戸大学の復活にどれだけの苦労があったかを見て来たので、母親には「そう簡単には学生は来ないでしょう。3年は頑張る覚悟でないと」と言っておりました。

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ところが今日の江古田稽古の時に母親が、「実は学生ではないが、日本女子大の教職員7〜8人が集まって桜楓会館で稽古してくれることになった」と嬉しそうに言って来たのです。

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「学生ではない」と言っても、これは復活に向けての大きな一歩だと言えます。

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京大宝生会も、今の体制になる前には、教職員と学生が混ざって稽古していた時代があったと聞いています。

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まずはとにかく人を集めて、学内で稽古を始める。そして来春にその賑やかな稽古場を学生さんに見てもらえば、誰かが「自分も少しやってみたい」と思う可能性は十分にあります。

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去年の今頃よりも一段階現実味を帯びて来た「日本女子大学宝生会復活」。

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来年春の新歓には、私もデモンストレーションなど何か手伝いが出来たらと思っております。