自主練の成果

今日は松本稽古に行って参りました。

松本から郁雲会澤風会には、能1番、舞囃子1番、仕舞2番が出ます。今日はもちろんシテ全員が稽古に来られました。

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本番直前の稽古の時には大抵、「おお!前回よりも格段にうまくなっている!」と驚くのですが、今日も全くその通りでした。

能と舞囃子の方々は、先週の申合を踏まえてガッチリと稽古されたようで、申合で直した所がよく修正されていました。

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更に驚いたのが仕舞の2人です。

ひとりは小学生ながら稽古歴6年を超える女の子。そしてもうひとりは、御座敷での発表会では何度か舞っているものの、能舞台での仕舞は初めてという方でした。

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それぞれ、先月の稽古では不安定だった箇所がとてもスムーズになっていて、相当な自主練を積んで来たものと思われました。

実際女の子は、「上手くなったね。相当稽古してきたのでは?」と聞くと「うん!した!!」と満面の笑みで答えてくれました。

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稽古を終えて食事をしている時に、ある会員さんが「私は5年前の郁雲会35周年の時は、稽古始めたてで何もわからず、宝生能楽堂で大原御幸の能だけ観て帰ったのです」と仰いました。

確かに松本は、その頃はまだ稽古場を立ち上げてからそれ程日が経っておりませんでした。

それが僅か5年で、能や舞囃子や仕舞がどんどん出るようになったのです。

しかも今回、相当な自主練を積んで稽古に来られた熱心な皆さんを見て、5年後がまた楽しみになって参りました。

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皆さん申し分無い準備が出来ましたので、先ずは今週末の宝生能楽堂にて、どうか思い出に残る楽しく有意義な舞台を経験していただけたらと思っております。

萬融会新年会

今日は亀井雄二さんの社中会「萬融会」の新年会に出演して参りました。

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桑田佳祐は昔の唄の中で「互いにギター鳴らすだけで わかりあえてた奴もいた」と唄っています。

私にも「となりで謡を謡うだけでわかりあえる」ような仲間が何人かいて、亀井雄二さんはその一人なのです。

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彼は東京芸大で私のひとつ下の学年であり、初対面の時には彼はまだ高校生でした。

それ以来、芸大の4年間→内弟子生活8年間と計12年間を毎日一緒に過ごしました。

その期間、喜怒哀楽を殆どすべて共有して修行したのです。

そして内弟子を卒業した後も、同じ楽屋で働く同僚であり、また「七葉会」のメンバーとして毎年夏にひとつの舞台を作り上げる仲間としてやって参りました。

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更にまた「萬融会」は、宝生能楽堂の「謡曲仕舞教室」の卒業生の皆さんと、「慶應大学宝生会」の学生やOBOGが核になって構成されているという点でも、私の「澤風会」と似ている気がして親近感を感じます。

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初対面の時には高校生だった亀井雄二さんが、内弟子を経て独立して立派な会を主宰して、今日の新年会場に到着すると楽屋には奥様と可愛いお嬢さんもいらして…というのは、何か不思議な気持ちになります。

そしてこれからもお互いの人生をずっと共に能楽師仲間として過ごしていくのです。

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萬融会と澤風会、また亀井雄二さんと私が、これからも切磋琢磨して成長していけるように、私も頑張って参りたいと思います。

北陸の春は遠く…

今日は郁雲会澤風会前の最後の京都稽古でした。

「先生ご無沙汰してすみません」

大雪の影響でJR北陸線が動かず、福井から見える会員さんがしばらくの間稽古に来られなかったのですが、今日は何とか来てくださいました。

しかし「サンダーバードが満席で、福井からずっと立って来ました」とのこと。それは大変なことでした。。

福井では昨日辺りからやっと生活が落ち着いてこられたそうで、気温が上がったこともあり、今日は人の移動が多かったのだと思われます。

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今日の京都は本当に寒さが和らいで霞がかかって、春を感じさせる陽気でした。

そこにもう1人、やはり北陸は金沢から若手OGが来てくれました。

OGさん「皆さん何故そんな春めいた格好を…?」

彼女は完全防寒装備で足元はスノーシューズでした。

とはいえ、冬の金沢では必携の「傘」は流石に持っていませんでした…と思ったら、「折りたたみ傘が鞄に入ってます。当たり前じゃないですか。」

失礼しました。。

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北陸の皆さんは、まだまだ雪や寒さで大変なことと思います。

1日も早く雪がとけて春が訪れることを祈っております。

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223の日

去年2月22日のブログでは、2月22日が「忍者の日」であり、また「猫の日」であると書きました。

そして今日2月23日は「富士山の日」だそうです。日本人は駄洒落が好きですね。。

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富士山といえば、私は京都稽古や関西の舞台への移動中に、毎週一度は新幹線から眺めております。

晴天の日に富士山の辺りを通過する時には、大抵下のような車内アナウンスが流れます。

「皆様只今車窓より、富士山の全景が御覧いただけます。束の間ではございますが、どうかお楽しみくださいませ。」

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しかし私はかつてたった一度だけ、上とは少し異なるアナウンスを聞いたことがあるのです。

あれはもう随分と昔、私が小学生の頃だったと思います。

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家族で新幹線に乗っていたので、おそらく冬休みに東京から三重県に帰省する時だったのでしょうか。

やはり新幹線が富士山の近くに差し掛かった時でした。

アナウンス冒頭はパターン通り「皆様、只今車窓より富士山が御覧いただけます。」だったと思います。

しかしそれに続いて「私共も長年新幹線に乗っておりますが、このような美しい富士山を見るのは初めてでございます。」と流れたのです。

子供心にも「えっ!なになにそんなに綺麗なの?」と驚いて、急いで窓の外を見ました。

そこで見た富士山は、私の良く知っている姿とはやはり異なるものでした。

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小学生の記憶なので、完全に正確ではないかもしれません。

その富士山は、山頂から裾野まで全てが雪で真っ白く覆われていました。そして尾根筋の所々では黒茶色の地肌が少しだけ見えて、全体がまだら模様になっていました。

なんと形容したら良いのか。

「ブッシュドノエル」のようなゴツゴツした肌の茶色いケーキを富士山型に焼いて、粉砂糖を多めに満遍なく振りかけたような感じとでも言いましょうか。

「おお、確かに綺麗だなあ」と思う間に、新幹線は富士川を渡ってトンネルに入り、富士山は見えなくなってしまいました。

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以来雪が沢山降った後に新幹線に乗る時は、「今度こそはあの富士山が見られるかも」と期待しているのですが、どんなに雪が積もっていても、裾野まで全て覆われている姿はあれ以来一度も見ておりません。

そもそも新幹線から見えるのは富士山の南斜面であり、そこがあのように全面雪に覆われる為には、よほど特殊な気象条件が揃う必要があるのでしょう。

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それでもいつの日かまたあの真っ白な富士山が見えて、出来れば車内アナウンスが「このような美しい富士山を見るのは初めてです。」と流れることを願いつつ、また新幹線に乗ろうと思っております。

申合の囃子の速さ

今日の江古田稽古では、一昨日の郁雲会澤風会申合で能や舞囃子を舞った人達が、早速その時に録音した音源を使って稽古をしました。

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申合の時には、基本的に囃子方は「正しい速さ」をキープして打つことになっています。

つまり、シテが間に合っていなくてもそのまま淡々と打ち続けて、足拍子のタイミングなどが合わない時には私がその場で素早く直したりするわけです。

極端な話、型が多少抜けたり間違えたりしたとしても、そのまま流して打っていただいて、全部終わってから私が直した方が良いのです。

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何故かというと、申合でシテに合わせて緩急を変えて打ってしまうと、その音源で稽古出来なくなってしまうからです。

今回の申合でも概ねそのように正しい速さで打っていただけたので、適切な速さの音源が録れたと思います。

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なので申合で早すぎたり遅すぎたりした人、型を間違えてしまった人も、申合音源であと1週間稽古して、それに合わせられるようになれば良いわけです。

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江古田稽古もあと残り1回になりました。

皆さん順調に手順を踏んで稽古されているので、次の稽古で最後の仕上げをすれば、当日は安心して舞台に臨んでいただけると思っております。

皆さんの力が集まって

昨日の郁雲会澤風会申合で能を舞われた会員さんが、その申合の舞台に立つまでにどんな風に過ごされたかを、半分は私の想像を加えてシミュレーションしてみました。

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①能楽堂に到着。最初に会った能楽師が今日の楽屋の場所を教えてくれます。(申合と本番で楽屋の配置が違うのです)

②楽屋に荷物を置いてとりあえずひと息。胴着を持っていない人は、内弟子さんなどの若手の能楽師が胴着と胴帯を渡してくれます。

胴着を持っている人はやはり若手能楽師が「何時までに着替えて、何時から装束をつけるか」を指示してくれます。

③胴着に着替える前後に、一度装束をつける部屋に行き、「面」の「あてもの」を色々付け替えて、シテの顔に合うように調整してもらいます。

④胴着に着替えて楽屋で待機。昨日の郁雲会申合ではシテは全員女性だったので、女性楽屋ではやはり若手の女性能楽師が色々と世話をしてくれたことでしょう。

⑤いよいよ装束をつけます。装束つけのベテランの能楽師達が、「帯の締まり具合はきつく無いですか?」などと細かく質問しながら、シテの負担が少なくて、かつ綺麗に見えるように装束をつけてくれます。

緊張感をほぐすように、軽い冗談なども交えながら装束つけをしてくれる能楽師もいます。

⑥装束をつけ終わると「鏡の間」に移動。内弟子さんがシテの背格好を見て、丁度良い高さの楽屋床几に座らせてくれます。大きな鏡の前に座って、しばし精神を静める時間です。

ここで一度立ち上がり、袖を返す型や、作り物を使った型を稽古することも。その時には周りにいる能楽師が色々とアドバイスをしてくれます。

⑦舞台が近くなり、いよいよ面を掛けます。周りには4〜5人くらいの能楽師がいて、出来るだけ前が見えやすいように微調整しながら面を掛けてくれます。

面を掛ける前にお茶など飲みたくなったら、若手能楽師が即座に持って来て、お湯呑みの下に扇をあてがって飲ませてくれます。扇は装束に飲み物がこぼれない為の配慮です。

⑧幕の前に移動。装束をつけてくれた能楽師がシテの姿を最終確認して、最も綺麗な姿になるように装束を微調整してくれます。

⑨幕が上がります。歩む方向や早さが適切でなければ、ここで後見などが小声で指摘してくれます。「もう少し左向きで、気持ち早く運んでください」などと。

⑩舞台上では、シテ方、ワキ方、囃子方、狂言方の能楽師が勢揃いして、シテの舞や謡を細かくチェックしながら、本番同様に演じてくださいます。

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私は昨日は、殆ど⑩の舞台上にしかおりませんでした。

つまり①〜⑨までは、シテやツレは私以外の沢山の能楽師の方々に、上に書いたようにお世話になった訳です。

昨日の長丁場の申合を何とか滞りなく終えることが出来たのは、ご宗家をはじめとする素晴らしい先輩方、後輩の皆さん、また同世代の仲間達のお力添えのおかげなのです。

この素晴らしい皆さんの力をお借りして郁雲会澤風会を開催出来るのは、本当に幸せなことだと感謝しております。

郁雲会澤風会申合が終わりました

今日は郁雲会澤風会の申合がありました。

ある意味で申合は本番よりも緊張します。

今日の申合の舞台を何とかくぐり抜けて下さった皆様は、きっとそれぞれ大変な思いをされたことと思います。

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あとはこの経験を踏まえて最後の調整をして、本番はどうか舞台を楽しんでいただければと思います。

短いですが今日はこれにて。

ズボンさんごめんなさい

今日はまたゆるいお話です。

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このひと月程の間に、稽古に使っているチノパンが2本も駄目になってしまいました。

どちらも右膝部分に穴があいてしまったのです。

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以前から私のズボンは例外なく「右膝部分」だけが先に傷んできます。

自分ではそんなに右膝だけに負担をかけている意識は無く、左右均等に使っていると思っておりました。

確かに仕舞を始める時の「下ニ居」の型では宝生流は右膝を突きますが、それだけでズボンに穴があくとは思えません。

不思議なことだと思っていたのです。

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それは大原での京大宝生会夏合宿の時のことでした。

私は夏合宿では、暑いので短パンで仕舞の稽古をしています。

「田村キリ」の稽古で、右膝を突いて下ニ居しながら引分をして、シテ謡「あれを見よ不思議やな」と謡いながら、右膝を軸に少しだけ回転する型がありました。

「不思議やな」とズリッと回転したところ、「いででで!」右膝が物凄く痛いのです。

檜舞台では滑りが良いので大丈夫なのですが、合宿所は畳なのでした。

「畳の上で右膝を軸に回転する」というのがこれ程までに強い摩擦を生むとは、驚きでした。

他にも「清経キリ」の後半で太刀をしまってから、やはり右膝を軸にツレへと向きを変える所などは、角度が大きい分痛さも「いでででででで!」と田村キリの倍くらいになります。

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この痛みを普段は右膝の代わりに、私のズボンが引き受けていてくれた訳です。

しかも私の稽古場は大半が畳敷きなのです。

「これはさぞかし痛かっただろう」と、ズボンに申し訳ない気持ちになりました。

そしてここ最近は郁雲会澤風会の稽古が多く、更に右膝部分を酷使してしまったので、何本かが耐えられなくなって破れてしまったのでしょう。

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今日も西荻稽古で、「ズボンさんごめんなさい!」と思いながら畳敷きの和室で稽古しました。

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因みに左膝を突くことが多い「金剛流」や「金春流」ではズボンは左膝から破けるのか、今度若手の友達に聞いてみたいと思います

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満月になるまでに

今日は郁雲会澤風会の申合前の最後の稽古を松本でして参りました。

能「巻絹」のシテ、ツレ及び、舞囃子「桜川」を稽古いたしました。

無事に終えて先ほど特急あずさに乗り、氷の張った諏訪湖を夕暮れの薄明かりの中に見ながら帰っております。

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今回の能4番と舞囃子7番も、今までのところほぼ予定通りの稽古が出来ました。

あとは申合で出た問題点を修正しつつ、最後の追い込みにかかるわけです。

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特急あずさの窓から見えるすっかり暮れた夜空には、剃刀のように細い月が昇っています。

一昨日が旧正月で新月だったので、今日は三日月になるのでしょうか。

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この月が満月になる時が、ちょうど郁雲会澤風会の本番の頃になるはずです。

ここから本番までは集中力が徐々に高まり、実は一番伸びる時期なのです。

月が満ちるのと競争するようにラストスパートしていただき、会員の皆さんが本番を満月のように完全な状態で迎えていただけたらと思っております。

その為に私も、一層気合を入れてこの2週間の稽古を駆け抜けたいと思います。

20年後の飛翔

今日は水道橋で五雲会がありました。

無事終わって帰って参りましたが、今頃日本中は羽生選手の金メダルで沸き立っている事でしょう。

私も勿論すごい事だと感動しましたが、今日はもうひとつ、とても気になる競技があるのです。

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スキージャンプ・ラージヒル決勝に、葛西紀明選手が出場します。

葛西選手は今から20年前、長野五輪のスキージャンプ団体のメンバー入りが確実視されながら、土壇場の前日練習でメンバーから外れてしまったのです。

そのスキージャンプ団体で原田雅彦選手らの日本チームは、吹雪の中の本当に劇的な戦いの末に優勝しました。

優勝の同じ時刻に、葛西選手は宿舎で失意のどん底にいたそうです。

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しかし葛西選手はそこで折れませんでした。

それから現在までの20年という気の遠くなる時間をずっと、世界の第一線で戦い続けて来たのです。

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そして今日2月17日、まさにあの長野五輪ジャンプ団体金メダルからぴったり20年目のこの日に、葛西選手は自身の金メダルを目指してラージヒル決勝に臨むのです。

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20年前にもし団体メンバーに順当に選ばれて、金メダルに輝いていたとしたら、今日の彼はいたのでしょうか。

「このままでは絶対終わらない、終われない」という強烈な悔しさがもし無かったとしたら、おそらくこの20年の間に引退されていたのではと私は想像します。

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夢が叶って美しく完結する物語があれば、夢が破れた失意の底から始まる物語もあると思います。

そして能楽においては、後者の物語の主人公にスポットが当たることが多いのです。

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葛西選手の出場はまだこれからなので、結果はわかりません。

しかし悔しかった長野五輪から、その悔しさを原動力にして飛び続けた葛西選手の20年に、私は深く敬意を表したいと思います。