80の舞台

今日は大阪の大槻能楽堂で「みおつくしチャリティー能」に出演して参りました。

能「羽衣盤渉」シテ石黒実都師の地謡を勤めました。

少し早めですが、今日の羽衣盤渉が今年最後の舞台でした。

そして試みに手帳で「今年出演した舞台の数」を数えてみたのです。

全部で80の催しに出演しておりました。

2日以上の催しもあったので、日数で言うと87日舞台に出ていたようです。

コロナ前に比べると舞台の数は減っていると思いますが、その中でも一度も休む事無く、全部の舞台を勤め終える事が出来ました。

あとは年末にかけて各地の稽古場を巡る日々です。

最後の稽古は12月30日になります。

もう一息、年末まで気を抜かずに頑張って稽古して参りたいと思います。

父親のこと

三重県の父親が先週木曜日、11月21日の朝に92歳の天寿を全ういたしました。

眠ったまま静かに亡くなったようで、とても穏やかな顔でした。

その前の週に施設の方から、

「全身のむくみがひどくなり、酸素濃度が低下して状態が良くない」

と連絡がありました。

本当は11月22日に見舞いに行く予定でしたが、急遽18日月曜日、宝寺稽古と京大稽古の合間に三重県の施設に会いに行くことにしました。

どんな様子なのか、少し恐る恐る父親の部屋に入ってみると、意外にも本人は普通に車椅子に座っており、状態は少し改善しているようでした。

ゆっくりですが会話も出来て、

「また来るね」

と握手して、別れ際には笑って手を振ってくれました。

しかし施設の方から、

「色々な数値は悪くなっています。この先、急に何かあった時には、夜中や明け方でもお電話して大丈夫でしょうか?」

と聞かれて、やはり良くない状態なのだと知りました。

それから僅か3日後の21日木曜明け方5時頃。枕元の携帯の着信で飛び起きた私は、着信番号が施設からのものであるのを見た瞬間に全てを悟ったのです。

能楽とは無縁だった父親ですが、趣味が多い人で施設での最後の半年は、絵を描いたり読書したり、和歌を詠んだりしてのんびりと過ごしていました。

棺には、スケッチブックと12色のペンシル、好んで読んでいた岩波文庫の「唐詩選」、そしてこれも大好きだった地元久居の銘菓「野辺の里」を入れておきました。

父親の通夜には、昼間に斎場の前を偶然通りかかったという絵画同好会のお仲間が、以前に描かれた父親の肖像画を持って来てくださいました。

趣味が多く友人も多く、医師なのに最後まで病院とは殆ど無縁の健康体で、苦しまずに大往生した父親は幸せだったと思います。

天上でもお菓子を食べて読書して、スケッチなどしながら穏やかに過ごしてくれたらと祈っています。

ひと息に冬へ

4日前の土曜日には、宝生会定期公演での能「夜討曽我」の主後見で、汗だくで働いておりました。

もちろん私だけで無く、シテもツレもみんな口を揃えて

「舞台が暑かった!」

とやはり汗にまみれて言っていたのです。

しかし昨日から今日にかけて、季節が一変してしまいました。

気持ちとしては一気に夏から冬です。

しかも私は昨日今日は北の街、青森稽古だったのです。

夕方に青森に着くと気温は3℃。

暑がりの私も流石に震え上がりそうな温度です。

しかし天気予報をちゃんとチェックしていました。

新幹線で上野を出る時はシャツ一枚だけの軽装。

でも荷物にはカーディガン、ジャケット、マフラーを装備して、青森到着前にそれらを着込んでいたので寒さはそれほど感じませんでした。

北の街は暖房設備が充実しているので、稽古場の公民館で仕舞を始めるとむしろ暑いくらいです。

すぐにまたシャツ一枚に戻ってしまいました。。

そして今朝青森を出て上野に向かう新幹線に乗ると、車窓からは白くなった八甲田山が望めました。

今シーズン初めて見る雪景色でした。

まだ綺麗な紅葉をみていないので、どこかで今年の「秋」も味わってみたいものです。

藤原清貫という人物

私は現在、能「雷電」の地謡を覚えるのに必死になっています。

この曲は宝生流では「来殿」という曲名に変わって、後半の謡が全く違うものになっているのです。

長らく演じられていなかった宝生流の「雷電」ですが数年前に復曲されて、今回は11月24日に熱海のMOA能楽堂で辰巳満次郎師によって演じられます。

前半の地謡は「来殿」と同じですが、後半の「雷電」部分の地謡は馴染みが無いので、中々覚えられずにいます。

そこで「雷電」という曲の元になったという

「清涼殿落雷事件」

について調べてみることにしました。

何か覚えるための手掛かりになるかと思ったのです。

「清涼殿落雷事件」とは、

延長8年(西暦930年)6月26日に内裏の清涼殿と紫宸殿を激しい落雷が襲い、死者5名、重傷者4名という宮中においては未曾有の大惨事になった出来事です。

中でも清涼殿の中に居ながら雷の直撃を受けて即死したという、最も悲惨な犠牲者の名前を見て私は驚愕しました。

「藤原清貫」

…実はこの人物、能「蝉丸」でワキとして登場するのです。

帝の密命を受けて、第四皇子である「蝉丸」を逢坂山に連れて行き、出家させて捨て置いてくるという役柄です。

そして清涼殿落雷事件をさらに調べると、この「藤原清貫」は太宰府に左遷された「菅原道真」の動向監視をせよという”密命”を藤原時平より受けていたようなのです。

その為に菅原道真の強い恨みを買い、怨霊となった道真による雷撃で殺された、という噂が広まったそうです。

様々な秘命を受けて、宮中の闇の中の仕事をする男…

などと考えると、「藤原清貫」を主人公にした小説が書けそうな気にもなってきます。

清貫の他のエピソードや人物像などの資料があるかどうか、また探してみたいと思います。

というわけで、「雷電」を覚える手掛かりを探した結果、思わぬ人物に辿り着きました。

「雷電」の背景も少しわかったので、先ずは頑張って地謡を覚えようと思います。

藤原清貫のことをさらに調べるのはその後で。

最初の関宝連、最後の関宝連

一昨日の金曜日には自治医大稽古に行って参りました。

来週23日に宝生能楽堂にて開催される

「関東宝生流学生能楽連盟自演会(関宝連)」

に向けての仕上げの稽古です。

3週間にわたる卒業のための長い試験を終えたばかりでやや疲弊気味の6年生、実習や解剖などで遅くまで来られない下級生など、やはり自治医大の皆さんは医師を目指しての過酷な日々を送っているようでした。

しかしその中でも、自主稽古はきちんとしてくれていたようです。

今回の関宝連が初舞台となる1年生の仕舞「鶴亀」を稽古してみると、前回よりも格段に上手くなっていました。地謡との合わせもバッチリです。

「鶴亀だいぶ稽古したんだね!」

と言うと、シテも地謡も

「はい!」

と胸を張って即答でした。

また6年生にとっては最後の関宝連になります。

仕舞「歌占キリ」と「紅葉狩」。

こちらは先輩らしく、高い完成度で仕上がっていました。

他にも4年生の仕舞「東北クセ」と、2年生が初めて”地頭”を勤める全体連吟「鶴亀」など、3時間ほどかけてゆっくりじっくり稽古しました。

自治医大稽古では、途中で医学部特有の話題で盛り上がったりするので面白くて勉強になります。

今回は「肺から出る血管を覚えるための体操」という話で盛り上がっていました。。

初舞台の1年生から最後の関宝連の6年生まで、忙しい中でも一体感を持って楽しく稽古している自治医大能楽部宝生会です。

来週の関宝連の舞台に期待したいと思います。

稽古を終えて外に出て驚きました。

かつて見た事の無いほど濃い”夜霧”であたりが煙っていたのです。

写真では今ひとつ伝わりませんが、実際のグラウンドの光景は、濃い夜霧に照明があたってとても幻想的でした。

夜討曽我の主後見

明日は水道橋宝生能楽堂にて「定期公演」が開催されます。

私は午後の部の能「夜討曽我」の主後見を勤めます。

夜討曽我には大勢の役が登場します。

シテ曽我五郎、ツレは曽我十郎、団三郎、鬼王、御所の五郎丸、古屋五郎、そして立衆2人と、合計8人になるのです。

私はこの能「夜討曽我」とは何故か縁があります。

これまでに、ツレ曽我十郎を除くすべての役と、副後見、地謡を勤めてきました。

明日は主後見です。

そして実は、来年12月の定期公演の能「夜討曽我」でツレ曽我十郎を勤めることになっており、そこで遂に夜討曽我の全ての役をコンプリートすることになるのです。

先ずは明日の主後見をしっかりと勤めたいと思っております。

他にも午前の部に能「唐船」と「葵上」、

午後の部の初番に能「葛城」が演じられます。

皆様是非宝生能楽堂にご来場くださいませ。

どうかよろしくお願いいたします。

https://www.hosho.or.jp/wp/wp-content/uploads/2024/10/20241116%E7%B4%8D%E5%93%81%E7%89%88%E3%80%80%E8%A1%A8.pdf

稽古延長のおかげで

昨日は京都の「ゲストハウス月と」での澤風会稽古でした。

11時頃に始めて、17時頃に終えて東京に戻るだけの予定だったので、割合にゆったりとした気持ちで稽古を進めていきました。

16時半を過ぎて、おそらく今いる人達の稽古で終わりかな…と思いながら謡の稽古をしていた時のことです。

2階の稽古場に上がってくる人の気配がしました。

「この時間に来るのは、おそらく京大OBのV君かな…」

と思っていると、意外にも顔を出したのは先程稽古を終えて帰った筈の京大OGさんでした。

京大OGさん「すみません!御礼をお渡しするのを忘れていました!」

なんと。

次回でも全然良かったのに、律儀に戻ってきてくれるとは。

かえって申し訳なかったと思い、

「わざわざありがとう。せっかくなので、もう一度稽古していきますか?」

そして先程始めたばかりの「楽(がく)」という舞の続きを稽古することにしました。

時間はちょうど17時頃。

今度こそはこの稽古で終わりかな…と思いながら稽古をしていると…

なんとまた階下から上がってくる人の気配が。

そして顔を出したのは、また意外な事にゲストハウスの亭主さんと、外国人のゲストさんでした。

まだ若いゲストさんは、大きな目を好奇心でキラキラ輝かせて、「楽」の稽古を一心に見つめています。

稽古を終えてお話しをしてみると、カリフォルニアから来た方で演劇をやっているという事でした。

「私のやっている演劇とは全く異なる舞台芸術を観ると、世界が広がります!」

なるほど、その通りですね。

そしてまたせっかくなので、OGさんに地謡をお願いして私が「羽衣キリ」の仕舞を舞ってみました。

ゲストさんはやはり目を輝かせて観てくださり、

「あの扇の動きは何を表現しているのですか?」などと益々興味を持ってくださったようでした。

思えばOGさんが律儀に戻ってきてくれなかったら、このゲストさんに会う前に私は帰っていた筈なのです。

これもまた不思議なご縁で、とても嬉しい事でした。

…ちなみに、ゲストさんは全部英語だったので、上の会話はすべて片言の英語と、翻訳アプリを介して行われました。

やはりもっと英語を話せるようになりたいと、痛切に感じたのでした。

2024年「能と狂言の会」が開催されました

昨日は京都大江能楽堂にて、京都大学能楽部自演会「能と狂言の会」が開催されました。

宝生会からは舞囃子「紅葉狩」、素謡「船弁慶」、仕舞6番が出て、それぞれ稽古の成果が存分に出て大変良い舞台でした。

若手OBOGも大勢応援に来てくれて、着付けなど色々なところで手助けしてくれました。

今回は開始時間が15時半と遅めで、それでも17時半過ぎには終了していました。

全盛期には朝9時開始で能が観世、金剛、宝生と3番出て、18時頃にやっと終了という規模だったので、だいぶボリュームが減ってしまったなぁと感じます。。

しかし、去年の「能と狂言の会」はもっと少ない人数だったので能楽堂を借りる事も出来ず、個人のお宅の敷舞台を借りての開催だったのです。

今年は大江能楽堂で開催できたので、これは大きな前進と思います。

来年再来年と新歓を頑張って、なんとかあの全盛期の自演会の規模を取り戻してほしいと願っております。

先ずは昨日の舞台お疲れ様でした。

みんなとても気合いが入っていて素晴らしい舞台でした。

本格能楽漫画「シテの花」

10月から週間少年サンデー誌において、

「シテの花」

という漫画が始まりました。

実はこの漫画、宝生和英宗家が監修された本格的な「能楽漫画」なのです。

今週発売の第4話まで、私は全部読ませていただきました。

宝生流の装束や能面が細部まで精密に描かれていて、大変高い画力だと感じました。

しかしそれ以上に感心したことがあります。

能楽堂における「楽屋」、「鏡の間」、「幕際」といった、お客様から見えない場所での能楽師の作法や働き方が忠実に再現されているのです。

例えば能「清経」を終えて幕に入ったシテが、楽屋に戻ってワキ方、囃子方、地謡と挨拶を交わすところ。

またその後に装束を脱ぐ時のシテ若宗家と内弟子(多分)のやり取りなど、実際の空気感に近いので、まるで楽屋にいるような気分になりました。

主人公が師匠の稽古場で初めて謡「鶴亀」の稽古をして、難解な謡本に四苦八苦するシーンなども同様で、京大宝生会の新入生が初めて稽古するのを見ているみたいでハラハラしながら読みました。

作者さんは、能楽にまつわるたくさんの事柄を、とても丁寧に取材されたのだと拝察いたします。

高校生の主人公は、この後に東京芸大に入学したり、卒業すると内弟子になったりするのでしょうか…。

その頃の自分を思い出しながら、主人公の能楽師への道のりを楽しみに見守って参りたいと思います。

1、2回生の実力

一昨日の月曜日は京大宝生会の稽古でした。

来週11月11日(月)15時半より、大江能楽堂にて京大能楽部自演会「能と狂言の会」が開催されるので、その前の最後の稽古だったのです。

今回の自演会には2回生5人と1回生2人が参加しますが、その7人全員がほとんど全部の舞台にフル出演します。

例えば舞囃子「紅葉狩」が出るのですが、シテは2回生、地謡は残りの2回生と1回生全員で謡うのです。

3、4回生がいない今の京大宝生会ですが、それによって逆に1、2回生の成長が促進されていると感じます。

先日あった舞囃子「紅葉狩」の申合の時のことです。

これまでの京大の舞囃子では、申合で大鼓と小鼓の手を確認して、稽古と違う手で謡と囃子がズレてしまった部分を本番までに修正する、というのが常でした。

ところが今回は、謡の途中でお囃子が予想と違う手を打ってきて、「ああ、ズレてしまうな」と思ったら、地謡が瞬時に修正して囃子の手に合わせて謡っていたのです。

私がフォローする場面は殆どありませんでした。

3、4回生がいない中でのこの対応力は驚異的だと思います。

謡をきちんと覚えて、更に地拍子もよく理解していないと出来ないことなのです。

これはきっと若手OBOG達が丁寧に稽古をつけてくれた成果だと推察します。

そして1回生達は、入部半年でこのレベルの謡に参加している訳で、これは来年再来年に彼らが上回生になった時が本当に楽しみです。

自演会では他にも、仕舞6番と素謡「船弁慶」が出て、繰り返しですがほぼ全員参加になります。

1、2回生ながらハイレベルな舞台を、是非ご覧くださいませ。よろしくお願いいたします。