二人での共地仕舞

昨日は京都大江能楽堂にて「関西宝生流学生能楽連盟自演会」が開催されました。

今回も熱気ある素晴らしい舞台で、印象に残る演目がいくつもありました。

その中でも特に感服したのが京都女子大による「共地」の仕舞でした。

「共地の仕舞」とは、地謡が一列に並び、その中からシテが交代で立って舞うやり方です。

地を謡ってすぐに舞ったり、仕舞を舞ってすぐに地を謡ったりするので、通常のやり方よりも少々大変です。

しかも昨日の京女さんの共地はもう一段難易度が増していました。

「地謡1人、シテ1人の共地」

だったのです。

過去に地謡1人シテ1人という舞台は何度か観たことがあります。

しかしそれらの舞台は、一番終わったら一度退場して、少し時間を空けてから地とシテが交代してもう一番を舞う、というパターンでした。

これが共地になると、

「自分が舞った直後にたった1人で次の地謡を謡う」

あるいは、

「地謡を1人で謡った直後に立って仕舞を舞う」

という事になるのです。

これは単に稽古を重ねて舞と謡を覚えるだけでなく、メンタル的な強さも必要不可欠です。

このやり方は難易度最高レベルだと私は思うのですが、京女宝生会2回生のお2人は「羽衣キリ」と「吉野静キリ」の仕舞をそれぞれ立派に舞い、謡っていました。

羽衣キリの地を謡い終えた2回生が、扇を置かずにそのまま両手に持って立ち上がり、スッと大小前に行って下に居、そして朗々とした声で、

「おおかた舞のおもしろさに〜」

とシテ謡を謡い出した姿は実に格好よく、痺れるような感動を覚えました。

あまりに感服したので、後席の時に京大宝生会の部員達にその話をしました。そして思わず、

「京大宝生会でも”2人の共地仕舞”をやってみよう!」

と提案してしまいました。

京大宝生会では隔年で「仕舞100番舞う会」を開催しており、来春にまた開催される予定です。

そこで、部員を2人ずつに分けてチームを組んで、共地仕舞に挑戦してみたいと思います。

素晴らしい舞台をみせてくれた京女宝生会のお2人、どうもありがとうございました。

またその他の大学の皆さんも熱い舞台をありがとうございました。お疲れ様でした。

2025年の締めくくり

本日の宝生能楽堂定期公演にて、能「夜討曽我」の曽我十郎をおかげさまで無事に勤めることが出来ました。

お越しいただいた沢山の皆様に心より御礼申し上げます。

2025年最後の役が無事に終わりましたが、舞台はまだあります。

明日正午からは京都大江能楽堂にて、

「関西宝生流学生能楽連盟側自演会」

が開催されます。

京大宝生会と神戸大宝生会からは舞囃子も3番出て、賑やかな舞台になりそうです。

京大は朝一番で場当たりなので、実はもう先ほど京都に移動して参りました。

明日は学生達にとっても私にとっても、今年を締めくくる舞台になります。

良い舞台になるように、朝から出来る限りのサポートをしたいと思います。

能夜討曽我の最後の役

宝生能楽堂にて明日12月20日午前11時開演の宝生流定期公演にて、能「夜討曽我」の曽我十郎を勤めます。

以前にも書いたのですが、この曽我十郎を勤めることで私は能「夜討曽我」の全ての役を勤めたことになるのです。

手元にある映像に、2006年七宝会での能夜討曽我のものがあるのですが、そこで私はツレ”御所の五郎丸”を勤めています。

立衆はその数年前に最初に勤めているので、おそらく25年ほどかけて全ての役、

立衆1、立衆2、鬼王、団三郎、御所の五郎丸、古屋五郎、曽我五郎、曽我十郎

をコンプリートすることになります。

さらに主後見、副後見、もちろん地謡も何度も勤めており、また澤風会大会でも過去に2度出ているので、能「夜討曽我」は私にとってとても縁の深い演目なのです。

明日は心して曽我十郎を勤めさせていただきます。

皆様是非宝生能楽堂にお越しくださいませ。

再開の乾杯!

7月にスマホを代えた不具合でブログが更新できませんでした。

試行錯誤の末に先ほど無事に更新出来るようになりました。

とりあえず乾杯です!

写真は今年8月初めの涸沢ヒュッテにて。

またブログぼちぼちと更新して参りたいと思います。

広範囲に離れても

夏にスマホを新しくしたところ、ブログに写真がアップできなくなってしまいました。

何度か試行錯誤してもどうにもならず、困ったなあと思っているうちにカレンダーは早くも12月…。

このままブログが滞ってしまうのも心苦しいので、当面は写真なしの文章だけのブログにさせていただきたく思います。

今年も実に盛りだくさんの出来事がありました。

思いつくままにいくつか書いて参ります。

先ず今年は、「遠くに離れても稽古を続けてくれる人」が多い年でした。

春に自治医科大学宝生会から3人の学生が卒業して、それぞれ秋田、群馬、鳥取で研修医としての多忙な新生活を始めました。

普通に考えれば、全国に散らばった3人が稽古を続けるのは非常に困難です。

それでも、彼らは何とか稽古を続けたいと言ってくれました。

そこで「zoom」を使ってのリモート稽古を提案してみました。

3人の予定が合いそうな週末の夜に、月に一度、1時間ほどzoomに集まって謡の稽古をするのです。

4月から早速始めて、全員揃わない月もありますが今のところ月1回のペースを維持して稽古できています。

仕舞も自治医大宝生会の合宿の時などに集中して稽古して、来年3月の澤風会郁雲会を目指してくれています。

リモート画面上ではありますが、3人が全国から集まって少し近況なども話しながら稽古するのはとても楽しい時間です。

また東京神保町稽古場で稽古していた国家公務員の京大若手OGさんは、夏に青森に転勤になりました。

やはり稽古は難しいと思われましたが、私は一応青森に月に一度稽古に行っておりました。

また青森には私の同期の京大ベテランOGさんもいて、その人が色々手配してくれたおかげでこちらも月1回のペースで稽古が継続できそうです。

更に、神保町稽古場で昨年まで稽古していて、今はオランダで暮らしている京大若手OBさんがいます。

京大宝生会同士で結婚して、奥さんと一緒にオランダにいるのです。

その彼がこの9月に一時帰国した際に、1人の見学者を連れてきてくれました。

何と奥さんの高校時代の同級生だというのです。

驚いて奥さんの方にメールして聞いてみたところ、オランダから早速返信が来ました。

「彼女は中学生の時に”古典芸能への招待”を見ていたそうで、また元弓道部員で体幹も強いので是非にと稽古に誘ってみたのです」

なるほど。

オランダの若手OBOG夫婦は来春帰国予定だそうで、帰国したら一緒に稽古したり舞台で共演するのを楽しみにしているとの事でした。

秋田、群馬、鳥取、青森、さらにオランダ。

これだけ広範囲に散らばった人達と、縁が切れずに稽古を続けていけるのは本当に嬉しくありがたいことです。

こういった縁の繋がりを大切にしていきたいと思います。

小鍛冶を舞わされた話

日々稽古と舞台を繰り返して、たまに行く散策も能楽に纏わる場所が大半なのです。

そのような毎日の中で、

「少し不思議」な事象に出会うことがあります。

つい先日、京都散策の途中で三条粟田口にある

「合槌稲荷」

に詣でた時のお話です。

合槌稲荷は能「小鍛冶」の舞台になったと云われる稲荷社で、ここに来るのは、数年前に宝生能楽堂の夜能で能「小鍛冶白頭」を勤めた時以来です。

その時は夜遅くて結構怖い雰囲気でした。

今回は昼間で、三条通には沢山の車が往来しています。

その賑やかな喧騒から合槌稲荷のある細い路地に入った途端に、

「しん」

とした実に静謐な空気に包まれていきます。

何度もお詣りに来た合槌稲荷ですが、路地を僅か10数m程度入っただけで訪れるこの静謐自体が、いつも不思議に感じられます。

しかし今回の”不思議な体験”はこの後でした。

合槌稲荷から青蓮院、知恩院、白川と辿って、鴨川の見える川端通まで歩いたところで、スマホを見ると一本のLINEが来ていました。

確認すると宝生能楽堂にいる鶴田航己君からです。

「小鍛冶の仕舞の後半でわからない型があるので確認したいです」

との内容でした。

文章化して返信するのは若干困難です。。

すぐにLINE電話をかけて、口頭で説明することにしました。

「”即ち汝が氏の神”の後は扇を両手に持って脇座に行って、ワキツレに渡したら少し下がって礼をして、立って右へ飛び返り…」

と説明しているうちに、いつしか私は川端通の道端で小鍛冶の仕舞の型を舞っておりました。

通話を終えてやれやれと汗を拭ったところで、

「ちょっと待てよ」

と思いました。

鶴田航己君からLINEで仕舞の型を聞かれたことなどこれまで無かったのです。

しかもその仕舞は「小鍛冶」で、結果的に私は仕舞「小鍛冶」を道端で舞うことになったのでした。

これは合槌稲荷に詣でてから僅か30分後の出来事です。

もちろん単なる偶然なのでしょう。しかし、

「もしかして合槌稲荷の稲荷明神様に舞わされたのかもしれない…」

と考えると、少し不思議でちょっと愉快な気分になったのでした。

全宝連金沢大会が無事終了いたしました

昨日一昨日と石川県立能楽堂にて開催された「全国宝生流学生能楽連盟自演会金沢大会」は、期待した通りの、いえ期待以上の熱く充実した素晴らしい舞台でした。

書くことが無限にあってまだ頭の整理がつかないのですが、思いついたことから書いて参ります。

京大宝生会は初日に仕舞8番と素謡「巴」、

2日目に新入部員の仕舞1番と舞囃子「胡蝶」

でした。

初日の素謡「巴」は、入ったばかりの新入部員3人を加えた総勢10人での舞台でした。

4回生がいない状況でしたが、2.3回生が新入部員を本当によく稽古しており、新入部員達も大きな声を出してちゃんと戦力になっていました。

往年の京大宝生会の素謡の声量が完全に復活したと感じられて、謡の質と共に過去の先輩達の「巴」と肩を並べる良い素謡でした。

2日目の舞囃子「胡蝶」は、当日朝に申合で数時間後に本番というハードなスケジュールでした。

しかしシテも地謡も実に落ち着いており、稽古でやった事が細部まできちんと発揮されていて安心して観ていられました。

自治医大は上級生2人、新入部員2人での参加でした。

上級生の仕舞「加茂」「殺生石」は共に地謡が1人だけという大変な状況でしたが、どちらの地謡も1人という事を全く感じさせない声量と気迫で、観ていて胸が熱くなりました。

また京大、自治医大併せて3人が仕舞の初舞台でした。

3人とも本番ギリギリまで、先輩達と型や作法の確認をしていて、こちらにも緊張感がヒシヒシと伝わってきました。

その甲斐あって、本番はほぼ無事に終わって申し分ない初舞台でした。

また今回の全宝連では、全国の学生達全体のレベルが非常に向上していると感じました。

仕舞地は5人ほどで大迫力で謡う学校があり、また少人数でも気合いの入った地謡もありました。

京都女子大の仕舞「羽衣」は、去年入部して京女宝生会を復活させた先輩がシテで、その地謡を今年入ったばかりの1回生が3人で力を合わせて懸命に謡っていてこれも胸が熱くなる舞台でした。

全国で何人か突出して上手いと思うシテもいて、全宝連は今上昇気流に乗りつつあると思います。

来年は東京大会が宝生能楽堂で開催される予定です。

それぞれの学校に帰ってまた1年間研鑽を積んで、来年は更にレベルの高い熱い舞台が見られることでしょう。

最後に金沢大会の運営に携わった実行委員の皆様、細やかな運営のおかげさまで2日間円滑に舞台が進行したことを心より感謝申し上げます。

9年ぶりの全宝連金沢大会

明日6月28日と明後日29日、金沢の石川県立能楽堂にて「全国宝生流学生能楽連盟自演会」が開催されます。

全宝連が9年ぶりに金沢に戻ってくるのです。

前回の金沢大会は2016年。

その後に東京、名古屋、京都と巡って2020年に金沢に戻るはずの全宝連は、コロナ禍で中止になりました。

翌2021年に、全国から集めた動画を配信する形で「オンライン全宝連」が金沢大会として開催されたのです。

前回2016年に金沢大会に参加した京大宝生会の学生達は、今や全国のみならず全世界に散ってそれぞれ研修医や僧侶や、公務員や会社員となって人生を歩んでいます。

この9年の間に、京大宝生会もコロナ禍で部員が激減して存続の危機に直面しました。

しかしそれを乗り越えて新しいメンバーが増えて、今回も10人ほどの部員が仕舞、素謡、舞囃子で賑やかに参加します。

今日京大能楽部BOXで最後の仕上げ稽古をして、明日の早朝に皆で金沢に向けて出発することでしょう。

そして2016年には存在すらしなかった「自治医科大学能楽部宝生会」は、今年入った新入部員も含めて4人で初めての金沢にやってきます。

前にも書きましたが、2016年に京大1回生として金沢大会に参加した1人の青年が、その後自治医大に転学してたった1人で立ち上げたのが自治医大宝生会なのです。

この9年間の激動の時期を経て、全国からまた学生達が石川県立能楽堂に集まってくるのは実に感慨深いです。

明日明後日の全宝連金沢大会が良い舞台になるように、私も精一杯のサポートをしたいと思います。

いつまでとてか しのぶやま

先週、登山靴とザックの試運転で福島県の「信夫山」に行ってまいりました。

山を選んだ基準は、

「雨が降っていない山」

「駅から登山口へのアプローチが容易な山」

「東京から日帰りできる山」

というもので、

「能に関わりがある山」

という要素は全く考えておりませんでした。

そして東北新幹線の福島駅からほど近い「信夫山」に決めた訳です。

しかし、「信夫山」を登っている途中で何故か頭の中に

「いつまでとてか忍ぶ山 忍ぶ甲斐なき世の人の…」

という謡が浮かんで来ました。

何の曲だったかな…と少し考えて、能「藤戸」の初同(最初の地謡)だったと思い出しました。

とは言え「忍ぶ山」と「信夫山」は字が違います。

おそらく違う土地に「忍ぶ山」があるのだろうと思いながらも、登山の間中ぐるぐると「いつまでとてか忍ぶ山…」

という謡が脳内を回っておりました。

そして帰宅してから

「いつまでとてか しのぶやま」

という語句で念のため検索してみたのです。

結果は驚くべきものでした。

「いつまでとてか しのぶやま」

は紀貫之の和歌の一節で、陸奥の「信夫山」を詠んだものだというのです。

更に調べると、「信夫山」は90首もの和歌に詠まれた有名な歌枕だったようです。

不勉強で全く知りませんでした。。

またあの源融の和歌

「陸奥の しのぶもぢずり誰故に…」

は、信夫山がある辺りの「信夫」という地名を詠んだものだそうです。

もっと調べると、能「錦木」の冒頭のワキの次第に「信夫山」そのものが謡われておりました。

能楽とは全然関わりの無い基準で選んだ山が、結果的に能に最も縁の深い山のひとつだった訳です。

知っていて登れば、何か能楽と関わる史跡などが見つかったかもしれません。

いつか是非とも「信夫山」を再訪したいと思います。

信夫山へ

この夏には、能とは全く関わりないのですが新しい挑戦をしたいと思っています。

その準備のために一昨日、福島県まで行ってまいりました。

お供には先日神保町で購入したばかりのザックと登山靴。

東京で降りしきっていた梅雨の雨は、福島では予想通りすっかり上がってくれていました。

今日はその昔から修験道の聖地ともされていたという「信夫山」への登山で、新しいザックと靴の慣らし運転です。

信夫山は低山ながら修験道の行場らしく厳しい道もあり、ロープを伝っていく急峻な山道や危うい岩場も経験できました。

山上からの阿武隈川と市街の眺めは素晴らしかったです。

この山は他にも「ねこ稲荷」や…

巨大な草鞋など、見所が満載でした。

また山中には「月山神社」、「湯殿神社」、「羽黒神社」という出羽三山の分社があり、私は三社ともお参りできました。

能にしばしば「出羽の羽黒山より出たる山伏」というワキが登場しますが、私もその山伏の気持ちをほんの少しですが体験出来た気がいたしました。

この先も夏の挑戦に向けて、色々と準備を整えたいと思います。