ダイヤと砥石
「3月9日」という歌があって、確かPVの冒頭が卒業式のシーンでした。
卒業式というと私は東京芸大の卒業式を思い出します。
と言っても話は卒業式では無く、入学式における学長の言葉から始まるのです。
ややこしい話ですみません。
東京芸大入学式の時に学長は、短い祝辞に続いて少々意外なお話をされました。
「諸君の中で本当に才能あるダイヤモンドは1%です。ではその他の99%はどうすれば良いかと言うと、4年間そのダイヤモンドを磨く為の石になってください。」
新入生の間で小さなどよめきが起きました。
私も「うーむ」と唸ったと思われます。
聞いたままの話だと、卒業生のうちの1%しかモノにならない事になってしまいます。
では例えばお互いに切磋琢磨させる為に仰ったのだろうか…?
その場では答えが出ませんでした。4年間経ったら何かわかるのだろうか?学長の話はそれからの4年間ずっと頭の片隅にありました。
そして卒業式。
壇上で何か賞を貰っている人達を見ながら、「あの人達がダイヤモンドだったのだろうか。」と考えて見ました。客席に座っている我々は全員砥石だったのだろうか?
しかしやはり確実にそうとは言えない気もして、結局モヤモヤしていたのが東京芸大卒業式の思い出なのです。
特にオチのある話では無くて恐縮なのですが、自分は砥石なのかダイヤ成分もちょっとはあるのか、という命題はその後も今に至るまで私の中の何処かに残っています。
死後に評価される画家なども多いので、答えは生きている内には出ないのかもしれません。
しかし卒業式シーズンになると、このダイヤと砥石の命題はあの卒業式の時のモヤモヤ感と共に浮かび上がってくるのです。
まだ習いたての若手技能者にこんな祝辞を贈った人がおるんやでと伝えた時です。
「諸君の中で本当に才能あるダイヤモンドは1%です。
ではその他の99%はどうすれば良いかと言うと、4年間そのダイヤモンドを磨く為の石になってください。」
29代後半の彼女は意味を図りかねていました。
この『言葉の由来』、『ダイヤモンドの性質』、『語られていない内容』それらの事が何を意味するのかを彼女に順序建てて説明する事を通じて改めて教えられる事も多々ありました。
その時に偶然、このブログを拝見させて頂きました。
モヤモヤされているようですが愛のこもった『お祝いの言葉(祝辞)』だと感じました。
学長にとっては、入学者全員がダイヤモンドだったのではないでしょうか。
私自信、まだまだ研鑽が必要な身ですが、後進に技能を伝える立場になって、恩師たちの言葉が少しずつ染みる年齢になり、教え子にも伝えたい言葉だと思いコメントをさせて頂きました。
本当の意味は学長しかわかりませんので、出過ぎた真似でしたら、申し訳ございません。
あまりにも彼女が関心をし、興味をしめすもので、コメントをする事を考えました。
この若手技能者である女性には、『わざわざコメントを送るなんてモノ好きですね』と笑われています。
教えているつもりがいつの間に立場が逆転することもしばしばです。しかし、祝辞の意味をしった時は『深いですね。』と珍しく、しおらしい顔で聞いておりました。
https://goldmrs.jp/columns/diamond/diamond-processingmethod より
鉄は鉄によって研がれる
世界で最も硬い物質であるダイヤモンドは、他の何物によっても傷をつけることができません。
この硬さのゆえに、石材の研磨などでダイヤモンドは重宝されています。
それでは、ダイヤモンドを削るにはどうすればいいのでしょうか。
宝石のダイヤモンドは美しくカットされ、それぞれのカット面は完璧に磨き上げられています。
ですので、最高の硬度を持つダイヤモンドも、なんらかの形で削らなくてはいけないわけです。
しかし、「モース硬度10」を誇るダイヤモンドの硬さは圧倒的で、ダイヤモンドよりも硬い物質は存在しません。
一体どうしたものでしょうか。
実は、ダイヤモンドの研磨には、同じくダイヤモンドの粉が使われます。
何かを削りたい時、それよりも硬い研磨材を使えば効率よく削れますが、必ずしもそうである必要はありません。
削りたいものと同等の硬さの研磨材でも、ちゃんと削ることはできるのです。
聖書の格言に、「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる。」(新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』)というものがありますが、最高に硬いものを削るには、その物同士で削り合うしかないということです。
鉄よりももっと硬いダイヤモンドであれば、なおのこと、「ダイヤモンドはダイヤモンドによって研がれる」しかないわけですね。