現場主義の玄翁和尚

昨日の神保町稽古には、山形県新庄の曹洞宗のお寺で僧侶をしている京大宝生会若手OBが久しぶりに来てくれました。

謡稽古は「殺生石」で、いつも曲の解説資料を作って来てくださる会員さんに今回も解説をしていただきました。

それを聞いてちょっと驚いたのが、ワキの「玄翁和尚」が”曹洞宗”の高僧だったという事です。

たまたま今回来てくれた京大OBと同じ宗派だった訳です。

解説も会員さんと若手OBが交互にする形になりました。

会員さん「玄翁和尚は、總持寺の”峨山禅師”に入門して、”二十五哲”の1人と数えられた偉い僧侶です」

おお成る程。

若手OB「でも…」

ん?

「実は總持寺から”出禁”になった事があるんですよね」

何と!それは一体なぜですか?

「玄翁和尚は、總持寺の経営に参画する立場だったのに、總持寺にはあまり寄り付かずに、諸国を巡って布教活動ばかりしていました。

それで、玄翁さんが亡くなった後に、厳密には玄翁和尚の弟子達が一時期總持寺から出禁をくらってしまったのです」

成る程。事務的な仕事よりも現場で働く方が好きな人だったのですね。

何となく玄翁和尚への好感度が増しました。

若手OB「殺生石以外にも、北は秋田から南は鹿児島まで、玄翁和尚が”悪龍”を退治した、というような伝説は多く残っています」

それはまた興味深いです。

今後どこかの土地で玄翁和尚の足跡を見つけることができるかもしれません。

また移動の楽しみがひとつ増えました。