壇ノ浦の日に
今日3月24日は壇ノ浦の合戦があったので「壇ノ浦の日」だそうです。
尤も旧暦の3月24日なので西暦ではまだ1ヶ月ほど先になりますが。
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スマホのニュースで今朝それを知って、何となく「屋島の合戦」の日も調べてみました。
するとまた意外な事がわかったのです。
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史実によれば屋島の合戦があったのは、
「元暦2年/寿永4年2月19日」
という事です。
しかしこれは謡の中に出てくる「屋島の合戦」とは全く異なる日付けなのです。
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能「八島」では源義経の亡霊が屋島の合戦の日付けを、
「元暦元年3月18日の事」
と語っています。
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また別の能「景清」では、平家方の悪七兵衛景清が同じく屋島の合戦を、平家の元号で
「寿永3年3月下旬の事」
と物語ります。
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つまり能の世界では源氏方と平家方がともに、屋島の合戦があったのは
「元暦元年=寿永3年3月」
と明言しているのです。
これはどういう事なのでしょうか…
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京大合宿中なので、周りの京大宝生会現役とOBOG達に聞いてみました。
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色々なヒントがあり、それらを総合して私が想像したのは、
「声に出して謡った時に聴こえ方が良いように日付けを改変したのでは」
という事です。
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例えば「元暦元年3月18日」だと、
「ゲン」「ガン」「サン」
と似た発音がポンポンと並んで、強く聴こえます。
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また19日を18日にする事で、
「ハチ」「ニチ」とチが並んでやはりテンポ良く聴こえます。
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景清の方は、「寿永3年3月下旬」です。
「サン」「サン」と同じ発音が並び、また日付けではなく「下旬」とする事で、
「サンガチ」「ゲジュン」
と、”G”の発音が並ぶ事になります。
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…素人の想像なので全然的外れかもしれませんが、今日一日は「壇ノ浦の日」のニュースのおかげで色々楽しく思考を巡らせる事が出来ました。
この「屋島の合戦の日程」に関して何かご存知の方は是非お知らせくださいませ。
言われてみれば、という話でしたが、こういう事はもう誰かが調べているのでは、と思って少し検索してみました。
すると、他の文献や芸能にも「元暦元年」とする記述があり、これらは平家物語とは別の出典をもとにしているのではないか、という論文がありました。
ただ、少なくとも能の場合は平家物語も題材にしているはずです。
どこまで作者が意図したかはわかりませんが、確かに、語りの最初に「元暦元年3月18日」と鼻濁音を続けることで、聞く側の印象に残る効果が出ると思います。
ありがとうございます。船弁慶の後シテ平知盛は「桓武天皇九代の後胤」と名乗りますが、実は知盛は「11代の後胤」だと合宿で若手OBに聞いたのです。
「ジュウイチダイ」より謡い易く聴こえ易い「クダイ」に変えたのかと思いました。