試験1カ月前の稽古

今日は昼から江古田稽古でした。

先週は風邪やインフルエンザでお休みの方が多く、今日も心配していました。

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やはりお2人、風邪とインフルエンザでお休みでしたが、逆に元気になってまた稽古に来られた人も何人かいらっしゃいました。

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3月9日の澤風会に向けて、田町組の方が舞囃子の稽古のためにいらしたりして、19時半頃までノンストップで稽古をしました。

そして今日はその後に、芸大受験を目前にした高校3年生を21時までみっちりと稽古したのです。

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年末までの彼の稽古では、謡や仕舞を途中で一々止めて、細かく直していました。

とにかく謡や型の知識を増やしてもらいたかったのです。

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しかしこの時期からは少し稽古の方向を変えていこうと思っています。

現在までに身につけたそれらの知識を、試験会場できちんと出し切ることができるようにしてもらいたいのです。

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今日の稽古では、謡本を見ながら謡ってもらい、止めて直す回数を極力減らして最初から最後まで謡い切ることを重視しました。

「謡本を見ながら」というと、試験まで1カ月を切ったこの時期にまだ謡本を見るのか、と思われるかもしれません。

しかし彼には、せっかく頑張って勉強した謡を、出来る限り正確に試験で再現してもらいたいのです。

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今日までは本を見てとにかく正確に、そして2月になって来週の稽古からは、本を見ずに謡う稽古に入っていきます。

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少々間違えても一所懸命にやれば良い、という通常の舞台と異なり、正確さと結果が求められる試験会場での舞台です。

私の受験の時の経験などもフル活用して、彼が当日自信を持って試験に臨めるように仕上げの稽古をして参りたいと思います。

週に5日も

国立能楽堂35周年記念公演の能「夜討曽我」が先ほど終了いたしました。

私は後見を勤めました。

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開演前の楽屋の仕事から、後場の最後の最後まで、色々とやる事が多く気の抜けない後見でしたが、何とか大過なく勤めることが出来ました。

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私は月曜日の「式能」申合から、今日で3日連続で国立能楽堂での仕事でした。

しかし実は今週はこれで終わらないのです。

明日1日空けて、明後日と明々後日にまた国立能楽堂での仕事があります。

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今度は2月2日土曜日開催の「若手能」という五流総出演の催しです。

宝生流からは宝生和英宗家の能「春日龍神 白頭」が出て、私はその地謡を勤めさせていただきます。

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年に一度くらいしか来ないこともある国立能楽堂で、今週だけで5日も仕事があるというのもまた何かのご縁なのでしょう。

週末の「若手能」も頑張りたいと思います。

1件のコメント

“雪”繋がり

昨夜の松本稽古の後は、信州大学准教授のT氏夫妻と熱燗と絶品おでんの晩御飯を食べました。

T氏夫妻はダウンの上に更にコートの重ね着という完全防寒態勢でした。

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一方私は普段の東京と同じツイードのジャケットにマフラーのみ、手袋も無しという格好です。

お店を出ると雪が少し舞っていました。

熱燗の酔いが醒めないうちにと素早く宿に戻りました。

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そして今朝早くに宿を出ると、外は非常な寒さで昨夜降った雪がそのまま凍っています。

いつも気温を確認する松本駅前の気温計は…

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マイナス4℃でした。寒い訳です。

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そして8時丁度のあずさ6号で、私は新宿へと旅立ちました。

窓からは雪の田んぼと北アルプスが望めました。

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幸いに電車の遅れも無く、11時には千駄ヶ谷の国立能楽堂に到着しました。

明日本番の国立能楽堂30周年記念公演の能「夜討曽我」の申合があったのです。

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一昨日の名古屋宝生会での「夜討曽我」のメンバーが何人か出演していて、それぞれ全然違う役を演じていたのが面白かったです。

名古屋でシテ曽我五郎をやった人が、今日はそのシテを捕まえる縄取の役をやっていました。

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申合が終わり、今度は上野に向かいました。

仙台稽古に向かう東北新幹線に乗るためです。

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昼過ぎの東京は松本に比べるととても穏やかな気候です。

上野で昼ごはんを済ませて、「こまち」に乗り込みました。

車窓の風景を見ながら行こうと思っていたのですが、あえなく爆睡…

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気がつくともう仙台到着のアナウンスが流れていました。

ホームに出ると、幸いに寒さは覚悟していた程ではありませんでした。

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仙台駅から稽古場に行く途中には市場があり、いつも色々見ながら通るのが楽しみです。

今日は大きな”鱈”が目につきました。

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50㎝を超える大きさの鱈が、一匹700円とか500円で買えるのですね。

鱈は身が雪のように白いことから、魚へんに雪と書くそうです。

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稽古まで少し時間があったので、稽古場近くのビルの展望台に寄りました。

人が少なくて、謡を覚えるのに良い場所なのです。

30階展望台から海の方向を望んで。

夕方の仙台の空は晴れていましたが、どこからか強風に吹かれてきた雪がチラチラと舞っていました。

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松本の雪から仙台の鱈まで、「雪」というキーワードで繋がった今日1日でした。

松本の氷の花

昨日の夜に名古屋から東京に帰って、今日は午前中に国立能楽堂にて来月17日開催の「式能」の申合がありました。

私は能「祇王」の地謡を謡い、終わってすぐに新宿から特急あずさに乗って松本稽古に移動しました。

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先週末から冷え込みが続いていて、茅野や上諏訪辺りは雪がかなり舞っていました。

しかし岡谷からトンネルを抜けて松本盆地に入ると幸い雪は止んでおり、この隙にと稽古場の公民館に急ぎました。

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途中にある老舗の鰹節店の前を通り過ぎようとすると、店先の路上に何やら変わったものが目に入りました。

氷の中に花が咲いています。

一辺が20㎝程の直方体です。

寒い空気の中で更に冷たそうな景色でしたが、とても冴えた美しさを感じました。

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中の花はもしかして色付きの鰹節…?

などと想像してしまったのですが、流石にお店に入って製法を聞く事は出来ませんでした。

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稽古の最中にも、入って来た会員さんが「今外は雪が降ってきました」

などと仰り、手袋すら持っていない私は帰りが不安だったのですが、幸いに私が外を歩いている時には雪には降られませんでした。

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明日は昼にまた千駄ヶ谷の国立能楽堂に戻って別の申合があり、午後から今度は仙台に移動します。

真冬の仙台の模様もまたご報告したいと思います。

あとは”十郎”のみ

昨日は新作能「王昭君」が終わった後にすぐ大阪から名古屋に移動して、名古屋宝生会の能「嵐山」と能「夜討曽我」の申合がありました。

そして今日の午後から本番があり、先ほど無事に終了いたしました。

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私は「夜討曽我」の団三郎を勤めさせていただきました。

「夜討曽我」はいわゆる「人数物」で、五郎、十郎、団三郎、鬼王、古屋、五郎丸、縄取2人、と大勢の役が舞台に登場します。

今回”団三郎”を勤めたことで、私は”十郎”以外の全てのシテとツレの役、また後見、地謡も勤めたことになりました。

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因みにこの1年半の間だけでも、鬼王、五郎、五郎丸、今日の団三郎と4回舞台に立っております。

更に言いますと、明々後日水曜日の夜には千駄ヶ谷の国立能楽堂で辰巳満次郎師がシテの能「夜討曽我」があり、私は副後見を勤めます。

「夜討曽我」の後見はやる事が多く大変なので、心して準備したいと思います。

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こうなると、いつの日か”十郎”を勤めて「夜討曽我」の役をコンプリートしたいものです。

新作能における「演出」の効果

昨日は夕方まで丹波橋で紫明荘組稽古をした後に、電車を何本も乗り継いで大阪南部の高石市に移動しました。

夜に新作能「王昭君」の申合があったのです。

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そしてそのまま高石市に一泊して、今日「王昭君」の本番の舞台がありました。

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最初の謡本の読み合わせから始まって、稽古を重ねるごとに徐々に彩りを加えていった「王昭君」。

それがまた昨日の申合を経ての今日の本番にかけて、ダイナミックに進化を遂げてゆく様を目の当たりにしました。

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本物の丸鏡や琵琶を使った所作、またお囃子方それぞれの技巧を駆使した音や掛け声。

これらの謡本には書かれていない要素によって、舞台の上が日本の貞保親王の邸から、馬の嘶く胡国の草原へ、また王昭君が貞保親王に手ずから琵琶の秘曲「王昭君」を教えるシーンへと鮮やかに変化していきました。

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「演出」というものの大切さと、その効果の大きさを今回の新作能「王昭君」で強く実感させていただき、非常に勉強になりました。

ようこそ紫明荘組へ

今日は朝東京を出て、昼前から紫明荘組稽古でした。

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先日の関西宝連を持って現役を退いた4回生のO君が、早速紫明荘組稽古に参加してくれました。

会員の皆さんに紹介していると、O君が何やら紙袋を取り出して、

「あの先生これは、ご挨拶に持って参りました」

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私は「なんと、そんな気を遣わなくていいのに」と言って、お菓子かと思い「今開けて皆さんにお出ししていい?」

と聞いたところ、O君は

「あ、いえお菓子ではなく、お蕎麦なのです!」

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「へえ、お蕎麦。それはどうもありがとう」

と答えながら、内心「珍しいものをくれるものだなあ」と少しだけ怪訝な顔をしてしまいました。

するとすかさずO君がニヤリとして、

「これから先も、いつもおそばに、という意味です!よろしくお願いいたします」

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なるほど!

そういえばO君はそう言った洒落が大好きなのでした。

昨年の京大宝生会の経政合宿の時には、何故か参加者全員に「ハイチュウ」を配ってくれたのですが、配りながら、

「いや飴にてはなかりけり!」と連呼していたのを思い出しました。

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また個性的な新OBを何人か加えて、紫明荘組稽古に新しい風が吹いて来そうです。

打ち出の小槌と分福茶釜

大山崎稽古場のある天王山中腹の「宝積寺」には、寺宝として本物の「打ち出の小槌」が伝わっています。

正確には「打ち出」と「小槌」に分かれているそうです。

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一寸法師がお椀の舟にお箸の櫂竿で淀川を遡って都に上る途中、この宝積寺に立ち寄って修行したという伝説があるそうなのです。

その後のストーリーは確か、一寸法師は鬼退治をして「打ち出の小槌」を手に入れて、自らの身長を伸ばしたり金銀財宝を出したりして幸せに暮らしました、という感じだったと思います。

ということは一寸法師は、幸せになった更にその後に、若かりし頃に修行した宝積寺に「打ち出と小槌」を奉納したのでしょう。

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今回この「打ち出と小槌」の事を思い出したのには訳があります。

先日岩手県の「正法寺」で能楽教室をした時のこと。

行きは「岩手未来機構」の方に車で正法寺まで送っていただきました。

その車中で「正法寺には本物の”分福茶釜”があるのですよ」と伺ったのです。

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「おお、それはすごい!私の京都の稽古場のお寺には本物の”打ち出の小槌”があるのですよ。”分福茶釜”も本物が残っているのですねー」

と返事をしたのですが、そこで内心では

「えーと、分福茶釜はどんなお話だったかな…?」

となってしまいました。

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帰りの新幹線で早速調べると、狸が化けた茶釜ということのようでした。

そして群馬県の茂林寺というお寺にも”本物の分福茶釜”があると書いてあります。

どちらが本物なのだろう…と思ったら、正法寺でいただいた本にこんなことが書いてありました。

「正法寺にあった分福茶釜は、勝手にあちこち動き回るので鎖につながれてしまった。そして本堂が火事になった時に、あまりの熱さに蓋だけが飛んで行って、群馬の茂林寺まで逃げた。そこでは”守鶴の茶釜”と呼ばれて、日本昔話の”分福茶釜”のモデルになった」

つまり、”正法寺の分福茶釜伝説”は日本昔話の分福茶釜の前日譚にあたり、どちらも本物であるということなのでした。

なんだかホッと安心してしまいました。

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因みに今回の正法寺能楽教室の折にはこの”分福茶釜”を見ることは叶わず、また宝積寺の”打ち出と小槌”も未だに拝見できていないのです。

どちらもいつか必ずこの目で見てみたいと思っております。

その願いが叶った時にはまたご報告いたします。

2019年亀岡新年会

今日は各地での2019年新年会の最後を飾る(?)亀岡新年会がありました。

仕舞での初舞台という方がいらしたり、とても長い素謡があったりと、新年から皆さまかなり濃密な舞台に臨まれました。

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その充実の舞台が終わっての食事会でのお一人ずつのコメントがとても良かったです。

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例えばご主人が仕舞初舞台で、今回初めてご夫婦で仕舞を披露することになった方は、新年会前の1週間はお宅で毎日仕舞の話をされていたそうです。

また、ベテランの方は「最近仕舞を始める方が増えて、自分もまた新たな気持ちで仕舞稽古を頑張ろうと思いました」と仰いました。

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亀岡稽古場は非常に長い歴史があり、ベテランの方から初心の方までが一体になって稽古に取り組んでおられます。

初心の方は沢山の先輩方の知識を吸収して早く上達されますし、ベテランの先輩方も誰かに型や謡の知識を教えることで自らの型や謡のブラッシュアップになると思います。

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昨年後半から仕舞を始めた方が増えたことで、この理想的な相乗効果が一層顕著に見られた今回の新年会だったと感じました。

次回の舞台での初舞台を待っている人も多いという亀岡稽古場は、今年は一段と飛躍の年になる予感がいたします。

願念寺のエッセイ

先日東北新幹線で水沢江刺に移動する時のこと。

東北新幹線に乗ると「トランヴェール」という車内誌を読むのが私の密かな楽しみのひとつです。

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最初のページの「駅弁紹介」のようなコーナーが先ず面白く実に美味しそうで、「いつか食べてみよう!」と心に刻んでページを1枚めくります。

そこには私の好きな作家の沢木耕太郎さんの旅のエッセイが載っているのです。

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今回も同じ道順を辿ってエッセイのページに至りました。

ところが1枚だけ掲載されている写真を見て、何とも言えない”既視感”を覚えたのです。

写真の下には「金沢 願念寺」

とありました。

これには心底驚きました。

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「願念寺」とは、現在ドイツで靴職人をしている京大宝生会OBのT君の実家で、もう15年ほど前から京大合宿や大稽古会(琥珀の会の前身)などで泊まりがけで何度となくお世話になってきたお寺なのです。

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かの松尾芭蕉が立ち寄ったこともあるという由緒あるお寺ですが、あまり観光客などに強くアピールしていなくて、それが好ましいお寺だと思っていました。

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しかし沢木さんのエッセイのネタになるとは、最近有名になったのだろうか、一体どんな内容だろう…?

と少々ドキドキしながらエッセイを読み進めました。

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結局、沢木さんもやはり願念寺のそう言った”床しさ”に感じ入った、という文章でした。

特に本堂の前に置かれた箱に「花梨の実」がたくさん入っており、「ご自由にどうぞ」と書いてあったのが良かったとありました。

沢木さんにとっては、願念寺の佇まいの全てが好ましいものだったようなのです。

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なんだか自分が褒められたように嬉しくなり、その場でエッセイのページを写真に撮ってドイツのT君にメールしました。

すると間もなく返信が来ました。

「うちの花梨の実は立派ですが、花梨酒にするくらいしか使い道もないので持って行っていただけるならそれがいいということでしょう。」

とあり、彼のメールにまで願念寺の奥床しさが感じられて更に嬉しくなったのでした。