自然音と能楽
宝生能楽堂の楽屋には何ヶ所かにスピーカーがあって、舞台上の音が聞こえるようになっています。
今日能楽堂に着くと、廊下のスピーカーから「リー、リー」という虫の声が聞こえていました。
立ち止まって暫し耳を澄ませると、さらに「ホゥ、ホゥ」という梟のような鳥の鳴き声も聞こえて来ます。
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普段なら「一体舞台で何事が起こっているのだろう?」と怪訝に思うところですが、今日は「ははあ、成る程ね」とすぐに合点がいきました。
今日は月並能の前に「能プラスワン」があり、ゲストに「自然音楽家」のジョー奥田氏がいらしているのです。
これはジョー奥田氏の録音した自然音に違いありません。
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やがて始まった「能プラスワン」を拝見(拝聴?)すると、先ほどの音は「奄美大島の夜の森の音」ということでした。
そしてもうひと方のゲストは、小鼓方の大倉源次郎先生。
源次郎先生によると、江戸期には奄美大島を越えてはるか八重山諸島まで能楽が伝わった歴史があるとのこと。
その時代には、先ほどのような自然音の中で鼓が鳴らされていたそうです。
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そのイメージで、「奄美大島の夜の森」の音と重ねて源次郎先生が小鼓をうたれました。
御道具も「450年前の胴」と「200年前の皮」の組み合わせ。
正に江戸時代と変わらぬシチュエーションで、宝生能楽堂から一気にいにしえの深い森の中にトリップしたような錯覚を覚えました。
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野外の「自然音」の中での舞台に関しては、私自身いくつか思い出深い経験があります。
佐渡ヶ島の真夏の昼間にあった舞台では、ヒグラシの鳴き声が正に時雨のように舞台に降り注いでいて、それが能と相まってなんとも言えない郷愁を感じさせました。
三保の松原の海岸で開催された薪能では、寄せ返す波の音を聞きながら能「羽衣」と能「乱」の地謡を謡い、乱では猩々が本当に海中から水を滴らせて現れたように思いました。
自然音ではありませんが、興福寺の薪御能で聞こえてくる「鐘の音」もまた実に風情がありました。
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このような経験から、「能楽」と「自然音」は本来相性が良いものだと思っておりました。
しかし今日の能プラスワンで経験したのは、「能楽堂の中で自然音を聴く」ということで、そこにはまた新たな可能性があると感じました。
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例えば、舞台を設営するのが困難な「深い山奥」や「南の島」などで録音した自然音を能楽堂で流しながら能を演ずるとします。
もし自然音のボリュームや照明を適切に調整すれば、今日私が体感したように能楽堂から野外にトリップするような経験が出来るかもしれません。
「上路越の山奥で”山姥”を観る」とか、「冬の葛城山上で”葛城”を観る」というような、現実には不可能なシチュエーションで能を楽しめるとしたら、素晴らしいことだと思うのです。
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「自然音」をどう能楽に活かすか、という命題は、今後時間をかけて真面目に考えていきたいと思いました。