「アルファ能」は出来るか?
少し前に「アルファ碁」という囲碁のコンピュータプログラムが、人間の最強棋士に勝ったというニュースがありました。
そして今日見たニュースでは、そのプログラムの進化版「アルファ碁ゼロ」が出現したそうです。
「アルファ碁」は過去の棋士の対局データを参考にして強くなるソフトでしたが、「アルファ碁ゼロ」の方はなんと、「先人の知恵」を一切排除して、「自己対局」を500万回繰り返して学習し、結果「アルファ碁」との100番の対局に全勝してしまったというのです。
これは色々考えさせられるニュースでした。
昔から綿々と続いて来た対局の積み重ね、その棋譜を勉強することで新しい戦法を磨いて来た歴史、そう言ったものが「アルファ碁ゼロ」の前では全く無意味なことになってしまうのです。
これが他の様々な分野に応用されていくと、やがて人間の居場所は無くなってしまうのでは、というSFのような心配をしてしまいます。
しかし「能楽」に関して考えてみると、「自己対局のみによる最強化」というのは不可能ではないでしょうか。
正しい型付、正確な地拍子、美しく聴こえる謡の声の周波数、といったものをインプットして、「あとは自分ひとりで稽古しといてね」と放っておいても、「味のある舞台」というものは出来ないのではないかと思います。
同じ時代にたまたま居合わせた手練れ同士が、舞台上で時には互いに自己主張し、時には相手の間合にあわせて、微妙な均衡の元に創り上げる熱い舞台。
そういったものには、まだ人工知能の入り込む余地は無いのではないでしょうか。
また個人的には囲碁や将棋においても、やはり生身の人間同士の対局にはその棋士の「人生」や「人となり」が反映されて、そこに勝敗を超えた面白味がある気がします。
「能楽師」には個性が強烈な人が多くて、たまに往生する時もありますが、その「人間臭さ」が舞台には必要であるが故に、能楽はこの先もAIに道を譲ることは無いのだろう、「アルファ能」は生まれないのだろうと思うのです。