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夜討曽我の鬼王

今日は水道橋の五雲会にて、能「夜討曽我」のツレ鬼王を無事に勤めて参りました。

「夜討曽我」は7年前に京都において、チーム京大宝生会で思い出深い舞台を経験しております。

また私自身が鬼王を勤めるのも2回目で、稽古では山ほどやっているのですが、やはり本番に直面すると色々考えて緊張してしまいます。

特に本番だけでやる所作の「素襖の片袖を脱いで、また元に着直す」というのが、舞台上でスムーズに行くかが最大の問題でした。

「舞台に立つ時は緊張感を持って」とは良く言われることで、当然のことと思うのですが、一発勝負の所作をする場合には、むしろ「いかに緊張せずに静かな心持ちでいられるか」が大切なように感じます。

落語の古今亭志ん生師匠が高座で居眠りをして、それをお客様もあたたかく見守っていたという話を聞いたことがあります。

高座でそこまで弛緩出来るのは志ん生師匠ならではと思いますが、舞台上で「緊張」しながらもどこかで「リラックス」というか、「心に余裕を残しておくこと」が必要なように思います。

今日の舞台もまた勉強することが沢山ありました。

因みに来年5月には、今度は私がシテの能「夜討曽我」があります。

今日の経験も活かして、また良い舞台を作って参りたいと思います。

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  1. 夜討曽我、観ました。澤田さんが出られるから行ってみよう、くらいの気持ちで行ってみたら、びっくり、こんなにお芝居の魅力たっぷりの能があるなんて、知りませんでした。
    曽我兄弟の登場の瞬間から、空気が張りつめていて、緊迫感あふれる台詞まわし、地謡の不穏なメロディー、そして息もつかせぬ展開。こ、これが能? と初心者の私は大興奮です。しかもひためんの皆さまの目ヂカラ強すぎ。か、かっこいい…。どうしよう、面白いし、かっこいいし、思わず顔がにやけます。
    そして澤田さんの鬼王には、感動しました。主人の心を揺さぶるほどの、鬼気迫るような一途な忠誠心。あれほどの厳しく激しい表現でありながら、いえ、そうだからこそ一層、そのいじらしさが伝わってきて、観る者の胸を打つのです。
    ブログで触れておられたところですけれど、団三郎と刺し違えようと、扇子を打ち捨て、素襖の片袖を脱ぐ場面の気迫に、息をのみました。すごく良かったです。

    また、曽我五郎、十郎のさすがの存在感はもちろんのこと、登場人物全員に、芝居ごころを刺激するような魅力があり、こんな能もあるのだ、と感激。観に行って本当に良かったです。
    もしも今、私が中学生か高校生だったら、「これを文化祭でやりたい! 鬼王は私で」と恐れを知らぬ決意を胸に、鼻の穴をふくらませて家路についたかもしれません。
    澤田さんの鬼王でもう一度見たいと思った私でしたが、なんと来年5月にはシテをなさるとのこと。もちろんこれが、楽しみでないはずがありません。

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