佳広会

昨日軽井沢であった大鼓の会「佳広会」は、葛野流家元の亀井広忠師のお社中会でした。

実は澤風会でも亀井師に大鼓を習っている人が何人かいらして、昨日は4人の澤風会会員(母親の郁雲会会員も含みます)が大鼓を打たれました。

皆さん熱演でしたが、中でも仕舞や謡では大ベテランの方が、なんと大鼓は昨日が初舞台ということで、緊張されながらも大変素晴らしい舞台でした。

謡仕舞に加えて大鼓のお稽古もされるのはすごいと思っていたら、昨日は更にすごいベテランの方々がおられました。

「大鼓は亀井先生、小鼓は○○先生、笛は○○先生、太鼓は○○先生で、謡仕舞は○○先生に習っています。」という方など、いったいお仕事との兼ね合いはどうされているのか、本当に大したものだと思いました。

しかし楽屋での話では、昔はそのような方がもっと沢山いらして、能楽界を支えてくださっていたとのことです。

一方澤風会には、最近になってお囃子の稽古を始める人が増えて来ました。

京大宝生会も近年稀に見るお囃子稽古ブームです。(笛3人、大鼓小鼓太鼓各1人。)

能楽関係で複数の種類のお稽古をしてもらえると、師匠同士の交流も増えて、能楽全体にとって非常に有意義なことなのです。

どうか複数の稽古をされている人達は、今後も順調に稽古を続けていただきたいものです。

そして昨日の佳広会のベテランの方々のように、能楽界を横に繋いで盛り上げていってもらえたらとても有り難いと思いました。

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南風月

8月がもうすぐ終わります。

今日は軽井沢にある舞台で、大鼓の会に出演して参りました。

緑のトンネルを抜けた所にある緑に囲まれた会場で、「葉月」に相応しいなと思ったのですが、なんと「葉月」とは「葉が落ちる月」という意味だそうですね。

旧暦の名前とはいえ、ちょっと意外な印象を受けました。

別の語源で、台風が来る季節なので台風を表す南風(はえ)から南風月→はえづき→はづき、という説もあるそうで、私はこちらの方が好みです。

それで思い出したのですが、南風を「はえ」、東風を「こち」というのを始め、日本語には異なる種類の「風」を表現する単語が多くあります。

世界的に見ても、その民族にとって大切な事象には、それを表す言葉が沢山あるのです。

例えば、モンゴルの人々は「馬」を非常に細かく呼び分けているし、チベット人は「ヤク」をやはり年齢性別のみならず、角の形、毛の色、性格までも複雑に組み合わせて、それぞれ別の呼名で呼んでいるそうです。

日本語に「風」や「雨」など気象に関する単語が数多くあるのは、やはり四季の豊かな土地に暮らす日本人にとって、気候の微妙な違いが大切に思われていたということなのでしょう。

今日は日本の東を南風、台風が過ぎていきました。

この台風がおそらく、秋の空気を日本に呼び込んでくるのだと思われます。

また季節が移ろっていくのを味わえる幸せを感じつつ、軽井沢の緑の会場を後にいたしました。

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室町オリンピック…?

先日北の街で、また面白いイベントを見つけました。




縄文オリンピックの略なのでしょう。

下は競技内容の拡大図です。

名前だけでは詳細がわかりませんが、おそらく縄文人が必要としていただろうスキルを、やさしく面白い競技にしたものと思われます。

これを見てあることを思い出しました。

随分昔ですが、アラスカのアンカレッジの街で「ワールド・イヌイット・オリンピック」というものを見たことがあるのです。

これはやはりイヌイットの生活に欠かせない、狩猟や採集を競技に仕立てた大会で、例えば5人チームで1人が獲物役になり、4人で手足を持って運ぶ競争とか、木ノ実に見立てたボールに蹴りで届く高さを競う高跳び競技などがありました。

会場は大きな体育館で、驚くほど大勢の人が観戦して大変な盛り上がりでした。

…能楽は、そもそもが国土安全を祈るものなので、競うことにはあまり向かないと思います。

しかし、能楽そのものではなく、ジョモリンピックやイヌイットオリンピックのように、能楽に必要なスキルを競技にしたら面白いかもと思いました。例えば…

・摺り足100m走。

・110m欄干越え走(ハードルの代わりに欄干が沢山並んでいる)。

・チームを組んでの作り物早作り競争。

・笠投げ(男笠をフリスビーのように投げる距離を競う。またはカーリングのように、中央の的に近く落とすのを競う)。

・紋付袴早たたみ競争。

…ちょっと無理めでしょうか…。

現在世界中にある競技の多くは、人間の生活に必要な、あるいは必要だった行動を競技にしたものです。

能楽には昔の日本人の動きが多く残っているので、これを競技に応用するのは意外に理にかなっている気もするのですが…。

「ふざけすぎ!」とお叱りを受けるようでしたら、お詫びして撤回いたします。。本日はこれにて。

出会いの化学反応

他の皆さんと同様に私も、これまでの人生の色々な段階で、沢山の面白い人達と出会って来ました。

全く違う時と場所で知り合ったそれら面白い人達を、引き合わせて友達になってもらうのが、実は私はとても好きなのです。

面白い人同士が友達になれば、化学反応を起こして更に面白いことが起きそうだからです。

実は今日の江古田稽古でそんなことがありました。

江古田稽古場に新たに入会してくれたのは、20数年前に京大宝生会の縁で知り合った人でした。英語の先生です。

そしてその人が稽古に来る時間帯に、私の小中高の同級生も稽古しているのです。こちらは英語の通訳をしています。

今日初めて稽古場で顔を合わせました。

私としては、その2人が目の前で会話しているのを見るのは不思議な感じなのですが、どちらも実に愉快な人物でテンションも高めなので、すぐに打ち解けて軽快に話していました。

また共に「英語」と「能楽」に関わる人になるわけで、この点でも今後何か面白いことに繋がっていけば良いと思います。

能楽を縦糸にして、これからも色々な面白い人達との出会いを織り重ねていけたら、有り難いことだと思います。

亀岡の花々〜夏から秋へ〜

昨日の亀岡稽古で、今年始めてツクツクボウシの声を聞きました。

空気も少し乾いて、暑さも僅かですが和らいで、いよいよ秋が近づいてきたと思いました。

亀岡には夏から秋への移ろいを感じさせる花々が咲いていました。

スズムシバナです。

ややこしいのですが、ランの仲間に「スズムシソウ」があり、そちらは鈴虫に形の似た花を咲かせるそうです。

こちらのスズムシバナは、鈴虫が鳴き始める頃に咲くので名付けられたということ。

オシロイバナと逆に、朝咲いて夕方には萎れてしまうので、写真を撮った時もちょっと元気が無い感じでした。

またこのスズムシバナは「キツネノマゴ科」に属するそうで、またしても新美南吉風な名前に興味が湧いて調べてみたのですが、「キツネノマゴ」の名前の由来は残念ながらはっきりしませんでした。

ヤブランです。

夏から秋に咲く花ですが、こちらは「キジカクシ科」だそうで、やはりメルヘンチックな科に属しているのですね。


ナデシコに似た花が咲いているなと思いましたが、これは「オグラセンノウ」というやはりナデシコの仲間でした。

なんと絶滅危惧種だそうです。

シーズン終わりの最後のひと花が見られてラッキーでした。

もう萩が咲いていると思ったら、これは「ヌスビトハギ」だそうです。萩よりも花の時期が少し早いのです。

この植物、花が終わると下のようになります。

この種子の形に見覚えはありませんか?

草原を歩いた後に、この種が服に大量に付いてしまって、取るのに苦労することがあります。

このような種を持つ植物を総称して「ひっつき虫」というそうです。なんだか今日は可愛らしい名前が多いのです。

秋の七草、オミナエシです。

ようやく能関係の花を見つけました。

能「女郎花(おみなめし)」では、この花を「花の色は蒸せる粟のごとし」と謡っていますが、確かに小さくて黄色い花は粟の粒に似ているように見えます。

ちなみに仲間の「オトコエシ」は白い花です。

こちらも秋の七草、フジバカマです。

能「善知鳥」に「間遠に織れる藤袴」という謡がありますが、こちらは本当の衣類の袴を指していると思われます。

フジバカマという植物には、実は特別な話のネタがあるのですが、それはまた回を改めて書きたいと思います。

今日はこの辺で失礼いたします。

坪光松ニ先生の思い出

京大宝生会で私がお世話になった先生方で、冬の寒い日になると思い出すのが小川芳先生ですが、また夏の暑い日に思い出される先生がいらっしゃいます。

坪光松ニ先生です。

坪光先生には謡を教えていただきました。

先生は宝生流職分でありながら、大阪大学で教授までされていた、数学の先生でもありました。

その話を聞いて、高校で使っていた数研出版の教科書を見ると、なんと著者一覧に坪光先生の御名前もありました。

今も「数研出版  坪光松ニ」で検索すると先生の著書が出てくる筈です。

如何にも学者然とした、静かで知的な風貌の先生の謡は、しかし迫力と味わいに満ちた「本物」の謡でした。

また僅か一文字も疎かにせずに技巧を凝らした謡い方と、曲全体を見渡した正確な位取りには、「謡に微分積分の考え方が応用されているようだ」と感じたりしました。

先生の鸚鵡返しの謡は、たとえ相手が経験の浅い学生だからと言って、一切手加減の無いものでした。

今でも残っている当時のテープを聴くと、学生のまだ幼い謡に対して、先生は何度でも繰り返して正確無比な本物の謡を謡って下さっています。

私などは、相手に応じて「ここはまだ出来なくて良いかな」などと注意を先送りすることがままあるので、先生の姿勢には本当に頭が下がります。

実は数年前に渡独した若手OBのT君は、その坪光先生の鸚鵡返しのテープを繰り返し聴いて謡の勉強をしていて、ドイツにも持って行っていました。彼が坪光先生最後の弟子と言えるかもしれません。

今の現役達も、出来れば坪光先生のテープを聴いてほしいものです。

実際には先生に4年間フルに習ったのは、私の学年が最後でした。

先生が亡くなられたのは8月の暑い日で、葬儀は教会で執り行われました。

先生がクリスチャンだったのをそこで初めて知って驚きました。

また、教会なので当然謡は謡えず、「先生をお送りするのには、賛美歌よりも謡が良いのになあ」と内心思ったことを覚えています。

いつか坪光先生のあの鸚鵡返しのように教えられるようになるのが、私にとっての遠い目標なのです。

ヤ、ヤア、ヤヲ、ヤヲハ問題

昨日のブログに「ヤの間、ヤアの間、ヤヲの間、ヤヲハの間」を民宿の部屋の名前にした、という笑い話を書きました。

しかしこれは一部のマニアックな方にしかわからないギャグなのでした。

これらは謡における「地拍子」という理論に関わる記号で、能楽に使われる打楽器の「掛け声」を表しています。

「ヤ」が一番短くて、「ヤヲハ」が一番長い掛け声なのですが、これらを理論から理解して、実際の謡に反映させるのは実に困難な作業です。

私も主に東京芸大在学中に、大変苦労して地拍子を勉強しました。

地拍子の苦労話を書き出すと、本が一冊書ける分量になってしまうのですが、「掛け声」に関してはまた別の苦労があったのです。

芸大では能楽囃子の楽器の稽古もあったのですが、ここで「ヤ、ヤア、ヤヲ、ヤヲハ」の「掛け声」を実際に掛ける必要がありました。

ところが、先輩の稽古を聴いても「ヤ」とか「ヤヲハ」とかいう掛け声は掛けていないのです。

・ヤ→ヨォ

・ヤア→ヨォ〜ッ

・ヤヲ→ヨォ〜〜ッ、ホォ!

・ヤヲハ→ヨォ〜オォ〜ッ、ホォ!

という感じに聴こえます。

また、先生の掛け声を聴くとこれらに「裏声」も交えて、微妙な強弱も付けて掛けておられます。

そして最初の頃に問題だったのが、「大声で掛け声を掛けるのは、結構恥ずかしい」ということでした。かと言って、中途半端な力で掛けると一層情け無く恥ずかしい掛け声になってしまうのです。

なので羞恥心をかなぐり捨てて、頑張って声を張り上げて「ヨォ〜〜ッ、ホォ!」とやっているうちに、逆にストレス解消というか爽快な感覚を味わうことが出来るようになって来ました。

更に学年を重ね、内弟子に入る頃には、今度は御流儀や先生によって微妙に異なる掛け声の違いを摸倣することにもチャレンジし始めました。

私は現在澤風会で舞囃子や能の稽古をする時にも、一応出来る範囲で、御囃子の御流儀によって掛け声を変化させています。

しかしまだまだ研究途上です。

「ヤ、ヤア、ヤヲ、ヤヲハの間」という楽しいギャグの裏にもまた、実に奥が深い世界があったのでした。

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合宿謡納

京大合宿のお話が続きますが、やはり合宿の「謡納」のことは書いておきたいと思います。

「謡納」とは通常は年末に、その年最後の謡を謡う時に使われる言葉です。

しかし京大宝生会においては、合宿最終日に合宿中稽古した5曲を通して謡って終わることも「謡納」と呼ぶのです。

朝から全員が民宿離れの大広間に集合します。

今回の5曲は「氷室」「敦盛」「葛城」「咸陽宮」「紅葉狩」。

役は公平に籤引きで決めます。

ということは、1回生がシテになったりもするのです。

最初の「氷室」は、前シテ4回生、後シテ1回生、ワキ1回生、ツレ2回生、地頭3回生という布陣。

ワキ1回生は、なかなか正確に謡っています。

他の部員達は、広間の端の方で足を伸ばして聴いています。

行儀悪いと思われるでしょうが、これは彼らの足が正座をし過ぎて限界に達している為に、仕方ないことなのです。

初同(最初の地謡)が近づくと、皆どっこらしょという感じで立ち上がり、役の後ろに座っていきます。

座布団をたたんで座椅子にする部員もいます。

座るまでは辛そうですが、謡が始まると雰囲気はガラリと変わります。

17人が合宿最後の力を振り絞って謡う声には、ある種の凄味や、また一種の爽快感などが混ざった独特な雰囲気があって、聴いていると感慨深いものがあります。

彼らは本当に全力で謡うので、空調が効いた部屋にもかかわらず、「氷室」が終わると皆汗だくで戻って来ました。

私はその後「敦盛」「葛城」と聴いて、彼らの昼食に合わせて民宿を後にしました。

午後の2曲もきっと無事に終わったことでしょう。

今年の夏合宿も良いものになりました。

彼らは能漬けの日々の中でも、色々面白いことを考えてくれます。

例えば、合宿所の民宿離れには2階に部屋が4つありますが、「先生、2階の部屋に名前が付きました。手前からヤの間、ヤアの間、ヤヲの間、ヤヲハの間で、先生の部屋はヤヲハです」などなど。

また、何とダッチオーブンを持ってきた部員もいて、昨夜の打ち上げではケーキや燻製を作ってくれたりもしました。

「最近の若い者は…」とは批判的に使われる言い回しですが、京大宝生会に関しては「最近の若い者は大したものだなあ」と、自らの学生時代と比較してしみじみ感じます。

合宿お疲れ様でした。よく頑張りました。

夏の成果は秋に出る

今日も京大合宿のお話です。

合宿中に5曲の鸚鵡返しをすると、先輩も後輩も声がガラガラに枯れてしまいます。

その鸚鵡返しの合間に私の仕舞稽古に来るので、仕舞のシテ謡も半ばかすれた声で謡うことになります。

しかし昨日今日の仕舞稽古でそのかすれ声を聞いていて、気付いたことがあります。

「一回生の声が格段に良くなった」ということです。

ついこの間の全宝連までは、大きな声ではあってもまだ謡の声にはなっていなかったのが、3人それぞれ立派な謡の声になっているように聞こえました。

ただし、枯れた声なのでまだ本来の姿ではないと思われます。

合宿から帰って、少し喉を休めてから謡うと、驚くほど良い声が出るはずです。

これは勿論先輩達も同様で、合宿で究極まで謡い込んで枯れてしまった声が、下界に帰って暫くして元に戻った時、合宿前よりも何段階も上の謡になっているのです。

昔まだ私が中高生だった頃、「夏に勉強を頑張った人は、秋に成果が出てくる」とよく言われました。

京大宝生会の謡もまさに同様だと思うので、秋以降の彼らの舞台がまた非常に楽しみになって来ました。

教える側が学ぶということ

3月の春合宿に続いて、京大宝生会の夏合宿が始まっています。

今回も合宿中に5曲の謡を鸚鵡返しして、2曲の仕舞を覚えるのが課題です。

謡は先輩と後輩がペアになって鸚鵡返しをするのが京大宝生会の伝統で、昨夜は日が変わってからも元気な謡の声が合宿所に響いていました。

短期間に5曲も教わることで後輩達は急速に上達しますが、実はそれよりも勉強になっているのは教えている先輩の方だと私は思います。

誰かに「教える」ということは、教える内容を自分が理解してからでないと不可能だと思われますが、私の経験上必ずしもそうではありません。

家庭教師のバイトをしていた時、自分では苦手で成績もさっぱりだった数学を、さも全てわかっているように中高生に教えなければなりませんでした。

その時、授業を終える度に「なんだ、こんなに簡単だったのか。今試験を受けたら、もっとマシな点数がとれたかも」と思ったものです。

「理解していなかった事柄を、人に説明することで自分も理解できる」ということがあるのだと思います。

苦労して後輩に教えることで、京大宝生会の先輩達は急速に頼もしさを増していくのだと思われます。

合宿も折り返しを過ぎて、声も足も辛い感じだと思われますが、先輩も後輩もどうかもう一息、頑張ってほしいです。