橋弁慶山
昨日の夕方、新幹線で京都に到着するとコンコースに祇園囃子が流れていました。
そう言えば祇園祭は最近「後祭」が復活して、数は少ないながら今日からまた山鉾が建っている筈です。
ちょうど京都駅から宿に向かう途中に山鉾町があるので、少し覗いていこうと思い立ちました。
地下鉄烏丸線の四条駅を出て室町通を北に上がると、百日紅の花の向こうに山が見えて来ました。
「鯉山」、「黒主山」、「浄妙山」と3つほど見たところで、時間的にはたったの5分程度だったのですが暑さに耐えられずあっさり挫折…。
烏丸通西側の日陰に逃げ込んで、そのまま宿に向かおうとしました。
しかし烏丸通から蛸薬師通をちょっと覗くと、そこに「橋弁慶山」の文字が見えたのです。「橋弁慶山」は祇園祭の山鉾の中でもビッグネームです。これは一目見ていかねば。
後祭は人出も少な目で、むしろゆっくり山鉾を見ることが出来ます。
昨日の朝に「お山建て」で組み立てられて、午前中に「舁き初め」を終えたばかりの「橋弁慶山」。
横の町家の二階には、やはり朝組み立てられたばかりの「牛若丸」と「弁慶」の人形が飾られています。
一階には「五条大橋」も。
これらが24日の山鉾巡行の時には山の上に載せられて、下のようになるのです。
橋弁慶山の説明を改めて読むと驚きました。
弁慶と牛若丸の人形は、なんと1563年に製作されたそうなのです。
関ヶ原の合戦よりも前の、戦国時代真っ只中の頃に作られた人形。
それから幾多の大火や大雨、明治維新の混乱や二度の大戦も乗り越えて、無事に450年後の現代まで伝わって来た訳です。
能楽と人形は全く別の物ですが、「大事に守って後世に伝えよう」という人の心があって、今まで生き残って来たという点は共通していると思います。
感慨深い気持ちになり、また大きな満足感を持って、橋弁慶山を後に宿に向かいました。
時間にすると15分の、駆け足祇園祭見物でした。