地謡の出で立ち
一昨日の土曜日は、正午から水道橋の五雲会にて能養老の地謡、夕方に奈良に移動して興福寺薪御能で能弱法師の地謡を勤めました。
興福寺に着いて地謡の出で立ちに着替えた後に、観に来てくれた京大生にバッタリ会いました。
すると彼は「おおっ」という感じでちょっと眼を丸くして、「先生その格好、良いですね!」
そう、興福寺薪御能では地謡は全員、「素袍裃に侍烏帽子」という格好になるのです。能「翁」の千歳に近いシルエットです。
「能の地謡」と一口に言っても、その出で立ちは時と場所などによって何種類か異なるのです。
これは流儀や時代によっても変わるので若干ややこしいのですが、現在の私に限って書いてみます。
①紋付に袴…これは最も多く着る組み合わせ。特別な条件が何も無ければ、本番の楽屋と舞台は基本この格好です。
②紋付に裃(かみしも)…宝生能楽堂では、「別会」と、1月の「月並能」の翁以外の曲では、紋付の上に裃を着用します。また所謂「披き物」という「石橋」「道成寺」「乱」でも裃を着ます。それ以外にも何かの記念や祝賀、或いは追善の舞台では裃で地に出ることがあります。地謡が裃で出て来たら、特別な舞台だと思ってください。
③紋付に素袍裃(すおうかみしも)と侍烏帽子(さむらいえぼし)…私の場合これは冒頭の興福寺薪御能の時に限って着ける衣装です。
④紋付に素袍長裃(すおうなががみしも)と侍烏帽子…これは一番の正装で、現在の宝生流では能「翁」の時に着用します。③の興福寺薪御能の組み合わせに、裃の袴が長袴(裾丈が脚よりも長く、裾を引き摺って歩く袴)になったものです。
①②までは1人で着られるのですが、③④になると着付のサポートが必要になります。ちょっと能装束に近い感覚ですね。因みに③④の時の囃子方は、舞台上で素袍の上を脱いでから囃子を勤め、曲が終わるとまた袖を通さなければならないので大変です。
このように地謡の出で立ちは舞台の格や曲目などによって変化するので、その辺りにも心を留めて観ていただけると、より楽しみが広がるかと思います。