屋島と八島

先日八島の話を書いている時に思ったのですが、「八島」は今の日本地図では「屋島」と書いてあります。

能の曲名としては、観世流は「屋島」と書きますが他の四流では「八島」と書きます。

このように、地名や人名、また細かい言い回しが流儀によって微妙に異なる例は、実はとても多いのです。

曲名だけでも「加茂」と「賀茂」、「大原御幸」と「小原御幸」、「経政」と「経正」等々たくさんあります。

また「土は清劔」と「月は清劔」(清経)や、「その数一億百余人」と「その数一億百万余人」(鶴亀)といった、言葉の僅かな差異もよく見られます。

これには色々理由が考えられます。例えば、

①謡本を一番最初に作る時に、音を文字に変換する段階で流儀によって違う文字が充てられた。

②最初は各流同じ字だったのが、口伝や書写を繰り返す中で変化していった。

③流儀の主張として敢えて他の流儀とは違う言葉を用いた。

おそらく①③の理由が多いのだろうと思いますが、私にとっては②が興味深いのです。

何故なら録音録画機器の発達した現代以降は、②の変化が起こる可能性は非常に低いと思われ、それをむしろ残念に思うからです。

私は以前に「能楽とは壮大な伝言ゲームである」と言った事があります。

流儀による微妙な文字の違いは、正に能楽が生身の人間同士で伝承されて来た証拠のようで、それはとても尊いことのように思えるのです。

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