7月にスマホを代えた不具合でブログが更新できませんでした。
試行錯誤の末に先ほど無事に更新出来るようになりました。
とりあえず乾杯です!
写真は今年8月初めの涸沢ヒュッテにて。
またブログぼちぼちと更新して参りたいと思います。

7月にスマホを代えた不具合でブログが更新できませんでした。
試行錯誤の末に先ほど無事に更新出来るようになりました。
とりあえず乾杯です!
写真は今年8月初めの涸沢ヒュッテにて。
またブログぼちぼちと更新して参りたいと思います。

日々稽古と舞台を繰り返して、たまに行く散策も能楽に纏わる場所が大半なのです。
そのような毎日の中で、
「少し不思議」な事象に出会うことがあります。
つい先日、京都散策の途中で三条粟田口にある
「合槌稲荷」
に詣でた時のお話です。
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合槌稲荷は能「小鍛冶」の舞台になったと云われる稲荷社で、ここに来るのは、数年前に宝生能楽堂の夜能で能「小鍛冶白頭」を勤めた時以来です。
その時は夜遅くて結構怖い雰囲気でした。
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今回は昼間で、三条通には沢山の車が往来しています。
その賑やかな喧騒から合槌稲荷のある細い路地に入った途端に、
「しん」
とした実に静謐な空気に包まれていきます。
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何度もお詣りに来た合槌稲荷ですが、路地を僅か10数m程度入っただけで訪れるこの静謐自体が、いつも不思議に感じられます。
しかし今回の”不思議な体験”はこの後でした。
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合槌稲荷から青蓮院、知恩院、白川と辿って、鴨川の見える川端通まで歩いたところで、スマホを見ると一本のLINEが来ていました。
確認すると宝生能楽堂にいる鶴田航己君からです。
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「小鍛冶の仕舞の後半でわからない型があるので確認したいです」
との内容でした。
文章化して返信するのは若干困難です。。
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すぐにLINE電話をかけて、口頭で説明することにしました。
「”即ち汝が氏の神”の後は扇を両手に持って脇座に行って、ワキツレに渡したら少し下がって礼をして、立って右へ飛び返り…」
と説明しているうちに、いつしか私は川端通の道端で小鍛冶の仕舞の型を舞っておりました。
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通話を終えてやれやれと汗を拭ったところで、
「ちょっと待てよ」
と思いました。
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鶴田航己君からLINEで仕舞の型を聞かれたことなどこれまで無かったのです。
しかもその仕舞は「小鍛冶」で、結果的に私は仕舞「小鍛冶」を道端で舞うことになったのでした。
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これは合槌稲荷に詣でてから僅か30分後の出来事です。
もちろん単なる偶然なのでしょう。しかし、
「もしかして合槌稲荷の稲荷明神様に舞わされたのかもしれない…」
と考えると、少し不思議でちょっと愉快な気分になったのでした。
先週、登山靴とザックの試運転で福島県の「信夫山」に行ってまいりました。
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山を選んだ基準は、
「雨が降っていない山」
「駅から登山口へのアプローチが容易な山」
「東京から日帰りできる山」
というもので、
「能に関わりがある山」
という要素は全く考えておりませんでした。
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そして東北新幹線の福島駅からほど近い「信夫山」に決めた訳です。
しかし、「信夫山」を登っている途中で何故か頭の中に
「いつまでとてか忍ぶ山 忍ぶ甲斐なき世の人の…」
という謡が浮かんで来ました。
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何の曲だったかな…と少し考えて、能「藤戸」の初同(最初の地謡)だったと思い出しました。
とは言え「忍ぶ山」と「信夫山」は字が違います。
おそらく違う土地に「忍ぶ山」があるのだろうと思いながらも、登山の間中ぐるぐると「いつまでとてか忍ぶ山…」
という謡が脳内を回っておりました。
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そして帰宅してから
「いつまでとてか しのぶやま」
という語句で念のため検索してみたのです。
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結果は驚くべきものでした。
「いつまでとてか しのぶやま」
は紀貫之の和歌の一節で、陸奥の「信夫山」を詠んだものだというのです。
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更に調べると、「信夫山」は90首もの和歌に詠まれた有名な歌枕だったようです。
不勉強で全く知りませんでした。。
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またあの源融の和歌
「陸奥の しのぶもぢずり誰故に…」
は、信夫山がある辺りの「信夫」という地名を詠んだものだそうです。
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もっと調べると、能「錦木」の冒頭のワキの次第に「信夫山」そのものが謡われておりました。
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能楽とは全然関わりの無い基準で選んだ山が、結果的に能に最も縁の深い山のひとつだった訳です。
知っていて登れば、何か能楽と関わる史跡などが見つかったかもしれません。
いつか是非とも「信夫山」を再訪したいと思います。
この夏には、能とは全く関わりないのですが新しい挑戦をしたいと思っています。
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その準備のために一昨日、福島県まで行ってまいりました。
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お供には先日神保町で購入したばかりのザックと登山靴。
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東京で降りしきっていた梅雨の雨は、福島では予想通りすっかり上がってくれていました。
今日はその昔から修験道の聖地ともされていたという「信夫山」への登山で、新しいザックと靴の慣らし運転です。
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信夫山は低山ながら修験道の行場らしく厳しい道もあり、ロープを伝っていく急峻な山道や危うい岩場も経験できました。

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山上からの阿武隈川と市街の眺めは素晴らしかったです。
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この山は他にも「ねこ稲荷」や…
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巨大な草鞋など、見所が満載でした。
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また山中には「月山神社」、「湯殿神社」、「羽黒神社」という出羽三山の分社があり、私は三社ともお参りできました。
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能にしばしば「出羽の羽黒山より出たる山伏」というワキが登場しますが、私もその山伏の気持ちをほんの少しですが体験出来た気がいたしました。
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この先も夏の挑戦に向けて、色々と準備を整えたいと思います。
今週水曜日には、文化庁巡回公演で石川県白山市にある鳥越中学校に行って参りました。
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金沢駅からバスで1時間ほど走って山間の中学校に到着しました。

大きくて立派な校舎です。

草の生えたグラウンドを見ると、不思議な懐かしさを感じました。
こんなグラウンドで学校生活を送ったことは無いはずなのですが…
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そしてこの中学校は、周りを広大な水田に囲まれているのです。
田植えが終わったばかりで、青々とした苗が初夏の爽やかな風にそよそよと靡いているのを見ると、こちらもしみじみとした郷愁を感じました。
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体育館で能「黒塚」の色々な準備を終えて、本番を待つ間に気がついたことがありました。
周囲に人工の音がほとんど無く、実に静かなのです。
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前の道路を通る車は少なく、役場からの一斉放送の類いも皆無です。
体育館からグラウンドに出てじっと耳を澄ましても、聞こえてくるのは遠くでトンビがピーヒョロロと鳴く声と、蛙が控えめにコロコロと鳴き交わす声、あとは裏山の木々がそよぐ音くらいです。
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演能中ももちろん周囲はとても静かで、能を観てもらうには理想的な環境でした。
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豊かな水田と自然の音に囲まれた中学校。
何か映画にでもなりそうな、美しさと懐かしさを感じた鳥越中学校巡回公演でした。
しばらくブログ投稿をお休みしておりました。
また少しずつ再開したいと思います。
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昨日は松本稽古でした。
この時期の特急あずさの移動は車窓からの景色が特に綺麗なのです。

まず東京は桜が満開でした。
これは東小金井あたり。

八王子を過ぎて山間部を縫うように進んでいくと…
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やがて甲府盆地が見えて来ます。
この写真、拡大するとピンク色の部分があります。やや右下の部分です。
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そう、この時期の甲府盆地と言えば「桃の花」なのです。
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菜の花との共演。

盆地全体が桃の花で埋め尽くされた感じで、今年も桃源郷の世界を満喫できました。
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甲府を過ぎるとやがて左手に南アルプスの山々が見えてきます。
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小淵沢駅からの眺め。
左側に鳳凰三山(地蔵ヶ岳、観音岳、薬師岳)
右側に甲斐駒ヶ岳です。
雪と岩のグラデーションに光が差し込んで、神々しいような美しさでした。
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「北アルプスは男性的で南アルプスは女性的」という表現をどこかで読んだことがあるのですが、目の当たりにする南アルプスの山々はとても雄々しく男性的な力強さを感じました。
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松本に到着したら北アルプスの風景と見比べてみたい、と思っていたのですが、残念ながら北アルプスは大半が雨雲の中でした。
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松本市内を流れる女鳥羽川の桜はまだまだ蕾で、信州の本格的な春はもう少し先のようでした。
桜満開の東京から早春の松本まで、花と山々の絶景を堪能した電車旅になりました。
4日前の土曜日には、宝生会定期公演での能「夜討曽我」の主後見で、汗だくで働いておりました。
もちろん私だけで無く、シテもツレもみんな口を揃えて
「舞台が暑かった!」
とやはり汗にまみれて言っていたのです。
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しかし昨日から今日にかけて、季節が一変してしまいました。
気持ちとしては一気に夏から冬です。
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しかも私は昨日今日は北の街、青森稽古だったのです。
夕方に青森に着くと気温は3℃。
暑がりの私も流石に震え上がりそうな温度です。
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しかし天気予報をちゃんとチェックしていました。
新幹線で上野を出る時はシャツ一枚だけの軽装。
でも荷物にはカーディガン、ジャケット、マフラーを装備して、青森到着前にそれらを着込んでいたので寒さはそれほど感じませんでした。
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北の街は暖房設備が充実しているので、稽古場の公民館で仕舞を始めるとむしろ暑いくらいです。
すぐにまたシャツ一枚に戻ってしまいました。。
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そして今朝青森を出て上野に向かう新幹線に乗ると、車窓からは白くなった八甲田山が望めました。
今シーズン初めて見る雪景色でした。

まだ綺麗な紅葉をみていないので、どこかで今年の「秋」も味わってみたいものです。
先々週の日曜日10月20日には松本市内の「才能教育会館ホール」にて「松本澤風会大会」がありました。
その翌日21日に、松本澤風会会員で山登りのエキスパートのお2人にガイドしていただき、前日の舞台の参加者9人で「美ヶ原高原」に行って参りました。
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車でも上の方までいけるようですが、我々は山登りが主眼なのでちゃんと歩いて登ります。

ここから山に入ります。
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最初は川沿いの深い森を歩きます。

道端にはリンドウの花。

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そして高度が上がっていくと、まだ早いと思われた紅葉もちらほらと。

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やがて森林限界を越えて、巨大な岩山が見えてきます。あの岩山の上が山頂のようです。

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思ったよりも本格的な山道でしたが、総勢9人で山の話や能楽の話など楽しくお喋りしながら登ったので、それほど疲れは感じませんでした。

2時間ほど登ってようやく「美ヶ原高原」に到着です。
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山頂部はとにかく広大な原っぱで、牛が放牧されていました。
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日本ではなく、ヨーロッパアルプスあたりのような風景です。(行った事は無いのですが…)
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そしてこの日は快晴で空気も澄んでおり、360°どこを見回しても山また山の絶景でした。

八ヶ岳と富士山。
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槍穂高連峰。中央が槍ヶ岳です。
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中央アルプスの山々。
ちなみに右端が能楽師東川尚史君、左のお2人が松本澤風会の山登りエキスパートです。
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他にも浅間山や、北アルプス、南アルプスの山々もくっきりと見えました。

山頂には各放送局のテレビ塔が林立しており、何か宇宙基地のような光景です。
この山頂まで登って、「王ヶ頭ホテル」という四つ星ホテルで美味しいカレーをいただいてから下山しました。(カレーが美味しすぎて、写真を撮る間も無く食べ終えてしまいました…)
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下山して見上げた美ヶ原高原。
山上に小さくテレビ塔が見えます。
あそこまで登って、降りてきたのか…と皆それぞれ感慨深い面持ちでした。
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今回は朝10時の登山開始から午後2時半の下山まで、終始快晴で絶好の眺望に恵まれました。
おそらく今後再び美ヶ原高原に登っても、今回程の絶景は見られないかと思われます。
全員の思い出に残る素晴らしい山行でした。
松本澤風会の山登りエキスパートのお2人に、心より感謝申し上げます。

(写真は私が撮影したものと、参加者Nさん、Yさんが撮影したものです。NさんYさんありがとうございます)
今月から来月にかけて仕事がまた山場を迎えており、鞄には覚えるべき謡本がたくさん入っていて、移動中は殆どがそれらを見るだけで過ぎていきます。
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それでもやはり、たまに見るニュースで季節毎の節目を思い出してハッとする瞬間があります。
今日の昼間に北に向かう東北新幹線で見たスマホのニュースの見出しで、
「今日は中秋の名月」
とありました。
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能の題材にも多く取り上げられている「中秋の名月」。
綺麗に見える年もあれば、月を見る暇もなく過ぎる年もあります。
今年はどうでしょうか…
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北の街に到着して日が暮れると、夜空には少し雲に覆われた名月が輝いていました。

雲が良いアクセントになって、一幅の絵画を見るような美しさでした。
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この月のイメージを、またいつかの舞台に活かせたらと思います。
先週の金土日は福岡で仕事がありました。
月火は京都で稽古して、夜に東京に戻りました。
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そして今日水曜は仙台稽古。
九州から東北まで、段々と北上しております。
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仙台まで来ると、福岡に比べてかなり涼しいだろうと思われるでしょう。
ところが仙台駅で東北新幹線を降りると、まるで熱帯のような高温多湿の空気がムッと身体を包みました。
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稽古場に向かって歩き出すと、スコールのような雨も降り出して、湿気が一層増してドッと汗が吹き出してきました…
これは寧ろ福岡よりも暑く感じるほどです。
9月半ばの仙台で熱帯のような気候を味わうとは…。
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実は2018年の今日9月11日も仙台稽古に来ていて、ブログには「今日の東北の街は涼しくて穏やかで…」と書いてありました。
それからわずか6年ですが、コロナ禍もあり、気候もすっかり変わってしまい、地球はいま大変な状況を迎えているのだと実感してしまいます。
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6年前と同じ市場を訪ねてみました。

今年も秋刀魚はやはり高くて、1匹250円でした。
他にも枝豆が一盛り400円で売られていましたが、6年前の写真を見ると一盛り200円で、6年で値段が倍増していて驚きました。
気温も物価も高騰しております…
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6年後のブログに書く内容が、どうか今よりも良くなってほしいと願いながら、汗を拭き拭き稽古場への道を急いだのでした。