大江能楽堂での稽古

今日はまた朝早く東京を出て、京都に向かいました。

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澤風会京都大会の本番がいよいよ明々後日になり、今日は大江能楽堂をお借りしての稽古だったのです。

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大江能楽堂はその昔私が京大宝生会に入部した直後に、京都においての初舞台を踏んだ能楽堂です。

当時から非常に風格のある黒光りした舞台でしたが、今年はなんと築110周年を迎えられるそうです。

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舞台の大小前から正先までのラインが、110年間の摺り足によって削れて白くなっています。

同様に、角と常座も円形に白く浮き上がって見えます。

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実はこれが学生や会員さんにとってはとても良い目印になるのです。

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「舞囃子で最初に立ち上がったら、シテ柱を目指して運んで行って、白くなっている線上に来たら掛けて前を向いてください。」

とか、

「角取りは、ちゃんと角の白い部分の真ん中に行ってからやってください。」

と言った風に注意出来るので、こちらも何かと稽古しやすい舞台なのです。

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全くの仮の計算なのですが、1日に平均30回大小前から正先まで摺り足をしたとすると、110年間ではなんと120万回になります。

気の遠くなるような数の人々が、正しい道筋を摺り足で運んだ結果出来た”白いライン”なのです。

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これもまた先人達からの「この線上を運べ」という一種のメッセージと捉えることができるかもしれません。

舞台上で正しい場所を使って舞うということの意味を、大江能楽堂の舞台は我々に教えてくれている気がします。

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今日の稽古も充実した内容で無事に終わりました。

あとは本番です。

歴史ある大江能楽堂の舞台で、思い切って稽古の成果を発揮していただきたいと思います。

暑さがおさまったので…

昨日は朝松本を出て、そのまま伊豆に稽古に行く予定でした。

松本の宿を出ると涼しくて爽やかな空気です。

「今年の暑かった夏もようやく過ぎて行ったか…」と感慨深く思いました。

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特急まで少しだけ時間があったので、澤風会までに行かなければと思っていた床屋さんに立ち寄りました。

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床屋さんを出てちょうど特急に間に合って、やれやれと一息。

次は甲府で降りて身延線の急行に乗る筈が、車内で「身延線は台風による土砂流入と倒木で終日運休です」と言われてしまいました。。

仕方なく八王子まで出て、八高線で新横浜へ。

更に新幹線で三島に行って伊豆箱根鉄道に乗り換え、という遥々とした旅の末に、何とか稽古場に行く事が出来ました。

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夜に三ノ輪に帰ってから、日曜日に迫った澤風会京都大会の準備を深夜までして、今日は昼から夜まで西荻窪稽古でした。

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最近予定がなにかと立て込んでいて、何故こんな無理目な予定にしたのだろう…と若干後悔しておりました。

しかし思い返してみると、これはよくよく考えての計画的なことだったのです。

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冒頭で昨日松本の空気が涼しくて過ごしやすかったと書きました。

8月頃に9月以降の予定を考えた時、忙しそうな仕事は夏が終わって涼しくなった9月下旬以降に集中して頑張ろうと計画していたのです。

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もしも先週からのバタバタした予定を、今夏の猛暑の中でこなしていたら、何処かで倒れていたかもしれません。

今は涼しくなって夜も寝苦しくないので、体力の回復も早い気がします。

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良く人に言うのですが、私は暑い夏の間は全ての機能が30%ほど減退してしまうのです。

逆に涼しくなると体力気力が3割増しになるので、ここから一層頑張って舞台や稽古に励んで参りたいと思っております。

また台風が…

今日は名古屋能楽堂にて開催された、「和久荘太郎演能空間」の舞台に出演して参りました。

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能「天鼓 盤渉」を始め、家元の仕舞「熊坂」や満次郎師の独吟「西浜八景」など盛りだくさんの内容でした。

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生憎台風24号が近づいており、主催の和久さんはさぞかし神経をすり減らす思いをされたことと思います。

しかし、舞台は気合いの入った素晴らしいものでした。

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京大宝生会からも何人か観に来る予定と聞いていましたが、台風で来れないかも…と心配しておりました。

しかし流石というかやはりというか、全員が予定通り観に来ていました。

舞台終了時点で名古屋から出る電車が軒並み運休している中、彼らはどうやって帰るのでしょうか…。

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かく言う私も新幹線が運休で東京に帰るのが絶望的だったのですが、何とか車で名古屋を脱出しました。

途中強い横風が吹き付けてきましたが、何とか無事に21時過ぎに東京に到着いたしました。

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今年は本当に何度も何度も台風に苦しめられます。

今回の台風の被害が出来るだけ少ないことを祈るばかりです。

ランナーズ・ハイ

昔高校の時に、陸上部の中長距離をやっておりました。

放課後の練習で遠くの公園まで”アップ”と称するジョギングをする時。

走り始めは、まだ身体が暖まっておらずにすぐに息切れをしてしまいました。

しかし、数分走っていると不思議に気持ちが高揚して来て、「ようし、今日ももっと走り込むぞ!」と前向きな気持ちになったものです。

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後日それは”ランナーズハイ”と言って、科学的に検証されている現象だと知りました。

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そして時は流れて、本日香里能楽堂にて開催された「京阪神巽会」でのお話です。

番組の関係で、私は午前中から午後にかけてしばらくの間、切れ目なくずっと舞台で地謡を謡っておりました。

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最初の1時間が経過した頃には、「足が痺れて立てないかも…」と思い、次の1時間では「もう無理!足が痛くて座れん〜!」と若干泣きそうになりました。

しかし、その後の時間帯になると不思議なことが起きました。

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「足、なんだか痛くなくなって来た。」

「頭がクリアになって来て、まだまだいくらでも謡える気がする…!」

と、何故かとても前向きな気持ちになって来てしまったのです。

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まだ誰も実験実証はしていない筈なのですが、”ランナーズハイ”と同様に”謡・ハイ”というのも存在すると思われます。

今日は”謡・ハイ”のおかげで何とか京阪神巽会を無事に謡終えることができました。

明日はまた名古屋での和久荘太郎さんの演能空間で”謡・ハイ”になるくらい頑張って謡って参りたいと思います。

自転車操業中です…

今日は朝東京を出て、10時半頃には京都丹波橋にて紫明荘組稽古を開始。

夕方終えて京大に移動して、先ほどまで稽古しました。

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紫明荘組と京大の合間には、新しい稽古場候補のとても良い感じの古民家ゲストハウスを見学したりもしました。

その辺の話を詳しく書きたいところなのですが、明日は朝から香里能楽堂にて京阪神巽会、明後日には名古屋で和久荘太郎さんの”演能空間”の舞台が控えていて、若干追い詰められている状況です。

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今日はこれにて失礼させていただき、小本と睨めっこして謡の世界に突入して参りたいと思います。。

大人の能楽師を目指して

今日は夜に大阪の大槻能楽堂にて、「大阪養成会」の舞台に出演して参りました。

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宝生流の演目は能「経政」で、シテは石黒空君でした。

空君は、数年前に私が大阪若手能にて能「百万」を勤めた時には子方をしてくれました。

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それがもう高校3年生になって、初めて面を掛けてシテとして舞台に立ったのです。

時の流れの早さを感じてしまいます。。

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現代の高校生というのは、学校だけでも相当に忙しいはずです。

彼はその学校と平行して、”大人の能楽師”を目指す為の修行をしている訳です。

それは子方時代の稽古とは比較にならない程の非常に厳しい修行であり、生半可な覚悟では出来ないことだと思います。

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しかし、満次郎師から指導を受ける空君を見ていると、何かご注意をいただく度に「ハイッ!」と何とも力強くきっぱりとした返事をしていて、直向きな姿勢を好もしく感じました。

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これからしばらくの間は、今よりも更に厳しい修行期間が続くと思います。

その修行を経て彼が”大人の能楽師”になる時を、期待して待ちたいと思います。

緊張感MAX

今日は大阪の香里能楽堂にて、第13回澤風会京都大会の申合がありました。

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今回は舞囃子「忠度」、「玉葛」、「草紙洗」、そして能「小袖曽我」が出るので、シテと地謡を合わせて10数名の方々が参加されました。

初めての舞囃子の方、初めて能装束を着る方なども多くいらして、皆さん緊張感MAXという感じでした。

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私のこれまでの稽古の方針としては、申合で色々と注意点をチェックして、申合から本番までの間にそれらを修正、そして本番では基本的に何も手出し口出しはしないことにしております。

つまり、私自身としても実は申合の時が一番緊張して舞台を見ているのです。

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今日もまた五感をフルに使って、チェックポイントを色々と探しておりました。

その甲斐あって、実りの多い有意義な申合になったと思います。

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毎回のことですが、ここから本番までが最も集中力が高まる期間になります。

今日申合を頑張った皆様は、どうか本番までもうひと頑張りしていただいて、最高の舞台を作っていただきたいと思っております。

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もちろん私も、ここから更に気合いを入れて稽古させていただきます。

会員の皆様、どうか本番までよろしくお願いいたします。

都庁前広場にての”東京大薪能”

昨日の熱海サンビーチから一転して、今日は東京のど真ん中、新宿の都庁前広場にて開催された”東京大薪能”に出演して参りました。

舞台の背後には巨大な東京都庁が聳え立ち、また前にも左右にも高層ビルが並ぶ、まさに”ビルの谷間”での薪能でした。

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未来世界のようなビル群に響き渡る謡と囃子。

昨日の熱海のように自然を感じながらの舞台は良いものですが、今日のようなシチュエーションもまた不思議に心地よい高揚感を感じました。

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今回の薪能には4000人以上のお客様がいらしてくださったようです。

能楽の普及という意味でも大きな意義のある催しだと思いました。

短いですが本日はこれにて。

熱海の”月の道 薪能”

今日は熱海の海岸で開催された「月の道 薪能」に出演して参りました。

毎年恒例となった薪能で、辰巳満次郎師が沖合から船で登場して、浜辺で舞うというのが大きな目玉になっています。

私は去年はその船に乗ってお手伝いをしましたが、今年は出航する桟橋でのサポートでした。

夜のヨットハーバーは、たくさんのヨットに灯りがともっていて幻想的な景色です。

ただ、水平線から昇っている筈の月は雲に隠れてしまっていました。

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シテ満次郎師を載せた船が出航していき、やがて浜辺の舞台での”能舞”が終わってヨットハーバーに戻って来ても、まだ月は顔を出してくれません。

今日は雨が降らなかっただけでも良かったのかな…と思いつつ、私は最後の演目である能「乱」の地謡座に座りました。

浜辺の客席に向けて座るので、月には背を向けるかたちになります。

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満次郎師は早変わりでシテ猩々になって、今度は橋掛りから登場です。

毎度のことながら、満次郎師の超人的な体力には圧倒されます。。

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そして「乱」が無事に終わって、舞台から降りるために背後を振り返った時、「おお…!」と驚きました。

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いつのまにか中天に見事な月が浮かんでいたのです。

「乱」の中の、「月星は隈も無し」という文句に誘われるように、顔を見せてくれたのでしょうか。

私は一瞬だけ明月を仰ぎ見てから、舞台を降りました。

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終了後の橋掛りから撮影した、熱海の夜景と月光の射すビーチ。実に美しい光景でした。

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今日の薪能が無事に終わったことを感謝しつつ、我々は月に見送られながらサンビーチを出発して、熱海駅までの長い階段をよいしょよいしょと登って帰途に着いたのでした。

地謡が凄すぎて…

先週青森稽古に行った時のこと。

青森稽古場の方が、

「この前の舞台の仕舞、全然駄目でした…。横板に正座して自分の出番を待ってる時に、真後ろの先生方の地謡があんまり凄い迫力で、それを聴いていたら一気に緊張して頭が真っ白になってしまったのです。。」

という内容のことを仰いました。

その方は「国栖」の仕舞で、確か3人組パートの最後の出番だったのです。

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そして昨日、福岡の皓月会の後にご馳走になった”光寿司”のご主人も、カウンターの向こうでやはり「今朝仕舞を舞った時に横板に座っていたら、地謡の声がもの凄くて、すぐ前で聴いていて圧倒されてしまいました。」と仰ったのです。

最もご主人は2人組パートの最初の仕舞「俊成忠度キリ」を舞われたので、こちらは出番が終わってからの話です。

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奇しくも青森と福岡で同じ内容の言葉を聞いたわけですが、ともあれこれは中々難しい問題だと思いました。

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私は誰かの仕舞の地謡を謡う時には、当然出来る限りの力で一所懸命に謡います。

しかしその一所懸命な声のせいで、横板で出番を待っている方を緊張させてしまうとしたら、それはそれで不本意なことだと思うのです。

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だからと言って、修羅物などを弱い声で優しく謡う訳にもいきません。

「力はこもっていつつ、至近距離で聴いても緊張させないような謡」

というのが可能なのか、今後研究してみたいと思います。

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澤風会などのいわゆる”同門会”での仕舞の地謡というのは、上記のようなこと以外でも本当に色々と気をつかう、難しいものです。

様々に試行錯誤した結果、私は結局「シテが遅くても早くなっても、こちらは動ぜずに淡々と普通の速さで謡う」のが一番だと言う結論に今は至っております。

しかしこれもまだ通過点なので、今回の”凄すぎる地謡”問題なども考慮しながら、最善の地謡を目指していきたいと思っております。