生活を舞台だと思うこと

よく澤風会の会員さんが舞台の本番直前に、

「先生すごく緊張してます…!」

と弱々しい声で仰います。

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そんな時は例の「本番は稽古のつもりで、稽古の時は本番のつもりでやってください!」という励ましの台詞を言うことが多いです。

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しかし、私とて本当を言うと舞台前は緊張するのです。

ましてや舞台以外の日常生活の色々な場面では、むしろ気弱な性なので舞台よりも遥かに緊張したりします。。

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そこで私は考えました。

「日常でこれから起こる事を舞台だと思えば、過度に緊張せずに臨めるのでは?」

そして、舞台前の気持ちを静かに思い浮かべてみると、案の定少し緊張感が落ち着くということに気づいたのです。

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これから先はこのやり方で、日常生活の荒波を乗り越えて参りたいと思います。

能「右近」のツレの隠れた苦労

「舞台から落ちる恐怖」というのは、能楽師ならばおそらく誰もが常にどこかで感じています。

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とは言え舞台はかなり広いので、大抵は落ちる心配はそれほどありません。

しかし、たまにとても狭い所で動かなければならない時があります。

例えば能「松風」の”破之舞”で、正先に置いてある松の作り物の前を通過する時などがそうです。

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そして明後日の「月並能」で出る能「右近」でも、そのようなシーンがあるのです。

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前半の冒頭で、舞台に「花見車」という作り物が出てきます。

シテがその中に乗り込み、2人のツレが車の両脇に立ち並びます。

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そのツレ2人の立ち位置なのですが、見所から見て左側のツレは、舞台の端と車の間の1m程の”隙間”に立たなければいけないのです。

私は今回で「右近」のツレは4回目ですが、今回は見所から見て右側の”安全な方”のツレです。

“隙間に立つ方”は今回東川尚史くんが勤めますが、彼ももう何度も「右近」のツレは勤めているので、まず大丈夫だと思います。

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何気なくシテツレ3人が並んでいるように見える「右近」冒頭ですが、実は他にも隠れた苦労があるのです。

全く真横が見えないので、横板で一度遠くから「花見車」の位置を確認したら、あとは勘に頼って適切な立ち位置に行くしかありません。

今日あった申合でも、地謡から「ツレ2人の位置が微妙に前後にズレていたよ」と指摘されました。

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明後日の本番では修正して、きちんと立ち並ぶようにしたいと思います。

能楽師みたい!

今日は昼から江古田稽古場で、3月9日の東京澤風会郁雲会の舞囃子の稽古をしました。

その後矢来能楽堂に移動して、夕方から2月11日開催の辰巳大二郎さんの同門会「橙白会」の申合がありました。

更にその後に夜の田町稽古にすぐに移動しました。

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このような時には、洋服と着物を着替える時間が無いので一日中着物で行動します。

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しかし私は普段洋服で移動や稽古をすることが多いので、先ずは江古田で「まあ先生、着物だとまるで能楽師みたい!」と言われました。。

そして矢来能楽堂での申合が終わってすぐに足袋だけ黒足袋に履き替えて「ありがとうございました!」と帰ろうとすると、「あれ、今日は珍しく着物なんだ!」と驚かれました。

更に田町稽古場に到着しても、やはり同じような驚きの反応が…。

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実はこれは逆パターンもあって、先日の岩手正法寺でのワークショップでは、終わって洋服に着替えて姿を見せると「おお、先生が洋服に!」と驚かれたのです。

昨年夏の岡山子供能楽教室でも、ずっと浴衣で稽古していたのが最終日の最後に洋服で出ていったら子供に笑われました。。

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私としては、洋服も着物も等しく着慣れているので驚かれるのがやや不本意ではありますが、この仕事をしていると仕方ないことなのかもしれませんね。

新しいリフィール

私は普段、バイブルサイズのシステム手帳を使っております。

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リフィールは翌年3月までのもので、去年入れ替えたきりなので今年の3月分までしかページがありません。

あとは翌年分の小さなカレンダーのページに細かく書き込んでいたのですが、最近では既に今年を通り越して来年2020年の仕事の予定も入ってくるようになりました。

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流石に書ききれないので、先週の国立能楽堂での仕事の合間に神保町の三省堂で新しいリフィールを購入しました。

そして今日ようやく古いリフィールと入れ替えて、今年の予定を大きな字で書き込みました。

手帳を入れ替えると、不思議にすっきりした気持ちになります。今後の予定もモリモリと書き加えて参りたいと思います。

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そしてリフィールの最初のページには、2020年と早くも2021年のカレンダーがついていました。

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2020年はオリンピックイヤー、そして2020年秋には京都での澤風会15周年記念大会、2021年春には東京での澤風会15周年記念大会がある予定です。

遥か遠い先だと思っていましたが、手帳のカレンダーを見て、微かに現実感が湧いて参りました。

若手能「春日龍神 白頭」申合

今日は国立能楽堂にて明日開催の「若手能」の申合があり、私は能「春日龍神 白頭」の地謡を勤めました。

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私は以前に、今回と同じ宝生和英家元がシテの「春日龍神 白頭」の地謡を謡ったことがあり、その事をブログに書いたような気がしておりました。

しかし、調べてみると以前の舞台は2016年3月の宝生会別会能だったようで、その時はまだこのブログは始めておりませんでした。

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「春日龍神」自体は何度も地謡を謡っております。

しかし前回の時に私は初めて「白頭」という小書を拝見して、非常に鮮烈な印象を受けたのを覚えております。

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後シテの型が色々と変わるのですが、特にワキ明恵上人に大陸へ渡る意志を問う場面で驚きました。

あまり言うとネタバレになりますが、通常の演出では「近くまで詰め寄って問い詰める」という雰囲気のシーンなのが、「白頭」の型ではスケールが圧倒的に大きく感じられるようになっているのです。

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またもう1番の観世流の能「胡蝶」にも「物着」という小書がついておりました。

宝生流の「胡蝶」には小書が無いので、こちらの「胡蝶 物着」は全く初めて拝見しました。

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やはり作り物の使い方などで「おお…!」と驚くことが何度かありました。

“小書”というのは、通常の演出を知ってから観ると驚きが倍増する気がします。

さらに今日は申合なので皆さん着物でしたが、明日の本番で装束が着くとまた別の驚きが加わりそうな予感がします。

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明日の「若手能」本番が楽しみです。

試験1カ月前の稽古

今日は昼から江古田稽古でした。

先週は風邪やインフルエンザでお休みの方が多く、今日も心配していました。

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やはりお2人、風邪とインフルエンザでお休みでしたが、逆に元気になってまた稽古に来られた人も何人かいらっしゃいました。

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3月9日の澤風会に向けて、田町組の方が舞囃子の稽古のためにいらしたりして、19時半頃までノンストップで稽古をしました。

そして今日はその後に、芸大受験を目前にした高校3年生を21時までみっちりと稽古したのです。

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年末までの彼の稽古では、謡や仕舞を途中で一々止めて、細かく直していました。

とにかく謡や型の知識を増やしてもらいたかったのです。

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しかしこの時期からは少し稽古の方向を変えていこうと思っています。

現在までに身につけたそれらの知識を、試験会場できちんと出し切ることができるようにしてもらいたいのです。

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今日の稽古では、謡本を見ながら謡ってもらい、止めて直す回数を極力減らして最初から最後まで謡い切ることを重視しました。

「謡本を見ながら」というと、試験まで1カ月を切ったこの時期にまだ謡本を見るのか、と思われるかもしれません。

しかし彼には、せっかく頑張って勉強した謡を、出来る限り正確に試験で再現してもらいたいのです。

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今日までは本を見てとにかく正確に、そして2月になって来週の稽古からは、本を見ずに謡う稽古に入っていきます。

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少々間違えても一所懸命にやれば良い、という通常の舞台と異なり、正確さと結果が求められる試験会場での舞台です。

私の受験の時の経験などもフル活用して、彼が当日自信を持って試験に臨めるように仕上げの稽古をして参りたいと思います。

週に5日も

国立能楽堂35周年記念公演の能「夜討曽我」が先ほど終了いたしました。

私は後見を勤めました。

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開演前の楽屋の仕事から、後場の最後の最後まで、色々とやる事が多く気の抜けない後見でしたが、何とか大過なく勤めることが出来ました。

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私は月曜日の「式能」申合から、今日で3日連続で国立能楽堂での仕事でした。

しかし実は今週はこれで終わらないのです。

明日1日空けて、明後日と明々後日にまた国立能楽堂での仕事があります。

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今度は2月2日土曜日開催の「若手能」という五流総出演の催しです。

宝生流からは宝生和英宗家の能「春日龍神 白頭」が出て、私はその地謡を勤めさせていただきます。

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年に一度くらいしか来ないこともある国立能楽堂で、今週だけで5日も仕事があるというのもまた何かのご縁なのでしょう。

週末の「若手能」も頑張りたいと思います。

1件のコメント

“雪”繋がり

昨夜の松本稽古の後は、信州大学准教授のT氏夫妻と熱燗と絶品おでんの晩御飯を食べました。

T氏夫妻はダウンの上に更にコートの重ね着という完全防寒態勢でした。

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一方私は普段の東京と同じツイードのジャケットにマフラーのみ、手袋も無しという格好です。

お店を出ると雪が少し舞っていました。

熱燗の酔いが醒めないうちにと素早く宿に戻りました。

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そして今朝早くに宿を出ると、外は非常な寒さで昨夜降った雪がそのまま凍っています。

いつも気温を確認する松本駅前の気温計は…

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マイナス4℃でした。寒い訳です。

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そして8時丁度のあずさ6号で、私は新宿へと旅立ちました。

窓からは雪の田んぼと北アルプスが望めました。

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幸いに電車の遅れも無く、11時には千駄ヶ谷の国立能楽堂に到着しました。

明日本番の国立能楽堂30周年記念公演の能「夜討曽我」の申合があったのです。

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一昨日の名古屋宝生会での「夜討曽我」のメンバーが何人か出演していて、それぞれ全然違う役を演じていたのが面白かったです。

名古屋でシテ曽我五郎をやった人が、今日はそのシテを捕まえる縄取の役をやっていました。

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申合が終わり、今度は上野に向かいました。

仙台稽古に向かう東北新幹線に乗るためです。

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昼過ぎの東京は松本に比べるととても穏やかな気候です。

上野で昼ごはんを済ませて、「こまち」に乗り込みました。

車窓の風景を見ながら行こうと思っていたのですが、あえなく爆睡…

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気がつくともう仙台到着のアナウンスが流れていました。

ホームに出ると、幸いに寒さは覚悟していた程ではありませんでした。

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仙台駅から稽古場に行く途中には市場があり、いつも色々見ながら通るのが楽しみです。

今日は大きな”鱈”が目につきました。

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50㎝を超える大きさの鱈が、一匹700円とか500円で買えるのですね。

鱈は身が雪のように白いことから、魚へんに雪と書くそうです。

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稽古まで少し時間があったので、稽古場近くのビルの展望台に寄りました。

人が少なくて、謡を覚えるのに良い場所なのです。

30階展望台から海の方向を望んで。

夕方の仙台の空は晴れていましたが、どこからか強風に吹かれてきた雪がチラチラと舞っていました。

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松本の雪から仙台の鱈まで、「雪」というキーワードで繋がった今日1日でした。

あとは”十郎”のみ

昨日は新作能「王昭君」が終わった後にすぐ大阪から名古屋に移動して、名古屋宝生会の能「嵐山」と能「夜討曽我」の申合がありました。

そして今日の午後から本番があり、先ほど無事に終了いたしました。

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私は「夜討曽我」の団三郎を勤めさせていただきました。

「夜討曽我」はいわゆる「人数物」で、五郎、十郎、団三郎、鬼王、古屋、五郎丸、縄取2人、と大勢の役が舞台に登場します。

今回”団三郎”を勤めたことで、私は”十郎”以外の全てのシテとツレの役、また後見、地謡も勤めたことになりました。

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因みにこの1年半の間だけでも、鬼王、五郎、五郎丸、今日の団三郎と4回舞台に立っております。

更に言いますと、明々後日水曜日の夜には千駄ヶ谷の国立能楽堂で辰巳満次郎師がシテの能「夜討曽我」があり、私は副後見を勤めます。

「夜討曽我」の後見はやる事が多く大変なので、心して準備したいと思います。

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こうなると、いつの日か”十郎”を勤めて「夜討曽我」の役をコンプリートしたいものです。

新作能における「演出」の効果

昨日は夕方まで丹波橋で紫明荘組稽古をした後に、電車を何本も乗り継いで大阪南部の高石市に移動しました。

夜に新作能「王昭君」の申合があったのです。

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そしてそのまま高石市に一泊して、今日「王昭君」の本番の舞台がありました。

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最初の謡本の読み合わせから始まって、稽古を重ねるごとに徐々に彩りを加えていった「王昭君」。

それがまた昨日の申合を経ての今日の本番にかけて、ダイナミックに進化を遂げてゆく様を目の当たりにしました。

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本物の丸鏡や琵琶を使った所作、またお囃子方それぞれの技巧を駆使した音や掛け声。

これらの謡本には書かれていない要素によって、舞台の上が日本の貞保親王の邸から、馬の嘶く胡国の草原へ、また王昭君が貞保親王に手ずから琵琶の秘曲「王昭君」を教えるシーンへと鮮やかに変化していきました。

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「演出」というものの大切さと、その効果の大きさを今回の新作能「王昭君」で強く実感させていただき、非常に勉強になりました。