シンクロナイズド能楽師

今日は宝生能楽堂にて開催の「月並能」で、能「鵺」の地謡を勤めました。

.

地謡では、以前書きましたが座って、扇を抜いて、その扇を前に回して…という作法を全員が揃って同時に行います。

.

…実は昨日の「彦根城能」の時に、地謡ではない所で能楽師のシンクロ現象が発生しました。

.

.

昨日私は京都を正午に出て、JR普通電車で彦根駅に向かいました。

車窓の田園風景を楽しみながら1時間ほどで彦根駅に到着して、席から立ち上がって扉の方に振り返ると…

私「あ…」

石黒実都師「あれ…」

.

同じ車両のほんの数列後ろに、石黒師が座っていたようなのです(12両編成)

.

.

石黒師「お昼ご飯食べて行っていいかなぁ」

私「済ませてきましたが、コーヒーなら付き合いますよ」

そして、彦根駅前の適当なお店に入りました。

.

私「このお店にも誰かいたりして…」

という言葉の途中で、先に入った石黒師の笑い声が聞こえてきます。

.

え?まさか…と思って扉をくぐると…

山内崇生師「よ!お疲れ様!」

.

ななんと、一番手前のテーブルで、来たばかりの丼を前にした山内師が微笑んでいたのでした。。

.

.

山内師「これ”彦根丼”。美味しそうでしょ?」

石黒師「へぇ〜、じゃあ私は”彦根うどん”ひとつお願いします!」

.

.

…このような石黒師、山内師との奇妙なシンクロ現象は、何故か度々起こります。

普段は全国のバラバラな場所で活動しており、性格も全く異なると思われる我々です。

しかし、長年同じ仕事場を経験して来た結果、ある舞台に向かう時の脳の働き方が、おそらく似通ってしまうのだと思われます。。

.

.

それが嬉しいかと言うと、そうでもありません。

電車でバッタリ会った時…

私「なんか残念というか悔しいですね。。」

石黒師「ほんまやね…私高槻から普通に来ただけやのに…」

.

.

何か運命に負けた感じがある、能楽師のシンクロ現象。

若干不本意ながら、この先も度々続くのだろうと思われます。。

彦根城能に出演して参りました

今日は「彦根城能」に出演して参りました。

.

彦根城能舞台は江戸時代の寛政12年に作られたという舞台です。

橋掛りがかなり斜めに付いているのも、歴史ある能舞台の特徴なのです。

.

.

今日の能「望月」の子方は、フルサイズの”羯鼓”の舞があるなど色々と難しい役です。

今回勤めた男の子は、非常に気合いの入った良い演技でした。

聞けばお父さんとお兄さんも以前に「望月」の子方を勤められたそうで、きっとこの役には期する所があったのでしょう。

舞台を無事に終えた男の子は、ひとつ大人になった良い顔をしていました。

.

.

.

「望月」の地謡座に座っていると、途中でなんだか袴に入れた手が非常に痒くなってきました。。

目だけを動かして辺りを見ると、なんと沢山の蚊が飛んでいます…。

.

地謡座では動けないので、「耐えるしかないか…」と思ったところで、ふと気がつくことがありました。

.

能「望月」の舞台は”近州守山の宿”で、この彦根からも比較的近い場所です。

そして”近州守山”とは、古来「蚊の産地」として知られているのです。

.

「人間ほどもある蚊がいる」という伝説もあって、そんな人間大の蚊が出てくる「蚊相撲」という狂言もあるくらいです。

.

.

なので、

「歴史ある舞台の上で、名高い名所の蚊に刺されるのもまたひとつの思い出になるか…」

と痒さを我慢して地謡に没頭していったのでした。。

第14回澤風会申合が終わりました

昨日は「松実会申合」でしたが、今日は香里能楽堂にて「第14回澤風会大会」の申合がありました。

.

今回の澤風会では、舞囃子「高砂」と能「羽衣」が出るので、その2曲の申合でした。

.

.

舞囃子「高砂」シテの会員さんは、去年宝生流教授嘱託になられて、澤風会で能「小袖曽我」の曽我五郎を勤めた方です。

.

そして今回能「羽衣」シテを勤める会員さんは、この度教授嘱託の資格を取られることになりました。

10年ほど前に紫明荘で全くの初心から稽古を始めて、澤風会10周年大会では能「加茂」後シテ、去年の能「小袖曽我」でツレ母と、順調に経験を積んでこられました。

.

.

紫明荘で稽古を始めた人が教授嘱託の資格を取る、というのは亡くなられた植田竜二先輩の望みでもありました。

今回ようやく植田さんにそのご報告ができることになり、大変嬉しく思います。

.

.

先ほどの申合での能「羽衣」は、長く稽古を重ねた甲斐あって、ほぼ完成に近い段階に来ていました。

しかし修正点もいくつか見つかりました。

.

本番までにはまだ何回も稽古があるので、更に稽古をして、

「紫明荘で稽古を積んだ人はしっかりしている」

と思ってもらえるように頑張りたいと思います。

.

当日は植田先輩も能楽堂のどこかで、ニコニコして舞台を見守っておられることでしょう。

見どころ満載の「絵馬」

今朝は京大合宿から大山崎稽古に直行して、その後夜には大阪の山本能楽堂にて、石黒実都師の「松実会」申合に出演して参りました。

.

今回の松実会は「20周年記念・第10回」

という記念大会だそうです。

.

.

記念大会に相応しく、能は「絵馬」というお目出度い曲が出ます。

.

この能「絵馬」には、前後で4人のシテとツレが登場して、5つの能面が使われます。

なんとこの5面全てをシテの会員さんが打たれたとのことです。

.

.

そして舞台には、前半は伊勢神宮の社殿、後半は”天の岩戸”として用いられる「宮」の作り物が出されます。

この曲の「宮」は特殊な構造で、観音開きの扉が自動で閉まるように細工されています。

.

今回これまたなんと、この複雑な構造の「宮」を、石黒実都師ご自身で手作りされたそうなのです。

今日拝見しましたが、布の張力を上手く利用して扉が自動で閉まるようになっており、その精巧さに驚きました。

.

.

もちろん能面や作り物だけでなく、超絶的スピードの後シテ”神舞”や、後ツレの”神楽相舞”も、この曲ならではの演出です。

.

このように見どころ満載の能「絵馬」の他にも、沢山の舞囃子、仕舞、謡などが出る「松実会」です。

9月16日(月・祝)午前10時半より、大阪谷町四丁目の山本能楽堂にて開催されます。

皆さまどうかご来場くださいませ。

ワールドワイドなパンフレット

今日は岐阜の「長良川薪能」に出演して参りました。

.

長良川河川敷にて行われる予定でしたが、残念なことに天候が良くなかったため、市民会館での開催となりました。

.

.

能は家元がシテの「清経」でした。

楽屋に到着して、置いてあったパンフレットを何気なく手に取ってみました。

“当日用”は内容が少し違うこともあるのです。

.

能の解説を読もうとして、ふと違和感を感じました。

見慣れない単語が目に入ったのです。

.

「あれ?こんな言葉があったのか。或いは東海地方の方言のようなものだろうか…?」

と思って、本文を読み進めようとしたら、今度は何故か文字が全く頭に入って来ません。

.

.

「…疲れているのだろうか?或いは”文字が読めなくなる病気”というのがあったかも…」

と一瞬不安になったのですが、よくよく見ると理由がわかりました。

.

そのパンフレットは全ての内容が”中国語”で書かれていたのです。

.

その横には、普通の日本語のパンフレットと、更に全て英語のパンフレットも並べてありました。

.

.

ひとつの薪能公演に3カ国語のパンフレットを用意するのは大変なことと思います。

しかしこれだけ海外からのお客様が増えた現代です。

こうして色々な言語に対応して宣伝するのは、とても効果的で大切なことなのだろうと思いました。

.

色々ととても丁寧に準備されている舞台でした。

関係者の皆様どうもありがとうございました。

2019亀岡浴衣会

今日は亀岡・大本宝生会の浴衣会でした。

.

いつも「亀岡の花々」のレポートばかりなのですが、会員の皆さまは普段から非常に熱心に稽古を積み重ねておられます。

.

.

今日の浴衣会では、半分以上の仕舞を会員さんだけで地謡をうたわれて、私と満次郎師は拝見しておりました。

.

初舞台「鶴亀」の仕舞の方も、先週の稽古から大きく進歩しておられて、ご自分でしっかりとおさらいされたのだなぁと嬉しく思いました。

.

.

ベテラン組の方々の仕舞の時間帯になると、さすがに皆さん落ち着いておられて型も正確です。

ほんの数年前には、この中の何人かの方々は仕舞初舞台だったのかと思うと、その上達ぶりにまたしみじみと嬉しくなりました。

.

.

これだけの歴史があって技術レベルの高い能楽グループは、実は全国的にもそうそう存在しないと私は思います。

.

今日初舞台や2回目の舞台だった方、またこの数年で順調に上達された方、そして数十年単位で続けてこられた大ベテランの方々が融合して、大本宝生会はこの先数年でまた大きく発展すると思われます。

.

未来への希望を感じた今日の亀岡浴衣会でした。

大本宝生会の皆様どうもありがとうございました。

下からの突き上げ

今日は熱海のMOA能楽堂にて、親子向け能楽教室の舞台に出演して参りました。

.

.

能は「土蜘」で、シテが辰巳大二郎さん、頼光が辰巳和磨さん、小蝶が藤井秋雅さん、トモが上野能寛さんと、とても若い能楽師たちの舞台でした。

.

私と同時期の内弟子世代よりも、ふた世代ほども入れ替わった下の世代達が、500人の満員の見所の前で堂々と「土蜘」を演じていました。

.

.

これまで私は先輩達の舞台を見て、「なんとかあのように謡ったり舞ったりしたいものだ」と、少しでも追いつくために努力をして参りました。

.

しかし今日若手の舞台を地謡から見ていて、「下からの突き上げ」という言葉が頭に浮かんできたのです。

.

.

少しでも気を抜いていると、この若者達に追いつかれ、追い越されてしまうかもしれないな…

と、改めて気を引き締めました。

.

.

しかし一方で、そのような勢いのある若手がいてくれるのはとても有り難いことだとも思いました。

.

先輩達に追いつこうとする努力と、下の世代に追いつかれないようにする努力。

この先は二重の努力が必要であり、結局はその努力が私自身の芸を磨くことに繋がるのでしょう。

.

.

「下からの突き上げ」のおかげで、自分の立ち位置と今後の方針を自覚することが出来た、有り難い舞台でした。

60人の初舞台!

今日は大阪の香里能楽堂にて「枚方市能楽体験教室発表会」が開催されました。

.

午前中に大人の部、午後から子供の部の合計60人ほどが、ひと夏の間稽古した仕舞を披露したのです。

.

.

何がすごいと言って、今日舞台に立った60人全員が「初舞台」なのです。

ズラリと並んで出番を待つ生徒さんに声をかけてみました。

.

私「普段我々が出る発表会では、1人でも”初舞台”の方がいると大変おめでたいことなのです。今日はめでたさなんと60倍なのですよ!」

すると、

生徒さん「へえ〜、そうなのですか!それはギネスブックものですね!」

.

確かに1日に60人の初舞台は、私の経験した舞台では最多記録更新です。

ギネスに申請して、登録されるかは大変微妙なところですが…。

.

.

ともあれ大人から子供達まで、短期間の稽古で驚くほどの成果をあげた今日の舞台でした。

.

才能があると思う人が本当にたくさんいらしたので、この教室が今後も続いていけば、更にレベルの高い仕舞が見られるだろうと想像いたしました。

.

.

繰り返しになりますが、今回の能楽体験教室では枚方市のスタッフの皆様には大変お世話になりました。

今日も朝7時半頃から夕方まで、猛暑の中を走り回って舞台のサポートをしてくださいました。

心より感謝申し上げます。

相模原薪能に出演して参りました

今日は相模女子大グリーンホールにて開催された「相模原薪能」に出演して参りました。

.

予定では野外の会場で行われるはずでしたが、大型の台風10号が近づいているということで、早い段階で屋内開催に変更するとの連絡がありました。

.

.

今日の日中は晴れ間も見えて、「もしかして外でも出来たのかな…」と思ったりもしました。

しかし、午後に三ノ輪を出て最寄り駅の相模大野に到着する直前に、スコールのような雨がザアアッと電車の窓に降りかかってきたのです。

.

野外会場で予定していたら、開催そのものが危うかったかもしれません。

.

.

屋内会場では、かなりリアルな篝火型のライトが何本も置かれて、雰囲気は野外の薪能に非常に近いものでした。

お客様も雨風が時折強くなる中を大勢いらしていただき、最後の能「船弁慶」まで安全な環境で楽しんでいただけたようです。

.

.

今回の大型台風では、西日本で激しい雨が降り、強い風が吹いたようです。

被害が出来るだけ少ないように祈っております。

時空を越える紋付と袴

世間ではお盆休みの真っ只中のようです。

.

周りの人からちらほらと、海や山に行く予定、遊園地や野外フェスに行ってきた楽しい話などを聞いて「羨ましいなあ…」と思いながら、私自身は普段と全くかわり映えのしない生活を送っております。

.

.

先週末の七葉会のエピソードを、思い出したものから書いてみたいと思います。

.

今回澤風会の最年少出演者は小学5年生の男の子でした。

楽屋で紋付袴を着付けている時、袴を見て大変懐かしいと思いました。

.

黒地に金色の格子模様が入った、子供用の袴です。

実はこれは私が小学3〜5年生の時に舞台ではいていた袴なのです。

.

その後、今回の男の子のお兄さんが小学生の時に、暫くの間この袴を使ってくれていました。

お兄さんは今はもう東京芸大に入学して、宝生流の若手予備軍として修行を始めています。

.

.

私がこの袴で、今回と同じ宝生能楽堂で仕舞を舞ってからもう40年が経ちます。

そして今年七葉会デビューを果たした弟くんが、またこの黒地金格子の袴で舞ってくれたわけです。

.

.

これはしみじみ嬉しいことだなぁ…と思っていたら、高橋憲正さんの憲宝会の男の子がやはり仕舞で初舞台ということで、楽屋で着替え始めました。

憲正先生自ら、男の子に綺麗な空色の紋付を着付けながら、

「この紋付いいでしょ、僕が子供の時に来ていたものなんだよ」

と話されました。

.

着付け終わった男の子の凛々しい姿は、憲正先生の子供の時の姿を想像させてくれました。

.

.

私の黒地の袴も、この憲正さんの空色の紋付も、また時間と場所を飛び越えて、次の世代がいつかどこかの舞台で使っていくのでしょう。

一層しみじみと感慨深い気持ちになったのでした。