兄弟とは…

今日は江古田稽古場にまた新しい仲間が増えました。

小学生の男の子です。

.

実は彼のお祖父様、お祖母様、そして高校生のお兄さんも江古田稽古場でずっと稽古をしています。

.

お兄さんの影響で稽古を始めてくれたのでしょうか。

.

.

因みに私にも年子の兄がおりますが、何故か私と兄は正反対の選択をしながら人生を歩んで来た気がします。

.

小学校の時には、兄も私も同じように母親の能の稽古に連れて行かれましたが、私は稽古を始めて、兄は一切興味を持ちませんでした。

.

また、私は高校の時漠然と、「大学に入ったらサイクリング部に入りたいな…」と思っていました。

しかしなんと1年早く大学生になった兄がサイクリング部に入ってしまったのです。

.

仕方なく、という訳では無いのですが、私はサイクリング部をやめて能楽部宝生会に入りました。

思えば兄がサイクリング部に入っていなければ、私はほぼ確実に京大サイクリング部に入部して、今こうして能楽師にはなっていなかった筈なのです。

.

あるいはまた、私が小学2年生で稽古を始めていなければ、兄がかわりに稽古を始めて私のポジションに現在いる可能性もあった訳です。

兄弟とは不思議で面白いものです。

.

.

私と兄はかように異なる道を選んで来ましたが、兄弟で何か同じことをやるのは本当は素晴らしいことだと思っております。

.

今日稽古を始めてくれた男の子も、家でお兄さんと仕舞の話で盛り上がったりしてくれたら嬉しいものです。

.

.

.

…しかしながら例えば私の兄がある日突然「稽古したい!」と言い出す可能性もあるわけで、そうなればそれはまた面白いことだと思うのです。

1件のコメント

誕生日ロールケーキ

今日は朝から京都紫明荘組の稽古でした。

.

バリバリ稽古して、3時間ほどが経った頃。

私「えーと、では次の方の仕舞を…」

会員さん「先生ちょっと待って!稽古中断して、ケーキを食べましょう!」

と満面の笑みで大きな箱を持って来られたのです。

.

.

開けてみると、とても大きなロールケーキが2本も入っています。

私「…もしかして、誕生日ケーキですか⁉️」

会員さん「はい!私の家の近くのケーキ屋で買って来ました!ハッハッハ!」

.

.

なんと‼️今年は紫明荘組の皆さんが私の誕生日サプライズを用意してくださっていたのでした。

おかげさまで今年も元気に嬉しい誕生日を迎えることができました。

.

.

.

思えば去年は京大宝生会で手作りケーキをもらいました。

.

.

.

そして一昨年は松本稽古場で巨大なケーキをいただいたのでした。

他にもメールなどでお祝いしていただき、本当に私は果報者だと思います。

.

皆様のお気持ちにお応えするべく、この1年もまた精一杯頑張って稽古に舞台に取り組んで参ります。

五月病と四月病

ゴールデンウィークも明けて、今日から通常稽古モードの松本稽古です。

.

先週は使えなかった回数券も今日は無事に使えて、特急あずさの座席にも随分と余裕があります。

.

思えば昨年も連休明けは松本稽古で、車窓から「桐の花」が綺麗に見えました。

しかし今年はもうとっくに終わっていて、今日は山梨辺りの葡萄の棚の緑が鮮やかでした。

.

途中降り出した雨が、松本駅に到着すると本降りです。

久しぶりに傘の出番でした。

.

連休が終わってしまって、しかも雨模様だと何となく気勢が上がりません。

世に「五月病」という言葉がありますが、これはゴールデンウィーク明けの気分を指すのかもしれないと思いました。

.

.

因みに私が京大現役時代には「四月病」という言葉があり、これは2回生以上がかかる病いと言われていました。

「新しい年度がスタートした4月に、柄にもなく真面目に毎日大学に通って授業に出てしまう」という症状で、これが当時の京大では病気とみなされた訳です。

.

四月病の時期は、大学周辺の自転車の台数が異常に増えて危ない上に、生協の食堂も混み合って往生します。

.

しかしゴールデンウィークが明ける頃にはこの「四月病」はすっかり影を潜めて、京大周辺は平穏な日々を取り戻すのです。

これはつまり私を含めた駄目学生達が、また大学に寄り付かなくなる事を意味します。

.

尤も最近の学生はとても真面目なので、年間を通して授業にちゃんと出ているので、この「四月病」という言葉も死語になっているのかもしれませんね。

.

名物の「立て看」も規制されるようで、何とは無しの寂しさを感じてしまうのですが、京大周辺を取り巻くのんびりとした自由な空気感だけは、何時迄も無くならないでいてほしいものです。

2件のコメント

扇の日

今日から5月がスタートしました。

5月は空気が爽やかで、それ程暑くも寒くもなく、私はとても好きな月です。

.

そして今日5月1日は「扇の日」だそうです。

何故なのかと言うと…

①5月1日→「コイ(恋)」という語呂合わせ。

②恋と言えば「源氏物語」。

③「源氏物語」の恋の駆け引きにおいては、「扇」が重要なアイテムである。

…という驚くべき三段論法で、京都扇子団扇商工協同組合によって制定されたようです。

.

.

制定理由は相当に強引な気がしますが、ともかく「扇」という物には日頃から大変お世話になっております。

これが無いと稽古が不可能なので、私にとっては財布の次に大事なアイテムと言っても過言ではありません。

.

仕舞の稽古では「扇」、謡の稽古では「張り扇」を常に持っています。

また京大宝生会での仕舞稽古は見ているだけの時間も多くありますが、そんな時も扇をずっと手に持って、無意識のうちに開いたり閉じたりを繰り返しています。

とにかく稽古中は手に扇が無いと落ち着かないのです。

.

稽古に使う扇は当然傷みが早く、私の場合は3〜4年で使えなくなってしまいます。

そのような古くなった扇も、何となく捨てられずに押入れに眠っています。数年間を共に過ごした扇には、「家族」「友人」に近いような親しみを感じるのです。

しかしかなりの本数がたまっているので、いつか「扇供養」のような行事に持って行きたいと思っております。

.

.

仕舞においては「扇」一本で実に様々な事物を表現することが出来ます。

「名刀」になり「盾」になり、「筆」になり「牛の角」になり、「天女の羽衣」になり「天狗の羽団扇」になり、「盃」になり「柄杓」になり、「弓」になり「矢」になり、「松明」になり「笠」になり、「風」を吹かせ「波」を立て、また「この世の全てを映す鏡」にもなります。

「恋人との約束の証」が扇であるという曲があり、「ある老武者が自害した場所」が扇で表される曲もあります。

.

書けば書くほど、この日本発祥である「扇」という道具の大切さ、また能楽に於ける用途の広さ深さを再認識させられます。

稽古をされている皆さんは「扇」をどうか大切に、そしてまだ稽古をされていない皆さんは、この素晴らしい「扇」というアイテムの魅力を最大限に引き出す「能楽」の稽古を、「扇の日」をきっかけに始めてみるのも良いかと思います。

.

.

最後にもう一つ、「扇」の使い方を思い出しました。

初対面の人と待ち合わせる場合に、「白地に青い雲の模様の扇を持って立っています」などと言っておいて、扇を開いて立っていれば絶対にすぐに見つけてもらえます。

…相当変人だと思われる恐れはありますが。。

休みの日に働くこと

今日はゆるいお話です。

今朝松本稽古に行こうとして、いつものようにJRの改札機に「あずさ回数券」を入れたところ、何故か「この切符は使用出来ません!」と弾かれてしまいました。

そこでようやく、「ああ、今はゴールデンウィークか…」と思い当たったわけです。

回数券はゴールデンウィークや年末年始などは使用不可なのでした。

.

「こっちはいつもの仕事なのにな。。」と思いながらすごすごと券売機に向かい、正規料金の切符を買いました。

.

能楽師は人様が休みの日に働くことが多い職業で、時にその影響を受けてしまう事があります。

.

.

内弟子の頃には、遠くで薪能などの舞台がある時は大きなワゴン車に装束、作り物、何人かの内弟子を載せて移動するのが常でした。

.

舞台が無事に終わると、疲れた身体に鞭打ってまた全てをワゴン車に積み込んで、「もうひと頑張りだ!」と水道橋を目指して出発します。

しかしそれが連休最終日だったりすると、高速道路であえなく大渋滞に巻き込まれてしまうのでした。。

しかも、周りの車を見回すと殆どが休日帰りで「楽しく遊んで来ました!」という雰囲気を漂わせた車なのです。

.

一方こちらは仕事帰りで疲れて目つきの悪い男達が満載の、何となく「護送車」という雰囲気のワゴン車です。

周りの車を見渡しながら、「あのベンツ、いけ好かないカップルですよ」「くそ、奴らには絶対抜かれるな!」

「あの赤いマーチ、女子4人乗りです」「よし、ちょっと並走して見て」

などと勝手な事を言いながら渋滞の中をゆるゆると走っていきます。

.

こうして書いてみると、それはそれで良い思い出なのですが、当時は「こんな時は高速に”労働車専用レーン”を作ってくれ!」と本気で思ったものです。

.

.

今も松本に向かう「特急あずさ」には、楽しそうな家族連れなどがたくさん乗っています。

それらの「休日客」の喧騒を聞きながら私は「ふう」とため息などついて、せめて車窓から見える甲州路の滴るような新緑に、旅行気分だけでも味わおうと努力してみるのでした。

OB会新入生

昨日の京大宝生会稽古は「新入生狂騒曲」という趣きでしたが、一夜明けて今日は京都紫明荘組の稽古でした。

.

ゴールデンウィーク初日で京都の街は人で溢れ返っておりましたが、有り難いことに澤風会稽古場も今日は千客万来で、福井在住の会員さんのおめでた報告があったりして、20人を越える人達がいらして色々賑やかに過ごしました。

.

そしてようやく終わりが見えて来た夕方頃。

私の頭の中では、「今日は来るべき人は全員来られたかな…」とちょっとホッとしていた時に、稽古場の引戸が開くような微かな気配がしたのです。

.

それでも気のせいかな…?と思っていると、入口から静かに顔を覗かせたのは新OBのK君でした。

.

おお、なんと!

確かにK君には先週の七宝会の時に、「28日は澤風会稽古日だから、良かったら来てね」と言っていたのでした。

彼にとってはOBになって澤風会稽古場での最初の稽古になります。

.

京大宝生会は現役の数年間もとても濃密なのですが、なんと卒業しても、同じくらい濃密で楽しい「OBOG期間」が始まってしまうのです。

.

自分のペースで稽古出来て、現役では習えなかった難しい曲を好きなだけ稽古出来ます。

そしてまた連綿と続く「京大宝生OB会」の一員になり、名だたる先輩達の末尾に名を連ねて、もう一度「新入生」の気分を味わうことも出来るのです。

.

今日から新たにOBとして稽古を開始したK君。

これから充実したOB生活を送ってほしいものです。

また同学年で卒業してまだ稽古に来ていない何人かの新OBOGさん達も、どうか時間のある時に稽古に来てほしいと願っております。

1件のコメント

「うりずん」の頃

昨日の雨から一転して、今日は朝から晴れ上がりました。

江古田稽古の行き掛けに「隙間花壇」を通ると、紫陽花の葉がすっかり繁っていて、地面にはオレンジ色の「虞美人草」もたくさん咲いていました。

.

.

沖縄には冬と夏の間に「うりずん」という季節があるのをご存知でしょうか。

「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源とされている言葉です。

沖縄の短い冬が終わって暖かくなり、草花が咲き出して大地を一斉に潤していく3月から4月にかけてが「うりずん」と呼ばれるそうです。

.

今日の東京の陽気は、何となくこの「うりずん」に当たるように思えました。

そして、最近謡でもこのような内容を聞いたような…と思い起こしてみると、思い出しました。

.

能「雲林院」の冒頭でワキ公光が「花の新たに開くる日 初陽潤えり」と春の陽気を謡っているのです。

「花・初・潤」と揃って、これは正に「うりずん」を謡にしたように感じられます。

.

この謡は「和漢朗詠集」にある菅原文時の「春色雨中深」という漢詩が元になっています。

.

少し調べたところ、また大変興味深い事がわかりました。

「うりずん」という言葉が最初に出てくるのは、「おもろさうし 」という沖縄最古の歌謡集です。この「おもろさうし 」が編纂されたのが16〜17世紀頃。

そしてこの頃までには「和漢朗詠集」などの本土の古典が琉球に持ち込まれて、琉球の歌や詩に影響を与えていたそうなのです。

.

ということは、可能性として「春色雨中深」という漢詩の「初陽潤えり」という言葉が「うりずん」の語源になったということも有り得るのです。

あくまでも可能性ですが、ひとつの漢詩が一方で能楽に、もう一方で沖縄の季節を彩る言葉になったとしたら、これも雄大なスケールの話だと思うのです。

.

.

…因みに、私が「うりずん」という言葉に初めて出会ったのは、ダイビングによく行っていた頃のことです。

那覇の安里という所に、その名も”うりずん”という大変素晴らしい沖縄料理屋さんがあって、沖縄に行くと何を置いても通っていたのです。

もう久しく行っていませんが、今でも「うりずん」の頃になると”うりずん”を懐かしく思い出します。

古裂の持つ力

昨日は松本城での打ち合わせの後に、松本稽古場の立ち上げからお世話になっている骨董屋さんの仕事場にお邪魔して、「古裂」のコレクションを見せていただきました。

.

店主は数十年かけて、日本国内のみならず世界中様々な国から古い布や着物を蒐集されたそうです。

.

大きな部屋の四方の壁や床や、ありとあらゆる場所にうず高く積まれた古裂。

.

「これは越前三国に伝わる”三国刺し”という着物です。漁師の防寒具だったのでしょう」

「これはアフリカのある部族の酋長が着る為の貫頭衣です」

「これは縄文時代に初めて織物が発生した、その原始的な織り方で織られた最も古い布です」

「これはインドのミラーワークの初期のものです」

…次々と広げられる古い着物や布たち。

.

.

どれも、着ていた人使っていた人、また作った人の人生や歴史を色濃く感じさせる、圧倒的な風合いを持っています。

ぶ厚い布に太い糸で刺し子が一面に施されている着物など、おそらく私のような非力な現代人ではひと刺しすら出来ないと思われ、手に取るとその力強い重味と、作り手の想いがひしひしと伝わって来ました。

着る人のことを思いながら、丁寧に作られたのでしょう。

.

.

またそれらの古い布の中には、模様や色の組み合わせがとても美しく、「能装束として舞台で使いたい」と思うような着物がいくつもありました。

.

.

内弟子の頃に、夏の蔵掃除で能面を全部並べて虫干しをすることがありました。

すると、並んだ能面を見ているだけで不思議な疲労感を感じたものです。

古い能面の持つ力に「あてられた」のだと思っていました。

.

昨日の古い布たちも、やはり同じ力を持っているらしく、長く見た人はドッと疲れて帰っていくそうです。

.

これらの膨大な古裂コレクションを、これから撮影して写真集を作る計画があるそうで、これは本当に楽しみな企画です。

また時間がある時にはお邪魔して、古い布たちのパワーを感じたいと思っております。

初夏の松本城

今朝はある催しの打ち合わせに、松本城に行って参りました。

私にとってお城というと、何となく山の上にあるイメージがあります。

しかし松本城は全くの平地にあるので、坂道を苦労して登らずとも天守閣の近くまで行けるのが有り難いところです。

.

.

松本城管理事務所で打ち合わせを終えて外に出ると、藤棚に藤が綺麗に咲いていました。

花を見ればわかるところを、念のため「フジ」と親切に書いてある辺り、実直な街松本の雰囲気が出ています。

.

.

満開にはもう少しですかね。

.

.

「黒門」の脇にはこんな花が。

「宇宙ツツジ」とは?と近寄ってみると、宇宙飛行士の向井千秋さんと共に宇宙に行ったツツジの種から育てられたツツジという事でした。

.

.

そして黒門の下には、戦国武将のような出で立ちの人が。

「写真撮っていいですか?」とお願いすると、ポーズまで決めてくれました。

こちらは「松本城おもてなし隊」の一人、「松平直政」さん。

おもてなし隊隊員には他にも松本城の歴代藩主である石川家、小笠原家、戸田家、堀田家、水野家の人々(コスプレです。念のため)がいて、城内の色んな場所に出没して一緒に記念撮影などしてくれるそうです。

.

.

今日打ち合わせをした、松本城に関わる「ある催し」については、もう少ししたらオープンにお話出来ます。

宝生流松本澤風会の総力を結集する催しになります。

その催しに絡めて、真夏の松本城に是非たくさんの皆様にいらしていただきたいと思っております。

詳細はいま少しお待ちくださいませ。

女鳥羽川の鯉のぼり

今日は松本稽古でした。

特急あずさで松本駅に着いて、稽古場まで歩く間に川を一本渡ります。

これは「女鳥羽川(めとばがわ)」という印象的な名前の川です。

松本市の東方の山から発して、松本市内中心部を流れ下って梓川と合流する川で、清冽な水がいつも水量豊かに流れています。

.

今日もその女鳥羽川にかかる橋を渡ろうとすると、目の端に何やらヒラヒラする物がありました。

.

.

なんと、女鳥羽川をたくさんの鯉のぼりが泳いでいるではありませんか!

最近は鯉のぼりを見る事がめっきり少なくなった気がしますが、これはざっと見ても何十匹もいるようです。

.

.

年中イベントの多い松本のこと、これも何かの恒例行事かと思い、ちょっと調べてみると意外な事がわかりました。

.

この鯉のぼりは、近くに住む人形屋さんが個人で飾っているもので、昭和53年から始めて今年で40年目になるというのです。

「観光客に女鳥羽川を知ってほしい」という思いで始めたとのこと。

.

更に、女鳥羽川は戦後暫くは汚れた川だったのを、市民の手で掃除や整備が行われて、今でも多くの人の努力で綺麗な流れが保たれていると知りました。

.

松本という街は、住んでいる人々に愛されている街だといつも思うのですが、今日の女鳥羽川の鯉のぼりでまたその認識を新たにしました。

.

.

風が止むと元気が無くなる鯉達ですが…

.

.

爽やかな風が吹くと、身を躍らせて正に滝を登っていくような勢いです。

.

.

この美しい川の流れと、毎年人形屋さんの手で飾られる鯉のぼりが、いつまでも見られるように願っております。