リラ冷えの朝

昨日今日は季節外れの寒さでした。

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東京も気温が低かったようですが、青森は夜に稽古を終えて外の気温計を見ると7℃。

駅や宿などそこここで暖房が効いていました。

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今朝も宿を出ると冷たい風が強く吹いており、少々震えながら青森駅に向かいました。

すると、青森港横の広場に綺麗な花が咲いています。

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「ライラック」と札に書いてありました。

札幌の花というイメージがあり、実物を見るのは多分初めてです。

「ライラック色」とも言うべきグラデーションのかかった紫の小さな花が、15㎝程の高さに房状に咲いていて、印象に残る姿でした。

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確かライラックは「リラ」とも言い、「リラ冷え」という言葉があったような…と思って調べてみました。

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するとやはり「リラ冷え」とは、北海道においてライラックの花が咲く5月頃に急に寒さが戻る事を意味するそうです。

昨日今日は、北海道のみならず本州でも「リラ冷え」が体感出来た日だったのでしょう。

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上の最初の写真でライラックの右側に白い花が咲いていますが、これは林檎の仲間の「姫林檎」だそうです。

林檎もライラックも、北国に初夏の訪れを告げる花でもあるそうです。

今回の「リラ冷え」が過ぎたら、東北や北海道にも暖かな初夏の陽射しが注ぐように願っております。

旅の本

ある能の舞台になった場所を訪れて、その曲を思い出したり、出来れば謡ったり舞ったりすると、なぜだかちょっと良い気分になります。

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私の場合は、「本」においても似たような傾向があって、ある土地を訪れる時にその土地にゆかりのある本を読むと、密かな喜びを感じてしまうのです。

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と言っても、「名作」や「文豪の作品」などは2ページも保たずに寝てしまう人間なので、くだけた読みやすい本ばかりです。

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先日伊勢神宮に向かう道中では、三浦しをん「神去なあなあ夜話」を読みました。私の故郷でもある三重県の山奥が舞台の本です。

また中央本線で松本に向かう時は、角川文庫「山の霊異記」という甲信越地方の山の怪談話を。

京都への新幹線では、今は森見登美彦「有頂天家族 二代目の帰朝」をお供にしています。

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そして今日は青森稽古に向かう東北新幹線にて、椎名誠さんの「北への旅」という文庫本をパラパラとめくっているのです。

この本は、椎名さんがカメラを持って東北を旅した記録の写真とエッセイ集です。

北の街で出会った人々、お祭り、市場、自然などが沢山の写真と共に、東北への愛情溢れる文章で紹介されている本です。

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今回特に強い印象を受けたのが、JR八戸線の「鮫」という変わった名前の駅で降りて、「種差海岸」という海岸を歩いた時のお話でした。

種差海岸は「日本にまだこんなに美しい海岸があったのか」という程に綺麗な場所だそうで、これはいつの日か必ず「鮫駅」から出発して歩いてみようと心に決めました。

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今日はもう一冊、西木正明さんの「流木」という文庫本もあり、岩手の山奥の話をこれから読もうと思っております。

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…文庫本ばかり読んでいるようですが、能「夜討曽我」と「俊成忠度」の勉強をする合間にちょっとずつ読んでいるのです。念の為…。

曽我兄弟ゆかりの里

昨日の古本市で購入した「曽我物語・物語の舞台を歩く」を早速パラパラと読んでみました。

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能「夜討曽我」において、曽我五郎・十郎兄弟は遂に念願の仇討ちを果たしますが、それは建久4年(1193年)5月28日の深夜の事でした。

私が夜能で「夜討曽我」のシテを勤めるのが5月25日。とても近い日どりです。

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本によると、この夜討があった「5月28日」に合わせて、曽我兄弟ゆかりの地では色々な行事が行われるようです。

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JR御殿場線の下曽我駅で降りると、その一帯がその昔「曽我の里」と呼ばれたそうで、曽我氏の菩提寺である「城前寺」があります。

この城前寺で、毎年5月28日に「曽我の傘焼き祭」が行われてきました。

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「傘焼き」とは、曽我兄弟の夜討の時に、兄弟に斬りつけられた人達が火のついた蓑や笠を投げ出して辺りを明るく照らしたというエピソードに因んだ行事だそうです。

前夜祭の27日には奉納謡曲大会も催されるとのこと。きっと「曽我物」シリーズが謡われるのでしょう。

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またJR身延線の入山瀬駅の周辺は古くは「駿河国小林郷」と呼ばれ、実は曽我兄弟が神として祀られている土地なのです。「曽我八幡宮」がその社で、近くには曽我兄弟を供養する「曽我寺」もあります。.この曽我寺を中心にして、5月下旬には「曽我まつり」が行われます。境内にある「曽我兄弟の墓」の前などで供養会があった後、「曽我八幡宮」、「五郎の首洗い井戸」、「虎御前(十郎の恋人)の腰掛石」などを巡る巡回供養があるそうです。.

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ともに5月25日の夜能が終わった後の行事なのが残念ですが、「曽我の里」がある下曽我や、「小林郷」がある入山瀬を、何とか本番までに一度訪ねてみたいと思っております。

休みの日に働くこと

今日はゆるいお話です。

今朝松本稽古に行こうとして、いつものようにJRの改札機に「あずさ回数券」を入れたところ、何故か「この切符は使用出来ません!」と弾かれてしまいました。

そこでようやく、「ああ、今はゴールデンウィークか…」と思い当たったわけです。

回数券はゴールデンウィークや年末年始などは使用不可なのでした。

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「こっちはいつもの仕事なのにな。。」と思いながらすごすごと券売機に向かい、正規料金の切符を買いました。

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能楽師は人様が休みの日に働くことが多い職業で、時にその影響を受けてしまう事があります。

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内弟子の頃には、遠くで薪能などの舞台がある時は大きなワゴン車に装束、作り物、何人かの内弟子を載せて移動するのが常でした。

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舞台が無事に終わると、疲れた身体に鞭打ってまた全てをワゴン車に積み込んで、「もうひと頑張りだ!」と水道橋を目指して出発します。

しかしそれが連休最終日だったりすると、高速道路であえなく大渋滞に巻き込まれてしまうのでした。。

しかも、周りの車を見回すと殆どが休日帰りで「楽しく遊んで来ました!」という雰囲気を漂わせた車なのです。

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一方こちらは仕事帰りで疲れて目つきの悪い男達が満載の、何となく「護送車」という雰囲気のワゴン車です。

周りの車を見渡しながら、「あのベンツ、いけ好かないカップルですよ」「くそ、奴らには絶対抜かれるな!」

「あの赤いマーチ、女子4人乗りです」「よし、ちょっと並走して見て」

などと勝手な事を言いながら渋滞の中をゆるゆると走っていきます。

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こうして書いてみると、それはそれで良い思い出なのですが、当時は「こんな時は高速に”労働車専用レーン”を作ってくれ!」と本気で思ったものです。

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今も松本に向かう「特急あずさ」には、楽しそうな家族連れなどがたくさん乗っています。

それらの「休日客」の喧騒を聞きながら私は「ふう」とため息などついて、せめて車窓から見える甲州路の滴るような新緑に、旅行気分だけでも味わおうと努力してみるのでした。

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「うりずん」の頃

昨日の雨から一転して、今日は朝から晴れ上がりました。

江古田稽古の行き掛けに「隙間花壇」を通ると、紫陽花の葉がすっかり繁っていて、地面にはオレンジ色の「虞美人草」もたくさん咲いていました。

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沖縄には冬と夏の間に「うりずん」という季節があるのをご存知でしょうか。

「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源とされている言葉です。

沖縄の短い冬が終わって暖かくなり、草花が咲き出して大地を一斉に潤していく3月から4月にかけてが「うりずん」と呼ばれるそうです。

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今日の東京の陽気は、何となくこの「うりずん」に当たるように思えました。

そして、最近謡でもこのような内容を聞いたような…と思い起こしてみると、思い出しました。

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能「雲林院」の冒頭でワキ公光が「花の新たに開くる日 初陽潤えり」と春の陽気を謡っているのです。

「花・初・潤」と揃って、これは正に「うりずん」を謡にしたように感じられます。

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この謡は「和漢朗詠集」にある菅原文時の「春色雨中深」という漢詩が元になっています。

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少し調べたところ、また大変興味深い事がわかりました。

「うりずん」という言葉が最初に出てくるのは、「おもろさうし 」という沖縄最古の歌謡集です。この「おもろさうし 」が編纂されたのが16〜17世紀頃。

そしてこの頃までには「和漢朗詠集」などの本土の古典が琉球に持ち込まれて、琉球の歌や詩に影響を与えていたそうなのです。

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ということは、可能性として「春色雨中深」という漢詩の「初陽潤えり」という言葉が「うりずん」の語源になったということも有り得るのです。

あくまでも可能性ですが、ひとつの漢詩が一方で能楽に、もう一方で沖縄の季節を彩る言葉になったとしたら、これも雄大なスケールの話だと思うのです。

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…因みに、私が「うりずん」という言葉に初めて出会ったのは、ダイビングによく行っていた頃のことです。

那覇の安里という所に、その名も”うりずん”という大変素晴らしい沖縄料理屋さんがあって、沖縄に行くと何を置いても通っていたのです。

もう久しく行っていませんが、今でも「うりずん」の頃になると”うりずん”を懐かしく思い出します。

初夏の松本城

今朝はある催しの打ち合わせに、松本城に行って参りました。

私にとってお城というと、何となく山の上にあるイメージがあります。

しかし松本城は全くの平地にあるので、坂道を苦労して登らずとも天守閣の近くまで行けるのが有り難いところです。

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松本城管理事務所で打ち合わせを終えて外に出ると、藤棚に藤が綺麗に咲いていました。

花を見ればわかるところを、念のため「フジ」と親切に書いてある辺り、実直な街松本の雰囲気が出ています。

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満開にはもう少しですかね。

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「黒門」の脇にはこんな花が。

「宇宙ツツジ」とは?と近寄ってみると、宇宙飛行士の向井千秋さんと共に宇宙に行ったツツジの種から育てられたツツジという事でした。

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そして黒門の下には、戦国武将のような出で立ちの人が。

「写真撮っていいですか?」とお願いすると、ポーズまで決めてくれました。

こちらは「松本城おもてなし隊」の一人、「松平直政」さん。

おもてなし隊隊員には他にも松本城の歴代藩主である石川家、小笠原家、戸田家、堀田家、水野家の人々(コスプレです。念のため)がいて、城内の色んな場所に出没して一緒に記念撮影などしてくれるそうです。

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今日打ち合わせをした、松本城に関わる「ある催し」については、もう少ししたらオープンにお話出来ます。

宝生流松本澤風会の総力を結集する催しになります。

その催しに絡めて、真夏の松本城に是非たくさんの皆様にいらしていただきたいと思っております。

詳細はいま少しお待ちくださいませ。

前線を追い越して

昨日は午前中の五雲会申合の後に、青森稽古に移動しました。

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東京ではもう「桜」と言う単語は過去のものになりかけておりますが、実は一昨日いただいた「岩手未来機構」の方からのメールで「盛岡は間もなく桜が開花します」とありました。

北の街ではまだまだこれから開花するようです。

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新幹線で北に移動しながら、桜の様子で季節が戻っていくのを確認しようと思っていました。

しかし…

仙台までは桜はもう散りかけでした。そこまでの記憶はあります。

そしてその先はトンネル区間が多く、そこで徐々に眠気がおそって来ました。。

私が次にハッと目が覚めたのは、まだ開花直後の盛岡辺りだったのです。

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しかも、目覚めた切っ掛けは「くしゃみ」でした。

東京でようやく治ってきた花粉が、どうやら盛岡辺りではまだまだ絶好調らしいのです。

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青森に到着して、稽古場まで送っていただく車に乗り込んでの最初の一声が「ごんばんわ〜よ”ろ”じぐお”ね”がいじまず〜」という酷い声になってしまって、自分でびっくりしました。

どうやら「桜前線」を追い越すと同時に、「花粉前線」に追いついてしまったようでした。。

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そして今日、花粉前線を後に南下して東京に戻ると、喉もくしゃみも嘘のように治っていました。

桃源郷経由、南国行き⁉︎

今日は先週に続いて、2週連続の松本稽古です。

思えば昨年の今日4月2日も松本稽古で、その時のブログでは甲府盆地の桃の花がまだ咲いておらず残念だったと書いてありました。

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しかし今年は桜がかなり早かったので、桃もおそらく早く咲くはずです。

期待して特急あずさに揺られていると…

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おお!期待に違わず甲府盆地は白い桃や…

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ピンク色の桃の花で一杯でした。

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今年も桃源郷の風景が見られて、大満足して松本へ。

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松本はおそらくまだ肌寒いくらいかと思い、ジャケットにマフラーも持って家を出ました。

松本駅に着いて特急あずさを降りると…

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意外や、むっとするような暖かい空気です。

「フェーン現象かな?」と思ってマフラーをしまい、駅前に出ると驚きました。

駅前の気温計の数字が…

28℃!

これは初夏を通り越して夏の気温です。

まさか今年初めて「夏」を体感するのが松本だとは想像出来ませんでした。

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とは言え、陽が落ちるとぐっと気温が下がるはずです。

油断せずにジャケットとマフラーを持って、稽古に向かおうと思います。

電車2本分の寄り道

私は月に一回、伊豆でも稽古をしております。

稽古場に向かうには、新幹線で三島まで行ってから伊豆箱根鉄道に乗り換えます。

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今日はある目的があって、その伊豆箱根鉄道の「原木」という小さな駅で途中下車をしました。

2本先の電車が来るまでの40分間だけ、短い散歩です。

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「原木」と書いて「ばらき」と読むこの無人駅で最初に途中下車したのは、もう何年も前の夏だったと記憶しています。

窓から見える夏の田んぼの風景が実に懐かしく、ちょっとだけその中を歩いてみたくなったのです。

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次に途中下車した時には、逆方向の西へと歩いてみました。

すると10分ほどで「狩野川」に出て、そこに架かる大きな橋から富士山がとても綺麗に見えました。

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という訳で、特に有名な見所も知らず、全く縁もゆかりもなかった「原木」は、何故か私の季節ごとの短い散歩コースになったのです。

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今日は狩野川方向に歩いたのですが、雨が近づいていて富士山は厚い雲に覆われていました。

しかし河川敷では久しぶりに「雉」の姿を見かけました。

一応写真中央にいるのが雉なのですが、「幻の生物」みたいですね。。

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そして土手には「土筆」が。

更に歩くと、「ぺんぺん草(ナズナ)」の大群落を見つけました。

これだけあると、盛大にシャラシャラして遊びたくなりますが、時間が無いのでまたの機会に。

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いよいよ目的地の近くなのですが、一昨年以来なのでなかなか見つかりません。

周りはありふれた住宅街で、目立つ目印などは無いのです。

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しかし、家々の間からようやく見つけました。

これは隙間から見た姿。

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その家と家の隙間を抜けると、ポッカリと開けた空き地があり、その真正面には…

一昨年の原木散歩中に、この見事な枝垂れ桜を偶然見つけました。

樹高10m弱、枝張りはゆうに10mを超えると思われます。

由来を物語る札なども一切無く、この空き地もおそらく私有地で、もしかしたら見つかると怒られるかもしれません。

しかしこれ程の大きさの枝垂れ桜を、人気の全く無い空き地で一人眺めるというのは何とも贅沢な話です。

暫し息を潜めて、電車の時間ギリギリまで眺め入りました。

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2年前に見たこの桜の姿が忘れられず、しかし去年は時期を逃して悔しい思いをしました。

そして今年、ようやくまた再会出来たという訳なのです。

まだ8分咲きで、蕾もありました。

今週の雨をどうか乗り切って、満開の花を咲かせてほしいものです。

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そして来年もまた春の原木散歩で、この枝垂れ桜に密かに会いに来たいと思います。

早春の味覚

昨日のブログは関西に向かう新幹線で書きました。

その新幹線に乗る前は、東京は前日からずっと続いた雨がまだ少し残っていましたが、気温は高めで暖かでした。

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しかし天気は西から回復傾向で、新幹線が名古屋を過ぎる頃には、久しぶりに見る青空が。

何となく良い気分で京都に到着して新幹線を降りると、そこで私はいささか驚きました。

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降りた途端に「ビュオーッ」と非常に冷たい風が吹き付けて来たのです。

私に続けて降りた会社員達がやはり風を受けて、「うわっ!京都寒っ!!」と背後で叫んでいます。

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思えばまだ3月上旬でした。

京大時代には4月に入っても炬燵が恋しかったのを思い出しました。

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私は春用の薄手のジャケットで来てしまったので、寒風が身に染みます。。出来るだけ外に出ないコースでいつもの安宿へ向かいました。

そして夜に芦屋稽古に行き、終わって再び京都へ。

晩御飯に、これも行きつけの京都駅近くにある安くて美味しい居酒屋さんに入りました。

寒いので何か暖かいものを…と思ってメニューを見たのですが、ここでは嬉しい驚きが。

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本日のお勧め欄に「たけのこ土佐煮」と「ホタルイカの茗荷和え」の文字が見えたのです。

なんと、メニューの中ではもうすっかり春になっていたのでした。

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迷わずその2品を注文。

たけのこ土佐煮。シンプルながら、しっかり味が染みており、絶品でした。

店員のお兄さんが、昔実家で行ったという筍採りの話をしてくれるのを聞きながらいただきました。

ホタルイカの茗荷和え。こちらは日本酒を、あえて冷やで頼んで春の気分を味わいました。

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しかし、食べ終えて外に出た途端にまたしても寒風が「ビュオーッ!」

春の気分が吹き飛ばないうちに、足早に宿に向かったのでした。

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食べ物ネタが続いてしまいましたが、今日はこの辺で失礼いたします。