傘がない…!

今日は午前中から江古田稽古でした。

.

時間は遡って昨日の夜。

大槻能楽堂にて大阪養成会が無事に終了したのが20時40分頃でした。

そして東京行きの最終新幹線が新大阪を21時23分発。

私は20時50分には紋付袴のままで呼んでおいたタクシーに乗り込み、新大阪を目指しました。

.

幸いに道は流れており、21時10分に新大阪駅に到着。

何とか最終新幹線に乗ることに成功しました。

.

新幹線が静岡県にさしかかる頃から、窓を叩く雨が強くなってきました。

「これは傘が役に立たない程の降りだな…」

と思ったところで、傘をタクシーに忘れたことに気がつきました。。

この雨の中、傘無しでしかも今日は紋付袴の格好です。普通に帰ったら酷いことになってしまいます。

.

ウームと考えて、「そう言えば、日暮里駅のタクシー乗り場は日暮里舎人ライナーの高架下にあって、雨が防げたはずだ!」と思い出しました。

さっき大阪でもタクシーに乗ったばかりで、非常に心苦しくはありましたが、紋付袴を無駄にするよりはマシです。

山手線で日暮里に向かい、屋根のあるタクシー乗り場から濡れずにタクシーに乗り込み、自宅マンションの前まで着けてもらって何とか無事に帰宅したのが午前0時半でした。

.

.

色々ありましたが、昨日自宅まで帰れたおかげで今日は万全の状態で江古田稽古を1日頑張れました。

.

実は明日は午前中から京都で紫明荘組の稽古なのです。

折角苦労して帰って来ましたが、明日はまた頑張って早起きして関西に向かいたいと思います。

一杯のワインの物語

今日は松本稽古でした。

しかし、偶々お仕事や体調不良やご家族の付き添いなどが重なり、稽古にいらしたのは4人で、早めに終わってしまいました。

.

稽古場を出て松本駅に向かう帰り道に、会員さんのイタリア料理店”クチーナにしむら”があります。

連休中の今日はもちろん営業されていました。

忙しそうだなと思って通り過ぎようとしたら、これも偶々お客様が入っていかれる所で、

「いらっしゃいませ!あ、先生も、いらっしゃいませ!!」

と私を見つけて声をかけていただきました。

.

そこでついつい、「いえ、実は18時半の電車に乗るのですが…では、一杯だけいただきます。」

と席についてしまいました。

時間はまだ30分ほどあったのです。

.

お任せで出していただいた一杯の赤ワイン。

ワインの知識の無い私は、「美味しい!」

という感想しか述べられないのです。。

.

しかしそこで会員さんから、このワインに纏わる物語を聞かせていただきました。

このワインを作った方がつい最近若くして亡くなられたこと。

でもお嬢さんが跡を継いでいるということ。

会員さん御夫婦は、この方のワインに出会ってからお店のワインの方向性が定まったのだということ…

.

そのお話を伺ってから飲むと、ワインの味が違って感じられました。

色々な歴史や人生が関わり合って、私の前にこの一杯のワインがあるのです。

何だかこのワインを飲んだら無くなってしまうのが勿体ないような気持ちになりました。

.

その旨を会員さんに伝えたところ、

「それがワインですから。」

.

成る程。

さっき素通りしていたら全く知らなかった筈のワインと、そこに内在する物語を、会員さんのおかげで体感することが出来ました。

あの一杯のワインとは一期一会ですが、”クチーナにしむら”さんにお邪魔すれば、また違うワインの物語と出会えるのでしょう。

.

何か能楽にも通じる大切なことを教わった気がして、感謝してお店を出ました。

そして今、特急の窓からは中秋の名月が見えています。

今日も記憶に残る松本稽古になりました。

皓月会に出演して参りました

今朝は夜明けと共に羽田空港を飛び立ち、福岡に向かいました。

大濠能楽堂にて開催の「皓月会」に出演するためです。

.

飛行機に乗ったらすぐさま福岡まで寝ようと思っていたのですが、窓際の席だったので、ついつい外を見てしまいます。

離陸後すぐに眼下に”富士の高嶺”が…!

これは正に能「羽衣」のシテ、月世界の天人の目線です。

この絶景にテンションが微妙に上がってしまい、結局一睡も出来ずに無事福岡空港に着陸。

目をこすりながら地下鉄で大濠能楽堂に直行しました。

.

能楽堂到着時刻が朝9時過ぎ。日本は意外に狭いです。

.

.

今日は先週のブログでも書いた能「芦刈」が出ることになっていました。

楽屋に向かうとこんな張り紙が…

会主のユーモア心、感服いたしました。

.

.

今回の皓月会は会主の石黒実都師が取り仕切っておられましたが、何番かの仕舞などの地謡に出させていただいた時、謡いながら故石黒孝先生の事を無性に思い出しました。

古くからの皓月会の会員さんの型や謡に、孝先生の面影が宿っていたのでしょう。

しみじみとした気持ちになりました。

.

素晴らしい舞台だった能「芦刈」をはじめ、盛り沢山の舞台が盛会のうちに終わったのが17時半前。

.

その後能楽堂から移動して、会員さんのなさっている「光寿司」という大変美味しいお寿司屋さんで晩御飯をいただき、福岡空港へ移動して到着したのが21時。

.

そして帰りの飛行機で今度こそは寝ようと思っていたのですが、また席は窓際なのです。。

.

夜景好きな私のテンションはまた微妙に上がっており、23時到着予定の羽田空港まで結局眠らずに行ってしまうのだろうな…と思っております。

福岡空港は連休を満喫した人々で混み合っておりましたが、私は日帰りでも大変に充実した濃い皓月会の1日を過ごさせていただきました。

石黒実都師はじめ皓月会関係者の皆様、誠にありがとうございました。

(機内モードにて執筆したブログでした)

四つ葉タクシー!

今日は午前中から夕方までノンストップで紫明荘組稽古、そこから間髪いれずに京大に移動して、21時過ぎまでみっちり稽古しました。

.

その時間まで稽古すると、京都駅まではバス移動だと最終の新幹線に間に合いません。

贅沢だとは思いながら、京大BOX棟の前からタクシーに乗ることになります。

.

今日の京都は雨模様だったのでタクシーの需要が大きいのか、なかなか空車が通りません。。

一緒に待ってくれている現役に、「雨だからもういいよ」と声をかけて、1人で待とうと思っていると、ようやく遠くに空車のタクシーが見えました。

.

すかさず手を挙げて止まってもらうと、クローバーマークの”ヤサカタクシー”でした。

そして私は瞬時に気づきました。

.

.

「おお!四つ葉タクシーだ!!」

ヤサカの四つ葉タクシー!

普通は三つ葉のクローバーマークが”四つ葉のクローバー”になっている車です。

半ば都市伝説的に噂を聞いていましたが、京都に来てから数十年、一度たりとも姿を見かけたこともありませんでした。

それが遂に私の目の前に…!

.

.

大喜びで乗り込んで、「四つ葉ですね!初めて見ました!!」と興奮気味に話しかけると、「夜道で、乗車される前に気がつく方は珍しいですね。」と笑いながら運転手さん。

そして、「これは記念にどうぞ」と何やら差し出してくれました。

見ると、乗車記念カードでした。

なんと、1300台のうち4台しか無いと書いてあります。

ましてや他の会社のタクシーも入れると、出会えたのは全く奇跡的なことです。

.

.

せっかくなので、運転手さんに色々聞いてみました。

私「四つ葉以外にも、レアなタクシーがあった気がするのですが…」

運転手さん「はい、上賀茂神社さんとのコラボ企画で”ふたばタクシー”があります。それは2台だけです。あとは、バレンタイン期間限定で女性ドライバーの車がピンク色のクローバーになります!」

おお、ヤサカタクシー色々頑張っているのですね!

.

私「四つ葉タクシーのドライバーはどうやって選ばれるのですか?」

運転手さん「様々な規定に照らして、会社から任命されるのです。」

その時は、後ろ姿なのに運転手さんがちょっとだけ胸を張ったような気がしました。

.

話しながら気がつくと、京都駅に向かう道順がいつもと少し違うことに気づきました。

車は東大路をひたすら南下して、やがて七条も越えた先の細い路地を右折しました。

私「珍しい道を行くのですね…」

すると、

運転手さん「この道をずっと行くと、”京都タワー”が真正面に見えて来るのです。お客様のようにこれから京都を発って行かれる方に、思い出でも無いのですが最後に京都タワーを見ていただきたくて、この道を通るようにしております。」

なんと、たしかに道の向こうには、京都タワーが”ドーン”と屹立していました。

.

.

今日も朝から晩までノンストップ稽古で少々ハードな1日だったのですが、最後に”四つ葉タクシー”に出会えて非常にハッピーな気分になりました。

そして、「乗る人皆が幸せな気持ちになる車」を運転出来るあの運転手さんが、ちょっとだけ羨ましいと思ったのでした。

地上版ドリフトダイビング

スキューバダイビングのやり方のひとつに「ドリフトダイビング」というのがあります。

これは、最初に海に入った場所から潮流に乗って流れて行き、途中何ヶ所かのポイントに立ち寄って、魚や地形を観察するという方法です。

.

そして今日の私は、青森から芦屋迄の「地上版ドリフトダイビング」のような1日を過ごす予定なのです。

①青森にて起床→新幹線で東京に移動。

②水道橋宝生能楽堂にて五雲会申合、能「融」地謡→新幹線で大阪に移動。

③大槻能楽堂にて大阪養成会下申合、能「経政」後見→地下鉄とJRで芦屋に移動。

④芦屋で稽古→JRで京都に移動、宿泊。

.

…という感じです。

海中のドリフトダイビングは、流れに乗って軽々と泳げて中々快適なのですが、地上版はそうはいきません。

ポイント毎に舞台や稽古をこなしていかなければいけないのです。

.

現時点で大阪まで無事流れて来て、③大槻能楽堂での養成会下申合がこれから始まります。

果たして④まで無事流れていけるでしょうか…。

.

今日はこれにて失礼いたします。

みちのくの千賀の塩釜

私はまだ「融」の能を舞ったことはありませんが、「陸奥の千賀の塩釜」に一度は行ってみたいと思っておりました。

仙台から在来線で片道30分程度の距離です。

.

今日の日中は、仙台から青森稽古に移動するまでに少し時間がありました。

なのでこの隙間時間に、素早く塩釜を見て来ようと思い立ったのです。

.

.

仙台駅を出た仙石線は、ワキのように道行を謡う間も無く”本塩釜駅”に到着しました。

塩釜は「本マグロ水揚げ日本一の町」だそうで、本塩釜駅には大きなマグロのオブジェがありました。

とりあえず”鹽竈神社”に向かうべく、神社参道方面へ。

.

街道を歩いていくと、こんな看板がありました。

どうやら山の上にある鹽竈神社へは、3つの行き方があるようです。

ここはやはり”202段の急な階段”でしょう。

表参道を目指すことにしました。

.

やがて、鬱蒼とした森に抱かれたような鹽竈神社に到着。非常に荘厳な雰囲気です。

鳥居をくぐると…

.

.

表参道202段の威容が眼前に。

思えば去年も京都の”鷲の尾の寺”で長大な階段を登りました。

よいしょよいしょと一気に登り切って、振り返るとこんな感じ。

角度が判りづらいですが、かなり急です。

神社の見取図の左の方に表参道の階段が描いてあります。本当にこんな角度に感じました。

.

主祭神であり、塩の製法を教えたと言われる”塩土老翁神(しおつちおじのかみ)”に参詣して、境内を見てまわりました。

しかし、”融”に関する史跡などは見つからず、謡曲史跡保存会のあの立札もありませんでした。。

.

境内からは遠く”千賀の浦”が望めました。

絶景とまではいかない眺望でした。昔はまた違った風景だったのでしょうか。

.

帰りは、奈良時代に出来たとされる最も古い参道”七曲坂”で山を降りました。

森の中の静かな道は、京都の大文字山のような感じでした。

.

.

実は行きの街道で気になる地名の石碑を見つけていました。

「融ヶ岡」。

鹽竈神社から街道を挟んで向かい側の小高い丘です。

なんと、864年に源融がこの地にやって来て、この融ヶ岡に屋敷を構えたとの伝説があるようです。

これは行ってみなければ。

融ヶ岡の麓に階段がありました。

登ってみたのですが、草むした人気の無い広場があるだけで、やはり”融”に纏わる史跡は皆無でした。。

.

蜘蛛の巣を払いながらすごすごと階段を降り、時間も迫ってきたので駅へ向かうことにしました。

.

帰りは街道ではなく、少し細い通りを歩いてみました。すると…

店先で魚の串焼きをしている魚屋さんが!

実に実に美味しそうです。そう言えば昼御飯がまだでした。

というわけで…

銀鱈の串焼きを求めて、その場でお箸を貰っていただいてしまいました。

よく歩いた後でもあり、大変に美味しかったです!

.

帰りの電車まであと15分ほど。

そこで駅前の”壱番館”という施設の屋上にある展望台に上がってみました。

6階の屋上から更に展望台の階段を登ります。

今日は階段に縁のある日です。。

展望台から見る千賀の浦(塩釜港)の景色は、開放的で気持ちの良いものでした。

.

.

しかし、正直な感想を申し上げると、この風景はわざわざ都から観賞しに来るほどの絶景とまでは言えない気がします。

融の大臣も、やはり実際にここを訪れたのではなく、想像で六条河原院を造ったと考える方がむしろ夢があるように思いました。

.

.

ともあれ、念願の塩釜詣でが出来てとても満足いたしました。

実は明日宝生能楽堂の五雲会申合にて、私は能「融」の地謡を謡うのです。

今日の色々を思い出しながら謡うのが、大変に楽しみになりました。

.

先ずはこれから、青森稽古頑張って参ります。

祈りたくなるような日

曇天模様の上野を出発した東北新幹線が栃木県辺りまで北上すると、前線の雲は南へ飛び去ってその先に秋空が広がっていました。

今日は2ヶ月ぶりの仙台稽古でした。

.

新幹線で、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロのことを考えていました。

あの日私は内弟子として宝生能楽堂におり、楽屋食堂のテレビで恐ろしい映像を皆と見ておりました。

「もしかしたら、ここから世界は戦争に向かってしまうのだろうか…」

と重苦しい想像ばかりが浮かんできた記憶があります。

.

あれから17年が経ちましたが、テロとそれに対する報復という復讐の連鎖は、止まること無く続いているようです。

.

そして仙台稽古場にいらした方からは、「今日で震災からちょうど7年半経ったのです」

と伺って、ハッとしました。

あの日からもう7年半。

そしてやはり地震や台風は、その後も私達の平穏な日常を脅かし続けています。

.

.

それでも、仙台の市場を覗いてみると、今年も秋の味覚が顔を揃えていました。

薩摩芋、栗、あけび…

そして柿などなど…。

自然の力は、ちゃんと私達に恵みも与えてくれているのですね。

.

今日の東北の街は、涼しくて穏やかで、市場は活気にあふれて、こんな日がずっと続けば良いと祈りたくなるような風景でした。

.

「祈ることしか出来ないけれど、祈ることは出来るから、祈ります」という言葉が、最近胸に染みました。

「平和を祈る」というのはとても月並みな表現ですが、今日9月11日は、世の中の平和を祈りたいと思います。

.

.

下の写真は、今日ある方から頂戴した、大地の瑞々しさが凝縮されて型になったような”パプリカ”です。

そのまま食べられるそうなので、これから仙台の宿でこの大地の恵みをいただきたいと思います。

岡山子供能楽教室発表会

今日はいよいよ吉備津神社にて、岡山子供能楽教室の発表会がありました。

この1ヶ月で4回も吉備津を訪れて、私はすっかりこの土地と人々が好きになっていました。

今回で一旦終了かと思うと、なんだか学校の卒業式に行く時のような寂しさを感じます。

.

いつものように桃太郎線に乗って無人の吉備津駅で降りて、松並木を通って吉備津神社へ。

昼前に社務所に到着して待っていると、年上チームが先ずやって来ました。

.

色とりどりの自前の浴衣に、こちらで用意したカラフルな袴をはいてもらいます。

「すっごいかっこいい〜❗️」

と如何にも高校生らしい反応で、お母さんに写真を撮ってもらったりして、テンションが急上昇していくのがわかりました。

.

しかし私が「じゃあ一回羽衣キリを稽古しようか」と言った途端に、

「うえ〜…」というような声をあげて、テンション急降下です。。

.

それでも、稽古してみるとシテ謡も正確に謡っているし、型もほぼ出来ていました。

皆とても緊張している様子ですが、本番はまず大丈夫だろうという目処が立ちました。

.

.

続いて年少チームが到着して、仕舞「猩々」の稽古です。

こちらはやはり少し苦労している感じでしたが、中には完璧に覚えている子供もいて感心しました。

.

稽古を終えて、いよいよ本番の舞台である”拝殿”に向かいます。

今日の岡山は晴れて残暑が非常に厳しく、拝殿も屋根はあるもののムッとする暑さです。

直前に水分補給などは終えており、子供達と我々能楽師は拝殿内にスタンバイしました。

.

観覧にいらした子供達の御家族なども席につかれ、宝生和英家元の御挨拶からついに発表会がスタートしました。

.

年少チームの「猩々」から、1人ずつ順番に仕舞を発表していきます。

全員もちろん初舞台で、構造も通常の舞台とは異なる難しい環境の中、全員持てる力を全て出し切って、正に必死で舞っているのがわかりました。

.

僅か1ヶ月の稽古でしたが、「羽衣」の年上チームまで1人も欠けることなく舞い終えてくれました。

我々能楽師の奉納仕舞を挟んで、最後に全員で「四海波」を謡いました。

こちらも実に大きな声で元気に謡ってくれて、最初の稽古で苦労した事を思い出すと実に感慨深いものがありました。

.

こうして吉備津の神様に無事宝生流の仕舞と謡が奉納されました。

ひとつの新しい歴史が生まれたわけです。

しかしここで終わりではなく、この歴史をこの先積み上げていかねば意味がありません。

.

年少チームの子供の中には、「来年は妹と一緒にまた来る!」と宣言してくれた子もいました。

今年から始まって、第1回目を今日無事に終えることが出来た岡山子供能楽教室。

来年再来年と繰り返していって、いつかこの吉備津の地にもまた能楽宝生流が根付いて欲しいと願いながら、あの小さな吉備津駅から小さな桃太郎線に乗って帰途に着いたのでした。

.

子供能楽教室の関係者の皆様、また吉備津の皆様、色々どうもありがとうございました。

桃太郎の猪…?

今日は緩めのお話です。

.

初めて一人で泊まる街での晩御飯は、ちょっと緊張します。

今週岡山で初めて1泊した時のこと。

.

その名も「桃太郎大通り」という駅前の目抜き通りを歩いていると、またまたその名も「ももたろうの屋台」というお店を見つけました。

お店の前の看板によれば、何とビール5種類が付いた飲み放題が1200円。ビール大好きな私には夢のようなお店です。

名前も良いし、ここにしよう!と決めて早速中に入りました。

.

私「すみません、1人なんですが…」

するとカウンター内にいたお兄さんが「じゃあそちらに。」とカウンター席を指し示してくれました。

.

私は左利きなので、無意識のうちにカウンターの左端を選んで座ることが多く、この時も左端の椅子を引きかけました。すると…

「いやいや、そちらにお願いします!」

とお兄さんがやや強めの調子でさっきの席を再び指し示します。

.

ああ、すみません…と思いながら、ほとんど空いているカウンター席の中ほどに座りました。

「これはもしや、頑固な店員さんのいるちょっと怖いお店かも…」

と早くも若干気弱になった私ですが、心を奮い立たせて注文をしていきます。

「えー、ハートランド生ビールと、チーズのサラダ、鶏肉とナッツのピリ辛炒めをお願いします…」

ビールも、地元の食材を使ったお料理も美味しいのですが、何となくあの店員さんとの間に緊張感が漂っている感じです。。

.

.

実は先程から私は、気になっているメニューがありました。

「猪のフランベ」という品で、小さな字で”獲れたてを自社処理なので新鮮!お薦めです‼︎”と書いてあります。

.

「岡山の猪」に関しては以前から、何とか一度食べたいものだと思っていました。

「山賊ダイアリー」という漫画で、岡山在住の猟師が猪を獲って自分で食べるシーンが実に美味しそうだったのです。

.

頑固そうな店員さんに恐る恐る、「あのー、この”猪のフランベ”いただけますか…?」と声をかけると…

「ああ猪!昨日獲れたてが入っているから、美味しいですよ!」

なんと、固かった表情がいきなり満面の笑顔になりました。

猪、相当自慢の品のようです。

.

そしてやがて出てきた”猪のフランベ”を食べて驚きました。

これまで何度も猪肉を食べましたが、ベスト3に入る程の柔らかさで、臭みも皆無だったのです。

目を丸くしていると店員さんが、

「うちと提携している猟師さんが、罠で獲れた猪をすぐに処理して運んでくれるから、新鮮で美味しいんですよ。

しかもそれはまだ冷凍もしてないから、柔らかいでしょ?」

と言って、またもやニヤリと会心の微笑みです。

.

私は感動のあまり、「猪のフランベ、もう一つお願い出来ますか?」と頼んでしまいました。何しろこのレベルの猪がなんと一皿690円なのです。

すると…

店員さん「気に入っていただけて良かったです!では次は、ちょっと味付けを変えてみましょうか。」

と言って、今度はステーキ風にして出してくれました!

.

ビールも「岡山作り」という地元の銘柄に変えました。

地元のビールと猪ステーキ。ステーキがまた絶品なのでした。

.

最初はちょっと頑固そうな雰囲気でしたが、やはり「桃太郎大通り」の「ももたろうの屋台」。

「桃太郎」にこだわって大正解でした。

「桃太郎」と言えば当然「犬、猿、雉」ですが、今の私にとっては桃太郎と言えば「猪!」なのです。

.

猪で元気をつけて、翌日の吉備津神社での子供能楽教室を無事に乗り切ったのでした。

今回は何故かグルメリポート風になってしまいましたが、この辺で失礼いたします。

吉備津神社の鳴釜神事

今日は3回目の岡山子供能楽教室の日でした。

.

いつものように吉備津神社に到着すると、吉備津造りの本殿の前には無数の赤蜻蛉が飛び交っています。

先週は大粒の雨が降る社殿の写真を載せましたが、今週は強烈な残暑の日差しと赤蜻蛉の群舞です。

吉備津神社は来る度に違う顔を見せてくれる所なのです。

.

.

今回私は、「鳴釜神事」を体験しようと思っておりました。

御釜殿の中にある大きな釜を焚いた時に鳴る音で、吉凶を占うという神事です。

.

事前に聞いた情報として、

「この鳴釜神事は必ず当たるので、心して願い事を考えていくべし」とか、

「団体で行っても、全員同じように聴こえるとは限らず、1人だけ聴こえない場合もある」

とか、他にもかなりリアルな体験談があり、

「全然鳴らなかったらどうしよう…」と心配になってしまいました。。

.

しかし折角吉備津神社に何度も訪れるこの機会に、やはり鳴釜神事を体験しない手はないと腹をくくり、社務所で祈祷料を払ってまずは「祈祷殿」で御祈祷を受けました。

.

私の他に、母娘とおぼしき2人が御祈祷を受けていました。

彼女達は毎年のように鳴釜神事を訪れているベテランで、御祈祷の後に「御釜殿」まで道案内をしてくれました。

.

長い長い回廊を通って御釜殿に向かいます。

母娘は、「来る度に違う音に聴こえるのです。」「前から聴こえたり後ろから聴こえたり、床から湧き上がるように聴こえることもあります。」などなど、色々体験談を話してくれました。

「でも、全然鳴らないことは一度も無かったので、きっと今日も鳴りますよ。」と心配そうな私を励ましてくれました。

.

ドキドキしながら御釜殿に入り、暫し釜が焚かれるのを見て時間を過ごします。

10分程して、「阿曽女」と呼ばれる巫女さんと、祝詞を奏上する神職の方がいらっしゃいました。

阿曽女さんが鳴釜神事の簡単な説明をしてくださいます。

「天気の具合などで、どうしてか幾らやっても鳴らないことがあります。」と聞き、またまた心配になってしまいました。。

.

.

いよいよ祝詞が始まり、同時に阿曽女さんが大釜に載った蒸籠の上で、玄米の入った笊を振り始めました。

ここからどのくらいで釜が鳴り出すのだろうか…

.

と思った瞬間。

玄米の笊はまだ僅か3回程しか振られていなかったと思います。

出し抜けに「ボォーッ!」というような太く大きな音が聴こえてきたのです。

.

私の横にいた母娘も思わずビクッと顔を起こしてしまう程の、腹に響くような大迫力の音が長く長く鳴り続けました。

ややして音は少し落ち着いた調子になり、祝詞も終わって鳴釜神事は無事終了しました。

阿曽女さんは釜から離れて、「直会です」と言って我々の所に来て玄米の粒をいくつかくださいました。

.

そしてそれを食べようとした瞬間。

もう阿曽女さんがいない釜から、控えめながら再び「ボォーッ」という音が!

また母娘と一緒にビクッとしてしまいました。

「あら、今日はよく鳴りますわね。」と阿曽女さんは平然とされているので、まあ普通にあることのようです。

.

しかし、正直ここまで大きくはっきり聴こえるとは驚きました。

何を祈願したのかは言わぬが花ですが、ちゃんと聴こえて安堵いたしました。

.

御祈祷の効果か、子供能楽教室もとても順調に進みました。

仕舞も謡も前回より格段に良くなっていて、これは各々がこの1週間でちゃんとおさらいをして来てくれたのだと嬉しくなりました。

.

いよいよ来週は、拝殿で神様に向けて謡と仕舞を奉納する本番があります。

今年吉備津神社に参るのもあと1回になりました。

なんだか既に少し寂しい気分なのです。

.

いつもの松並木を通って、吉備津駅へと向かいました。

松の影が、青海波ならぬ緑の海に映ってそよいでいました。