澤風会、月並能、そしてその後…

昨日はおかげさまで澤風会郁雲会大会を無事に終えることが出来ました。

お世話になりました皆様、改めまして誠にありがとうございました。

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明けて今日は水道橋宝生能楽堂にて「月並能」が開催されました。

私は能「春日龍神」の地謡でした。

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無事に謡い終わって用事でロビーに行くと、昨日出演してくださった京大OBの先輩と、やはり昨日出演してくれた京大宝生会現役の何人かに会いました。

現役達は、来たる5月25日(土)に京都大江能楽堂にて開催の「第120回記念京都宝生流学生能楽連盟自演会」において舞囃子「春日龍神」を出すことになっているのです。

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澤風会の後に1泊して、能「春日龍神」を観て勉強してから京都に帰るということなのでしょう。

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私は「月並能」の終了後に、3月24日開催の「別会能」で演じられる能「安宅 延年之舞」の稽古に参加いたしました。

ツレの”同行山伏”を勤めることになっているのです。

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昨日の会のことをゆっくり思い出してブログに書いたりしたいのですが、早くも次の舞台に向けて私も周りも動き出しています。

また少し落ち着いてから昨日の模様を書いてみたいと思います。

第6回東京澤風会・郁雲会大会御礼

本日おかげさまで「第6回東京澤風会・郁雲会大会」が無事に終了いたしました。

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朝からお世話になりました先生方、京都や松本などご遠方から来てくださった方々、いつもながら大勢でご参加くださいました京大宝生OB会の先輩方、そして郁雲会と東京澤風会の会員の皆様誠にありがとうございました。

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また今回も本当に沢山のお客様にいらしていただき、見所が終日にわたり賑やかで有り難い限りでした。

渋谷セルリアン能楽堂は久しぶりに使わせていただきましたが、スタッフの皆様に何かと親切にしていただいて、運営をとてもスムーズに進めることが出来ました。

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今は御礼の言葉だけが浮かんで参ります。

今日の舞台を終えられた会員の皆様は、先ずはゆっくりお休みくださいませ。

そしてまた疲れが取れましたら、次の舞台に向けて動き出しましょう。

まだこれから遠く京都や松本まで帰られる皆さんは、どうかくれぐれもお気をつけて。

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全ての皆様のおかげさまで、今回も熱量のある舞台になったと感じております。

今日の舞台で生まれた熱がまた次の舞台に繋がっていくように、明日からまた頑張って参りたいと思います。

仕舞や舞囃子は能の一部だということ

来たる3月9日に開催の「第6回東京澤風会・郁雲会大会」では、京都から京大宝生会の現役と若手OBOGがたくさん出演してくれます。

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その中で、若手OBの舞囃子「東北」と現役の仕舞「国栖」は、たまたま先週の七宝会で出た能「東北」と能「国栖」と同じ曲目です。

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舞囃子「東北」を舞う若手OBと、仕舞「国栖」を舞う現役達は、共に七宝会を観に来てくれました。

そして昨日は昼間の紫明荘組稽古と夜の京大稽古で、その「東北」と「国栖」の稽古をしたのです。

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まず紫明荘稽古での舞囃子「東北」を見て驚きました。

前回とは全く次元が違う程良くなっていたのです。

本三番目物の位になっていました。

待ち合いの部屋でお茶を飲んで話していた会員さん達の目が、いつか自然に「東北」に吸い寄せられていき、静けさの中で稽古が進んでいきました。

そして稽古が終わるとまた自然に拍手が起こりました。

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シテである若手OBのT君は、七宝会で能「東北」を観て、その位取りを理解して自分の舞囃子に反映させたのでしょう。

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その後夕方に京大稽古に移動して、今度は仕舞「国栖」でまた驚きました。

シテの謡の声が何だか前回よりも格段に大きくなって、全体的に勢いが増していたのです。

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これもおそらく七宝会で能「国栖」を観たイメージを謡と舞に投影させたのでしょう。

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仕舞や舞囃子だけを稽古しても、もちろん上達はします。

しかし、それらは元々はある能の一部なのです。

その元になっている能を観て、全体像を把握してから稽古するのはやはり大切なことなのだと、昨日の「東北」と「国栖」の稽古で改めて思ったのでした。

3億4000万km先の竜宮城

今朝のニュースで探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」への着陸に成功したというのを読み、実に感慨深い気持ちになりました。

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というのも、先代の「はやぶさ」が2010年に、満身創痍の苦しい旅路の末に地球に帰って来たニュースで感動した事を思い出したからです。

大気圏に突入して寿命を終える直前の「はやぶさ」が撮影したという、半分かすれたような地球の写真をその時見ました。

JAXAのスタッフが、「はやぶさ」に最後に地球の姿を見せてあげたいという気持ちで撮影させたのだと聞いて、なんだか涙が出ました。

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そしてその「はやぶさ」の経験を活かして作られた後継機「はやぶさ2」が、2014年暮れに打ち上げられたのです。

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今から4年と少し前。

例えば京大宝生会で今年卒業を迎える学年が、まだ京大を目指して受験勉強をしていた頃です。

それからの4年間に、地球全体でも私の周りでも色々様々なことがありました。

沢山の人と新しく出会い、いくつかの別れもありました。

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その間に「はやぶさ2」は遥か3億4000万㎞の飛行を続けていて、そして日本時間の今朝にその目標地点である「リュウグウ」にたどり着いたというのです。

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能楽における「竜宮」は、「面向不背の珠」とか「獅子丸」という琵琶の名器などの宝物があり、それらが守護神によって厳重に護られているちょっと怖い場所、というイメージです。

能「海人」のシテ海人は、命懸けで竜宮に赴いて「面向不背の珠」をとって地上に還ります。

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今回「はやぶさ2」は小惑星「リュウグウ」の地表から、土砂などのサンプルを持ち帰ってくる予定だそうです。

そして今朝の着陸後にそのミッションの成果を尋ねられたJAXAの方の返答がふるっていました。

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「成果は玉手箱なので、地球に帰って開けてみるまでわかりません」

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「はやぶさ2」が命懸けの旅路の末に地球に還って来るのは、2020年の暮れになるそうです。

それまでの間に地球全体でも私の周りでも、また沢山の出来事があるのでしょう。

その間にまた遥かな旅路を辿って故郷を目指す「はやぶさ2」。

その帰還のニュースを聞いたら、またきっと私は深い感慨に包まれることでしょう。

彼の旅の無事を祈りつつ。

蘇る京大OB謡会の思い出

昨日は夕方から京大宝生会の稽古に行きました。

そこで部長より、「関西京都大学宝生OB謡会の歩み」という大判の本をもらいました。

吉本正春先輩始め関西のOBの方々が中心となって製作出版された力作です。

世代や大学を越えたたくさんの人たちの文章が掲載されており、帰りの新幹線ではとても読み切れないボリュームでした。

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色々懐かしく、また面白く頁をめくっていたのですが、中で特に心を動かされた箇所がありました。

1986年から2018年までの月例謡会の詳細な記録です。

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今私の手元には、月例OB謡会で坪光先生の鸚鵡返しを受けた時の「野宮」の謡本があります。

まだ現役だった私がOB会にお邪魔して、少々背伸びしてこの難曲の稽古を受けたのです。

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この「野宮」の鸚鵡返しは、数ある坪光先生の稽古の中でも特に心に残っているものでした。

冒頭のワキの謡の位取りからして、現役の京大宝生会として習ってきた謡とは全く次元の違う謡だったのです。

このような深い味わいのある世界もあるのかと、内心非常に興奮しながら鸚鵡返しを受けた記憶があります。

この深淵のような謡の世界に、もっとのめり込んでいきたいと初めて心から思った稽古でした。

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その、ある意味で私のターニングポイントになった「野宮」鸚鵡返しの日時、場所、参加者が、”月例謡会の記録”に詳細に記されていたのです。

1991年10月19日、場所は合宿で使ったこともある妙蓮寺。

13時〜17時の間に、徳永先輩、米澤先輩、新妻先輩、吉本先輩、正木先輩、中村先輩と共に、私と、同期の高桑さんが「野宮」の鸚鵡返しを受けたと記録にあります。

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年次を見ると、私は2回生の後半だったようです。確かにその頃ならば、まだ難しい謡はそれ程習っていなかったのでしょう。

そしてまだ能楽師になりたいなどとは露ほども思っていなかった筈です。

しかしもしかすると、この「野宮」の後にそんな気持ちが少し芽生えたのかもしれません。

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忘れかけていた微かな、けれど大切な記憶を、この本のおかげで思い出すことが出来ました。

ゆっくり読むと、きっとまだ色々な発見や驚きがありそうな本です。

関西OBの皆様素晴らしい本をどうもありがとうございます。

美也子さんのこと

辰巳孝先生の妹にあたられる辰巳美也子様が先日亡くなられ、今日大阪での告別式に参列して参りました。

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失礼ながら生前のように”美也子さん”と書かせていただきます。

美也子さんに初めてお会いしたのは、香里能楽堂で開催される「七宝会」の受付をお手伝いした時でした。

当時私は京大2回生だったと思います。

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世間の常識など殆ど何も知らない私に、受付業務だけでなくマナーなど色々なことを教えてくださいました。

優しくも厳しい、そして頭が切れてユーモアのセンスのある方だと思いました。

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時は少し流れて、私が能楽の道を志した頃のこと。

東京芸大を受験する前の1年間、私は辰巳孝先生の鞄持ちとして、色々な稽古場にご一緒させていただきました。

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午前中に香里園末広町の御宅に伺い、そこから辰巳孝先生のお供をして電車か車で関西各地の稽古場に向かいます。

そして夕方か夜に稽古が終わると、また末広町の御宅まで先生と一緒に帰りました。

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御宅では美也子さんが自慢の料理の腕をふるって、美味しい出汁巻きや海老フライなどの晩御飯を作って待っていてくださいました。

私もご相伴にあずかり、時には居間のコタツで芸大の楽典の勉強などをさせていただいてから京都に戻る、という日々を過ごしました。

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あの1年間、辰巳先生と美也子さんは私のことをまるで家族のように可愛がってくださいました。

もちろん時には美也子さんから「澤田さん!あなたこんな事も知らへんの!」と叱られることもありました。。

今では全て懐かしい思い出です。

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今頃は天上で辰巳孝先生と再会されているのでしょうか。

あのお2人のウィットに富んだ掛け合いがきっと繰り広げられていることでしょう。

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辰巳美也子様のご冥福を心よりお祈りいたします。

飽くなき向上心

昨日は国立能楽堂での「若手能」の後に、「京大宝生東京OB会」の新年会に参加しました。

と言っても、舞台は終わった後で、私は宴会だけの参加でした。

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宴会が盛り上がってきた頃に、20人ほどの大ベテランの京大宝生会OBの皆さんが、それぞれ近況や今年の抱負などを述べられました。

「今年は地拍子を本格的に勉強したい」

「私は謡本に自分で地拍子の○△を書き入れて勉強した。それをお薦めします」

などと、大ベテランでありながら向上心に溢れるコメントが多くて流石京大宝生会OB会だと思いました。

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一夜明けて、今日は京都紫明荘組稽古でした。

久しぶりに日曜日に設定したところ、京大宝生会の2〜30代の若手OBOGが次から次へと大勢やって来てくれました。

稽古終了時間ギリギリまで、結局9人の若手OBOGを稽古しました。

素謡「舎利」、舞囃子「東北」を始め、たくさんの仕舞や舞囃子地謡など中身の濃い稽古になりました。

それぞれ忙しい仕事や大学の合間を縫って、難しい曲に挑戦しています。

若手OBOGの向上心もまた眼を見張るものがありました。

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3月9日の東京澤風会では、昨日の大ベテランOBの皆様、そして今日京都で稽古した若手OBOGの面々、さらに現役部員達と、京大宝生会がセルリアン能楽堂に勢揃いします。

それぞれの世代の舞台が今からとても楽しみになってまいりました。

ようこそ紫明荘組へ

今日は朝東京を出て、昼前から紫明荘組稽古でした。

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先日の関西宝連を持って現役を退いた4回生のO君が、早速紫明荘組稽古に参加してくれました。

会員の皆さんに紹介していると、O君が何やら紙袋を取り出して、

「あの先生これは、ご挨拶に持って参りました」

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私は「なんと、そんな気を遣わなくていいのに」と言って、お菓子かと思い「今開けて皆さんにお出ししていい?」

と聞いたところ、O君は

「あ、いえお菓子ではなく、お蕎麦なのです!」

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「へえ、お蕎麦。それはどうもありがとう」

と答えながら、内心「珍しいものをくれるものだなあ」と少しだけ怪訝な顔をしてしまいました。

するとすかさずO君がニヤリとして、

「これから先も、いつもおそばに、という意味です!よろしくお願いいたします」

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なるほど!

そういえばO君はそう言った洒落が大好きなのでした。

昨年の京大宝生会の経政合宿の時には、何故か参加者全員に「ハイチュウ」を配ってくれたのですが、配りながら、

「いや飴にてはなかりけり!」と連呼していたのを思い出しました。

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また個性的な新OBを何人か加えて、紫明荘組稽古に新しい風が吹いて来そうです。

願念寺のエッセイ

先日東北新幹線で水沢江刺に移動する時のこと。

東北新幹線に乗ると「トランヴェール」という車内誌を読むのが私の密かな楽しみのひとつです。

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最初のページの「駅弁紹介」のようなコーナーが先ず面白く実に美味しそうで、「いつか食べてみよう!」と心に刻んでページを1枚めくります。

そこには私の好きな作家の沢木耕太郎さんの旅のエッセイが載っているのです。

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今回も同じ道順を辿ってエッセイのページに至りました。

ところが1枚だけ掲載されている写真を見て、何とも言えない”既視感”を覚えたのです。

写真の下には「金沢 願念寺」

とありました。

これには心底驚きました。

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「願念寺」とは、現在ドイツで靴職人をしている京大宝生会OBのT君の実家で、もう15年ほど前から京大合宿や大稽古会(琥珀の会の前身)などで泊まりがけで何度となくお世話になってきたお寺なのです。

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かの松尾芭蕉が立ち寄ったこともあるという由緒あるお寺ですが、あまり観光客などに強くアピールしていなくて、それが好ましいお寺だと思っていました。

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しかし沢木さんのエッセイのネタになるとは、最近有名になったのだろうか、一体どんな内容だろう…?

と少々ドキドキしながらエッセイを読み進めました。

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結局、沢木さんもやはり願念寺のそう言った”床しさ”に感じ入った、という文章でした。

特に本堂の前に置かれた箱に「花梨の実」がたくさん入っており、「ご自由にどうぞ」と書いてあったのが良かったとありました。

沢木さんにとっては、願念寺の佇まいの全てが好ましいものだったようなのです。

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なんだか自分が褒められたように嬉しくなり、その場でエッセイのページを写真に撮ってドイツのT君にメールしました。

すると間もなく返信が来ました。

「うちの花梨の実は立派ですが、花梨酒にするくらいしか使い道もないので持って行っていただけるならそれがいいということでしょう。」

とあり、彼のメールにまで願念寺の奥床しさが感じられて更に嬉しくなったのでした。

3件のコメント

リンボウ先生の和歌の講義

今日のニュースで「歌会始」が皇居にて催されたと知りました。

歌会始で歌を読み上げる時の独特の抑揚は、一度聴いたら耳に残ります。

「変わった読み方をするなあ」と思う人も多いでしょうが、私にとってはあの抑揚はそれ程違和感を感じないものなのです。

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というのは、謡の中で和歌を詠むシーンは割と頻繁に出てきて、その時には和歌に”節”をつけて、歌会始風にゆっくりと読み上げるからです。

私は澤風会稽古の時など、逆に「和歌を読み上げる謡は、”歌会始”のような心持ちで謡うと良いです」と会員さん達に言っているくらいです。

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そういえば、東京芸大時代に和歌に関する林望先生の講義を受講した時のことを思い出しました。

試験はレポート形式で、和歌に関する事ならなんでも可、というゆるい条件のレポートでした。

ちょっと考えて、「百人一首」の何首かの歌に謡の節を付けて、それを私が歌会始風に読み上げた音源を提出したら単位を貰えたのです。

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その講義では、「1人一首の和歌を詠む」という回もあり、15分ほど時間を与えられて参加者全員で「う〜ん」と唸りながら和歌を考えたものです。

私は結局、京大能楽部の旧BOXでのことを詠みました。

「謡ひ終へ 窓辺に寄りて 涼み居れば

北山の上を 行く夏の雲」

夏の旧BOXは本当に暑くて、エアコンなど無いので大きな窓をとにかく全開にして稽古したのでした。

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いつか時間が出来たら、和歌を詠む勉強もしてみたいものです。