万歩計アプリによると…

普段から皆様に「健康には気をつけて」と言われているのですが、とりあえず「歩くこと」と「階段を使うこと」くらいしか健康に繋がる事をやっていない私です。

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「歩く」というのは運動とも言えないような単純なことですが、歩くことにも色々利点があります。

・体調が整えられる。

・足腰や心肺機能が鍛えられる。

・渋滞や遅延に関係ないので、精神的ストレスも無い。

・街中で面白い出来事に出会う可能性が高い。

などなど、私のような「散歩が好きな能楽師」にとっては、歩くことは正に良い事ずくめなのです。

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更に私の携帯には「万歩計アプリ」が付いており、これがまた丁度良い達成感を与えてくれます。

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因みに昨年1年間で私は、

・一日平均8003歩歩いて、

・一日平均17階分の階段を登り、

・一年で約2200㎞移動して、

・最高で1日23278歩歩いた

ことになるそうです。

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これが多いのか少ないのかは判然としないのですが、自分の足で約2200㎞程歩いた中で、昨年の色々な経験があったと思うと感慨深いものがあります。

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この「歩くこと」に関しては、出来れば去年の記録を更新することを今年の目標にしようと思っております。

結果は来年のお正月のブログにて。

初夢と初詣

今年の初詣は、年末にブログに書かせていただいたご縁で素戔嗚神社に行こうと思い立ちました。

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神社に近づくと、軽快なお神楽の音が聞こえて来ました。

しかし境内から道路にまではみ出す長い参拝客の列が出来ています。。

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普段行列に並ぶのが本当に苦手な私は、ここであえなく挫折しそうになりました。

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しかしその時、境内に「獅子舞」の姿が見えたのです。

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参拝客は頭を噛んでもらい、子供たちは怖がって泣いたりしています。

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これは並んででも是非近くで獅子舞を見て、頭を噛んでもらいたい!と思い、行列に並びました。

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しかし、行列が暫し進んだところでお神楽が止んで、獅子も何処かに行ってしまいました。。

周りの人たちも「獅子舞は勤務時間終了かしらね〜」とちょっと残念そうです。

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写真を撮る間もなかったので、私もとても残念に思いましたが、拝殿までもう少しです。

日本晴れの空の下、柏手を打って参拝するのは大変清々しい気分でした。

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ところで、昨夜から今朝にかけて見る夢が「初夢」になるそうです。

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能「邯鄲」のシテ盧生のように五十年分のリアルな夢を見る程では無いにしろ、私も普段結構現実感のある夢を見ることがあります。

例えば食べ物の夢など見ても、ちゃんと夢の中で美味しく味わって食べ終えることが出来たりするので、そんな嬉しい夢が見られないかと期待して眠りました。

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そして見た初夢は…

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どこかの稽古場で稽古しているのですが、絶対に終わりそうにない人数の会員さんがいらして、「どうしよう終わらん…」と焦りながら稽古している夢でした…。

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思えばこういう「夢の無い夢」もよく見る私なのでした。

皆様はどんな初夢をご覧になりましたか?

今日はこれにて。

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新年のご挨拶

おかげさまで無事に新しい年を迎えることができました。

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昨年も色々なことがありましたが、多くの皆様にお世話になりながら何とか乗り切ることができました。

皆様誠にありがとうこざいました。

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新年にはよく「今年の抱負」を聞かれたりします。

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大体の人が「新しいことを始める」「何か新たな目標を立ててそこに向けて努力する」と言った前進的な答えをするでしょうし、聞く方もそれを期待しているはずです。

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しかし、能楽においては「変わらないでいること」も大切だと思うのです。

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私は今年も変わらずに各地の稽古場を巡り、変わらない内容で稽古を重ねて、舞台も変わらず頑張って勤めて参ります。

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その先に「進歩」や「上達」があると信じております。

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このブログも、「書き始めた以上、変わらずに書き続けよう」と思いながら何とか1年が過ぎました。

本当にネタが尽きるまでは、変わらず毎日書いて参りたいと思います。

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皆様どうか本年もよろしくお願い申し上げます。

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日が暮れる里にて

今日は郁雲会の番組作成作業をずっとしておりました。

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夕方に気分転換しようと今年最後の散歩に出ると、近所にこんな名前のマンションを見つけました。

マンションとしては珍しい名前だなと思ってしばし考えてみると、はたと気がつきました。

私の家の住所は「東日暮里」です。

「日が暮れる里」→「サンセットビレッジ」

なのですね。

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ちょうど夕方の鐘と「夕焼け小焼け」のメロディが流れて、今年最後の日が沈んでいきました。

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しかし「日暮里」の語源を調べたところ、「日がな一日を暮らしても飽きない里」ということで江戸時代に名付けられたそうです。

今は静かな住宅街が大半を占める日暮里ですが、江戸時代にはよほど栄えていたのでしょうか。

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ともかく、この太陽が次に昇って来る時には平成30年になっているわけです。

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皆さま今年も本当にありがとうございました。

どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

静かな年の暮れ

今年もあと2日になりました。

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今日は家の掃除や、溜まった本を整理して要らないものを近所の古本屋に持って行ったり、細々とした年末年始用の買い物をしたりと、能には殆ど関係のないことばかりで暮れた1日でした。

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思い出してみると、内弟子の頃は確か12月30日に宝生能楽堂前で餅つきをしていました。

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つきあがった餅を小分けにして、車で色々な所に配りに行ったり、慌ただしい1日だった記憶があります。

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餅つきに加えて、内弟子部屋や更衣室を始め宝生能楽堂各所の大掃除も30日と31日にやっていて、我々内弟子はこの2日間はてんやわんやで右往左往していました。

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あの頃と比べると、本当に静かに年が暮れていきます。

昨日と比べても、あの東京駅の喧騒が嘘のように穏やかな三ノ輪辺りでした。

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遠出する予定は無く、家にはテレビも無いので、年末年始は静かに本など読んで過ごしたいと思います。

素戔嗚神社の小学生達

数年前に公演で、インドネシアのウブドという伝統芸能の村に行った事があります。

そこでインドネシアの獅子舞である「バロン」という舞台を観た時のこと。

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舞台でバロンが演じられているすぐ脇の舞台袖で、小さな子供達が懸命に舞台の真似をして演技をしていたのです。

おそらく演者の家族と思われ、私は「こうやって伝統が自然に次世代に伝わっていくのだろう」と感心しました。

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また7月18日のブログでは、京都の祇園祭に積極的に関わって、自前の鉾を作って子供達に巡行までさせるという洛央小学校の事を書きました。

祇園祭に小さな頃から参加した小学生達は、やはり自然にその伝統を引き継いで将来は祇園祭を担っていくのだろうと、羨ましく思ったのです。

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私の育った東京では、浅草などの一部の町を除いては、そのように子供の頃から地域の伝統に触れてそれを引き継ぐという経験は難しいと思っていました。

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ところがつい昨日、家の近所でそのようなシーンを見ることができたのです。

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家の近くに「素戔嗚(すさのお)神社」という大きな神社があります。

昨日その前を通りかかると、神社の中から元気な声と共に小学生達がぞろぞろと出て来ました。

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何か遠足のような行事かと思ったら、どうも普通に学校帰りのようです。

素戔嗚神社の境内が通学路に指定されているようなのです。初めて気がつきました。

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面白いなと思って境内に入ってみると、ちょっと驚く光景が見られました。

小学生達は皆、本殿の前を通る時にちゃんと立ち止まり、代わる代わる御辞儀をしてから通って行くのです。

中にはきちんと柏手を打ってお参りをしている子供もいます。

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彼らは毎日登下校の度にこれを繰り返しているのでしょう。

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調べてみたら、素戔嗚神社は1200年の歴史がある神社で、その例大祭の御神輿が有名だそうです。

こども神輿もあり、正にあの小学生達が担ぐようです。

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彼らの小学校の名前も素戔嗚神社に深く関わる「瑞光小学校」という名前で、彼らはごく自然に地元の神社に毎日参り、その祭に参加してこども神輿を担ぐようになり、やがて大人になると本社神輿を勇壮に振りながら担ぐようになるのでしょう。

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そうやって素戔嗚神社の「天王祭」は500年近くも続いて来たようなのです。

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私の住む町で、このような形で地域の伝統が継承されていたとは、嬉しい驚きでした。

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そして天王祭の3年に一度の大きな「本祭」が、来年2018年6月に開催されるそうです。

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これは是非あの小学生達が御神輿を担ぐ勇姿を、そして昔小学生だった人達の担ぐ本社神輿を見に行きたいと思っております。

高校駅伝の思い出

昨日は全国高校駅伝が京都で開催されたと、今朝の携帯ニュースで知りました。

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毎年12月のこの時期になると、京都市内で陸上部のジャージを着た集団をよく見かけ、「懐かしいなあ」と思います。

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私も高校時代には、この高校駅伝の予選に参加したことがあるのです。

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「都大会の予選会」という、本当に一番最初の予選だったのですが、都立富士高校陸上部の中長距離の7人がチームを組んで、多摩川沿の42.195キロコースを走りました。(私は第6走者で5kmだけでしたが)

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「団体競技では周りに迷惑をかけてしまう」という理由で個人競技の陸上部に入部した私なので、駅伝チームに入るのは実はあまり気が進まなかったのです。

しかし、チームで毎日のように練習していると、団体競技特有の連帯感のようなものが生まれてきました。

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そして多摩川沿コースの予選の結果はさっぱりだったのですが、その日のレースの有様や応援の様子などは、強く心に残りました。

目の前を駆け抜ける選手に「○○ファイットォ‼︎」「△△先輩ファイットォ‼︎」と独特の抑揚でかける掛け声など、今でもありありと心に浮かんで来ます。

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高校を卒業してからは、私は同窓会などには一度も参加しなかったのですが、何故かこの駅伝チームのメンバーとは細々と交流が続きました。

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その後私は能楽師になりましたが、例えば駅伝チームの1人は小学校教師になり、彼の小学校で能楽教室を企画して私を講師として呼んでくれました。

今でもその縁は続いており、彼の同僚が異動した先の稲城市立南山小学校で、毎年能楽教室をさせていただいています。

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また別のメンバーは千葉県柏に居を構えて、彼の子供が入園した柏駅前のみくに幼稚園にて、これまた能楽教室を企画して講師を私に依頼してくれました。

幼稚園での能楽教室は初めてだったのですが、こちらも有り難いことに毎年恒例行事になり、来年も3月に能楽教室を開きます。

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更にメンバーの一人は英語の通訳になりましたが、なんと江古田稽古場で澤風会に入門してくれて、忙しい通訳の合間に稽古を積んで、能俊寛のツレまで勤めてくれました。

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という訳で、駅伝チームのメンバーは今はそれぞれ別の道を走っていますが、上に書いたような不思議な縁で繋がっていて、それはおそらく生涯続くことでしょう。

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全国大会で都大路を疾走する高校生達とは全くレベルの違うチームではありましたが、我々のチームも実に良いチームだったと、駅伝のニュースを見る度に思い出すのです。

物の名も処によりて…

能「芦刈」で、「物の名も処によりて変わりけり」という謡があります。

難波では「芦」とか「葦」と呼ばれる草を、伊勢では「濱荻」と称する、という内容です。

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今日は「冬至」ですが、冬至にはよく「かぼちゃを食べると良い」と聞きます。

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この理由をちょっと調べたところ、関東ではかぼちゃを「唐茄子(とうなす)」ということがあり、冬至に因んで「と」の付く食べ物を食べると身体に良いと言われているそうです。

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しかし、関西ではかぼちゃは「なんきん」とも言われており、冬至には「ん」の重なる名前の物を食べて「運」をつける、と京阪電車の「いもたこなんきん」という居酒屋の吊り広告で見た記憶があるのです。

何となく、関西の説が風情がある気がします。

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私は予備校まで東京で、大学で初めて関西に行ったので、「かぼちゃ」と「なんきん」のような単語の違いに驚く事がしばしばありました。

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「饂飩、蕎麦のきつねとたぬきの違い」や、「大学の学年を”1回生”、”2回生”と呼ぶ」ことなど、例は枚挙に暇がありません。

ところが一番インパクトがあったのは、意外にも「今川焼き」だったのです。

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小学生の頃から澤田家のおやつの定番のひとつだった「今川焼き」。

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しかし京都でお祭りの屋台を眺めていると、東京の縁日では必ずある筈の「今川焼き」という屋台がひとつも見つかりません。

かわりに「大判焼き」とか「回転焼き」と称して、今川焼きと全く同じ物が売られていたのです。

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更に京都の下宿近くの銀閣寺道交差点にあった菓子店では、「大文字焼き」の名前で売られているお菓子が、やはり食べると今川焼きと同じ味でした。

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一番驚いたのが、大阪香里園の辰巳孝先生のお宅にて、「澤田さん、”ござそうろう”食べはる?」と聞かれた時でした。

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私の脳内で「御座候」は謡の文句であり、「食べる」という方向に変換出来ずに「はぁ?」と間抜けな声を上げてしまいました。。

そしてその後お盆に乗せられて来たのが、また「見た目も味も今川焼き」のお菓子だったのです。

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という訳で、「物の名も処によりて変わりけり」と聴くと、いまだに何となく「今川焼き」と「御座候」を思い出してしまいます。

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とりあえず今日は、これから「ん」が付く食べ物を何か食べて「運」を付けておきたいと思っております。

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続 すごい記憶能力

10月29日のブログで、「すごい記憶能力」を持つ京大農学部林学科時代の友人の事を書きました。

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黒板の文字を映像として全て記憶出来るので、ノートを一切とらないという人でした。

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その時には「今となっては連絡の取りようがない」と思っていたのですが、実は偶然が重なって、彼とまた縁が繋がる可能性が出て来たのです。

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あのブログを書いた後に、試しに彼の名前でグーグル検索をしてみると、彼はやはりその後森林の研究者の道を進んで、今では神戸大学農学部の准教授になっているようでした。

しかし、わざわざ彼の大学用のメールアドレスに連絡するのも変な気がして、まあ元気に研究者をやっているなら良いと満足していました。

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それが最近になって、神戸大学宝生会を指導している宝生流教授嘱託の方より、「うちの学生の○○くんは、農学部の授業でよく山に行っているらしいので、先生(私の事)と話が合うかもしれないですよ」と聞いたのです。

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「神戸大学農学部」で「山」に行く授業。

もしかして彼と繋がりがあるかもしれません。

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そして一昨日の関西宝連が終わった後の宴会で、その神戸大学宝生会の学生に駄目元で聞いてみました。

「神戸大の農学部に、僕の友人の□□という名前の准教授がいるのだけど、知らないかな…?」

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すると「えっ!僕その先生の授業を受けてますよ!」

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なんと、ピンポイントで繋がってしまいました。

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神戸大学宝生会が復活していたこと。

そして彼が神戸大学農学部の准教授になっていたこと。

さらにまた私が彼の「すごい記憶能力」をブログに書いたこと。

これらが全て重なって、今回の偶然が生まれたのだと思います。

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こうなると何とか彼に会ってみたくなりました。

もし再会出来たら、25年ぶりくらいになります。

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そして再会出来た時には、あの「記憶能力」はまだ健在なのか、是非聞いてみたいと思います。

散歩心に火がついて…

普段電車での移動ばかりで、文字通り「地に足のつかない」生活をしているためか、私は実は散歩が大好きです。

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今日は稽古のキャンセルなどがあり、ぽっかりと時間の空いた1日でした。

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ゆっくり休んで午後遅くに、細々とした買い物などをしようと近所のジョイフル三ノ輪商店街に行ったのですが、関係無いお店をぶらぶら見てまわったり、途中テレビの撮影(リリーフランキーと少年が商店街で買い物をするシーンでした)に出くわしたりしているうちに「散歩心」に火がついてしまいました。

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三ノ輪橋からぶらぶらと南下して、根岸辺りを抜けて鶯谷駅の横を通ると、上野寛永寺に出ました。

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そこから上野駅の公園口の横を通ってアメ横の方におりました。

上野駅越しにスカイツリーが綺麗でした。

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上野から今度は不忍池のほとりを通って、上野動物園をかすめて根津方面へ。

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言問通りに出てからは通称「へび道」と言われるくねくねした一本道を日暮里方面へ進みました。

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やがて「谷中銀座商店街」に辿り着き、日暮里駅に向かいます。

日が暮れた谷中銀座は、地元の人だけが行き交う懐かしい商店街でした。

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突き当たりの「夕焼けだんだん」を登って振り返ると、もうすっかり夜の谷中銀座が望めました。

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そして日暮里駅を横目に見て、今度はいわゆる「日暮里繊維街」に入ります。

ここを抜けると、三ノ輪まではもう僅かの道のりです。

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ここ最近は本当に身も心も地に足のつかない日々が続いていましたが、下町の何気ない暮らしを見ながら散歩して、ちょっと落ち着くことが出来ました。