教える側が学ぶということ
3月の春合宿に続いて、京大宝生会の夏合宿が始まっています。
今回も合宿中に5曲の謡を鸚鵡返しして、2曲の仕舞を覚えるのが課題です。
謡は先輩と後輩がペアになって鸚鵡返しをするのが京大宝生会の伝統で、昨夜は日が変わってからも元気な謡の声が合宿所に響いていました。
短期間に5曲も教わることで後輩達は急速に上達しますが、実はそれよりも勉強になっているのは教えている先輩の方だと私は思います。
誰かに「教える」ということは、教える内容を自分が理解してからでないと不可能だと思われますが、私の経験上必ずしもそうではありません。
家庭教師のバイトをしていた時、自分では苦手で成績もさっぱりだった数学を、さも全てわかっているように中高生に教えなければなりませんでした。
その時、授業を終える度に「なんだ、こんなに簡単だったのか。今試験を受けたら、もっとマシな点数がとれたかも」と思ったものです。
「理解していなかった事柄を、人に説明することで自分も理解できる」ということがあるのだと思います。
苦労して後輩に教えることで、京大宝生会の先輩達は急速に頼もしさを増していくのだと思われます。
合宿も折り返しを過ぎて、声も足も辛い感じだと思われますが、先輩も後輩もどうかもう一息、頑張ってほしいです。